終わりなきスカーレット(完結)   作:雄魔雌

12 / 14
第12話 許せ

「お前は、最初から私のために死ぬためにここにいるのだ、スカーレット」

 

 スカーレットは、拳を握ったまま、しばらく何も言えなかった。

 怒りか、悔しさか、恐怖か。名前をつけられない感情が、喉元で絡まり合っている。クローディアスは、それを楽しむようにわずかに笑う。

 

「怖じ気づいたかい、姪よ」

「……怖じ気づいているのは、どちらでしょうね」

「減らず口を」

 

 クローディアスは目を細め、短く舌打ちした。その声の奥に、かすかな焦りをスカーレットは嗅ぎ取った。山頂の上空では、竜が相変わらず円を描いている。鱗が陽を受けて、灰色の光を放つ。

 

「……ガートルード」

 

 ふいに、クローディアスが別の名を呼んだ。

 

「ガートルード、私にはお前だけだ。どこだ、ガートルード」

 

 かすかに掠れた声だった。スカーレットは、思わず息を呑む。

 山頂には、彼ら二人しかいないはずだった。しかし、クローディアスの呼び声に応じるように、石段の影から、ゆっくりとひとつの影が姿を現した。

 白い髪。黒い肌。いつもと同じ、擦り切れた衣をまとった老婆。

 スカーレットは目を見開いた。

 

「……!」

「……お呼びかい」

 

 老婆はクローディアスを見て、短く息を吐いた。クローディアスの顔から、一瞬、王の仮面が剥がれた。

 

「どうして……王妃の姿で、現れない」

 

 それは、山頂までスカーレットに付きまとってきた謎の女に向ける言葉ではなく、かつての王妃に向けられた、どうしようもなく幼い夫の声だった。

 

「虚無の底で最初に目を覚ましたとき。お前は若く、美しかった」

 

 クローディアスは、じっと老婆を見つめる。

 

「兄と結婚したばかりの頃の姿で、笑っていた。私は、お前もこの世界に迎え入れようとした。王妃として、私の隣に立たせるつもりだった」

「そうだね」

 

 老婆――ガートルードは、淡々とうなずいた。

 

「でも、私は見てしまった。あんたが作ったこの地獄を」

 

 ガートルードは、手の甲で自分の顔を軽く叩いた。

 

「だから、こうなったのさ。元が虚無なんだから、実態を変えるくらい容易だった」

 

 老いた頬。刻まれた皺。化粧でごまかしたつもりの、くすんだ目元。クローディアスの喉が、小さく鳴った。

 

「……母、上?」

「ここまで姿が変わってりゃ、いくら娘でも気づかないと思ったからね」

 

 ガートルードは、薄く笑う。

 

「私は王妃である前に、ひとりの母親だ。娘を食い物にするための舞台に笑って立っていられるほど、器用な女じゃない」

 

 母親という言葉に、スカーレットの肩がわずかに揺れた。クローディアスは、その揺れを見て眉をひそめる。

 

「お前は、あの子に何を吹き込んだ」

「何も」

 

 ガートルードは、きっぱりと言い切った。

 

「何度も迷ったよ。真実を話してしまえば、あの子はきっと、あんたを刺しに行く」

「それでいい! それこそが私の望んだ結末だ! あの子が私を殺しに来て、私がそれを返り討ちにする。そういう物語だ! 竜がその魂を受け取り、私は現世へ戻る!」

 

 風が、ひゅうっと鳴いた。

 

「……だから、黙って見ていた」

 

 ガートルードは、かすかに目を伏せる。

 

「あの子がどんな顔で剣を握っているか。どんな目であんたと向き合うのか。それを最後まで見届けるのが、せめてもの……母としての責任だと思った」

 

 言葉を失ったままのスカーレットに、ガートルードの視線がそっと向けられる。

 

「スカーレットや」

 

 名を呼ぶ声は、これまで聞いたどんな呼び方とも違った。

 

「私は、お前を死者の国に縛り付けるつもりはない。現世に帰せるものなら、帰したい」

「……どうやって」

 

 スカーレットがかすれた声で問うと、ガートルードはほんの少しだけ目を細めた。

 

「簡単な話さ。あんたの叔父さんが、自分の死を受け入れればいい」

「何を――」

 

 ガートルードは、彼を遮るように言った。

 

「この世界は、クローディアスの願望と罪悪感でできている。彼がそれを手放せば、舞台は終わる」

「黙れ」

 

 クローディアスの声が、低く落ちた。

 

「お前は、私を肯定するためにここにいるはずだろう」

 

 その目には、嫉妬にも似た激情が燃えている。

 

「兄にはガートルードがいた。民の称賛があった。父の誇りがあった。私は……いつもその影にいた」

 

 クローディアスは、一歩前に出る。

 

「だから私は奪った。王冠を、城を、兄の命を。そしてお前、ガートルードの笑顔を」

 

