終わりなきスカーレット(完結)   作:雄魔雌

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第8話 死者の国という舞台

 神殿を抜けてから、襲いかかってくる兵もいない。砂を踏む自分の足音だけが、やけに大きく聞こえる。

 

(……やけに、静かだ)

 

 スカーレットはマントの裾を払って歩き続けた。

 さっきまで胸を焼いていた怒りも、ユリと別れたあとの空虚も少しずつ冷えていき、代わりに別のものが顔を出し始めている。

 

 ――もともとが虚無、というのは、どういう意味なのだろう。

 ユリの声が、頭の隅でこだまする。

 

『死んだら虚無になるんじゃない。虚無が偶然、実態を伴った姿』

 

 ヴォルディマンドの肩に開いた穴。枯葉となって崩れていく神殿の兵。中身のない抜け殻たち。

 

(私や集落の連中とは違う。兵士たちは血も流さないし、そもそも死者かどうかも怪しい)

 

 そこまで考えたとき――

 

「考え事かい、王女様」

 

 前を見ていたはずなのに、声はいつの間にか隣から聞こえた。

 白い髪に、黒い肌。色の抜けた空と同じくらい、見慣れた横顔。

 

「……また、あんたか」

 

 スカーレットは足を止めなかった。老婆は勝手に歩幅を合わせてくる。

 

「レイワの女に言われたんだろう? もともとが虚無だの何だのって」

「聞いていたのか」

「この世界にいるとね、人の声なんて風と一緒さ」

 

 老婆は肩を竦めた。

 

「で、気になるんだろう。死んだ者がこの国に来るはずでは? って」

「……ああ」

 

 スカーレットは認める。

 

「死んだ者が死者の国へ落ちてくるのだと、そう思い込んできた。なのに兵士たちはもともとが虚無だと、ユリ……いや、レイワの女が言った。どういう理屈なんだ?」

 

 老婆は、少しだけ口の端を上げた。

 

「その子の言ってる通りさ」

 

 風が、二人の間を抜けていく。

 

「何もない、どこにも属さない、名も形もない虚無。現実世界で死んでるかどうかなんて関係ない。そうだな――『魂』だと思えばいい」

 

「魂に、誰かが実体を与える」

「……誰か?」

「死者の国なんてものを作ったのは、誰だと思う?」

 

 スカーレットは、わざと間を置かず答えた。

 

「王という形で君臨している以上は、クローディアスなのだろうが」

「ご明察」

 

 老婆は肩を揺らして笑う。

 

「この世界の土台は虚無だよ。何もないところに、あの男が国をかたどり、魂を引きずり込み、王を名乗った」

「だから、私や叔父上にゆかりのある者が多いのか」

 

 スカーレットは眉をひそめる。

 

「父の部下だった者たち。処刑場にいた騎士。城の侍従。私が知っている顔が多すぎる」

「そういう顔しか、あの男は覚えていないからさ」

 

 老婆の声は、どこか寂しげだった。

 

「死者の国なんて大層な名をつけてるけど、実際は、一人の男の記憶と罪悪感と願望を混ぜ合わせて作ったちっぽけな舞台にすぎないのさ」

 

 スカーレットは、顔をしかめた。

 

「……劇場のつもりか」

「そうさね」

 

「王が王であり続ける劇。王女が狂気の王女として彷徨う劇。忠臣は忠臣として役目を果たし続ける劇」

 

 老婆は、ふと空を見上げた。

 スカーレットもつられて視線を上げる。色の抜けた空を、巨大な影がゆっくり横切っていく。鱗の光。二つの眼。

 龍が、またこちらを見ていた。

 

「じゃあ、ユリ……いや、レイワの女や、集落の人間は何だ」

 

 スカーレットは口調を強めた。

 

「あいつらも虚無なのか? でも、あいつらをクローディアスがわざわざ引っ張ってくる理由がどこにも見当たらない。あんな世界、叔父上は知らないはずだ」

「ふふ」

 

 老婆は肩を揺らした。

 

「あんたの叔父さんさえ、自覚してないことさ。王様を気取っていたって、この世界を掌握してるわけじゃない。だから、あの男が望んだ世界の外側からこぼれてくるものもあるってことだよ」

