夜の記録。
紅魔館、最上階の私室。
目覚めたのは、月がちょうど館の屋根を越えた頃。
カーテン越しの光で、時間を知る。
昔はこの光を見るたびに、少しだけ胸が浮いたものだけれど、今はそうでもない。
慣れるというのは、良いことでもあり、つまらないことでもあるわね。
咲夜が運んできた紅茶は、いつも通り。
香り、温度、甘さ、全部が想定の範囲内。
完璧。
だからこそ、一口目で少しだけ眉をひそめた。
完璧すぎると、退屈なのよ。
それでも何も言わずに飲み干す。
言えば、彼女は次から変える。
でも、私は「変えさせる主」ではあっても、「逐一命じる主」ではないつもり。
館内を歩く。
妖精メイドたちは静かで、足音も軽い。
少し前までは、もっと騒がしかった気がする。
それを成長と呼ぶのか、萎縮と呼ぶのか、判断は難しいところね。
正門の方を眺めると、美鈴が伸びをしていた。
起きている。たぶん。
気の流れが安定しているから問題はない。
彼女はいつも、そういう曖昧な信頼に応えてくれる。
大図書館に顔を出すと、パチェは本に囲まれていた。
相変わらず、無理をしている顔。
注意すると、必ず「大丈夫」と言う。
だから今日は、何も言わなかった。
代わりに、机の端に小さな菓子を置いた。
気づくかどうかは、彼女次第。
気づかなかったとしても、それはそれ。
こういう距離感は、長く一緒にいるからこそ成立する。
説明も、確認も、不要。
最近の幻想郷は静かだ。
異変もなく、巫女が乗り込んでくることもない。
少し拍子抜けするけれど、悪くはない。
退屈と平和は、よく似ている。
バルコニーに出て、月を見る。
紅くはない。
普通の月。
それをつまらないと思うかと聞かれたら、少しだけ迷う。
昔なら、迷わず否定したでしょうね。
でも今は、普通の月も悪くないと思える。
翼を軽く広げて、館の周囲を一周する。
高くは飛ばない。
見下ろすのではなく、確認するため。
ここが私の場所だと、再確認するため。
外の世界の噂も耳に入る。
人里も、妖怪たちも、妙に落ち着いているらしい。
私の知らないところで、勝手に均衡が取れているのは、少しだけ癪だけれど。
それでも、壊す理由はない。
今は。
地下のことを、今日は少しだけ考えた。
フランは今も、あそこにいる。
幽閉、と言えば聞こえは悪いけれど、事実だから否定はしない。
ただ、彼女が暴れているわけでも、泣き叫んでいるわけでもない。
むしろ、静かすぎるくらい。
それが、余計に胸に引っかかる。
精神が不安定なのは昔から。
調子のいい日もあるし、悪い日もある。
悪い日の「悪さ」が、少し致命的なだけ。
それだけのこと。
それでも、閉じ込めているのは私の判断。
主として、紅魔館を守るため。
姉として……それは、後付けの言い訳かもしれない。
時々、顔を見に行きたくなる。
一緒にお茶を飲んで、他愛のない話をして、
何でもない時間を過ごしたくなる。
でも、その「何でもない」が壊れる可能性を、私は知っている。
だから今日は行かなかった。
行かなかったことに、少しだけ安心して、
それと同じくらい、胸が重くなった。
いつかまた、遊べる日が来る。
そう信じているから、今は待つ。
信じている、というより……
信じていないと、主でいられなくなるだけかもしれないけれど。
部屋に戻って、もう一杯紅茶を淹れさせる。
今度は少し甘め。
さっきより、ほんの少しだけ。
私は紅魔館の主。
それは変わらない。
でも同時に、この穏やかな夜を壊さずに過ごしている自分を、悪くないと思っている。
強さだけで立っているわけじゃない。
そういう時間も、主には必要なのよ。
さて、今日はここまで。
明日もまた、何も起きない夜が続くといいわね。