櫻が、少しずつ咲き始めていた。
靖国の鳥居をくぐるのも、そういえば久しぶりだ。普段は竹橋で降りるところ、つい九段下で降りてしまったのは、きっと櫻の気配に誘われたのだろう。
敷島の、大和心を人問わば――
口の中で呟いたはずの詞が予想外に大きく聞こえ、気恥ずかしさにすこし早足になった。ここ数日で櫻の蕾もにわかに膨らみ始め、帝都を淡く彩りつつある。参道を行き交う人々は、普段より少し多い気がした。先の大戦から半世紀はとうに過ぎたというのに、人々がここに集うのは花見のつもりか、あるいは今もまた、ある種『戦時』だからか。
叶うなら、この花の梢に集う英霊には、花見に見えていてほしいけれど。
「さて、待ち合わせは一六三〇――少し急ぐかね」
どうせなら花見がてら、休憩所で一服していきたい所だが、そうもいくまい。
◆
これなら、もう少し感傷に浸って、休憩所で煙草でも吸ってきたほうがよかったか。
所は近衛連隊、司令部庁舎前。平服姿では無理もない、だが居心地が悪いことこの上ない。さっきからちらちらとこちらを伺っている警備の兵卒に身分証を見せてやろうか、と思案し始めた頃。
「おう、待たせた――すまんな、中尉」
「ご無沙汰しております。壮健そうで何よりですよ、藤原中佐」
時代錯誤な軍刀に長靴があれほど似合う男も珍しい、と言っていたのは誰だったか。
平服姿であっても、その威圧感は隠しきれていない。坊主頭。鬚。筋肉。おおよそ見た目に関しては、『鉄拳制裁』の四文字を背負っていそうな、いかにもな陸軍将校。
「司令部で平服なんて、珍しいですね」
「ん? ああ、まさかあの格好で飲みに行くわけにもいかんだろう」
そう笑って、藤原中佐は大股に歩き出した。
「まあ、久しぶりだし、どうだ、一杯。神田にな、いいキャバ見つけたんだ」
実態はこの通り、実に気安い……いや、なんというか、ただただ残念な人である。
「時間と場所をわきまえて下さい、中佐殿……。まだ日も暮れておりませんし、お互い平服とはいえここは近衛の司令部前です」
おおげさにため息をついて、一言。
「……姉さんに言いつけますよ」
苦虫をまとめて噛み潰したような顔をする義兄を横目に、適当なタクシーを止める。
「神田まで」
まあ、なんだ。大いに無理はあるかもしれないが、外回りから直帰と称してサボるサラリーマン、に見えなくもないだろう。
◆
「……で。キャバじゃなかったんですか、義兄さん」
結局。駅前の居酒屋でビールと枝豆である。障子一枚とはいえ個室なのは、まあありがたいが。
「何だ、行きたかったのか? キャバクラ」
「冗談です。あの雰囲気は、どうにも好きじゃないですし」
「どこが? 女嫌いじゃないだろ」
「煙草の火ぐらい自分で付けたいんですよ。なんか、ああ構われると居心地悪くて」
なんだそりゃ、と笑う義兄を横目にジョッキを煽る。
「しかし、お互い貧乏公務員だ、そう贅沢もできないさ」
「民間で言えばそこそこ上級管理職なはずなんですがねえ。あれですか、これが噂の名ばかり管理職ってやつですか」
「まあいかんせん不景気だからな、我が社は」
お互いに揃ってため息をつく。公務員以上に、軍人に対する風当たりは強い。しかも何かと華やかな海軍と違い、陸軍はヒマである。軍がヒマなのは良い事とはいえ、暇な軍に対する節約の圧力はすさまじい。
陸軍の仮想的は1に財務省、2に議会、34がなくて5に海軍。中露? そんなものはオマケです、なんて真顔で言う連中がいるあたり、いかに暇かがよくわかる。
「海さんに全部持ってかれてますからねえ……まあ仕方ないでしょう、あっちは戦時ですから」
「あ、すんませーん、生一つ、あとゲソ揚げとたこわさ、チャンジャで」
ゆるゆると流れる、下らない時間。
財務省と嫁についてひとくさり義兄が愚痴を吐き終えたあたりで、隣から人の立つ気配があった。
「で。まさか、愚痴るためにわざわざ呼び出した訳じゃないですよね」
「そうだな、酔う前に済ませるか……」
あ、嫌な予感。これは、4月の人事で左遷か。
「不景気ですからねえ……ついに俺もリストラですか」
「いや、違うんだが……」
義兄はひと吸いした煙草を揉み消し、たっぷりとため息で間を取って。
「海軍に行ってくれ」
「……は?」
予想外の返答に、反応が一泊遅れる。
海軍。
それは、つまり。
「えーと。いつもの。陸軍としては海軍の提案に反対である! ってやつですか」
「それなら俺が行くさ」
また、ため息。確かに、それは中尉の仕事じゃない。
「となると、何ていいましたっけ、こないだ飲み屋で義兄さんに喧嘩売ってきたあの提督」
「いや違う、というか貴様、その話はいい加減忘れろと何度言えば」
義兄は苦笑した顔を引き締め、軍人の顔に戻して、言った。
「深海棲艦――知っているな?」
場の空気が、一段濃さを増したような気がした。喉に詰まりかけたゲソ揚げをビールで飲み込み、言葉を返す。
