Lycoris Recoil:Not Missing 作:あんち
支部にある司令官室には、重苦しい空気が漂っていた。
中央にはリツを含めた五人が立たされている。リツと新人以外の三人は、体のいたるところに包帯が巻かれ、見るも無残な姿だ。
対して、リツたちは無傷。今回の戦果の違いは明白だった。
司令はたいそう立派な机の奥にある、玉座のような革張りの椅子にふんぞり返り、こちらを見下ろしている。机の上には、どこかの業者からの貢物と思わしき高級菓子の箱が置かれていた。
司令から今回の作戦の総括が告げられる。
リーダーがおずおずと質問した。
「囮作戦だった……ということですか?」
彼女は(そう来たか……)と心の中で毒づく。
司令は表情一つ変えずに頷いた。
「そうだ。今回の敵は最新鋭のライフルで武装したプロ集団だった。お前たちの装備ではなすすべがない。被害が拡大していただろう」
司令は一度言葉を切り、もっともらしい顔で続けた。
「『敵を欺くにはまず味方から』という奴だ」
(ふぅーん。自分たちの不手際を隠すのに孫子を借りるとは……孫子も草葉の陰で泣いてるっての)
呆れ果てたリツは、聞こえるか聞こえないかの声量で、思わず呟いてしまった。
「……今回の場合、『兵とは詭道(きどう)なり』の方が合うんじゃないですかね?」
その瞬間、リーダーが(余計なことを言うな!)と言わんばかりの形相でリツを睨みつける。
だが、反応したのはリーダーだけではなかった。
司令がゆっくりと立ち上がり、リツの目の前まで歩み寄ってくる。
「……春野リツ。お前はいつも口だけは達者だな」
「お褒めに預かり恐縮です」
リツと司令の視線が交錯する。しかし、それは一瞬のことだった。
どちらが先に視線を逸らしたのかは、言うまでもない。
「そんな軽口を叩く暇があったら、キチンと仕事をしてもらいたいものだな。だからいつまで経ってもサードのままなのだぞ」
「はい。申し訳ありませんでした」
どこの司令も教育プログラムもみんな同じなのか? と思うくらい定型文のような説教に対し、リツは形ばかりの謝罪で頭を下げた。
「フン……まぁいい。今回はそういうことだ。各自、次の任務があるまで待機。以上だ」
「「はい! 申し訳ございませんでした! 失礼致します!」」
リーダーたちは安堵の表情を浮かべ、司令に媚びへつらうような最敬礼をして出口へ向かう。
その際、リーダーはリツの袖を乱暴に掴んだ。指先が二の腕に食い込み、八つ当たりのような痛みを感じる。そのまま強引に連れ出されそうになった、その時だった。
「待て。――リツ、お前は残れ」
リーダーの足が止まる。
(まだお小言が言いたりないのか……全然良くないじゃん。まあリーダー様のヒステリーよりはマシかな)と内心で溜息をついた。
新人が心配そうにこちらを見つめながら出ていくのを見送り、
リツは少しだけ目を細めた。
扉が閉まり、司令官室には静寂が戻る。
司令と二人きりになった。
司令は机からなにかの封筒のようなものを取り出す。
デジタル化しているDAの中で、アナログな書類は珍しい。
しばらくの沈黙の後、司令は重い口を開いた。
「いい根性だな。この私をコケにするとは」
(紙の書類か……なんか嫌な予感がする)
リツはとりあえず謝ることにした。
「処分ならいつでも受ける所存です」
リコリスの命なんて安いものだ。上のさじ加減一つで簡単に潰される。
これだけ好き勝手にやってまだ生きているのは、単に悪運が強いだけなのかもしれない。
しかし、話はリツの予想しない方向へと転がっていった。
「処分か……。できるならすぐにでもしてやりたいものだな」
(……どういうことだ?)