「外側?」

「死者の国って看板が立ってるからって、全部がクローディアスの持ち物ってわけでもない」

 

 スカーレットは、少しだけ言葉を失った。

 

「……なら、レイワの女たちは、どこから?」

「まぁ、進めばわかるさ」

 

 老婆はそれ以上はぐらかした。

 スカーレットは、しばらく黙って歩いたあと、ふと横目で老婆を見る。

 

「あんたも虚無なのか」

 

 老婆は目を細めた。

 

「さて、ね」

「さて、ね、じゃない」

「少なくとも、あんたが思ってるほど他人でもないよ」

 

 意味深なことを言ってから、話題を変えるように手を叩いた。

 

「ほら、もうすぐだ」

 

 視界が、急に開けた。

 山を削って築かれたような城壁。海峡ではなく、虚無の底を見下ろす崖に張り付いた城。エルシノア城の面影を持ちながら、どこか歪んだ城がそこにあった。

 

「……」

 

 スカーレットは、足を止める。

 

 見慣れた紋章が、門の上に掲げられていた。

 王冠とライオン。だが、その彩色はすでに色あせ、金も赤も煤けて黒ずんでいる。

 

「あんた、復讐を果たしたら、どうするつもりだい?」

 

 老婆がぽつりと呟くが、スカーレットは答えなかった。答えないかわりに、剣の柄にそっと触れる。

 これを叔父の喉に突き立てたあと、自分がどうするつもりだったか。その先まで、考える必要はないと思っていた。

 

 ――復讐のあとに残る自分なんて、想像したくもない。

 

「やっぱり、レイワの女じゃ力不足だったかねぇ」

 

 老婆は、スカーレットを見ずに言う。

 

「ちょっとくらいは、あんたの先を見せてくれるかと思ったけど……まあ、あの子はまだ『道中』だったからね。今はまだ、あんたとは縁もゆかりもない」

「……?」

 

 スカーレットはわずかに眉を寄せた。

 

「お前が、ユリをここに連れてきたのか?」

「私にそんな力はないよ」

 

 老婆は笑う。

 

「ただ、通り道でちょっと話をしただけさ。選んだのはあの子自身だし、落ちてきた先をこんな形にしたのは、あの男さ」

 

 老婆は、城のほうを顎で示した。

 

「私もこの世界に縛りつけられてる身だ。あんたと敵対する気は微塵もないけどね、手助けしようって気も、あんまり起きない」

 

 老婆の声は淡々としていた。

 

「あんたの復讐が、どこへ行き着くのか。この小さな舞台が燃えるのか、凍るのか。見届けさせてもらうよ」

 

 スカーレットが振り返ったときには、もう老婆の姿は消えていた。

 

「……勝手なことを」

 

 小さく吐き捨て、スカーレットは城門へと向かった。

 

 

 

 

(見張りも門番もいない……?)

 

 嫌な予感がした。

 スカーレットは剣に手をかけたまま、そっと門扉に触れる。重たい音を予想していたが、拍子抜けするほどあっさりと開いた。

 軋む音が、広い中庭に反響する。その向こうから、二つの影が、ゆっくりと歩いてきた。

 中年男と、まだ若い青年。年齢こそ離れているが、よく似た顔立ちの二人。顔を見た瞬間、スカーレットの指先から血の気が引いた。

 

「……ポローニアス」

 

 中年男――王の側近として父の代から仕えていた顧問官。処刑の日、壇上で判決文を読み上げた口。

 

「そして、レアティーズ」

 

 その息子。剣の腕を買われ、処刑の場で儀礼の剣を振るった若い騎士の一人。

 親子は、同じ角度で頭を垂れた。

 

「先王アムレットの娘スカーレット王女」

 

 ポローニアスが、芝居がかった声で言う。

 

「王の御前に進む前に、我らの刃を越えていただかねばなりません」

「父を処刑した者たちが、順番にお出迎えとは!」

 

 スカーレットは、乾いた笑いを漏らした。

 

「やはりこの世界は……」

 

 ゆっくりと剣を抜き、構える。

 

「クローディアスの作った、くだらぬ演劇の舞台のようだな」

 

 龍が、遠くの空で、静かに輪を描いていた。

 

 

 

 