「大本営発表程度の事くらいなら……。気にはしていましたが、いかんせん情報が少ない」
深海棲艦。
ソレに世界は海を奪われ、イージス、原潜、空母、みな、なすすべなく沈められた。
核の使用さえ、大真面目に取り沙汰されるようになった頃。
……深海棲艦が、はじめて現れたのと同じように、突然現れた彼女たち。
「……艦娘、でしたか。深海棲艦の同等存在と目される、海軍の新兵器」
「だがそれとて、沿岸海域を確保しているに過ぎん。考えてみろ。空母打撃群にあたる艦隊は確認されているが、それに加えて奴らに海兵隊、強襲揚陸能力があったらどうなる?」
深海棲艦勢力による、本土上陸。
情報統制が敷かれているとはいえ、既にかなりの近海まで深海棲艦の浸食が進んでいるのは公然の事実だ。
横須賀。舞鶴。呉。佐世保。
すでに主要な軍港近海の殆どで、深海棲艦の接近が確認されている。
「悪夢ですね、それは……。対地攻撃能力が、艦砲射撃と艦載機の爆撃だけ、なんて虫のいい話はないでしょうが」
想像したくもない。考えたくないが、化け物の上陸を許したとして、それに対するのは自分たち陸軍だ。
「我々に艦娘はない。機甲師団をいくら並べても、そもそも砲弾の効かぬ相手では。残念ながら、松代まで避難する時間稼ぎも怪しいでしょう」
まあ今や並べるほどの師団もないですがね、という自虐は、なんとか思いとどまった。それを一番歯噛みしているのは、おそらく目の前にいる義兄だろう。
「上もそれを危惧している。陸軍に深海棲艦に対抗する能力がない以上、動座して頂いたとて意味がない。なら」
「松代や新京の準備より、海軍に協力を仰ぎ深海棲艦に対抗可能な兵器を開発せよ、と……? 大本営も随分と思いきった事を」
「いや、その上からの指示だ」
「まさか……ご叡慮、と」
「昼の御前会議だ。陛下を守護すべき我ら陸軍が、陛下にここまで口にさせては立つ瀬がない。参謀本部はまさにお通夜だよ……元帥など、腹を切りかねん勢いだった」
「閣下が……そうでしょうね」
篤実な老元帥の、柔らかな物腰が思い浮かぶ。確かにあの方なら、それくらいやりかねないだろう。
「という訳で、だ。目標は深海棲艦および艦娘に関する確度の高い情報の入手と、それらに対抗可能な陸戦兵器の開発。精神論だけの脳筋には勤まらんし、近衛のお坊ちゃんたちは論外だ。俺の知る限り、お前が適任たろう」
「あー……んな事言って。どうせ、もう辞令出てるんでしょ? 義兄さん」
行くよ行くよ、と手をひらひら。
「……相変わらず察しがいいな、優」
察するもなにもない。なにせ前回見た真面目な顔は、お腹の膨らんだ姉を連れてウチに来て『娘さんを下さい』だ。つまり、この義兄が真面目な顔をしてる時は、もう手遅れ。
本当に。つくづく、残念な人である。
「義兄さんが分かりやすすぎるだけです……。ま、いいですよ。艦娘は美女揃いって噂ですからね、ムサい陸軍よりやりがいあります」
こいつめ、と綻んだいかつい顔が、すぐにまた軍人の顔に切り替わる。
「正式な辞令は明日だ。それを持って、海軍軍令部に行ってくれ。それと、もう一つ。艦娘の開発に成功しているのは、現状わが帝国だけだ。気をつけろよ」
艦娘という対向兵器を得たのは、現在のところ帝国のみ。
米国とは表向き協力関係にあるが、深海棲艦に押し込まれつつある状況下、『艦娘』に関する情報を巡って水面下で激しい鍔迫り合いが続いている。
生命線ともいえるシーレーンをズタズタに寸断された南洋各国からは、まだ非公式のラインではあるが帝国海軍の駐留、さらには帝国への再編入を望む声も上がっていると聞く。 深海棲艦の討伐は程々に抑え、この情況を奇貨として太平洋の覇権を再び握るべし、という一派すらいるほどだ。
その情況で、ある意味海軍に対する間諜として派遣される。
ああ。これは、退屈しないですみそうだ。
「了解です。ただ――万一の時は、頼みますよ」
応、と義兄は静かに頷いた。
「じゃあとりあえずまずはここの会計から――」
「おいちょっと待て、それでどうしてそうなる?」
「そのくらいしてくれたって、バチはあたらないでしょう?」
伝票を義兄に押し付け、ジョッキに残ったビールを飲み干す。
「お前なあ……うちの財務大臣がどれだけ怖いか知ってるだろうが」
そう言いながら、義兄は伝票を自分の席の横に置いた。
うん。これは、本当に明日から楽しくなりそうだ――。
1話目です。
分量、こんな感じでいいんでしょうか。もう少し細か区切ってもいいのかなあ。
艦これ2次、といいながら艦娘は出ない、しかもおっさん達の飲み会シーンで終わるとか、本当に誰得ですが。
次、なるべく早く投稿できれば。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。