中庭の中央で、スカーレットはほとんど防戦一方だった。
レアティーズの剣は、風そのものだった。一度踏み込まれれば、三手先まで読まれているように刃が滑り込んでくる。
肩、脇腹、腕、脚。浅い傷が増えるたび、黒い革鎧に赤い線が増えていく。
「はぁ、っ……!」
息が焼ける。握る手のひらは汗と血で滑りそうだ。
対して、レアティーズの呼吸は乱れない。ポローニアスも、距離を取ってそこから動かない。ただ中庭を半周するようにゆっくり歩きながら、ことばの刃で包囲してくる。
「王女、スカーレット王女」
芝居がかったポローニアスの声が、乾いた空気に溶けた。
「あなたはあの日と少しも変わっておられない。処刑台の父君を見上げていたときと同じだ。剣を握っているか、握っていないかの違いだけでね」
「うるさい!」
「見果てぬ場所は、王の約束された救いの場所。王に従った者の魂だけが、虚無ではなく新たな世界へ導かれる。あなたが今ここで刃を収めれば、その道はまだ開かれている」
「ポローニアスよ、クローディアスの舌を借りて喋るな!」
スカーレットは、前に出ようとするたびに、横からレアティーズに押しとどめられる。
「あなたは『見る者』であって、『裁く者』ではない」
レアティーズの剣が、スカーレットの手首をはじいた。じん、と痺れが走る。
「父の首を刎ねたこの手が、その娘の首を刎ねることなど容易」
刃が喉元に滑り込む。スカーレットはぎりぎりのところで身を反らし、切っ先を肩で受けた。熱い痛み。視界が一瞬白くなる。
「っ……」
膝が揺らいだ。
(このままだと、ほんとうに――)
倒れる。倒れたところを、冷静な一撃で「終わらせ」られる。自分が何度もイメージしてきた復讐の終わり方とは、まるで違う結末。
空が、じわりと暗くなっていくのを感じた。
(龍が、見ている)
高みから、巨きな影が円を描いている。コーネリウスを焼いた稲妻の気配。ここで誰かが王に背く言葉を口にすれば、きっとまた落ちてくる。
(剣の腕前では、彼らに勝てない。ならば、あの龍を使えば――)
だが、今のスカーレットには、その先に思考を巡らせる余裕などなかった。
刃と刃が、また噛み合う。
*
一方、その中庭を目指して駆けている二人がいた。
ユリと、ヴォルディマンド。山道を登る風が、二人の衣を煽る。ユリの足は、相変わらず疲れを知らない。だが胸の奥は重かった。
「スカーレット……」
小さく名を呼ぶ。
ヴォルディマンドは前を向いたまま、低く言った。
「王女一人では、あの親子には勝てん」
「わかるんですか」
「レアティーズの腕を知っている」
騎士の視線は鋭かった。
「あいつは若いが、剣に迷いがない。虚無から引き戻された今の姿ならなおさらだ。疲れも、ためらいもない」
「……」
「俺が参戦したところで、竜の雷に打たれて終わるだけかもしれんがな」
ヴォルディマンドは、自嘲ぎみに笑う。
「王に背を向けた忠臣は、あの龍が許さない」
ユリは、空をちらりと仰いだ。龍が小さく見える。それでも、その視線だけははっきりと感じられた。
「お前には何か策があるのか、ユリ。王女に謝るつもりなら、まずは彼女が死ぬのを防がねばならんぞ」
ユリは息を整えながら言った。
「そうですね。ごめんって言うための条件として、まず彼女が生きていないと、話にならない」
「ならば、どうする」
「私に、戦いを止めるような力はありません」
それは、はっきりしていた。剣も槍も扱えない。腕っぷしでどうにかできる相手じゃない。
「でも、一つ……」
ユリは、もう一度、空を見た。龍は、ゆっくりと中庭の上空に移動している。
――ここで誰かが王の意志に背いたら、雷が落ちる。
コーネリウスの虚無化。神殿から見上げたときの、ヴォルディマンドの足元に落ちるかもしれなかった光。
「あの龍を使えば」
ヴォルディマンドの眉がわずかに動いた。
「お前、まさか」
「はい。……あの龍に、雷を落としてもらう」
ユリは、拳を握った。
「問題は、私が何を言えば雷が落ちるのかってところですね」
ヴォルディマンドは、短く息を吐いた。
「王の舞台を壊すのに、王の道具を使うか」
「そういうのは得意なんですよ。現場の看護師って、だいたいシステムのバグ突いて、患者さんのために裏技使ってますから」
「言っていることはよく分からないが、聞かなかったことにしてやろう」
ヴォルディマンドの口元に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。
「いいだろう。俺がポローニアス親子を引きつける。お前は、王女を雷に巻き込まぬように注意しろ」
