終わりなきスカーレット(完結)   作:雄魔雌

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第6話 最期の言葉

 見果てぬ場所へ続く階段など、近づいているのかどうかもわからない。今いる場所は、崩れかけた柱と半分埋もれた石の台座。古い神殿の残骸のようなものが、道の途中を塞いでいた。

 ユリはひたすら喋っていた。

 

「ねえ、さっきの集落の食べ物って、もともとどこから来てたんだろう」

「知らない」

「畑は見なかったし、家畜もいなかった。死者の国なのに、物資って補充されるの? それとも、生きていた頃の記憶から再現されてる?」

「知らないと言っている」

 

 スカーレットはマントを翻しながら、前を向いたまま答えた。歩幅は一定だが、鎧の継ぎ目からこぼれる息が少しずつ荒くなっている。

 

「それに、人口少なすぎない? 死者が集う世界にしては。歴史上の戦争の死者とか疫病の犠牲者とか、もっといてもいいはずなのに」

「ユリ」

 

 低い声に、わずかな苛立ちが滲む。

 

「私には、知らないことのほうが多い」

「うん」

「質問の半分は無駄だ」

「それも、そうなんだけどさ……」

 

 ユリは歩きながら空を見上げた。どうしても口をつぐんでいられなかった。

 

「この世界、空白が多すぎるんだよね」

「空白?」

「たとえば――クローディアスの政治体制」

 

 スカーレットが、わずかに顔だけ振り返る。

 

「デンマーク国王って言っても、十六世紀なら、周囲はスウェーデンとかハンザ同盟の都市とかポーランドとか……いろいろややこしいはず。誰と戦ってて、誰と同盟してて、税はどこから取ってて――そういう話が山ほどあるはずなんだよ」

 

 ユリは指を折っていく。

「でも、ここに来てから聞いたのは、『王』と『忠臣』と『裏切り者』と『狂気の王女』だけ。敵国の名前も出てこない。戦争の話も出てこない」

「……」

「この空白を埋めるには、どうしても……クローディアスの側にいた人間の話が必要になる」

「その一人が、虚無に落ちてしまったところだけどね」

 

 スカーレットが皮肉をこめて言う。コーネリウスのマントが砂の上に取り残された場所が、頭をよぎった。

 

「……どうやら、もう一人いるようにも見えるけど」

 

 ユリは前方を指さした。

 視線の先――崩れた神殿の影に、人影がひとつ立っていた。

 

 

 

 

 近づくにつれ、それがただの影ではないのがわかってきた。

 石柱がいくつも折れ、天井はとうに崩れ落ちている。かつて祭壇だったであろう場所の前に、ひとりの男が立っていた。

 古い様式の鎧ではなく、動きやすさを優先した軽い甲冑。腰には長剣ではなく、刃渡りのやや短い剣が一本。立ち姿だけで、彼が戦うためにここにいるのだとわかる。

 スカーレットの足音が止まった。

 

「……ヴォルディマンド……!」

 

 男の名を、噛みしめるように呼ぶ。ヴォルディマンドと呼ばれた男は、ゆっくりと顔を上げた。その眼差しには、驚きよりも、静かな諦念のようなものが宿っている。

 

「やはり来たか」

 

 声は低く、よく通る。正面から炎の前に立つ騎士の声だった。

 

「狂気の王女が、王へ復讐を企んでいるという噂。真実だったわけだ」

「噂にしては、待ち構えていたようにも見えるが?」

 

 スカーレットは、マントの下で剣の柄に手を添えた。

 

「そうだ」

 

 ヴォルディマンドは隠さない。

 

「王はお前の行き先を知っておられる。この神殿は、城への道を守る門のようなものだ」

「なら、なおさら、通るしかないね」

 

 スカーレットの声が冷える。

 そのとき――空が、低く唸った。

 見上げると、灰色の雲の合間を、巨大な影がゆっくりと横切っていく。鱗のようなものが、光を鈍く反射した。

 

「……来たか」

 

 ヴォルディマンドが空を一瞥する。

 龍だ。稲妻とともにコーネリウスを飲み込んだ存在。今は遠くの空を巡回しているだけで、近づいてくる気配はない。

 

「今は、手出ししないんだね」

 

 ユリが小さな声で呟く。

 

「見ているだけだ。王の意に背く者がいれば、そのときは――」

 

 ヴォルディマンドはそれ以上言わず、口を閉ざした。

 スカーレットは、龍から視線を彼に戻した。

 

「父上の首を落とした騎士が、しがない門番とはな。ずいぶんと栄誉ある役目を任されたものだ」

「ああ、栄誉だ。だがあのとき剣を振るった責任は、こうして最後まで引き受けるべきだと思っている」

 

 ヴォルディマンドは、剣の柄に手を置いた。

 

「アムレット王の血が、どこへ向かおうとしているのか。その行き先を見届ける義務が、私にはある」

「その立派な口で、父上の首を落としたのか!」

 

 スカーレットの声が震えた。

 

「枷をはめられ、立つこともおぼつかなくなった父上の前で。あなたとコーネリウスは、儀礼の剣を振り下ろした。王の名誉のためと、そう言って」

 

 ヴォルディマンドの表情が、わずかに曇る。

 

「……見ていたか」

「見ていたとも! あの瞬間も、音も、何もかも……忘れるものか!」

「忘れない……とはな」

 

 スカーレットは一歩前へ出た。

 

「ならば、最期の言葉も覚えているな?」

「……!」

 

 ヴォルディマンドは目を閉じた。その声音には、自分自身にも向けられた痛みが混じっている。

 

「……やめろ」

「あの方の最期の言葉を知っているだろう」

「やめろ、やめろ! ……そんなものは知らない!」

 