 ガートルードは、黙ってその言葉を受け止めていた。

 

「虚無に落ちた私のそばに、最初に現れたのは誰だった? 兄でもなく、民でもなく、忠臣でもなく――ガートルード、お前だった。お前だけが、私を見てくれていたのだと。その時やっと理解した」

「……」

「なのに今、なぜお前は私を見ない。あの子ばかりを見ている」

 

 その声は、醜く幼かった。

 

「スカーレットばかりを! 私の舞台で、私の復讐劇で――お前の目はいつも、あの子に向いている!」

 

 ガートルードは、ゆっくりと首を振った。

 

「当たり前だろう」

 

 その一言は、静かだった。

 

「私は、母親なんだよ」

「……何だと」

「お腹を痛めて産んだ子の魂を」

 

 ガートルードの声が、鋭くなる。

 

「後夫などに奪わせてたまるものか」

 

 クローディアスの顔から血の気が引いた、その瞬間だった。

 空が鳴る。竜の影が、山頂の真上で止まる。スカーレットが反射的に顔を上げた。

 

「下がれ!」

 

 スカーレットが叫ぶ。しかし、雷はその言葉を聞かなかった。

 稲妻が落ちる。

 それは一本の線ではなく、竜の爪のような形をした光の塊だった。山頂を薙ぎ払うはずのその一撃は、しかし、狙いを違えない。そして――ガートルードただひとりを、正確に貫いた。

 

「――っ」

 

 声にならない息が漏れたきり、ガートルードは動かなかった。

 焼け焦げる匂いはしない。血も飛び散らない。彼女の身体は、輪郭からゆっくりと崩れ始めた。枯葉のように、乾いた紙片が風に舞うように。形を保てなくなった影が、虚無へ帰っていく。

 

「母上!」

 

 スカーレットは思わず手を伸ばした。

 指先が掴めたのは、ほんの一瞬だけ。しわの刻まれた手の感触も、温度も……すぐに、砂のように指の隙間から零れ落ちていく。

 最後に残ったのは、若い頃の面影が微かに残る、優しく笑った横顔だった。

 

「……」

 

 ガートルードは、言葉を残さなかった。

 山頂に、静寂が戻る。冷たい風が、残された二人の間を通り抜けていった。

 

「……これで分かっただろう」

 

 沈黙を破ったのは、クローディアスだった。スカーレットを見ず、空を仰いだまま、かすかに笑う。

 

「竜は私だけを守る存在だ」

 

 スカーレットは、歯を食いしばった。

 

「お前に私は殺せない。あの竜がいる限り。王に背いた者は、すべてあの雷が裁く」

 

 クローディアスは、ゆっくりとスカーレットを振り返る。その目には、悲しみとも歓喜ともつかない光が揺れていた。

 

「さあ、続けようか。ここまで来て、よもや降りるなどと言うまいな」

 

 クローディアスの手が、腰の剣に伸びる。スカーレットは、剣の柄に触れていた手に力を込めた。

 ガートルードが消えたあとに残った、奇妙な空洞。胸の奥にぽっかりと空いた穴が、冷たい風を通す。その穴に、別の言葉が忍び込んできた。

 

『生きてさえいれば、それでいい』

 

 父とユリの声色が重なって聞こえた。

 

(そんなわけ、あるか)

 

 スカーレットは、心の中で吐き捨てる。

 生きているだけで良かったことなど、一度もない。生かされた時間の分だけ、復讐の炎は濃くなった。けれど――

 

(生きていてほしいと言われたことは、確かにあった)

 

 ガートルードの視線。ユリの笑い声。コーネリウスやヴォルディマンドが見せた迷い。全部まとめて、鬱陶しかった。鬱陶しいくせに、なぜか胸の奥に刺さったまま抜けない。

 スカーレットがゆっくりと剣を抜くと、クローディアスの目がわずかに細くなる。

 

「そうだ、それでいい」

 

 しかし次の瞬間、スカーレットは剣を逆手に持ち替えた。そして自分の足元の石に向かって、それを思い切り突き立てた。硬い音が響く。刃が石に食い込み、柄が震えた。スカーレットはそのまま剣から手を離した。

 

「……戦わない」

「なんだと?」

 

 山頂の風が、一瞬止まったかのように感じられた。

 

「聞き間違いなら、王として訂正してやろうか」

「必要ない」

 

 スカーレットは、ゆっくりと顔を上げた。青い瞳が、真っ直ぐにクローディアスを射抜く。

 

「あなたを見ていて、非常に馬鹿らしくなりました」

 

 クローディアスの眉が、ぴくりと動く。

 

「復讐だけを生き甲斐にした者の末路がこんなに醜いものなら、私はあなたの写し鏡になど、なりたくない」

 

 スカーレットの声は、驚くほど静かだった。

 

「父は言いました、『許せ』と」

 

 胸の奥で、古い傷が軋む。

 

