リオの大冒険 ~ 紋章の指輪と冥竜王ヴェルザー ~   作:ギアっちょ

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レオナハイト隊、出陣

 石造りの大広間に、低い地鳴りが響いた。

 

 ここは、テラン神殿――

 竜の騎士を祀り、世界の「異変」をいち早く察するための、古い祈りの拠点。

 

 奥の祭壇には、両腕を組んだ竜の石像が鎮座している。

 その足元に、淡く光る紋章の模様。

 

「……また、微かに揺れましたね」

 

 若い神官が、祈りの姿勢のまま顔を上げた。

 その隣に立つ白髪混じりの神官長――メル・リンス・サードが、小さく頷く。

 

「ああ。今ので、三度目だ」

 

 サードは無精ひげを撫でながら、竜像を見上げた。

 

 石の竜は、今も目を閉じたまま動かない。

 けれど、その足元の紋章は、ほんのわずかに脈動しているようにも見えた。

 

「世界規模の揺らぎ、というほどではないが……

 “何か”が、遠くで身じろぎを始めている」

 

「冥竜王ヴェルザー、でしょうか」

 

「断定するには材料が足りん。

 だが、油断してよい相手でもない」

 

 サードは目を閉じ、深く息を吸った。

 

「――さて。そろそろ、あの子にも働いてもらうとしようか」

 

「フォースを、でしょうか?」

 

「うむ。“竜の騎士の血”に直接触れることになる。

 あの子にとっても、避けては通れん試練だ」

 

 そう呟きながら、サードはパプニカ王国宛ての書状を手に取った。

 

「レオナハイトの姫君と、その仲間たち――

 “あの四人”に、最初の仕事を贈るとしよう」

 

     ◇

 

 パプニカ王城・訓練場。

 

 朝日が高く昇り始めた頃、その中央で四つの影が交錯していた。

 

「っと――リオ、足!」

 

「わっ、危なっ!」

 

 銀の木剣が、リオの足元を軽く撫でる。

 彼女は慌てて飛び退き、土煙を立てて着地した。

 

 対峙しているのは、銀の訓練用鎧をまとった青年――タイガ。

 

 アバン流の構えをとったまま、彼は真剣な眼差しでリオを見据えている。

 

「今のは悪くない踏み込みでしたが、腰が浮いていました。

 そのまま振っていたら、カウンターで逆に斬られてますよ」

 

「うぅ……わかってるけど、体がついてこないんだよねぇ」

 

 リオは頬をふくらませて木剣を握り直す。

 

 少し離れた場所では、ニックスとリンスが見守っていた。

 

「はい来た、タイガの“真面目に優しいダメ出し”タイム」

 

「でも……見てください、ニックス。

 殿下の大地斬、昨日より格段に形になってます」

 

 ニックスは肩をすくめる。

 

「そりゃそうでしょ。“勇者の血筋”だよ?

 僕なんか、基礎のメラ<火炎呪文>を覚えるだけで一ヶ月かかったのに」

 

「ニックス様は、理論や応用のセンスがおありですから。

 殿下とは得意分野が違うだけです」

 

「リンス……君、時々すごく優しい言い方で現実突き刺してくるよね?」

 

 そんな言い合いをよそに、タイガは木剣を構え直した。

 

「では、もう一度。“大地斬”から」

 

「了解。今度こそバッチリ決めてやる!」

 

 リオは深く息を吸い込み、足を開いて重心を落とす。

 

 大地に根を張るような踏ん張り。

 そこから、一直線に踏み込む――

 

「アバン流刀殺法――大地斬!!」

 

 木剣が風を裂く。

 先ほどよりも、明らかに鋭い一撃。

 

 タイガは、軽く受け止めながら頷いた。

 

「……今のは、先ほどよりずっと良かったです。

 地面を“押す”のではなく、“蹴る”感覚に近づいてきました」

 

「でしょ? ボク、ちょっとは成長してるんだよ?」

 

「はい。胸を張ってよい進歩です」

 

 そんなやり取りをしていると――

 

「リオ殿下、タイガ殿、ニックス殿、メル・リンス・フォース殿!」

 

 訓練場の入口から、近衛兵が駆け込んできた。

 

「国王陛下がお呼びです。すぐに謁見の間へ」

 

「父上が? ……わかった、すぐ行く!」

 

 汗を拭いながら、リオは木剣を納めた。

 

 タイガは軽く息を整え、鎧の砂を払う。

 

「いよいよ、ですかね」

 

