彼女は立ち食い蕎麦屋に寄った。
「らっしゃっせー」
「ああ」
食券を見せて、注文してテレビを見る。
《今日のゲヘナは大雪が降る様子です、朝の登校は大丈夫だとは思いますが帰りはタクシーやホテルの予約などをしていた方が良さそうです!地下鉄は止まりませんが、ローカル線やバスなどは動かない可能性あります》
「随分な雪が降る、か」
「あ、そういえば議長じゃん」
店員は彼女を見る。
「朝からご苦労様です、もう少し遅い出勤だと思ったんすけど」
「面倒な仕事は年末に大体始末したから私はゆっくりしてる」
「そう言う割に早いから不思議がってるんじゃないですか」
「それでも八時くらいだ、メイン層とは少しずらしてる」
今日は別に大した仕事はないが、早出しただけ。
そう言ってもどうやら信じてもらえないのはいつものことだが。
「他のメンバーはどうしたんです?」
「他はいつも通りだよ。イブキもレポート終わらせたから、しばらくは休めるって言ってたな。いろんな申請書類も先週中で片付けてたから金銭関係で煩わされることもない」
「やっぱり忙しかったんすね」
「朝から客捌いてるそっちと比べればのんびりできるさ。労働の価値はその発露の仕方に大きな違いが出るだけで、皆等しく価値を持つ。その成果の大小によって金銭が上下するものだ」
「だから評価が必要だと?」
「アリウスの面々はその価値の流動、つまり経済の循環に入れなかったから苦労した」
はえー、とは言いつつも言いたいことは理解したらしい店員。
こと、とそばが置かれる。
「あ、これどうぞ。そばです」
「助かる」
頼んだそばは一番安いもの。
トッピングはネギのみ、だがマコトは手を止めさせる。
「ああ、ネギ抜きで」
「へい」
出た側はつゆと麺だけのシンプル極まりないものだ。
それに唐辛子を振りかけて、啜る。
つゆは非常に味わい深い、鰹出汁が強く効いているのか入っている醤油などの塩味が魚介系の味のうち雑味を消して味合わせつつも己の強すぎる味を魚に吸収してもらっている。この循環、いや、丁度よく融合した味が彼女の舌を唆った。
麺は非常に蕎麦粉、麦系の味が強く出ている。あの苦味に近いような独特な風味も、つゆによってその独特さを消すように、そうでありながらも出汁によって削ぎ落とされたからこそ極まった薄い苦味。
麺の質もいい。硬さと啜り具合、詰まるところのコシが強いのだ。つゆによって崩壊しない硬さ、啜る振動とそれによって口内に振りまかれる旨みは、まだ少し寝ぼけてる彼女の胃と舌をゆっくり起こす刺激として機能。
だが、それだけではない。
唐辛子を入れている。これは香辛料によって刺激を強め、暖房も含め発汗させることで体内の温度の循環を高めようと言うものだ。それで体外の気温とのすり合わせ、水分の移動によるクラッチでギアを合わせて健全な状態を保つ。
香辛料で体の回転数を上げるが、ネギやトッピングなどがあっては邪魔になる。いや、正確にいえば最初から最後まで”味わいながら体内のペダルを踏んで回転数を上げる食べ方”が、唐辛子のみで蕎麦を最後までいただくことだった。
「ん、うまかった」
和食類は、基本的に爆弾レベルでの塩分を含めない。
故につゆごと飲み干すのが、ある種粋な食べ方なのだろう。
「おお」
丼を返却口に返して、マコトは手を振る。
「ありがとあした」
「また、後日来ることにしよう」
店を出ても、一応室内。
ゲヘナの廊下は肌寒い、何しろ廊下まで暖房をびっしり詰めても広いからあまり意味を持たない。
手をこすりながら仕事場に向かうマコトに、電話は呼びつけた。
「あ?」
ポケットに入れてたから常温のままのスマホに出ると、相手は声をかける。
「マコト、さん?」
「桐藤ナギサか」