 スカーレットの深緑のマントは、とうにユリの視界から消えている。ユリと、ヴォルディマンドだけが残されていた。

 ヴォルディマンドの肩に、小さな穴が開いている。少しずつ枯葉が舞っており、スカーレットとの戦いで負ったと思われるその傷跡は、彼の「虚無化」が近いことを告げていた。塞がる気配はない。

 

「……」

 

 ユリは、しばらく黙っていた。

 神殿の中で見た兵士の胸の穴。虚無から引き戻されて、門を守るだけの影。それでも、ここに立ち続けている騎士。

 

「帰れ、異邦人」

 

 沈黙を破ったのはヴォルディマンドだった。

 

「俺はここを通ろうとする者以外に、危害を加える気はない。お前は王女とは違う。今ならまだ、戻れる」

 

 戻る先がどこなのか、彼自身も分かってはいないのだろう。それでも、彼なりの気遣いなのは分かる。しかしユリは、ゆっくりと首を振った。

 

「……一緒に、この先に行ってくれませんか」

 

 ヴォルディマンドの目が細くなる。

 

「何だと?」

「一緒に、スカーレットを追いかけてほしいんです」

「さっきの話を聞いていなかったのか」

 

 ヴォルディマンドの声が、わずかに荒くなる。

 

「俺は門の騎士だ。ここを通ろうとする者を見届けるのが役目だ。王女は自分の意志で一人で進んだ。お前が追いかける必要などない」

「あります」

 

 ユリは、自分でも驚くほどはっきりと言った。

 

「私、スカーレットに酷いことを言いました。一人の人間として向き合わず、一般論みたいな言葉で、彼女の生きる理由を、まとめて否定したんです」

 

 ヴォルディマンドの眉が動く。

 

「復讐しか支えがない人に向かって……生きてさえいればそれでいい、だなんて」

 

 ユリは、拳を握った。

 

「仕事では、そう言うことで救われる人もいたんです。遺された家族とか、生き延びた患者さんとか。だから、つい同じ言葉を使ってしまった」

 

 自嘲が混じる。

 

「でも、スカーレットにとっては違う。あの子にとってその言葉は、今まで自分を保ってきた理由を否定されるのと同じだった」

「……」

「だから、謝りたいんです」

 

 ユリは顔を上げる。

 

「復讐なんてやめなよ、じゃなくて。復讐でしか生きてこれなかったあなたのことを、ちゃんと見てなかった……って。それを謝りたい」

 

 ヴォルディマンドは短く息を吐いた。

 

「やめておけ」

「……」

「謝ることは、結局お前自身のためだ」

 

 騎士の声は冷静だった。

 

「それでお前は少し気が済むかもしれん。だが、王女が一番嫌う行為を強要することにもなる」

 

 ヴォルディマンドはユリを見据える。

 

「謝る、ということは、結局こう言うのと同じだ。『だから、許せ』と」

 

 ユリは、ハッとしたように目を見開いた。

 

「謝ったのだから、許せ。忘れろ――お前にそんなつもりがなくとも、王女にはそう聞こえるだろう」

 

 しばらく考えてから、ユリは静かに言う。

 

「……そうかもしれません。でも、やりたいのは『私を許せ』って頼むことじゃないんです」

「では何だ」

「細い糸を、もう一度結ばせてほしいって頼むことです」

 

 ヴォルディマンドは、意味がわからない、という顔をした。

 

「ヴォルディマンドさんには、友達っていますか」

「友だと?」

 

 騎士は少し考えてから答えた。

 

「戦場で背中を預け合う者のことを言うなら、かつてはいた。だが、多くはもうここにいない。死者の国には、そのような者はおらぬ」

「ですよね」

 

 ユリは苦笑する。

 

「友だち関係って、一番維持するのが難しい関係なんです」

「ふむ?」

「家族みたいな血の繋がりもない。契約や誓いで守られているわけでもない。たまたま同じ学校だったり、同じ職場だったりした縁が、なんとなく続いてるだけで」

 

 言いながら、自分の世界の顔を思い浮かべる。

 学生時代の友人。夜勤明けにコンビニでくだらない話をした同僚。

 