「了解」
二人は、最後の坂を駆け上がった。
*
中庭に飛び込んだとき、スカーレットはすでに片膝をつきかけていた。
レアティーズの剣が振り上げられる。ポローニアスはその背後で、まだ何か言葉を紡いでいる。
「クローディアス王は――」
「スカーレット!」
ユリの声が、中庭に響いた。同時に、ヴォルディマンドの足音が石畳を蹴る。レアティーズの剣が振り下ろされるより一瞬早く、ヴォルディマンドの刃がその軌道に割り込んだ。
火花が散る。衝撃が腕を走る。
「ヴォルディマンド……ッ! 貴様、クローディアス王に弓引くか!?」
「門の前に立ち続ける騎士に、丸腰の異邦人。何の用かな」
レアティーズが目を見開き怒鳴ると、ポローニアスの顔にはっきりと怒りが走った。
「盲信することだけが、忠臣の証ではない!」
ヴォルディマンドは、まっすぐ彼らを見据えた。
「確認したいことがある。ポローニアス、レアティーズ。お前たちは、王の言葉を信じているか」
「当然だ」
ポローニアスは即答した。
「我ら忠臣の魂は、見果てぬ場所の先に救いを得る。そのために、この舞台に立ち続けている」
「そうか」
ヴォルディマンドは、押し返しながら叫ぶ。
「王は、虚無から引き戻した忠臣を舞台に並べ、自分の罪を誤魔化しているだけだ!」
「黙れ! それ以上の言葉を並べれば、どうなるか――!」
上空をしきりに気にしたままのポローニアスの声が裏返る。そのやり取りのあいだに、ユリはスカーレットのもとへ駆け寄った。
「立てる?」
「お前……なぜ来た!」
スカーレットは、噛みつくように言う。
「ここは私の戦いだ! お前まで巻き込む気は……」
最後まで言わせないように、ユリはスカーレットの腕を掴んだ。
「ごめん」
「……は?」
「あとで、存分に怒っていい」
ユリは、真っ直ぐにスカーレットを見た。
「私のことは、許さなくていいから」
スカーレットが何か言い返すより早く、ユリは彼女の身体を思い切り突き飛ばした。
「っ!」
スカーレットの体が、石畳を転がった。数歩分、レアティーズとヴォルディマンドから距離が開く。
「何をする、ユリ……!」
叫びが、喉から飛び出る。ユリは振り返らない。かわりに、空を見上げた。龍の影が、はっきりと中庭の上に来ている。
(ごめん)
心の中でもう一度だけ、ユリはつぶやいた。
(ほんとは、すごくダサいやり方だけど)
ヴォルディマンドと、ポローニアスと、レアティーズが、ほぼ一直線上に並んでいる。まるで、舞台のクライマックスのように。ユリは、その列の真ん中に一歩入り込んだ。
「クローディアス王!」
龍の眼がぴくりと動く。ユリは、腹の底から声を絞り出した。
「あなたは、臆病者です!」
空気がぴんと張り詰める。
「自分で階段を登る勇気もなくて、忠臣と家族を舞台に並べて王様ごっこを続けてるだけの、どうしようもない腰抜けです!」
「貴様ァ! その口を閉じろ!!」
ポローニアスが顔を真っ赤にする。レアティーズもスカーレットを追わず、唐突なユリの登場に硬直している。ヴォルディマンドは、横目でユリを見る。
「ユリ!」
「死者の国の住人がもともと虚無だというなら――もう、躊躇いなんかない!」
ユリは、かすかに笑った。
「こんなくだらない芝居のつまらない戦闘シーンなんか……全部ぶっ壊して、私が終わらせてやる!」
ユリは、小さく息を吸った。空の色が暗くなり、龍の影が急激に濃くなっていく。
「スカーレット! 王を倒して、復讐を終わらせたら――ちゃんと生きるんだよ!」
ヴォルディマンドの目が、わずかに和らいだ。
「……ふっ」
彼は、剣をわずかに掲げた。
「王よ! あなたの忠臣の一人も、ここでお前の意志から離れる! 俺はこの舞台の幕引きを手伝うことにした!」
今度は彼が叫ぶ。
「見果てぬ場所の先に救いがあるというのなら、玉座を離れ、自ら確かめに行くがよい、愚かなクローディアスよ!」
その言葉を合図にしたかのように、空が裂けた。龍の咆哮。眩しい白と青の閃光が、中庭を真っ二つにする。
「やめろおおおおお!!」
スカーレットの叫びが、雷鳴に呑み込まれる。
雷は、ユリと、ヴォルディマンドと、ポローニアスと、レアティーズを、一息に飲み込んだ。眩しさの中で、ユリはほんの一瞬だけ、スカーレットの姿を視界の隅に捉えた気がした。
原作との差異
・竜が雷を撃つためのスイッチ(原作で雷を撃つタイミングは不明)
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