リオの大冒険 ~ 紋章の指輪と冥竜王ヴェルザー ~ 作:ギアっちょ
夜明け前。
城の一角、誰も来ない小さな書庫の奥で、ニックスは灯りを最小限に絞っていた。
机の上にあるのは、厚い革表紙の手記。
大魔道士ポップが残した――“遺産”。
(……触れてるところを見られたら、また面倒だ)
家では「出来そこない」と言われた。
王立魔道学院でも、陰で言う奴はいる。
けれどこの手記だけは、ニックスにとって“自分の背骨”みたいなものだった。
ページの端に、不格好な付箋。
そこを開くと、走り書きが目に飛び込んでくる。
『門は“下”にできる。
夜の者は、光を嫌うくせに、光を欲しがる。
だから、光を“運ぶ”。
読むな。拾え。――生き残れ。』
「……ったく。遺産の残し方が重いんだよ、爺さん」
ニックスは舌打ちして、目だけで次の挟み物を確かめた。
薄い紙片――地下水路の粗い地図。
王都の下を走る水路が、乱暴な線で引かれている。
その端に、赤茶けたインクで丸がひとつ。
丸の横には、短いメモ。
『旧封印井(きゅうふういんせい)――月光、落ちる』
「……“落ちる”?」
ニックスは地図を指でなぞり、丸の位置を頭に刻んだ。
そのとき、扉の外で控えめな足音。
「レオナハイト隊、ニックス殿。王命です。至急、集合を」
ニックスは素早く手記を閉じ、地図片を懐にしまい込んだ。
口調だけは、いつも通り冷たく整える。
「……了解。今行く」
*
作戦室には、リオ、タイガ、リンスが揃っていた。
結界師と数名の管理官、そして顔の険しいパプニカ王――リオの父がいる。
「昨夜回収した石碑。解析の結果、次の語が出た」
結界師が羊皮紙を示す。
薄く浮かぶ文字は、確かに“鍵”。
「そして……“下”。方角記号が、王都地下水路に一致する」
王が短く言った。
「騒ぎにするな。だが、通すな。
“鍵”が地下へ届けば、封印が緩む」
リオが頷く。背筋が自然に伸びる。
「……私たちが止めます」
タイガも静かに頷いた。
「石碑は杭です。次は“本体”に触れる工程。
――鍵の搬送を止めます」
リンスはせいれいの杖を胸に抱き、息を整える。
「……浄化と支えは、私が」
ニックスは一歩前へ出た。
「地下で月光を使うなら、方法は一つ。反射だ。
……“光を運ぶ”。ポップの手記にも、そう書いてあった」
王の目が細くなる。
「手記……まだ持っているのか」
「はい。役に立ちます」
王は一拍だけ黙り、そして言った。
「なら使え。勝て。生き残れ」
その言葉が、妙に重かった。
*
夜。
王都の外れ、古い排水口から地下へ降りる。
湿った空気が、肌に貼りつく。
水滴が落ちる音が、遠くまで響く。
足元の石は滑りやすく、油断すると転ぶ。
タイガが先頭に立つ。鎧の魔剣は“鎧化”していないが、その存在感だけで暗闇を押し退ける。
リンスは杖をかすかに光らせ、瘴気の“鈍り”を薄めるように歩く。
ニックスは壁に残る古い刻印を、目だけで拾う。触れない。読まない。拾う。
(……やっぱりある)
時折、壁の石の継ぎ目に、薄い黒灰。
地上で見つかった“杭”と同じ匂いのする痕跡が、地下にも点在している。
リオは胸元のペンダントを無意識に押さえた。
(……あったかい? いや……熱い?)