「“いよいよ”って?」

 

「こうして四人で訓練を続けている以上、

 いつか正式に隊として任務を与えられる日が来るはずですから」

 

 ニックスが鼻を鳴らした。

 

「その言い方だと、なんか嫌な予感しかしないんだけど。

 どうせロクでもない任務に決まってる」

 

「そう言いながら、ニックス様が一番ワクワクしているのを私は知っていますよ?」

 

「リンス、君ほんとに観察力高いね?」

 

 そんな小競り合いをしながら、四人は謁見の間へと向かった。

 

     ◇

 

 パプニカ王城・謁見の間。

 

 赤い絨毯の先、玉座に座る国王――リオの父が、静かに彼らを見下ろしていた。

 

 その傍らには、見慣れない僧衣の人物が一人。

 白と金の神官服をまとい、胸元にはテラン神殿の紋章。

 

 メル・リンス・サード。

 テラン神殿の神官長にして、リンスの「先代」にあたる人物である。

 

「よく来た、リオ。それに、タイガ、ニックス、フォースよ」

 

 サードの声は、柔らかくもどこか重みがあった。

 

「サード!」

 

 思わず声を上げそうになったリンスは、慌てて口を押さえた。

 

「……目上の前ですよ、フォース」

 

 サードは目尻を下げて笑う。

 

「ですが、よい顔をしています。

 パプニカでの暮らしが、実りあるものだと分かって安心しました」

 

「はい。殿下たちのおかげで」

 

 リンスは小さく微笑み、リオたちの隣に並んだ。

 

 国王が立ち上がり、四人を見渡す。

 

「お前たちを呼んだのは他でもない。

 テラン神殿より、今朝このような報せが届いた」

 

 侍従が一歩進み出て、一通の書状を広げる。

 

「パプニカ近郊のテラン神殿支部、およびその周辺の村々にて――

 作物がまだらに枯れる、夜に地鳴りのような音がする、

 弱い魔物が急に凶暴化する……といった小さな異変が、

 いくつも報告されておる」

 

 国王は視線をサードに向ける。

 

「神官長殿。これは“よくある自然現象”と考えてよいのか?」

 

「……そう片付けられれば、どれほど楽か」

 

 サードはゆっくりと首を振った。

 

「竜の像の足元の紋章が、ここ数日、微かに脈打っております。

 世界規模の危機、と断ずるには早い。

 されど、“何か”が目覚めかけている気配はある」

 

 リオは思わず、胸元のペンダントに手をやった。

 竜の紋章を模した、小さな装飾品。

 

 ――あの日。

 紋章の指輪を継承した瞬間と、同じ痺れが、ふと指先に蘇る。

 

「そこでじゃ」

 

 国王の声に、リオは我に返った。

 

「これを、パプニカ軍全体で大騒ぎするほどではない。

 しかし、放置してよい話でもない。

 ゆえに――」

 

 国王の視線が、リオたち四人に向けられる。

 

「リオ・レオナハイト・パプニカ。

 タイガ。ニックス。メル・リンス・フォース。

 

 お前たち四人を小隊とし、近郊のテラン神殿支部および周辺の村に赴き、

 “異変が存在するかどうか”を確認してきてほしい」

 

「……!」

 

 リオの胸がどくんと鳴った。

 

(ついに……ボクたちが、“パーティ”として……)

 

 隣で、ニックスが小さく息を呑む。

 リンスは緊張した面持ちで、そっと胸に手を当てた。

 

 タイガは一歩進み出て、膝をつく。

 

「このタイガ、一命を賭して務めを果たす所存です。

 陛下――ただ一点、お伺いします」

 

「なんだ?」

 

「リオ殿下の“紋章の指輪”についてです」

 

 玉座の周りに、僅かなざわめきが走る。

 

 タイガは静かに続けた。

 

「もし、今回の異変が“竜の紋章”に関わるものならば――

 紋章の力が必要になる場面もあり得るのではないかと」

 

「……」

 

 国王は、一瞬だけ目を閉じた。

 

「指輪は――宝物庫から出すことはできん」

 

 きっぱりとした口調だった。

 

「リオの紋章の指輪は、この世界にとって希望であると同時に、

 冥い影にとっても“鍵”になり得る。

 その可能性がある限り、安易に外へ持ち出すことは許されぬ」

 

「……はい」

 

 タイガは素直に頭を下げる。

 

 代わって、サードが一歩出た。

 

