終わりなきスカーレット(完結)   作:雄魔雌

13 / 14
第13話 王の意に背く者

 クローディアスの叫びが、山頂の空気を裂いた。

 

「生き返り、現世の王座に舞い戻る、私が欲しいのはそれだけだ!」

 

 その瞬間だった。空が、鳴った。

 これまで幾度となく見てきた雷の前兆が、頭上で膨れあがる。雲ひとつない蒼穹の一点に見えない歪みが走り、竜の鱗が青白い燐光を帯びていく。

 スカーレットは反射的に身構えた。誰に落ちる――誰が今、王に背いている?

 

 コーネリウスも、ヴォルディマンドも、ポローニアスも、レアティーズも、もういない。皆、雷に打たれ、虚無へと落ちていった。

 今、この山頂に立っているのは、自分と――

 

(クローディアスだけだ)

 

 息を呑んだ。

 雷の気配は確かにある。しかし竜は、まだ誰にも狙いを定めていない。

 

「ここでは、王に背く者に雷が落ちる。そうでしたね、叔父さん」

 

 スカーレットはあえて砕けた口調で、ゆっくりと言葉を紡いだ。クローディアスが、それをぎろりと睨む。

 

「何が言いたい」

「今、この場で。あなたに背いている者は誰ですか」

 

 スカーレットは、芝居がかった仕草で周囲を見回してみせた。剣は、足元の岩に突き立てたままだ。

 

「兵も、騎士も、妻もいない。私も、あなたに刃を向けることをやめました。あなたのために死ぬとまで言っている私が、王に背いているとは……さすがに言えないでしょう」

「戯れ言を」

 

 クローディアスが苛立たしげに吐き捨てる。

 その頭上で、竜が大きく翼を打った。空の隙間から、雷光が漏れ始めている。

 

「天に座し、強権を振るい、人の話を聞かずに粛清だけを行う存在。そんなものは、神ではない」

 

 スカーレットは、ゆっくりと視線を上げた。青い瞳が、竜と、クローディアスを交互に射抜く。

 

「あれは――王そのものだ」

 

 竜の喉から、低い咆哮が漏れた。雷の気配が一段と濃くなる。クローディアスが、わずかにたじろいだ。

 

「……何を言っている?」

「この世界の理は、王の意志です。兵たちは王の言葉を信じて戦い、王に背く者には雷が落ちた」

 

 雷に撃たれた者達の名前を心の中でなぞりながら、言葉を重ねる。

 

「その裁きを行ってきた竜は、神なんかじゃない。あなたの『王としての意志』が、虚無の中で肥大化した姿だ」

「黙れ」

 

 クローディアスの声が低く響いた。

 

「竜は言った! スカーレットの魂を捧げれば、私は現世に還れると!」

「本当に、竜の声を聞いたんですか?」

 

 スカーレットは静かに問い返した。

 

「それとも……自分の欲望を、『神の声』に仕立てていただけですか」

 

 その瞬間、竜の咆哮が山頂を揺るがした。大気が震え、雷光が尾を引く。だが、やはり狙いは定まらない。

 スカーレットは一歩前へ踏み出し、叔父を見据えて、言う。

 

「この竜は、あなたが『王という役』から降りられなかった結果、生まれた化け物です」

 

 上空の巨影を指さした。

 

「あれは神様なんかじゃない。あれは、役を降りられなかった、あなた自身だ」

 

 クローディアスの顔が、醜く歪んだ。

 

「ふざけるな」

「ふざけてなんかいません。あなたは今、王位もこの国も忠臣もどうでもいいと言った。この舞台を自分のためだけに作ったと認め、民への救いの約束などどうでもよかったと笑った」

 

 スカーレットは、ゆっくりと空を仰ぐ。

 

「竜よ、聞いているだろう」

 

 初めて、その存在に向けて直接呼びかけた。竜の巨大な頭部が、わずかに動いた。黒い眼が、スカーレットを見下ろす。

 

「王は言った。『王位などどうでもいい。この国も忠臣も全部どうでもいい。私はただ、生き返りたいだけだ』と。それは、この世界を支えてきたすべての魂への裏切りだ!」

 

 その瞬間、クローディアスの顔から、血の気が引いた。

 

「処刑された父アムレットも。虚無から引き戻された兵たちも。見果てぬ場所を信じて歩いた者たちも。そして自分の妻さえも雷で焼いたこの王は、最大の反逆者だ!」

 

 雷鳴が、今度ははっきりと轟いた。竜の喉奥から立ち昇る光が、空を両断する。

 

「やめろ……」

 

クローディアスが、掠れた声を絞り出した。

 

「やめろ、スカーレット。竜は私を守るはずだ。私の王国を守るために、作られたのだから!」

 

 スカーレットは、静かに首を振った。

 

「竜よ。お前はこの国の『王の意志』であるなら、聞き届けよ! 王自身が自分の王国を否定したとき、誰に雷を落とすべきかを!」

「やめろ!」

 

 雷光が膨れ上がった。竜の身体が、光の中に輪郭を失っていく。

 クローディアスが叫んだ。

 

「私を守れ! 私は王だ! この国は私のものだ!」

「もう違う」

 

 スカーレットの声は、驚くほど穏やかだった。

 

「叔父上。——あなたは、この世界でたった一人の『王の意に背く者』になった」

 

 竜が、咆哮した。雷が落ちた。

 それは、これまで見たどの一撃よりも眩しく、重かった。一本の線ではなく、幾重にも絡み合った光の縄が山頂を叩く。

 クローディアスの身体を、雷が貫いた。

 