月光なんて届かないはずの地下で、微弱な“反応”がある。
怖い。だが、足は止めない。
やがて、暗闇の先に淡い光が見えた。
「……あれは」
ニックスが息を殺す。
光の正体は――月光。
上部の縦穴から落ちる“月の光”が、地下にまで届いている。
だが自然に落ちているのではない。
複数の鏡面板が、月光を折り、曲げ、導いている。
まるで光の水路だ。
「反射鏡……」
リオが呟くと、ニックスが頷いた。
「……“光を運ぶ”。当たりだ」
その先で、影が動いた。
鱗に鎧、盾、槍。
――ナイトリザード。
しかも数は少なくない。三体、いや四体。
一体は鎧の作りが違う。隊長格だ。
さらに後方、ローブを被ったリザードメイジが、低い声で呪文の準備をしている。
そして中央――布に包まれた、細長い塊を運ぶ二体。
(鍵……!)
ニックスの目が細くなる。
布越しに、嫌な気配がする。
空気が、じわじわと濁る。
隊長格が唸った。
「月が満ちるまで、急げ。
“楔”が刺されば、門は息をする」
その言葉を聞いた瞬間、リオのペンダントが一段強く熱を持った。
「……っ」
リオが眉を寄せる。
タイガが小さく言った。
「殿下、今は我慢を。……行きます」
ニックスが短く指示する。
「石碑は壊すな、鍵も壊すな。
――奪う。核を抜くなら俺がやる」
リンスが杖を握り直した。
「……誰も倒れないように」
「よし」
ニックスは息を吸う。
「――今だ」
*
タイガが踏み込む。
「アムド!」
鎧の魔剣が全身鎧へ変形し、月光を跳ね返す。
ナイトリザードが盾を構えるより早く、タイガの剣がぶつかった。
ガァン!と硬い音。
盾が弾け、ナイトリザードの足が一歩滑る。
「何ッ!?」
隊長格が吠える。
「迎え撃て! 鍵を通すんだ!」
リザードメイジが腕を振る。
「マヌーサ!」
暗闇が滲み、視界が揺らぐ。
敵が二体に見えた。
だが、リンスがすぐ杖を掲げる。
「……マヌーハ」
淡い光が広がり、揺れがすっと引いた。
リオの視界が戻る。
「ありがとう、リンス!」
リンスは短く頷くだけ。
集中している顔だ。
ニックスが前へ出る。
「リオ、道を作れ。瘴気の膜を剥がせ」
「うん!」
リオは呼吸を整える。
さっきまで訓練場で積んだ感覚が、まだ手の内に残っている。
そして、前の戦いで“波”が瘴気に通る手応えも掴んだ。
(焦るな。流れろ)
リオが踏み込み、剣を走らせる。
「海波斬!!」
刃の軌跡が“波”になった。
黒い靄――瘴気の膜が、さらりと削がれる。
膜が剥がれたナイトリザードが、わずかに動きを鈍らせた。
「今――」
ニックスが手を伸ばす。
「メラミ!」
導雷のロッドの先から、凝縮した火炎が一直線に伸びた。
隊長格の鎧の継ぎ目――盾の腕を支える部位を焼き、バランスを崩す。
「ギッ……!」
隊長格がよろける。
タイガが前へ出て押し込む。
――だが、鎧の魔剣は重い。
追撃の速度が出ない。海の技が鈍る。
その隙を突いて、鍵を運ぶ二体が走り出した。
「鍵が抜けるぞ!」
タイガが叫ぶ。
「任せて!」
リオが走る。
だが、リザードメイジが低く笑い、腕を振った。
「バギ!」
風が刃になって吹き付ける。
リオの体が押し戻される。
「くっ……!」
その瞬間、リンスが一歩踏み込んだ。
「……キアリー」
杖の光がリオの周囲を撫で、瘴気による鈍りが薄れる。
風の抵抗が少しだけ軽くなった。
「いける!」
リオは踏み込み直し、剣を走らせる。
「海波斬!!」
今度の波は、狙いが違う。
鍵を壊さず、運搬役の周囲だけを削ぐ。
瘴気の膜を剥ぎ、足元の黒灰を散らし、動きを止める。
運搬役がよろけた。
ニックスが滑り込む。
「――よし。触るな。布ごとだ」
布の端を掴み、鍵を引き寄せる。
布越しでも、嫌な脈動が伝わってくる。
隊長格が吠える。
「止めろ! 楔を刺せ! 月を落とせ!」
反射鏡に、月光が走る。
光の筋が、地下の奥――古い石の扉へ落ちた。
扉に刻まれた文様が、薄く光り始める。
そして運搬役の一体が、布を剥ぎ取った。
現れたのは、楔型の“鍵”。
黒金属に、細い溝。
中心に、ほんの爪ほどの欠片が埋め込まれている。
――冥竜楔鍵。
扉が“息をする”ように、低く鳴った。
その瞬間、リオのペンダントが熱く脈打つ。
「……っ!」
胸が締め付けられる。
息が短くなる。
(……呼ばれてる?)