電話相手はナギサだった。
「トリニティの重鎮が朝から電話をかけてくるとは、何かあったのか?」
「ああ、いえ。新年のご挨拶以降ちゃんと話をしていなかったなと思いまして」
「気にしなくてもいいぞ。ちゃんと信頼を置けている相手というのは、離れていても安心できる人間の事を指すだろう?」
「それはそうなんですが」
「もったいぶらずに話してくれ、気になっちゃうだろ?」
急かすようにしてみると、相手からは他愛のない話が出てきた。
「ヒフミさんとか、コハルさんとか、補習授業部の面々がお世話になったと聞きまして。そのお礼をしようと、お電話したんです」
「別に今はそこまで敵対しているわけではないからな。本人達から感謝されていたから、別に気にしなくても」
「いえ、折角ならその件で不躾ながらお願いしたいことが」
なんだなんだ、とちょっと身構えるマコト。
ティーパーティーから電話口とはいえお願いがあることが異例なのだが、ナギサは少しだけ微笑んで口にした。
「もしよろしければ、ゲヘナとの交流を彼女達に任せようと思いまして。話し相手や内密に、軽くでもいいですから関わっていただけると」
「急だな。どうしてだ?」
「それは」
ナギサは困った声を出す。
彼女は外交を任せていたパテルが、非常に強硬派であったことがまだ足を引っ張っていると感じていた。ミカは成長したが、それ以外の貴族はやはり経済的・政治的な主導権を握りたいがために過激な策を推し進めようとしている。
ミレニアムなどはまだ大丈夫だが、ゲヘナとは関わりが薄い。シャーレがいる中で旧来通りの関係でいることは悪影響だが、かといってパテルは任せられなくなっていることに彼女は苦悶していた。
「そこで、関わってくださった貴女に折り入ってお願いしたいのです。親善大使としては申し分ない実力や、意志を持っているので」
「ああ、なんだそのことか。だったら今度遊びに来させてくれ」
マコトはため息をする。
「え?」
「そろそろバレンタインが近いだろ?みんなでケーキとか作ったりするんだが、その際に_____いやハナコはちょっと懸念点があるが、他のメンバーが来てくれるんだったらこっちも喜ぶと思う。イブキとかは一緒に可愛いことできる仲間が増えれば所属は関係ないし、チアキはとくダネが出来るから喜んで受け入れる。残り二人はどうなるかは分からないが、まあそれはこっちが話をつけておくから」
「いいんですか?」
「自分から必死に頼んでおいて疑心暗鬼になるのは良くない、それに私も彼女達のことは評価しているんだ。折角なら間近で見る機会が欲しい」
珍しく、優しい声で、諭すように話す彼女。
「でも、もう一声欲しいな」
「と、言うと?」
「お前も来い、桐藤ナギサ。たまには自分が集めた勇士たちの笑顔を見たいだろ?」
「……いえ、私は彼女を疑ってたんです。そんな資格は」
「もう疑ってないし、先生を通して話せるようになってるんだったら十分さ。たまには友人のお守りもやめて楽しもうじゃないか」
純粋な誘い。
一時間も一緒に踊ったあの時から、ナギサはすでに疑心暗鬼と向き合える知性と勇気があると知っている。
だから、ひどいこともしないし言わないと確信できたのだ。
上手いこと伝わったのか、電話越しから返事が来る。
「では……ご一緒させていただきますね」
「来てくれよ。イブキも喜ぶ」
「ありがとうございます、では」
「ああ」
話は終わった。
軽い挨拶をして、電話は終わる。
「全く、心配性なのは変わらないらしい。そりゃセイアもミカも、つきっきりになるわけだ」
ふっ、と笑みを溢しながらカッコつけて歩くマコト。
楽しみが増えた彼女は、その褒美を己のやる気に焼べて仕事に立ち向かうのである。