この日、マコトはエデン条約をめぐる一件の記事や資料を読み返していた。
連邦生徒会から概要をまとめて送れなんて言われた時に内政干渉であると強く反発し、それはトリニティ側も同じであったことからその依頼は無くなったものの言われてみれば少し読み返そうと思ったらしい。
自分の情報収集能力だけは少しだけ信用はしていたので、紙をめくっては眺めている。
「何をしているんですか?」
「イロハ。見てわからないか、エデン条約に関する話だよ」
「今更見直してるんですね」
やってきたイロハは隣に座って、眺めている。
「アリウスの一件って聖園ミカがアリウスの派兵を使ってこちらを攻撃して、排除を達成しようっていう話でしたよね?わざわざそこまで読み返す必要あります?」
「そこが引っ掛かってるんだ」
問われた方は、声のトーン変わらずに返す。
「イロハは孫子の兵法とやらを知ってるか?」
「いや全く」
「まあいい。そこには『上兵は謀を伐つ。其の次ぎは交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。攻城の法は、已むを得ざるが為めなり』って言葉があるんだ」
国を落とすなら敵の策を先に打ち破るべし。つまり行動を封じることが最上の策であると。
次善に敵国の友好国との関係を破壊し、またその次の策に敵国の兵力を削ぐ、さらにそこから次には攻城するが、そこまでいっては愚策もいいところであるというのが孫子の兵法に書いてあることだった。
「まさか、ミカがそこまで考えてないとも思えないから新しい発見があるのではないかと思ってな。外交長官に当たるような生徒が、とにかく何も考えず戦を交えることを選択する下士官止まりの頭を持ってるとも思えない」
「それあなたが言えた義理ですか?ミサイル落とされたくせに」
「あれは誤算だった。だがそのまま、次の糧にすればいい。支援という名の侵食をしているのは、そのためだ」
「呆れた。それでムスリム被害の二の舞になったらどうしますか?」
「キヴォトスという枠組みからは逃れられない、最初から人権のない女どもを殺す手段はいくらでもある」
イロハがあくびをして、ファイルの束をそのまま枕にして突っ伏せる。
「大体、聖園ミカだってそこまで考えてないと思いますよ。考えていたら、そもそも明るみになりませんから」
「それもそうだが」
「深く考えすぎなんですよ。誰しも、子供の性から逃れられないのがこの世界の政治家の性でしょう?公明正大な政治家なんて、世界のどこにもいませんよ。独裁者ならいますけど」
「その独裁者が使うルールは?」
「自分で作った基準」
「ダメじゃないか……」
ため息をついて、マコトは別の資料を読み始める。
「例の兵法には、互いの状況を比べる七計とやらがあったな」
「例えば?」
「君主はどちらが民を掌握できてるか、将軍の能力はどっちが強いか、地理的利点はどっちが享受できるか、軍法や命令はどっちがちゃんと機能してるか、兵力数はどっちが多いか、兵士はどっちが熟練度があるか、賞罰はどっちが明確に行われてるか。の七個」
「例えばで全部言わないでくださいよ。で、あの一件で戦争になったらどっちが勝ちそうなんですか」
言われた彼女は考える。自分の主観が入っていることを先に伝えて、考えておおよそ5分か。彼女は答えた。
「一つ目はまずゲヘナの勝ちだな、派閥によって喧嘩してて常日頃陰湿なあいつらに比べればイブキというアイドルと私たちという摂政がいるからこちらの方がコントロールは完璧だ。二つ目は、はっきりとは言えないがギリギリゲヘナが勝ってると思う。近代戦争という面では、イロハが率いる戦車使えるメンバーなどの近代兵器を扱える軍がいるから強い。これはお前のおかげだ」
「褒美のキスもくれないくせに、口は回りますね」
「私の口付けは最後の手段だ」