「そんな細く脆い関係、簡単に破綻します。片方が忙しくなったり、ちょっと傷つけることを言ったり。連絡を面倒くさがってるうちに、糸は切れる」

「……」

「だから、一度ちぎれた糸を結び直すには、歩み寄らなきゃいけない」

 

 ユリは、自分の胸を押さえた。

 

「謝ること、がしたいんじゃなくて、私はまだ繋がりたいと思ってるって、彼女に示したいんです。許されなくてもいい。そのうえで、もう一度だけ、糸の端を差し出したい」

 

 ヴォルディマンドは、しばらく黙ってユリを見ていた。

 

「わからんな」

 

 やがて、ぽつりと言う。

 

「なぜ王女一人に、そこまで執着する。成り行きで知り合っただけの同行者だろう」

「……」

 

 ユリは答えに詰まった。

 初めて会ったときから、どこか他人に思えなかった。復讐でしか自分を支えられないところも、剣を離したら自分が空っぽになりそうなところも、どこか、自分の「もしも」を見ているようで。

 

(でも、そんなこと言っても、ロマンチックすぎて気持ち悪いし)

 

 言葉を選ぶ。

 

「……謝罪程度で取り返しが効くうちなら、私はなんだってやります」

 

 それが精一杯だった。

 ヴォルディマンドが、ふっと笑う。

 

「なるほど」

「おかしいですか?」

「いや」

 

 騎士は肩を揺らした。

 

「俺がなぜ、虚無から引き戻されてまでこの神殿を守っていたのか――俺がやっていることも、取り返しが効くうちの、謝罪なのかもしれんな」

「それは、先王に対する……ですか?」

「いいや」

 

 ヴォルディマンドは、自分の肩の穴に触れた。

 

「先王にでも、クローディアス王にでもなく……自分自身に、謝ることで許されたいのかもしれん」

 

 先王を剣で処刑した自分。クローディアスに剣を捧げた自分。死んで虚無に落ちたあともなお、王の門を守り続けている自分。

 

「だからこそ、門の前に立つことを選び続けていたのだろう。これが正しかったのだ、と言い聞かせるために」

 

 ヴォルディマンドは、空を見上げた。龍が、遠くで輪を描くように飛んでいる。

 

「だが、虚無から引き戻されてまで続けるような仕事ではなかったな」

 

 苦笑とともに、彼は剣を持ち上げた。

 

「よかろう、異邦人。王女一人を追いかけるには、お前一人では心許ない。俺の剣を、今度は王の門ではなく、王の罪に向けてみるとしよう」

「……いいんですか?」

「そもそも門番の務めなど、はなからあの龍が代わりに果たしている」

 

 ヴォルディマンドは空を顎で示した。

 

「あいつは、王の意に背く者を雷で打つ。俺の行為は許されないものかもしれん。本来なら、今すぐ雷に打たれてもおかしくない状態なのだが……幸い、今の龍の興味は、俺には向けられていないようだ」

 

 ユリは、思わず笑った。

 

「大変ですね、騎士様」

「何がだ」

「死者の国なんたよく分からない場所でも真面目に仕事をしてたのに、今度は『自己救済』の旅まで付き合わされるなんて」

「騎士というものは、誰かの勝手に振り回されることを楽しむ、おかしな生き物だ」

 

 ヴォルディマンドは、わずかに口元を緩めた。

 

「さあ行くぞ、異邦人」

「ユリです」

「ユリ」

 

 短く名を呼び直し、彼は城の方角を見据えた。

 

「王女が一人で突っ走って、取り返しのつかないところまで行く前にな」

 

 ユリは、大きく息を吸い込んだ。

 

「はい。スカーレットが、完全に『復讐だけの人間』になる前に」

 

 二人は、崩れた神殿を後にした。

 空の高みで、龍がほんの少しだけ旋回の軌道を変える。

 山の多角にある城、そのさらに向こうにある見果てぬ場所へ向けて、新しい二人組が歩き出すのを……じっと見下ろしていた。




原作との差異
・スカーレットと老婆の会話(原作でこんなに絡まない)
・エルシノア関係者とそれ以外の人間の違い(原作では死んだら死者の国に行く以上の言及はなかったはず)
・城の前の中庭(そんな場所はない)
・親子の性格が全然違う

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