「紋章の指輪は、神殿の観測から見ても、まだ“眠り”に近い状態です。

 完全に目覚めたわけではない。

 ならば、今動くべきは、指輪ではなく――」

 

 サードは、リオたち四人を見渡した。

 

「“未来の担い手たち”のほうでしょう」

 

 リオの胸がきゅっと締めつけられる。

 

(……“勇者の血”として、じゃなくて。

 “ボク自身”として、試されるんだ)

 

 国王は頷き、玉座の脇から一枚の巻紙を受け取った。

 

「もう一つ、決めねばならぬことがある」

 

 国王の視線が、タイガに向けられる。

 

「リオは、パプニカの王女にして、紋章の継承者だ。

 任務の途上であっても、その身を軽々しく危険にさらす決断を、

 本人に任せるわけにはいかぬ」

 

「……」

 

「ゆえに――」

 

 国王は巻紙を開き、はっきりとした声で読み上げた。

 

「カール王国の騎士、タイガ。

 そなたに、“レオナハイト隊”の実務上の指揮権を委ねる」

 

「レオナハイト……隊?」

 

「そうだ。

 リオ・レオナハイト・パプニカを中心とした小隊――

 “レオナハイト隊”として、お前たちを正式に認める」

 

 リオは思わず身を乗り出した。

 

「ちょ、ちょっと待って父上!?

 隊の名前、ボクの名字そのまま!?」

 

「不服か?」

 

「いや……不服っていうか……恥ずかしいっていうか……!」

 

 ニックスが横から小声で囁く。

 

「いいじゃん。かっこいいよ、“レオナハイト隊”。

 世間的な看板としては、これ以上ないでしょ」

 

「ニックス、他人事だと思って……!」

 

「……殿下の名前が入っているということは、それだけ陛下が期待している、ということです」

 

 リンスが微笑む。

 

「私、好きですよ。“レオナハイト隊”。

 響きも綺麗です」

 

「……うぅ」

 

 リオは頬を赤くしながら、それでも小さく頷いた。

 

「わかったよ。

 じゃあ、ボクたちは今日から、“レオナハイト隊”なんだね」

 

「はい。“レオ隊”、出陣ですね」

 

「略すなニックス!」

 

 玉座の前で、四人のやりとりに、国王とサードは目を細めた。

 

「タイガ」

 

「はっ」

 

 タイガは慎重に一歩進み出る。

 

「そなたに、この命を託す」

 

 国王は、巻紙――指揮権の委任状を、タイガに手渡した。

 

「その手でレオナハイト隊を導き、

 娘と仲間たちの命を守れ。

 竜の紋章の力に頼らずとも、“自らの力”で危機に立ち向かえるかどうか――

 それを、この目で確かめさせてくれ」

 

「……畏まりました、陛下」

 

 タイガは膝をつき、深く頭を垂れた。

 

「このタイガ。

 アバン流の剣と、この身のすべてを賭して――

 リオ殿下と隊の仲間たちをお守りします」

 

 その声は、静かでありながら、鋼のような強さを秘めていた。

 

     ◇

 

 王都を離れ、パプニカの郊外へ向かう街道。

 

 青空の下、リオたち“レオナハイト隊”四人が並んで歩いていた。

 

「いやー……」

 

 ニックスが両手を頭の後ろで組み、空を見上げる。

 

「ついにボクたち、“公式に隊”になっちゃったねぇ。

 もっとこう、こっそり練習期間が長引いてくれても良かったのに」

 

「ニックス様、顔がニヤニヤしてます」

 

「してない。……してる?」

 

「してます」

 

「リンス、観察力高すぎ問題」

 

 リオはそんな二人の会話を聞きながら、少し前を歩くタイガの背中を見つめていた。

 

 肩幅の広い、まっすぐな背中。

 歩幅も姿勢も、まさに騎士のそれだ。

 

(隊長……か)

 

 指揮権を託された瞬間、タイガの表情が一瞬固くなったのを、リオは見逃していなかった。

 

 責任を自覚した人間の、覚悟の顔。

 

「……ねぇ、タイガ」

 

「なんでしょう、殿下」

 

「隊長だからって、あんまり背負い込みすぎないでよ?」

 

 タイガは一瞬驚いたように振り返り、それから少し照れくさそうに笑った。

 

「背負わねばならない立場ですから」

 

「それでもさ。

 ボクたち、“四人で一つの隊”なんだから。

 ボクもちゃんと戦うし、ニックスもリンスもいる」

 

