山を下りて街に戻った後も、妙なことは起きた。今回はその一つ、深夜のコンビニでの話。B2の冬だな。正直、山より怖かったかもしれない。あの白い蛍光灯の光は、今でも忘れられない。それは何かを濾過し、すべてを無機質にするような冷たさを持っていたような気さえする。
深夜十二時、山道の急なカーブを抜けて山を下りてきた俺たちは、街道沿いのコンビニに車を停めた。
疲れ切った体に、温かいコーヒーが欲しかった。
ガラス越しに、レジに店員が立っているのが見えた。
白い制服、無表情な横顔。
性別も判別できないほど、遠目にはのっぺりとした印象だった。
店内には客が一人、雑誌コーナーで立ち読みしている。
蛍光灯の光がやけに白く、外の闇を際立たせていた。
コンビニの周囲だけが、切り取られたように白く浮かび上がっていたのだ。
「やっと開いてるとこ見つけたね」
先輩が笑った。
俺は頷き、ドアを押した。
チリン、と鈴の音。
この音は確かに聞こえた。
古いコンビニによくある、機械的ではない、本物の真鍮の鈴の音だった。
一歩踏み入れた瞬間、違和感が走った。
──誰もいない。
レジも、雑誌コーナーも、空っぽだった。
さっきまでいた店員も客も、跡形もない。
蛍光灯の光だけが、無音の店内を照らしている。
ファンや冷蔵ケースの駆動音さえも聞こえない、完全な無音だった。
「……え?」
先輩が小さく声を漏らした。
先輩は周囲を警戒するようにゆっくりと見回し、俺はガラス越しに外を振り返った。
駐車場には俺たちの車だけ。
街道も、闇に沈んでいる。
「気のせいかな……」
先輩が笑おうとしたが、声が震えていた。
俺は温蔵ショーケースに近づき、缶コーヒーを手に取った。
温かい感触が、妙に現実味を帯びている。
その温かさが、この異様な状況の中で唯一の確かなもののように感じられた。
レジに向かうと、誰もいなかったはずなのに、カウンターの上に一枚の紙が置かれていた。
《ご来店ありがとうございます》
その下に、手書きでこう書かれていた。
《またのお越しを。お二人とも》
心臓が跳ねた。
背筋に冷たいものが走る。
誰が、いつ、どこから見ていたのか。
俺たちはまだ何も言っていないし、何も購入していない。
紙を握りつぶし、ドアを押し開ける。
外の空気が、異様に冷たかった。
車に乗り込み、先輩はエンジンをかける。
「……何だったんだろう」
先輩が呟いた。
俺は答えなかった。
バックミラーに映るのは、駐車場に車の無い、煌々とした光を放つコンビニの姿だけだった。
まるで、そこに俺たちがいたこと自体が、なかったかのように。
蛍光灯の白い光だけが、不自然なほど強く夜の闇に輝いていた。
──後日、あのコンビニを探した。
だが、どんな地図にも載っていなかった。
あの夜、俺たちが入った店は、どこにも存在しなかった。