咲夜しか起きているものはおらず、
当たり前を当たり前に感じながらも、
疲れと使命感で1日をこなす、そんな日記。
今日は妙に静かな朝から始まった。
静かというより、“誰も起きてこない”と言った方が正しいのかもしれない。
お嬢様はもちろんとして、妹様の区画からも気配がしない。美鈴は門で寝ているだろうし、パチュリー様は昨夜の研究で体力を使い果たし、今頃は魔導書の上で沈没している。館の主力が揃って不在で、動いているのが私と妖精メイドだけというのは珍しくない光景だけれど――それでも「また今日も全部私が回す日か」と思うと、深く息を吐きたくなった。
紅魔館の朝は早い。
館の朝、というより“私の朝”が早いのだ。
妖精達はまだ半分寝ぼけているし、夜型のお嬢様達はそもそも朝という概念を軽視している。
誰かが動かさなければ、館そのものが止まってしまう。そんな当然の事情が、いつものように私を台所へと連れていった。
朝食の準備は静かに進める。
お嬢様用の紅茶は深紅の色が出るよう温度を調整。妹様用には甘さを控えめにした焼き菓子を。パチュリー様にはミルク多めの紅茶、美鈴には……起きていればでいい。どうせ冷めても味がわかっていない。
配膳を終えたら、妖精達の仕事割り振り。
廊下のワックス掛け、客間の埃取り、大図書館の本の運搬。
小悪魔が起きていれば図書館のほうは任せられるのだけど、まだ姿が見えない。ならば後で私が回るしかない。いつもどおり、私に仕事が雪のように降り積もる日だ。
午前のうちに門番の部屋を覗くと、美鈴は案の定、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
注意しようと思ったけれど、寝顔があまりにも安らかで、どうでもよくなった。
「せめて昼には起きなさいね」とだけ書き置きを残して部屋を出た。
館の廊下を歩きながら、私は時計を見上げる。
お嬢様が起きる時間まではまだある。
その前に、図書館を片付けてしまおう。パチュリー様が寝落ちしているなら、本の配置は壊滅的なはず。
案の定、図書館は“本の地滑り”とでも呼べる惨状だった。
床に積み上がった本の山、開きっぱなしの魔導書、見たこともない煙を吐く瓶。
そして中央の机に突っ伏したパチュリー様。
寝息のリズムの合間に苦しそうな咳が混じっている。
そっとブランケットをかけ、机の上だけ簡単に整えた。
起こす必要はない。静寂は彼女の魔法より貴重だ。
昼過ぎ。
お嬢様の部屋から“くぐもった物音”がしたので部屋に向かったが、どうやら寝返りを打っただけらしい。
寝ている吸血鬼は、理由なく気品がある。
生者の気配を吸い込むような静けさが、部屋全体を支配している。
その空気を乱したくなくて、そっと扉を閉じた。
美鈴はまだ起きない。
午後はメイド区画の掃除。
妖精メイド達はまた羽を使って埃を舞い上げてくれた。
時間を止めなければ終わらない作業ばかりで、今日も数度、時計の針を無理やり止めることになった。
無駄遣いだとわかってはいるけれど、妖精達の非効率を受け入れるほど私は優しくない。
その後は買い出し。
幻想郷の雑踏は相変わらず緩やかで、外の世界に比べれば全てが“人情で作られている”ような場所だけれど――私の視点に立てば、あの賑やかさは数度時間を止めたくなる騒音だ。
けれど今日は、人里の子供達が風鈴を振り回して走っていく姿を見て、少しだけ足を止めた。
ああいう無邪気さは、紅魔館ではあまり見られないものだ。
夕方、美鈴がようやく門で仕事を始めていた。
きついお説教をして館に戻るとお嬢様が部屋から出てきていた。
眠そうな目を擦りながら、私に「今日の紅茶は?」と尋ねた。
実に吸血鬼らしい最初の一言。寝起きであろうと優雅さを保とうとするのは、尊敬すべきか、呆れるべきか迷うところ。
紅茶を出すと、満足げに頬を緩めて下さった。
その表情を見ると、どれだけ忙しくても「今日もこの館を回せた」と実感できる。
それは、ご主人様の満足が館そのものの“脈動”のように感じられるからだ。
夜。小悪魔が図書館からひょっこり現れて雑談を求めてくる。
妹様は地下で遊んでいるらしい。
パチュリー様はまだ寝ている。
お嬢様は散歩に出た。
そして私は、静かな廊下を巡回しながら、今日一日の疲れをゆっくりと沈めていく。
仕事は終わらない。
紅魔館はゆっくりと目覚めていく。
そんな館の一日は――
私が動き続ける限り、明日もきっと同じように回り続ける。
それでいい。
それがメイド長としての、私の“日常”だ。
──お嬢様が満足される限り、紅魔館は今日も正常に動いている。
そう記して、今日の一日を締める