終わりなきスカーレット(完結)   作:雄魔雌

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第9話 龍の裁き

 中庭の中央で、スカーレットはほとんど防戦一方だった。

 レアティーズの剣は、風そのものだった。一度踏み込まれれば、三手先まで読まれているように刃が滑り込んでくる。

 肩、脇腹、腕、脚。浅い傷が増えるたび、黒い革鎧に赤い線が増えていく。

 

「はぁ、っ……!」

 

 息が焼ける。握る手のひらは汗と血で滑りそうだ。

 対して、レアティーズの呼吸は乱れない。ポローニアスも、距離を取ってそこから動かない。ただ中庭を半周するようにゆっくり歩きながら、ことばの刃で包囲してくる。

 

「王女、スカーレット王女」

 

 芝居がかったポローニアスの声が、乾いた空気に溶けた。

 

「あなたはあの日と少しも変わっておられない。処刑台の父君を見上げていたときと同じだ。剣を握っているか、握っていないかの違いだけでね」

「うるさい!」

「見果てぬ場所は、王の約束された救いの場所。王に従った者の魂だけが、虚無ではなく新たな世界へ導かれる。あなたが今ここで刃を収めれば、その道はまだ開かれている」

「ポローニアスよ、クローディアスの舌を借りて喋るな!」

 

 スカーレットは、前に出ようとするたびに、横からレアティーズに押しとどめられる。

 

「あなたは『見る者』であって、『裁く者』ではない」

 

 レアティーズの剣が、スカーレットの手首をはじいた。じん、と痺れが走る。

 

「父の首を刎ねたこの手が、その娘の首を刎ねることなど容易」

 

 刃が喉元に滑り込む。スカーレットはぎりぎりのところで身を反らし、切っ先を肩で受けた。熱い痛み。視界が一瞬白くなる。

 

「っ……」

 

 膝が揺らいだ。

(このままだと、ほんとうに――)

 倒れる。倒れたところを、冷静な一撃で「終わらせ」られる。自分が何度もイメージしてきた復讐の終わり方とは、まるで違う結末。

 空が、じわりと暗くなっていくのを感じた。

 

(龍が、見ている)

 

 高みから、巨きな影が円を描いている。コーネリウスを焼いた稲妻の気配。ここで誰かが王に背く言葉を口にすれば、きっとまた落ちてくる。

 

(剣の腕前では、彼らに勝てない。ならば、あの龍を使えば――)

 

 だが、今のスカーレットには、その先に思考を巡らせる余裕などなかった。

 刃と刃が、また噛み合う。

 

 

 

 

 一方、その中庭を目指して駆けている二人がいた。

 ユリと、ヴォルディマンド。山道を登る風が、二人の衣を煽る。ユリの足は、相変わらず疲れを知らない。だが胸の奥は重かった。

 

「スカーレット……」

 

 小さく名を呼ぶ。

 ヴォルディマンドは前を向いたまま、低く言った。

 

「王女一人では、あの親子には勝てん」

「わかるんですか」

「レアティーズの腕を知っている」

 

 騎士の視線は鋭かった。

 

「あいつは若いが、剣に迷いがない。虚無から引き戻された今の姿ならなおさらだ。疲れも、ためらいもない」

「……」

「俺が参戦したところで、竜の雷に打たれて終わるだけかもしれんがな」

 

 ヴォルディマンドは、自嘲ぎみに笑う。

 

「王に背を向けた忠臣は、あの龍が許さない」

 

 ユリは、空をちらりと仰いだ。龍が小さく見える。それでも、その視線だけははっきりと感じられた。

 

「お前には何か策があるのか、ユリ。王女に謝るつもりなら、まずは彼女が死ぬのを防がねばならんぞ」

 

 ユリは息を整えながら言った。

 

「そうですね。ごめんって言うための条件として、まず彼女が生きていないと、話にならない」

「ならば、どうする」

「私に、戦いを止めるような力はありません」

 

 それは、はっきりしていた。剣も槍も扱えない。腕っぷしでどうにかできる相手じゃない。

 

「でも、一つ……」

 

 ユリは、もう一度、空を見た。龍は、ゆっくりと中庭の上空に移動している。

 

 ――ここで誰かが王の意志に背いたら、雷が落ちる。

 コーネリウスの虚無化。神殿から見上げたときの、ヴォルディマンドの足元に落ちるかもしれなかった光。

 

「あの龍を使えば」

 

 ヴォルディマンドの眉がわずかに動いた。

 

「お前、まさか」

「はい。……あの龍に、雷を落としてもらう」

 

 ユリは、拳を握った。

 

「問題は、私が何を言えば雷が落ちるのかってところですね」

 

 ヴォルディマンドは、短く息を吐いた。

 

「王の舞台を壊すのに、王の道具を使うか」

「そういうのは得意なんですよ。現場の看護師って、だいたいシステムのバグ突いて、患者さんのために裏技使ってますから」

「言っていることはよく分からないが、聞かなかったことにしてやろう」

 

 ヴォルディマンドの口元に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。

 

「いいだろう。俺がポローニアス親子を引きつける。お前は、王女を雷に巻き込まぬように注意しろ」

「了解」

 