 静かに言う。

 

「アムレット王は……」

「黙れ!」

「許せ、と仰った」

 

 空気が、一瞬張りつめた。

 ユリは思わずスカーレットの横顔を見た。その瞳は、炎ではなく、氷のように冷えている。

 

「どのような意味だと思うか? 私を許せ、弟を許せ、民を許せ、愚かさを許せ……それとも、憎しみの火を王家の血に残すなという意味だろうか」

 

 ヴォルディマンドは胸に手を当てた。

 

「私は、それを王の遺命と受け取った。だからこそ、クローディアス王のもとに剣を捧げた」

「……知らない!」

 

 スカーレットの唇が、わずかに歪む。

 

「私は、何も聞いてはいない!」

 

 その声には、押し殺した嘲りが混じっていた。

 ユリは、そのやり取りを黙って聞いていた。

 歴史の教科書に載っているような「王の最期」ではない。これは、この世界だけの、生々しい一場面だ。

 

(許せ……)

 

 彼女の脳裏には、日本史で読んだ幾つかの似た例が浮かんでいた。戦国大名が子に対して「無理に仇討ちをするな」と残した言葉。近代の政治犯が支援者に向けて「憎しみに飲まれるな」と書いた手紙。

 けれど、歴史の本と違うのは――その遺言を聞いた当事者が、目の前で剣を握っていることだ。

 

「目を覚ませ。聞いているはずだ」

 

 ヴォルディマンドは、スカーレットをまっすぐ見返した。

 

「王女は父の最期の言葉を知っている。それでもお前はコーネリウスを殺し、罪なき兵たちにも刃を向けた」

「コーネリウスは……」

 

 ユリは口を挟もうとしてスカーレットに止められた。コーネリウスを殺したのは龍による雷であり、スカーレットではない。しかしスカーレットは、彼とその部下の死をその身に引き受けるつもりだった。

 

「そして、私も殺すつもりか」

「……そうだ」

 

 スカーレットは即答した。

 

「それが、私に残された唯一の道だからだ!」

 

 マントの下で、剣がわずかに鳴る。

 

「私の名はスカーレット――これは終わりなく燃える憎悪の炎の色。父の願いに背いていることなど、言われなくともとうにわかっている!」

 

 その言葉に、ヴォルディマンドが剣を抜いた。刃渡りは長剣より短いが、動きやすさを優先した軍用の剣だ。鈍い光が崩れた神殿の柱に反射する。

 

「なんと愚かな……父の言葉を知っていてなお、忘れたふりをしていたのか」

 

 彼はスカーレットだけを見据えていた。

 

「お前は王家の憎しみの残滓だ。許しを拒み、復讐の炎だけを抱いたまま、死者の世界をさまよう悪霊。先王の騎士として、せめてもの慈悲を与えよう。この剣で、お前を虚無に返そう」

 

 スカーレットもまた、剣を抜いた。マントがかすかに揺れる。

 

「確かに、父上は……許せと言った」

 

 彼女の声は、低く震えている。

 

「だからこそ、我らは王の遺言に従った」

 

 ヴォルディマンドが応じる。

 

「アムレット王は戦を躊躇しすぎたのだ。海峡を狙う敵は、牙を隠したまま迫ってきていた。友好と平和は大義として美しいが、船は沈められ、港は焼かれ、民は略奪されていた。――それでも、あの方は剣を抜かなかった」

 

 彼は歯を食いしばる。

 

「我らは何度も進言した。それでもなお、『今ではない』と言われるなら……誰かが血の責任を引き受けねばならなかった」

「それで父の首を落としたと?」

 

 スカーレットの紅い瞳に、怒りとも泣き出しそうな色ともつかない光が宿る。

 

「民を守るためだと信じた」

 

 ヴォルディマンドは剣を構える。

 

「クローディアス殿は、剣を取る覚悟のある王だった。俺は、その賭けに乗った」

「その結果が『死者の国』の門番とはな!」

 

 スカーレットが周囲を顎で示す。崩れた神殿。空虚な空。遠くの山と、その上に伸びる白い階段。

 

「死者の国、虚無、見果てぬ場所――ここは死者の堕ちる場所。こんな場所でお前たちは何をしている!? お前が私の知る生前の姿で死者の国にいることこそ、生きて祖国を守ることに失敗した証そのものではないか!」

「……それは」

 

 ヴォルディマンドの喉が、わずかに詰まる。

そのとき、上空で龍が低く唸った。雲の切れ間から覗く鱗と、光る二つの眼。今のところ、ただ輪を描くように巡っているだけで、雷は落ちてこない。

 

「ユリ」

 

 スカーレットが小さく呼んだ。

 

「ここから先は、私の戦いだ。お前は神殿の中を見てきて」

 ユリは目を瞬く。

「でも――」

「この場に二人いても、お前は私の剣にはなれない。それならせめて、別のところで役目を果たしてほしい。退路を探すでも、隠れ場所を探すでもいい。……それに、ここは『城への門』だ。何か、まだ隠しているはず」

 

 言い方は厳しい。けれど、そこには信頼も混ざっていた。ユリは唇を噛み、それからこくりと頷いた。

 

「わかった。でも、倒れたら叫んで。聞こえる範囲にはいるから」

「倒れるつもりは、今のところない」

 

 スカーレットがわずかに口角を上げる。

 

「行って」

 

 ユリは踵を返し、崩れた神殿の暗がりへと走った。




原作との差異
・スカーレットが父の最期の言葉を聞いている(原作では聞こえなかったことになってる)
・ヴォルディマンドの性格が全然違う
・神殿が門みたいな役割(原作では通過点でしかない)

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