リオの大冒険 ~ 紋章の指輪と冥竜王ヴェルザー ~ 作:ギアっちょ
アーマータートルの残骸は、もうただの甲羅の瓦礫だった。
瘴気は消え、黒い灰だけが石畳に貼りつくように残る。
それでも――空気の奥に、まだ雷の匂いが残っている。
髪の先に、腕の産毛に、かすかな静電気がまとわりつく。
帰路についた四人は、勝利の余韻の中にいながら、どこか無言だった。
それは疲労だけではない。
勝った。
だが、勝たされた気もする。
(……“試された”。こっちの手札を)
ニックスは歩きながら、胸の奥で言葉を反芻していた。
口に出せば、不安になる。だから言わない。
参謀は、いつでもクールでいなきゃいけない。
……そんな自分に言い聞かせて、ニックスは背筋を伸ばす。
「ニックス様」
小さな声。リンスだ。
彼女は何も言わず、歩幅をほんの少しだけ合わせる。
触れない。支えすぎない。
でも、見ている。
ニックスはそれが分かって、逆に腹が立つ。
(……なんで、こいつはこう、的確に“ちょうどいい”んだよ)
リオは前を見つめながら、拳を握っていた。
雷が落ちた瞬間の感触。地面を走った熱。
剣を通じて身体がしびれるほどの――「勝てた」という実感。
(私ひとりじゃ、絶対に届かなかった)
勝ったのは自分の力だと、胸を張りたい。
でも、それを言うほど子どもでもない。
タイガの盾があった。
リンスの支えがあった。
ニックスが“場”を作った。
――そして何より、皆が私を信じた。
タイガは鎧化<アムド>を解除していた。
鎧の魔剣は、彼の背で重く息をしている。
守れた。確かに守れた。
だが、肩に残る重みは、勝利の勲章というより――課題だった。
(海波斬のキレが……鈍る)
重量があるほど、剣は“振れる”。
だが、海波斬に必要なのは力だけじゃない。
波のように、滑らかに、速く――流すこと。
今の自分は、“重さ”に引っ張られている。
(守れても、勝ち切れないなら意味がない)
そう思った瞬間、タイガはリオの横顔を見た。
彼女は、まだ若い。
それでも、剣を握る姿にはもう“王女”だけじゃない何かがある。
(殿下が海波斬を撃つ場面……近いうちに来る)
そうなった時、彼女に任せきるのは――違う。
自分がもっと強くなって、並び立たなければならない。
四人がそれぞれの思いを抱えたまま、王都の城門が見えてきた。
*
謁見の間は、思ったより静かだった。
パプニカ王――リオの父は、玉座に座り、娘の帰還を確かめるように視線を落とした。
その視線は厳しい。だが、温度がないわけではない。
国王の目だ。
そして玉座の少し下、客席に立つ男がひとり。
立ち姿に、剣士の“型”がある。
威圧ではない。だが、隙がない。
カール王国より派遣された、アバン流刀殺法の師範代。
――サー・アルバン。
タイガは彼の姿を見て、背筋が勝手に伸びた。
師範代の前では、呼吸まで見られている気がする。
王が口を開いた。
「報告せよ。――レオナハイト隊」
リオが一歩前に出て、礼を取る。
「はい。王。
王都近郊の旧街道にて、冥竜教団の仕込みとみられる瘴気の痕跡を確認。
その場でアーマータートルと交戦、撃破しました」
ざわり、と側近たちの間で小さな動揺が走る。
“アーマータートル”。硬い。厄介。
それだけで現場の苛烈さが想像できる。
ニックスが続ける。
「奴は外殻が異様に硬く、物理攻撃が通りにくい。
さらに腹部に“芯”がある。……黒い核片です。
瘴気の発生源であり、動力にもなっていました」
「黒い核片……」
王の声が低くなる。
この国にとって、“黒”はまだ終わっていないのだと、改めて思い知らされる響き。
リオが一度息を吸い、戦術の核心を報告した。
「タイガが前衛で受け止め、リンスが状態の軽減。
その間に、私が大地斬で“導線”を作り、ニックスが……」
ニックスが、わずかに口角を上げる。
「ラナリオンで雷雲を呼び寄せ、場を整えました」
側近のひとりが思わず声を漏らしかけたが、王の前で飲み込んだ。
ラナリオンは、簡単な呪文ではない。
それを“今の年齢”で運用したという事実が、空気を変える。
リオが続ける。
「……そして、ライデイン大地斬で、内側から核片を焼き切りました」
王は目を細めた。
「“ライデイン大地斬”――」
リオは少しだけ頬を赤くして、正直に言う。
「ええと……呪文そのものは、まだデインです。
ですが、ラナリオンで雷が太くなっていたため……あの瞬間は、そう呼ぶのが一番しっくり来ました」
サー・アルバンが、初めて口を開いた。
「呼び名は些事だ。勝ったなら、それが技だ」
短い一言。だが、場が締まる。
師範代の声は、余計な感情がない。だからこそ、背骨に届く。