「殿下……」

 

「だから、変な遠慮しないで、ちゃんと“仲間”として頼ってよ。

 ボクだって、隊長の力になりたいから」

 

 タイガは、ほんの少しだけ目を伏せた。

 

「……心得ました。

 そのお言葉、ありがたく肝に銘じます」

 

 リオは満足そうに頷き、

 

「よし、じゃあ隊長」

 

「はい」

 

「道中の時間、無駄にしないためにもさ――

 海波斬、教えてよ!」

 

「……今この流れで、それですか殿下」

 

 ニックスが吹き出した。

 

「おお、殿下。さすがポジティブの権化」

 

「だって、せっかく外に出たんだもん。

 ボクも、もっと強くなりたいし!」

 

 リンスもくすりと笑う。

 

「タイガ様、観念して教えてあげてください。

 殿下、今とても良い顔をしてますから」

 

「……参りました」

 

 タイガは軽く肩をすくめ、腰の剣に手をかけた。

 

「では、歩きながらになってしまいますが。

 アバン流刀殺法・第二の扉、“海波斬”の理屈から」

 

「よっしゃ来た!」

 

 リオの目がキラキラと輝く。

 

 タイガは、空を見上げるようにして言葉を選んだ。

 

「まず、“大地斬”は、地を踏みしめ、その反力を利用して“硬いもの”を断ち切る技です。

 対して、“海波斬”は――」

 

「炎を、斬る技……だよね?」

 

「ええ。ですが、炎そのものを斬るのではありません」

 

 タイガは指を一本立てた。

 

「炎を生み出している“力の流れ”。

 それを見抜き、その“芯”を断ち切る技です」

 

「力の……流れ」

 

 リオは首をかしげる。

 

「川の流れを思い浮かべてください。

 表面の波をいくら叩いても、本流は止まらない。

 ですが、源流を塞げば、いずれ水は止まります」

 

 そう言うと、タイガは道端の草に向かって、軽く木の枝を振った。

 

 当然、何も起こらない。

 

「今のは、ただの素振りです。

 “海波斬”の型だけを真似た、意味のない一撃」

 

「え、それって……ボクの大地斬の初期バージョンじゃ……」

 

「殿下。ご自分で言われるとさすがにフォローできません」

 

 ニックスが笑いをこらえながら口を挟んだ。

 

「つまり、“見えてないものを斬る”ってことだよね。

 物理的な斬撃に、精神的なイメージを乗せる感じ」

 

「おお……さすがニックス様。

 言葉にすると分かりやすいですね」

 

「えっ、今の説明あってるの? 勢いで言ったけど」

 

 リオは両手で木の枝を握りしめた。

 

「“炎を生み出す力の流れ”……か。

 とりあえず、“燃えてる何かの心臓を斬る”ってイメージで振ってみる!」

 

「だいぶ物騒なイメージですが、方向性は間違っておりません」

 

「おお、マジか」

 

 リオは道端に立ち止まり、ひゅっと枝を振る。

 

「アバン流刀殺法――見よう見まね海波斬!」

 

 風だけが通り過ぎ、草がちょっと揺れただけだった。

 

「……はい、ただの気合い入りすぎた素振りですね」

 

「ですよねー!」

 

 四人の笑い声が、街道にこだました。

 

 その上空を、遠くから見守るように、一羽の鷹が旋回していた。

 誰も、その爪に巻き付けられた、黒い布切れの存在に気づく者はいなかった。

 

     ◇

 

 パプニカ近郊・小村ソレイル。

 

 辺り一帯に、小さな畑が広がるのどかな村――のはずだった。

 

「……これが、報告にあった“枯れ方”です」

 

 村の代表らしき男が、畑の手前で立ち止まる。

 

 そこには、まだらに枯れた作物が点在していた。

 

 完全に枯れているわけではない。

 部分的に黒ずみ、そこだけ力が抜けるように萎れている。

 

「土を変えたり、水を変えたりしたんですが……

 どうにも原因が分からなくて。

 魔物の仕業かと思って、テラン神殿支部の方に相談したんです」

 

 リンスは膝をつき、土を指でつまんだ。

 

「……少しだけ、ですが。

 “瘴気”の残り香があります」

 

「瘴気?」

 

「冥い竜の気配……と言ったほうが早いかもしれません」

 

 リオは思わず息を呑んだ。

 

「竜の……」

 

「ただ、今はもうだいぶ薄れています。

 ここ最近、何度か繰り返し“小さな波”が来ている感じです」

 