「——ッ」

 

 声にならない悲鳴。しかし、血は一滴も流れない。

 彼の身体は、輪郭から崩れていった。兵たちと同じように、枯葉のように舞う砂となって、虚無へと還っていく。

 違ったのは、その過程で見えたものだった。王の姿が崩れ、青年の頃に変わり、さらに若き日の姿へと縮んでいく。 戦場で剣を振るっていた頃の彼。兄の背中を追っていた頃の彼。

 最後に残ったのは――まだ王冠など知らない、幼い少年の顔だった。その瞳には、わずかな憧れと、抑えきれない嫉妬が浮かんでいた。それも、次の瞬間には砂になって消えた。

 

 同時に、竜の巨体にも亀裂が走った。

 鱗が剥がれ、体が崩れ、骨組みのような光の線だけが空に残る。その中心に、同じ少年の影が一瞬だけ浮かび――やがてそれも、ひとひらの塵となって風に溶けた。

 

 空から雷光が消え、青空が現れた。耳鳴りのような静寂だけが残る。

 

「……叔父上」

 

 スカーレットは、風の中で呟いた。

 もう誰もいない空に向かって、言う。

 

「あなたはすでに、ただの虚無だった。私の魂を使って生き返ることなんて、最初からできなかった」

 

どこからか、微かな声が響いた気がした。

 

「嫌だ……生き返ると、竜は……竜は言った……」

 

スカーレットは、目を閉じて深く息を吐いた。

 

「さようなら、クローディアス叔父さん」

 

「実の娘でもない私の世話をしてくれたこと、感謝しています」

 

 その言葉とともに、空の色が変わった。竜のいない空は、ひどく広く、薄い。初めて余計な色が抜けたようでもあった。

 そして同時に、世界が崩れ始めた。

 

 

 

 

 足元の石が、静かにひび割れを起こした。山の斜面。遠くの砂漠。干上がった川の跡。崩れた神殿。集落の屋根。それらが舞台装置のように、順番に崩れ去っていく。

 砂漠の彼方で、人影がいくつも揺れた。エルシノアの兵の姿をした者たちは、音もなく崩れ、そのまま暗い何かに飲まれていく。虚無。彼ら本来の行き先だ。

 見知らぬ衣服を纏った人々――集落で出会ったあの者たちに似た影は、それぞれ違う色の光に変わり、遠くへ散っていった。空の彼方へ向かう者。地の底へ沈む者。どこか別の、まだ見ぬ場所へ滑り込んでいく者。

 

(ユリも……どこかへ向かっているのだろうか)

 

 スカーレットは、胸の奥で友の名を呼んだ。答えはない。ただ、世界が解体されていくさまだけが、静かに進んでいく。

 その中で、ひとつだけ変わらないものがあった。

 見果てぬ場所へ続く階段だ。崩れゆく山の上で、階段だけが、先ほどよりも鮮やかに光っていた。

 スカーレットは、足元に突き立てていた剣を抜いた。しばらくその刃を見つめる。復讐のために握ってきた剣。父の仇を求めて振り続けてきた鉄の重み。彼女は、その剣を静かに背中へ戻した。

 これはもう、誰かを殺すための刃ではない。生きている限り、背負い続けるもののひとつになっただけだ。

 

 スカーレットは、階段の前に立った。

 一段目に足を置く。光が、脈打つように微かに震えた。二段、三段と登るたび、下界の崩壊は遠ざかり、代わりに別の音が混じり始める。

 波の音。風の音。遠くで鳴る鐘の音。

 階段の最上段にたどり着いたとき、スカーレットの目の前に広がっていたのは――海だった。

 

 

 

 

 灰色ではない。死者の国で見た濁った空とは違う、冷たく生きた水の色。鉛色と深い青が混じり合い、穏やかに揺れている。

 海の真ん中に、一枚の扉があった。

 石でできた片開きの扉が、水面の上にぽつんと立っている。周囲には足場も橋もない。扉だけが、不自然にそこに存在していた。

 スカーレットが一歩踏み出すと、足元に見えない道が現れた。水の上を歩いているような、不思議な感覚。

 扉に近づくほど、その向こうに何かが見えてきた。暗い石の天井。蝋燭の小さな光。誰かの押し殺したうめき声。

 喉の奥が、ひりつくのを感じた。

 

(エルシノア……)

 

 扉に手を伸ばす。冷たい石の感触。

 押す前に、ふと振り返った。崩れゆく死者の国が、遥か下に見える。

 砂漠も、神殿も、集落も、もう影だけだ。そこを歩いていた人々の気配は、どこかへ確かに流れていった。

 ユリ。集落の人々。兵士たち。

 彼らが「行くべき場所」へ行けるのだと――信じるしかない。

 

「……ユリ」

 

 スカーレットは、小さく呟いた。

 

「私は、生きる」

 

 誰よりも聞かせたくない言葉だったはずなのに、今、一番に思い浮かぶのはその人の顔だった。

 扉を押した。

 白い光が溢れ、視界が塗りつぶされる。波の音が、心臓の鼓動に変わった。




原作との差異
・竜が王だ云々(原作にない設定)
・見果てぬ場所の風景(そもそも原作でクローディアスと出会うのはこの扉の前)

映画見ました?

  • 観た
  • 観たし、小説版も読んだ
  • 観てないけど観る予定
  • 観てないし見る気もない
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。