夕方まで寝てしまった。
目が覚めた瞬間、まず空気が整いすぎているのを感じた。
廊下の温度、埃の匂いのしなさ、音の並び方。
ああ、咲夜さんがしてくれたのか。
眠りから引き上げられる直前に、胸の奥がきゅっと縮む。
悪いことをした自覚は、目覚めの速さより先に来る。
私の詰所は、門のすぐ横にある小部屋だ。
仮眠用の寝台と、外の気配が入ってくる窓の隙間と、少しだけお茶道具。
そして小さなテーブルで今日の日記を書いている。この花は咲夜さんが入れてくれたものだ。
ここは便利で、あまりに便利で、だから油断しやすい。
門番は、立つのが仕事。
立てない時間が長いほど、仕事が薄くなる。
分かってる。
分かってるのに、眠気って理屈じゃ殴り倒せない。
身体の芯がまだ眠っていた。
私は「いま起きる」という意思だけで動けるほど器用じゃない。
気を扱う体質のせいか、疲れが溜まると眠りで一気に帳尻を合わせたくなる。
休めば回復する。
回復するから、また守れる。
そうやって自分を許してしまう。
けれど、その許し方が雑だと、こうして怒られるのは、私のダメなところ。
怒られるのは、痛い。
叱られて当然だと頭が言っても、胸がちょっとしょんぼりする。
私は昔から、強く言われるのが苦手だ。
怒鳴り声そのものより、期待を裏切った感じが苦手。
咲夜さんは仕事の人だ。
時間をきっちり並べて、館を静かに回す人。
そこに、私の眠気はいつも小さな砂粒みたいに混ざる。
砂粒は小さいけど、歯の間に入るとずっと気になる。
たぶん、そんな感じなのだと思う。
起き上がって、髪を結び直す。
鏡を見ると、寝癖がひどい。
いつもなら笑って済ませるのに、今日は笑い損ねた。
目の下が少し重い。
寝たはずなのに、寝足りない感じが残っている。
これが一番やっかいだ。
眠って回復したいのに、眠るほど眠気の質が悪くなる日がある。
身体の中で気が渋滞して、血の流れも、呼吸も、上手にほどけない。
だから私は、まず呼吸を整える。
立ったまま、深く吸って、ゆっくり吐く。
気を沈めて、足の裏に重さを集める。
太極の型をほんの少しだけ。
大きくやると、逆に身体が起ききっていない部分を傷める。
今日は小さく、丁寧に。
呼吸と一緒に、気の流れを一本の川に戻す。
そうすると、ようやく「起きた」という輪郭が出てくる。
外に出ると、空はもう夕方だった。
霧の湖の方から冷たい気が流れてきて、肌がぴりっとする。
寒さは苦手だ。
寒いと、気が固まる。
固まると、動きが鈍る。
鈍ると、眠気が戻ってくる。
最悪の循環。
だからこそ、門番としては早めに身体を温めておきたいのに、私はそのスタートを寝て潰してしまった。
門の周りを確認した。
足跡、草、石畳の小さな欠け。
異常はない。
異常がないことに、ほっとしてしまうのも、いけない癖だ。
異常がないのは、私が守った結果ではなく、単に何もなかっただけかもしれない。
そう考えると、急に背筋が冷える。
今日の私が見落としていたら、門の外の「何もなかった」は、たぶん「何かあった」になる。
咲夜さんの叱責が頭に残っている。
頭の中で反省は何度でもできるけれど、反省だけで門は守れない。
だから、私は動く。
掃除をする。
庭の端の落ち葉を拾い、門柱の周りの土をならす。
掃除は不思議だ。
手を動かしていると、言い訳が静かになる。
私は自分の弱さを正当化するのが、上手い。
眠いのは仕方ない、って。
けれど、箒を動かしている間は、仕方ないという言葉が口から逃げていく。
残るのは、今やれることだけ。
門前の警備に立つ頃には、身体の温度が戻っていた。
呼吸も落ち着く。
気の巡りも、ようやく滑らかになった。
やっといつもの私だ。
いつもの私なら、来客の気配も、妖精の悪戯も、霧の揺らぎも、だいたい笑って捌ける。
私は争いが好きじゃない。
守るために戦うことはできるけど、戦うこと自体を誇りにしたくない。
門番は、戦うより先に「通さない」で済ませるのが一番いい。
夜が濃くなる。
赤い霧が屋敷の輪郭を少し柔らかくして、月の光が石畳を薄く塗る。
門は相変わらず静か。
静かさに甘えたくなる気持ちが、喉の奥にふっと湧く。
眠気の影は、まだ遠くでうろうろしている。
私はそれを追い払うように、足の指を動かし、重心を確かめ、視線を広く置く。
眠気は敵じゃない。
でも、味方でもない。
門番の私にとっては、管理しなきゃいけない厄介な同居人だ。
詰所に戻るのは、夜が一段落してから。
お茶を淹れる手つきが、いつもより慎重になっている。
今日の私は、軽くしてはいけない日だった。
反省が必要な日は、反省を重く抱えた方がいい。
重く抱えて、次の動きに変える方がいい。
布団に入る前、私は自分の眠気について考える。
眠ることが好きなのは本当だ。
穏やかな時間が好きで、平和な時間が好きで、門の前の何もない日が好きだ。
だから油断する。
油断して、眠る。
眠って、叱られる。
その繰り返しを、私はそろそろ断ち切りたい。
咲夜さんの叱責が怖いからじゃない。
門番として、頼れる人でいたいからだ。
お嬢様が館を歩く時に、門のことを思い出さなくていいように。
パチュリー様が本に没頭している時に、外の心配をしなくていいように。
私は、そういう「気づかれない安心」になりたい。
眠気は仕方ない。
けれど、仕方ないで終わらせない。
明日は、夕方まで寝ない。
少なくとも、掃除される前に起きる。
そんな小さな誓いを胸の内側に置いて、今日の終わりにする。