「あの時、私はその言葉を殺した。聞こえなかったふりをして、復讐の炎に油を注いだ」

 

 握りしめた拳に、爪が食い込む。

 

「でも、こうしてあなたの舞台を最後まで見てしまった今……はっきり分かりました」

 

 スカーレットは、一歩前に出た。

 

「私は、あなたのようにはなりたくない」

「戯言を」

 

 クローディアスが吐き捨てる。

 

「お前は父の死を見た。私の処刑命令を聞いた。復讐以外に、お前に何が残っている?」

「だからこそ」

 

 スカーレットは、首を振った。

 

「私はあなたが、私を殺すことを許します」

 

 クローディアスの目が、見開かれる。

 

「現世でも、毒杯でお互いを殺そうとした。あの夜、渡し合った杯は、お互いの首への刃だった。ならば、その続きでも構わない。ここで私を殺せばいい。竜に私の魂を捧げて、現世に戻ればいい」

 

 スカーレットは胸に手を当て、続けた。

 

「そして、あなたに殺されることで、私は……」

 

 ほんの一瞬だけ、喉がつまる。

 

「私自身を、許すことにします」

 

 クローディアスは、言葉を失ったように彼女を見つめた。

 

「せっかく、生きていればそれでいい、と言ってくれた人たちがいたけれど」

 

 スカーレットは、静かに続ける。

 

「人を何人も殺そうとしてきた私など、やっぱり生きるべきではない」

 

 ユリの顔が脳裏に浮かんだ。雷に打たれたあとの姿ではなく、あの集落で「王女様はダンスもできないんですか〜?」と笑っていた顔が。「生きて」と言った顔が。

 しかし自分の行いを、自分の手で棚に上げることはできない。

 

「だからもう、いいんです」

 

 スカーレットは、両手を広げた。

 

「叔父上。あなたの復讐完遂に、私を使えばいい」

 

 クローディアスはしばらく何も言わなかったが、やがてゆっくりと口を開く。

 

「……本当に、兄の娘だな」

「どういう意味ですか」

「自分自身に向ける刃の向け方が、よく似ている」

 

 クローディアスは、乾いた笑いを漏らす。

 

「兄はいつだって、自分さえ我慢すれば、と考える男だった。民のために、王家のために、弟のために。そのくせ、私が一番ほしかったものだけは、いつも渡してくれなかった」

 

 クローディアスは、視線を空へやった。

 

「私はいつも『兄の弟』だった。戦場でどれだけ血を流そうと、外交でどれだけ巧みに立ち回ろうと、誰も、私を見てはくれなかった」

 

 そう呟くクローディアスの姿は、スカーレットには酷く幼く見えた。

 

「だが、ガートルードだけは違った。あの女は、兄の妻でありながら、いつも私の話を聞いてくれた。私のみっともない嫉妬や、情けない泣き言でも……」

 

 スカーレットは、拳を握った。

 

「だから私は、王座と共に彼女も奪った。あの兄から、何もかも奪ってやらなければ気が済まなかった」

「……」

「王座は私にとって、唯一の証明だ。兄よりも上に立てるという、ただそれだけの証明だ」

 

 クローディアスは唇を歪めて山頂を見渡し、一拍置いて、肩を震わせるように笑った。

 

「……だが、正直なところ、もうどうでもよい」

 

 スカーレットは、はっと顔を上げた。

 

「何と……?」

「この地獄も、忠臣も、民も。全部どうでもいい」

 

 クローディアスは、はっきりと言った。竜が、低く唸り声をあげる。

 

「今、私がほしいものは、たったひとつ」

 

 クローディアスは、スカーレットを、そしてその向こうの見えない何かを睨みつける。

 

「死者の国の王座などどうでもいい! この地獄も、ガートルードも、忠臣も! 全部がどうでもいい! 私はただ――」

 

 彼の声は、怒りとも絶望ともつかない響きを帯びている。

 

「生きてさえいればそれでいい! ……生き返り、現世の王座に舞い戻る、私が欲しいのはそれだけだ!」

 

 喉の奥からむき出しの願いが漏れたその瞬間、山頂の空気が変わった。竜の影が、揺らぐ。雷の気配が、空の奥で蠢き始める。

 

 死者の国の王は、自らの作った王国を否定した。

 そしてそれは「王の意に背く者」に雷が落ちるこの世界で――今、一番大きな反逆者が、間違いなくクローディアス自身であることを示していた。




原作との差異
・老婆の正体明かし(原作に存在しない設定と展開)
・天誅ドラゴンの設定(雷を撃つ理由付けは原作になかったはず)
・ガートルードからスカーレットへの情(原作にない描写)
・復讐のやめ方が違う
・許せの解釈が違う
・生きてさえいれば云々
・もはや原作と一致する箇所を探したほうが早い

映画見ました?

  • 観た
  • 観たし、小説版も読んだ
  • 観てないけど観る予定
  • 観てないし見る気もない
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。