言い返した後に、三つ目以降の考証の続きをするマコト。
「地理的利点は正直相手の方に引きずられれば負けだし、こっちなら勝ってる。これはアリウスのアクセスがそのまま一部兵隊の兵站の長さに直結するのが大きいな。四つ目の軍法・命令の機能に関してはこちらの勝ちだろう」
「そうですか?正義実現委員会とシスターフッドは強敵では?」
「確かに相対したら面倒だが、前者はまずそこまでの権力がないから柔軟に動きにくいだろうし、後者は最初は動けてもあの時で考えたらスタンス的にそこまで関わらないだろうし関わったら政治的問題で瓦解するはずだ」
「それこそこっちに攻め込ませる形にすれば後者は専守防衛で引き剥がせますね」
「イロハは頭がいいな」
指を鳴らして褒めるマコトだが、カッコつけた痛さに直視できなくてイロハは目をそらす。
「で、五個目か。これに関してはどっこい……こっちが攻め込む形になったら不利だな。という感じだ、やはりシスターフッドが壁だな。攻め続けるのは無理だ」
「六個目の習熟も同じような感じですね。シスターフッドの団結力がそのまま直結してますし、正義実現委員会もそこは強い、しかもちゃんと強い指揮官も揃えているのに対してこちらは」
「私をはじめとしたトップダウンと見せかけた国家愚連隊だからな、まあ負けだろう」
では最後、だが賞罰に関しては正直いうまでもなかった。
「最後はこちらの勝ちだな。法律があって、それを我々トップでも逆らえない以上、法律が全てを正す。だが相手は派閥から始まった政治的内部分裂がある以上、贔屓や過剰な罰則が横行することは難しくない。正義実現委員会は自由に動ける軍隊だが、その政治劇に巻き込まれて指揮官や責任者を疲弊させ続けて判断能力を奪われて負けるだろう。そこの負担を軽減しようとしたら今度は軍足が乱れて賞罰の機能がしなくなる……ということだから、結局ここで勝つだろう。影響受けないシスターフッドは、専守防衛でなければあの時であれば内政干渉で大騒ぎになる」
唯一の政治機構であったティーパーティーは一人は重症、一人は外患誘致で幽閉確定、そして最後はストレスによるうつ症状。
結局としてアリウスが想定通りの機能をしていれば、トリニティを打ち滅ぼすのは容易だった。ミカが穢れた英雄として祀られる未来もあったのだろうが、そうなるには知能と落ち着きが足りなかったのかもしれない。
「……こう見ると、ゲヘナって私とヒナが喧嘩しなければ学園都市最強になれるのでは?」
「なんでそう思うなら喧嘩するんですか」
「イブキの座を脅すような人気はあってはならないから」
「人の分析する前にその幼稚で情けないロリコンを直した方がいいですよ、なんで私がいるのに」
「やめろ私はロリコンじゃない。家族を愛してるだけだ!」
「ナギサさんに手を出したこと、バレてますよ」
「て、手は出してないぞッ!」
踊ったことを手を出したと言われては反抗したくもなるが、イロハにそんなことで当たっては失礼だろうと思って彼女は黙る。
さて、そんな話をしているとアラームが鳴った。資料に耽るのもそろそろに、飯でも食いに行って人間らしいことをしろという怒鳴りだ。
「ふう、そろそろ片付けて飯でも食べるか」
「お供しますよ」
「ただ飯か、まあいいだろう。全部経費につけてやる」
「ダメですよ。私と二人きり、です」
軽く片付けて、二人で入り口まで来る。
「じゃあ、払うのは私だな。まあいいが」
「早く行きましょうよ、お腹を満たしたら……」
「一緒に昼寝だろ。仕方ない」
ヒナと寝た時のことを思い出すと、アカモップとシロモップで同類扱いされる理由も理解した気がするが、それを喉の奥に戻して部屋を出、鍵を閉めて近場のレストランへと歩き出した。
雨が重厚な街に重力さえも感じさせるが、それでいい。
生えている街路樹にも、威厳をくれるから。