 タイガが周囲を見渡す。

 

「魔物は?」

 

「普段から森に棲みついている小物はいますが……

 最近、夜になると、森のほうから“何かの吠え声”が聞こえるとか。

 テラン神殿の神官様が、祠の様子を見に行かれたきり戻って来なくて……」

 

「その祠とやら、案内してもらえますか」

 

 タイガの言葉に、男は頷いた。

 

     ◇

 

 村から少し離れた、小さな丘の上。

 

 そこには石造りの小さな祠があり、中には竜を模した古い石像が安置されていた。

 

 しかし――その石像は、今は見当たらない。

 

「……像が、ない?」

 

「はい、本来ならここに“竜の守り像”があるはずなんですが……

 気づいたら忽然と消えていて」

 

 タイガは剣の柄に手を伸ばした。

 

「リンス殿、周囲の気配は?」

 

「……酷くはありませんが、ここが一番濃いですね。

 何かが、ここから森のほうへ移動したか――」

 

 その瞬間。

 

 森の奥から、低い唸り声が響いた。

 

「――チッ」

 

 タイガが反射的に前へ出る。

 

 木々の間から現れたのは、二足歩行のトカゲ――リザードマンだった。

 

 ただのリザードマンではない。

 

 その鱗の一部は黒く変色し、体表からはじりじりと熱気が立ち上っている。

 目は赤く濁り、口の端から煙のようなものが漏れていた。

 

「……なるほど」

 

 ニックスが小さく呟いた。

 

「冥竜の瘴気で、属性強化されたリザードマン。

 火と、闇の気配が混ざってる」

 

「こっちに来るよ!」

 

 リオが剣を抜いた。

 

 リザードマンは、彼らを認識した瞬間、迷いなく突進してきた。

 その動きは、通常の個体よりも明らかに速い。

 

「殿下、前へ出過ぎないでください。

 タイガ様、お願いします!」

 

「心得た!」

 

 タイガは一歩踏み込み、大地斬で先頭の一体を叩き伏せる。

 リオもその横から、見よう見まねの斬撃で迫る個体を牽制する。

 

「ニックス様、後方援護を」

 

「任せて。――ヒャド<凍結呪文>!」

 

 ニックスの杖から放たれた氷の針が、リザードマンの足を貫いた。

 動きが鈍る。しかし――

 

「熱っ……!」

 

 リオが思わず飛び退いた。

 

 リザードマンの体表から放たれる熱は、近づくだけで皮膚を焼くようだった。

 

「これ……普通の炎じゃない……」

 

「瘴気で増幅された炎です。

 中途半端に近づくと、こちらが炙られます」

 

 リンスが急いで防御の祈りを紡ぎ始める。

 

「守りの加護を――!」

 

 薄い光の膜が、四人を包み込んだ。

 

「……問題は、あの中央の奴だな」

 

 タイガの視線の先、他の個体より一回り大きなリザードマンがいた。

 

 その口元には、赤黒い火が渦巻いている。

 

「来るぞ――!」

 

 次の瞬間、リザードマンの喉から、灼熱の炎が吐き出された。

 

「うわっ!」

 

「きゃっ!」

 

 ニックスの防御魔法とリンスの加護がなければ、一瞬で炭になっていたかもしれない。

 

 それでも、熱風だけで前髪が焦げる。

 

「……これは、厄介ですね」

 

 タイガが歯を食いしばる。

 

「炎そのものも怖いが、問題は――」

 

「“炎を生み出してる力の流れ”、だよね?」

 

 リオが小さく呟いた。

 

 タイガは僅かに頷く。

 

「殿下。あれが、“海波斬”の真価を問われる場面です」

 

「……やってみる」

 

 リオは一歩前に出ようとした。

 だが、タイガがすぐにそれを制した。

 

「まだ、無茶はさせられません。

 まずは俺が行きます」

 

「タイガ……」

 

 タイガは深く息を吸い込んだ。

 

(初任務。

 隊長としての初陣――ここで、情けない姿は見せられない)

 

 大地斬の構え。

 踏み込み。

 海波斬で炎を裂き、

 最後に――

 

「アバン流刀殺法――アバンストラッシュ!!」

 

 鋭い光が、空気を裂いた。

 

 一筋の光の刃が、炎の奔流を切り裂きながら突き進む。

 リザードマンの胸元を掠め――背後の岩を深く抉った。

 

 だが。

 

「……ッ!」

 