タイガが気づき、低く言った。
「殿下、後ろへ!」
だが、もう遅い。
冥竜楔鍵が扉へ近づいた瞬間、空気が一段濁った。
瘴気が濃くなる。鈍る。足が重い。
ニックスが舌打ちした。
「……全部止めるより、核だ」
ニックスは導雷のロッドの先端を、鍵の溝に差し込む。
熱い。脈動がある。
普通に抜けば、何かが“応える”。
ニックスは短く唱えた。
「ヒャド」
薄い氷が鍵の中心を冷やし、脈動が一瞬だけ鈍る。
「今!」
ニックスが溝の縁をこじ開け、埋め込まれた欠片を――抉り取った。
欠片が外れた瞬間、冥竜楔鍵の脈動が止まる。
扉の文様の光も、ふっと弱まった。
「なにィッ!?」
隊長格が吠え、槍を投げた。
狙いはニックス。
――避けきれない。
ニックスの足が一瞬、瘴気で鈍った。
その一瞬、リンスの光が走った。
「……マヌーハ!」
ニックスの足元の鈍りが抜ける。
槍が紙一重で外れ、石壁に突き刺さった。
ニックスは息を吐き、珍しく軽口を言わずに言う。
「……助かった」
リンスは小さく頷く。
耳が少し赤い。
タイガが隊長格を押し込み、撤退路を作る。
「殿下! 撤退です!」
リオは胸の熱を押さえながらも、剣を構え直した。
目だけは、まっすぐだ。
「……うん。帰る。欠片は持って帰る」
ニックスが欠片を布に包み、封印箱へ滑り込ませる。
触らない。読まない。拾う。
レオナハイト隊は、反射鏡の光路を断ち切るように走り抜けた。
背後で、扉が低く唸る――だが、開きはしない。
ただ、何かが“緩んだ”気配だけが残る。
*
地下水路の曲がり角。
追撃の気配が薄れた頃、闇の中から低い声が響いた。
「楔が折れたか……なら次は“血”だ」
姿は見えない。
だが確かに、そこに“上”がいる。
「“竜の末裔”の血で、門は歌う」
その言葉に、リオの胸元がまた熱を持った。
怖い。けれど、目は逸らさない。
タイガが一歩前へ出る。
「……殿下に触れるなら、まず俺を越えろ」
ニックスは、目を細めるだけで返さない。
返す言葉より、刻むべき情報がある。
(血の鍵……来るな。いや、来る。必ず)
リンスが杖を握り直し、静かに言った。
「……殿下の血は、誰にも渡しません」
その声は小さいのに、揺れなかった。
*
地上へ戻る頃、月は雲に隠れた。
王城の結界師に欠片を渡す前、ニックスは封印箱を見つめた。
ポップの手記。
“下”。
“光を運ぶ”。
“鍵”。
そして“血”。
(……爺さん。お前、どこまで見てたんだ)
ニックスは小さく息を吐き、胸の奥で手記の言葉を反芻した。
(読むな。拾え。――生き残れ)
勝った。確かに勝った。
鍵は折った。核は奪った。
でも終わっていない。
むしろ――敵は、次の段階へ上がった。
王城の灯りが見えた。
リオは歩きながら、呟く。
「……私たちも、上がる。必ず」
その声は、震えていなかった。