 二人は、最後の坂を駆け上がった。

 

 

 

 

 中庭に飛び込んだとき、スカーレットはすでに片膝をつきかけていた。

 レアティーズの剣が振り上げられる。ポローニアスはその背後で、まだ何か言葉を紡いでいる。

 

「クローディアス王は――」

「スカーレット!」

 

 ユリの声が、中庭に響いた。同時に、ヴォルディマンドの足音が石畳を蹴る。レアティーズの剣が振り下ろされるより一瞬早く、ヴォルディマンドの刃がその軌道に割り込んだ。

 火花が散る。衝撃が腕を走る。

 

「ヴォルディマンド……ッ! 貴様、クローディアス王に弓引くか!?」

「門の前に立ち続ける騎士に、丸腰の異邦人。何の用かな」

 

 レアティーズが目を見開き怒鳴ると、ポローニアスの顔にはっきりと怒りが走った。

 

「盲信することだけが、忠臣の証ではない!」

 

 ヴォルディマンドは、まっすぐ彼らを見据えた。

 

「確認したいことがある。ポローニアス、レアティーズ。お前たちは、王の言葉を信じているか」

「当然だ」

 

 ポローニアスは即答した。

 

「我ら忠臣の魂は、見果てぬ場所の先に救いを得る。そのために、この舞台に立ち続けている」

「そうか」

 

 ヴォルディマンドは、押し返しながら叫ぶ。

 

「王は、虚無から引き戻した忠臣を舞台に並べ、自分の罪を誤魔化しているだけだ!」

「黙れ! それ以上の言葉を並べれば、どうなるか――!」

 

 上空をしきりに気にしたままのポローニアスの声が裏返る。そのやり取りのあいだに、ユリはスカーレットのもとへ駆け寄った。

 

「立てる?」

「お前……なぜ来た!」

 

 スカーレットは、噛みつくように言う。

 

「ここは私の戦いだ! お前まで巻き込む気は……」

 

 最後まで言わせないように、ユリはスカーレットの腕を掴んだ。

 

「ごめん」

「……は?」

「あとで、存分に怒っていい」

 

 ユリは、真っ直ぐにスカーレットを見た。

 

「私のことは、許さなくていいから」

 

 スカーレットが何か言い返すより早く、ユリは彼女の身体を思い切り突き飛ばした。

 

「っ!」

 

 スカーレットの体が、石畳を転がった。数歩分、レアティーズとヴォルディマンドから距離が開く。

 

「何をする、ユリ……!」

 

 叫びが、喉から飛び出る。ユリは振り返らない。かわりに、空を見上げた。龍の影が、はっきりと中庭の上に来ている。

(ごめん)

 心の中でもう一度だけ、ユリはつぶやいた。

(ほんとは、すごくダサいやり方だけど)

 ヴォルディマンドと、ポローニアスと、レアティーズが、ほぼ一直線上に並んでいる。まるで、舞台のクライマックスのように。ユリは、その列の真ん中に一歩入り込んだ。

 

「クローディアス王!」

 

 龍の眼がぴくりと動く。ユリは、腹の底から声を絞り出した。

 

「あなたは、臆病者です!」

 

 空気がぴんと張り詰める。

 

「自分で階段を登る勇気もなくて、忠臣と家族を舞台に並べて王様ごっこを続けてるだけの、どうしようもない腰抜けです!」

「貴様ァ! その口を閉じろ!!」

 

 ポローニアスが顔を真っ赤にする。レアティーズもスカーレットを追わず、唐突なユリの登場に硬直している。ヴォルディマンドは、横目でユリを見る。

 

「ユリ!」

「死者の国の住人がもともと虚無だというなら――もう、躊躇いなんかない!」

 

 ユリは、かすかに笑った。

 

「こんなくだらない芝居のつまらない戦闘シーンなんか……全部ぶっ壊して、私が終わらせてやる!」

 

 ユリは、小さく息を吸った。空の色が暗くなり、龍の影が急激に濃くなっていく。

 

「スカーレット! 王を倒して、復讐を終わらせたら――ちゃんと生きるんだよ!」

 

 ヴォルディマンドの目が、わずかに和らいだ。

 

「……ふっ」

 

 彼は、剣をわずかに掲げた。

 

「王よ! あなたの忠臣の一人も、ここでお前の意志から離れる! 俺はこの舞台の幕引きを手伝うことにした!」

 

 今度は彼が叫ぶ。

 

「見果てぬ場所の先に救いがあるというのなら、玉座を離れ、自ら確かめに行くがよい、愚かなクローディアスよ!」

 

 その言葉を合図にしたかのように、空が裂けた。龍の咆哮。眩しい白と青の閃光が、中庭を真っ二つにする。

 

「やめろおおおおお!!」

 

 スカーレットの叫びが、雷鳴に呑み込まれる。

 雷は、ユリと、ヴォルディマンドと、ポローニアスと、レアティーズを、一息に飲み込んだ。眩しさの中で、ユリはほんの一瞬だけ、スカーレットの姿を視界の隅に捉えた気がした。




原作との差異
・竜が雷を撃つためのスイッチ(原作で雷を撃つタイミングは不明)

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