話の流れが掴めない。リツが怪訝な顔で沈黙していると、それに業を煮やしたのか、司令がいきなり机をドン! と叩いた。
「とぼけるのもいい加減にしろ!! 私になにも言わず、**『本部への異動』**を打診したな!?」
「……は?」
「どんな手を使った!! お前ごときが本部だなんてありえないぞ!!」
リツはポカンと口を開けた。
身に覚えがないどころの話ではない。彼女にとって「本部」とは、最も行きたくない場所ナンバーワンだったのだから。
(はぁ? 本部? ありえない。なんで私があんな向上心の塊のような場所に……)
どう返答すべきか考える。
それが無言の挑発だと司令は捉えたようだ。
「だんまりか……お前はいつまで私をコケにすれば気がすむんだ!!」
司令は立派な机が割れるのではないかと思うくらい勢いよく机に拳を叩きつけた。
「……いや、勘弁してくださいよ。私がそんな事できるわけないじゃないですか」
「黙れ! ならなぜ、わざわざ本部から**『お前の指名』**が来る!? 協調性のない問題児を、本部に異動させろと言ってきているんだぞ! 裏工作でもしなければ説明がつかん!」
リツは両手を広げ、心底困ったという風に肩をすくめて見せた。
「司令、お忘れですか? 私は……」
「もういい!! お前にはうんざりだ!!」
司令は書類をリツの足元へ投げつけた。バサリ、と乾いた音が響く。
リツは無言で足元の辞令を拾い上げる。
司令は椅子に深くもたれかかり、もうこちらを見ようともしなかった。
弁解の余地はないらしい。どうやらここでの生活は終わりだ。
平穏な地方での「自由な日々」は、唐突に、そして理不尽に幕を閉じた。
リツは部屋を出ていく。もう司令に挨拶をする必要はない。
そのまま背を向け扉のノブを捻る。
扉を押すと、なにかとぶつかる感覚があった。
(……この気配、あの子か)
なにも気づかないふりをして、一度扉を閉め、もう一度開ける。
今度はなにもぶつからなかった。
***
部屋の荷物を整理する。十年間同じ部屋に居たものだから、荷物も溜まっていた。
大抵はいらないものだ。最低限の服を入れた鞄を持ち、部屋を出た。
未練がないといえばウソになる。しかし、リコリスなんてそんなものだ。
この感覚を忘れていた。
玄関に行くと、案の定新人が待ち構えていた。
「門まで送ります」
リツは新人に鞄を渡す。
二人は入り口を出た。
新人はなにも言わない。リツは痺れをきらし、口を開く。
「なにか聞きたいことがあるのかな?」
新人は一呼吸いれると、足を止めリツを見る。
「まずは栄転おめでとうございます。本部でのご活躍をお祈りしております」
「固い。ていうか、それを知っているのおかしいから。さっき言われたばっかりだよ?」
「すみません。つい気になってしまって……」
新人はやることが大胆だ。まだDAの怖さを知らない。ただただ純粋だ。
ずっとこのままでいて欲しい。そう願わずにはいられない。
「気を付けなよ? あんまり変なことすると、私みたいになっちゃうからね」
「気を付けます。……先輩? 一つ質問してもいいですか?」
「ん?」
「どうして先輩はサードなんですか?」
「え?」
「先輩のあの落ち着き、現場での判断力……とてもサードとは思えません。本当はもっと上のランクの実力があるんじゃないんですか?」
「そうなのかねぇ」
「昇格試験を受けたことは?」
「ないんじゃない? 多分、司令のお眼鏡にかなわないと受けさせてもらえないんだよ」
「……なんで他人事なんですか? もっと上の地位に立ちたいとかいう気持ちはないんですか?」
「ないなぁ……。新人ちゃんは上に上がりたいの?」
「それはもう。DAには育ててもらいましたから。上に上がって恩返しをしたいという気持ちがあります」
「そうかぁ。わたしさぁ新人ちゃん。自分の悔いのないように生きたいんだ。新しい喫茶店で見つけるとか、見たことないスイーツを食べるとか、やりたいこと山積みだし。サードだったら、いてもいなくてもいいみたいな存在だし気楽だからさ」
「新人ちゃんも考えたほうがいいよ。上に上がるっていうことは、自由が減っていくってことだから」
「わかってます。でも私は自分の自由なんてどうでもいいです。日本の平和が保てれば」
リコリスはみんなそういう風に思うらしい。だがリツにはそれがない。
他のリコリスとは根本の考え方が違うみたいだ。
「まぁそう思うよね普通。まぁ、いつかわかるよ」
門に二人はたどりつく。
リツはポケットを探り、最後の一つになっていたミルクチョコを取り出し、新人の手に握らせた。
「まぁ辛いことや嫌なことがあったらさぁ、甘いものでも食べて忘れなよ。そして時折考えてみるといいかな。自分が『DAの部品』じゃなくて『一人の人間』だってことを」
「よくわかりませんが、わかりました。チョコは溶けないうちに食べますね」
「いい心がけだ。じゃあ、また。元気でね」
新人の手には、小さなチョコと、大きな問いかけが残された。
リツはひらひらと手を振り、振り返らずに歩き出す。
その背中は、どこか晴れやかで、そして少しだけ寂しげに見えた。
こうして、春野リツの地方での生活は終わった。
向かう先は東京。リコリスたちの総本山。
そこで待ち受けるのが、更なる面倒事とも知らずに。