某掲示板に怪談を投稿した(全9話)   作:多聞町

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 山じゃなくて海で怪異に遭遇したB3の夏の話。夜の海って、静かで綺麗なはずなのに、あの時は違った。防波堤の上で見たものは、今でも説明できない。あのねっとりとした空気と、物理法則を無視した動きは、今思い出しても鳥肌が立つ。

 

 

 

 深夜二時、海沿いの道を走っていた。

 山を下りて、潮の匂いが車内に入り込む。

 窓を少し開けると、生暖かい風が頬を撫でた。

 夏の夜特有の、湿り気を帯びた重い空気だった。

 

「ちょっと休もうか」

 

 先輩がハンドルを切り、防波堤の脇に車を停めた。

 海は静かだった。

 月明かりが波間に揺れ、遠くに漁船の灯りが見える。

 水平線の彼方で、ポツリポツリと光る漁火だけが、この世界の広さを教えてくれているようだった。

 俺たちは車を降り、防波堤に上がった。

 潮騒と風の音だけが耳に届く。

 

「夜の海って、なんか怖いね」

 

 先輩が笑った。

 その横顔は、月明かりに照らされて 青白く透き通っているように見えた。

 俺も笑おうとしたが、声が出なかった。

 

 海の上に、人影が立っていた。

 黒いシルエット。

 波間に足をつけているわけではない。

 完全に、海面の上に立っている。

 まるで、そこだけ海面が硬いアスファルトにでもなったかのように、その影は堂々と海原に直立していた。

 

「……見える?」

 

 先輩が小さく言った。

 その声は、潮騒に消されそうなほど細かった。

 俺は頷いた。

 影は動かない。

 ただ、月明かりに照らされて、異様に細長く見える。

 

「近くで見てみる?」

 

 先輩が冗談めかして言った。

 本気ではなかったのかもしれないが、先輩の目は吸い寄せられるようにその影を凝視していた。

 俺はためらったが、頷いた。

 なぜ断らなかったのか、今でも分からない。

 

 二人で防波堤の先へ歩き出す。

 コンクリートの上に靴音が響く。

 カツ、カツ、という乾いた音が、静まり返った闇に不気味に反響する。

 近づくほど、影の輪郭がはっきりする。

 人だ。

 だが、顔が見えない。

 頭部が黒い塊のままだ。

 

 あと二十メートル。

 そのとき、影が動いた。

 海の上を走り始めた。

 こちらに向かって。

 波を蹴る音はしない。

 ただ、異様な速さで、海面を滑るように近づいてくる。

 生物らしからぬ滑らかな加速だった。

 

「……逃げろ!」

 

 先輩の声が震えていた。

 俺たちは防波堤を駆け戻った。

 靴音が乱れ、息が切れる。

 背中のすぐ後ろまで、冷たい何かが迫ってくる感覚があった。

 振り返る勇気はなかった。

 車に飛び込み、ドアを閉める。

 鍵をかける手が震えて、なかなか上手くいかなかった。

 先輩がエンジンをかけ、アクセルを踏む。

 潮騒が遠ざかる。

 

「……何だったんだろう」

 

 先輩が呟いた。

 俺は答えなかった。

 バックミラーには、防波堤を越え、駐車場にたたずむ黒い影が映っていた。

 まるで、こちらを睨み付けているかのように、動かずに。

 それは、俺たちが立ち去るのをただじっと見送っているようでもあり、あるいは次に来る誰かを待っているようにも見えた。

 

 ──後日、あの防波堤にもう一度行ってみた。

 近くを散歩している人に尋ねてみたが、別に事件も曰くのある怪談も無いそうだ。

 何だったんだ、あれは。

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