王は頷き、次の問いを投げる。
「鎧の魔剣は機能したか」
タイガが一歩前に出た。
「はい。衝撃を受け止め、隊列を崩さずに済みました。
……ただし、弱点も明確です。金属ゆえ、雷は通る」
王は視線を落とし、重く言った。
「弱点が分かっている道具は、強い。
対策が組めるからだ」
そして、サー・アルバンがタイガを一瞥して言った。
「鎧に守られるな。鎧を使え。
守るだけでは、剣は鈍る」
タイガは言い返せない。
図星だ。
海波斬の“キレ”が鈍っていることを、師範代は言葉にしなかった。
だが、見抜かれた気がした。
(……はい)
返事は心の中でだけした。
ニックスが、最後の確認として掌を開いた。
黒い灰の中から拾った“歯”のような欠片。
小さく、鋭く、そして不気味に重い。
「これが回収物です。厳重保管が望ましい」
王は欠片を見つめ、静かに命じる。
「王家の保管庫へ。封印箱に収めよ。
……夜間の取り扱いは禁ずる」
“夜間”という言葉だけが、妙に耳に残った。
*
「……お待ちください! パプニカ王国・王立魔道学院より緊急の使者です!!」
謁見の間の扉が、勢いよく開いた。
場の空気を読まずに駆け込んできたのは、若い学院員だった。
服はちゃんと整っている。
だが表情が、明らかに「仕事が楽しい人」のそれだ。
「失礼! 失礼いたします!
えーっと……レオナハイト隊の魔法使い、ニックス様! いらっしゃいますね?!
学院の“即応支給”です!!」
ニックスが嫌な予感に目を細める。
「……なに」
学院員は、胸の前で書状と細長い箱を掲げた。
「支給品――名称、“導雷のロッド”!!
先日のラナリオン運用の報告を受け、学院評議会が『今後の現場運用は危険』と判断しまして!
反動軽減と安定化のため、貸与決定です!」
「……貸与」
「はい!貸与! 返却義務あり!
あと使用ログ提出必須です! 詠唱回数! 反動の程度! 気分!
あと無断改造・過負荷運用・分解観察は禁止です!」
ニックスの眉が、ぴくりと動いた。
「……最後、今なんて言った」
「ぶ、分解観察は禁止です!」
「俺が分解する前提で喋ってんじゃねぇ」
学院員は一瞬で姿勢を正した。
「いえ! 前例が……ええと、統計的に……!」
サー・アルバンが小さく息を吐く。
笑いではない。呆れでもない。
“現場”を知る者の、諦観に近い。
王は、場を崩さないまま言った。
「ニックス。受け取れ。
道具が増えるということは、責任が増えるということだ」
「……承知」
ニックスは箱を受け取った。
開けると、中には濃紺の金属芯に銀線が螺旋状に巻かれたロッド。
先端には小さな輪――コイルがついている。
手に取った瞬間、指先に微かな痺れが走った。
“流れ”が整う感触。
魔力を通すための形が、最初から完成されている。
(……ちっ。良い。悔しいくらいに)
学院員はさらに畳みかける。
「なお! 過熱の兆候が出た場合、直ちに使用を停止し――」
「分かった分かった」
ニックスが遮ると、学院員は満足げに頷いた。
「では、署名を! こちらに! あとこちらにも!
あと、報告書の様式は三種類あります!」
「殺すぞ」
「ひぇっ! でも提出は必須で!」
リオが思わず口元を押さえて笑いそうになり、慌てて咳払いで誤魔化した。
タイガも、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
リンスは静かに目を伏せる。笑うと場が崩れるのを、彼女は分かっている。
王は最後に、全員を見渡して言った。
「冥竜教団は、まだ力を溜めている。
今日の敵が“試験”なら、次は“結果”を取りに来るだろう」
玉座の言葉は、重く落ちた。
「ゆえに、鍛えよ。
剣も、呪文も、心も。
勝つためではない。――守るためにだ」
リオは胸に手を当て、強く頷いた。
(海波斬。空裂斬。アバンストラッシュへ)
タイガは拳を握る。
(鎧を言い訳にしない。俺は、俺の剣を作る)
ニックスは導雷のロッドを握り直す。
(反動軽減? 結構。勝ち筋は、もっと太くしてやる)
リンスは小さく息を吸い、祈るように思った。
(支えるだけじゃない。届く力を、私も)
*
回収した欠片は、王家の封印箱に収められた。
黒い歯のようなそれは、静かに眠る。
窓の外には、今夜も月がある。
けれど、箱は開けられない。
触れてはいけない、と王が言ったからではない。
――触れたくない、と。
誰もがどこかで感じていた。
それは“ただの欠片”ではない。
まだ終わっていないものの、静かな呼吸だ。
そしてレオナハイト隊は、次の夜を知らぬまま、
それぞれの鍛錬へと散っていった。