 手応えが、足りない。

 

 リザードマンは、肩口から血を流しながらも、まだ立っていた。

 

 次の瞬間、反撃の炎が噴き上がる。

 

「タイガ!」

 

 炎の爆風に巻き込まれ、タイガの体が宙に浮いた。

 

「ぐあっ――!」

 

 岩に叩きつけられ、地面に転がる。

 

「タイガ様!」

 

「結界――間に合えっ!」

 

 ニックスの放った防御魔法が、辛うじて追撃を防いだ。

 だが、タイガはしばらく立ち上がれそうにもない。

 

(外した……)

 

 視界がぐらぐらと揺れる中で、タイガは奥歯を噛み締めた。

 

(“形”は合っていた。

 教本どおりの構え、教えられた通りの軌道――

 それでも、届かなかった)

 

「……タイガ!」

 

 リオが叫んだ。

 

 リザードマンの赤い目が、じろりと動く。

 狙いが、少し後方にいるリンスに移った。

 

「っ……!」

 

 リンスは一歩下がる。

 ニックスが慌てて前に出て、杖を構えた。

 

「やば。完全に“支援役から潰す”気だコイツ」

 

「ニックス様、下がって――」

 

「下がったら、きっと次は君が狙われるよ、リンス。

 僕が持つ。結界、もう一枚――!」

 

 再び炎が渦巻く。

 

 さっきよりも、明らかに濃い。

 

(このままじゃ――)

 

 その瞬間だった。

 

 リオの胸元で、ペンダントが、かすかに光った。

 

「……っ!」

 

 熱とも冷たさともつかない痺れが、胸から腕へと走る。

 

(なに、これ……)

 

 瞳の奥に、炎の“流れ”が見えた気がした。

 

 ただ燃え上がる炎ではない。

 リザードマンの胸の奥、どす黒い瘴気の塊から、

 渦を巻いて噴き出している“芯”の部分。

 

(炎そのものじゃない。

 炎を生み出してる“力の流れ”――)

 

 タイガの声が、頭の中で蘇る。

 

『源流を断てば、いずれ水は止まる』

 

(なら――“源”を斬ればいいんだ!)

 

 足が、勝手に前へ出ていた。

 

「リオ!?」

 

「殿下、危険です!」

 

 ニックスとリンスの声が飛ぶ。

 

 それでもリオは止まらなかった。

 

(怖い。怖いよ。でも――)

 

 背後には、仲間がいる。

 タイガが守ろうとして傷ついた仲間たちが。

 

(ここで下がったら、“勇者の子孫”失格だ!)

 

 ペンダントの光が、腕に、剣に、僅かに伝わる。

 

「ボクは――」

 

 リオは、剣を構えた。

 

「誰も、焼かせない!!」

 

 踏み込み。

 大地斬で鍛えた足が、地を強く蹴る。

 

「アバン流刀殺法――」

 

 炎の芯。

 瘴気の渦。

 それらをまとめて断ち切るイメージ。

 

「海波斬ッ!!」

 

 剣が、弧を描いた。

 

 炎が、左右に割れる。

 

 その中心――リザードマンの胸元に、一直線の光が走った。

 

「ギィ――――ッ!!」

 

 悲鳴を上げ、炎がふっと消える。

 黒ずんだ鱗がひび割れ、内側からどす黒い蒸気が噴き出した。

 

 リザードマンの体が、ぐらりと揺れ――

 

 ドサリ、と地面に倒れ込んだ。

 

 しばらく、誰も動かなかった。

 

「……今の」

 

 最初に口を開いたのは、タイガだった。

 

 岩にもたれながら、息を荒げつつ、目を見開いている。

 

「殿下。今のは――

 紛れもなく、“海波斬”でした」

 

「え……」

 

 リオは自分の手を見つめた。

 

 震えている。

 心臓が破裂しそうなほど早く打っている。

 

「今のは……ボクも、よく分からないよ。

 ただ、“あそこを斬らなきゃ”って思ったら――」

 

 ニックスが、半ば呆れたように笑った。

 

「出ました。“よく分かんないけど出来ちゃいました”勇者の血。

 僕なんか、一つの魔法覚えるのに何ヶ月かけてると思ってるの?」

 

「ニックス様。

 今のは素直に称賛してあげてもいいと思います」

 

 リンスが優しく微笑む。

 

「殿下、さっき――海波斬を放つ瞬間。

 胸元のペンダントが、はっきりと光っていました」

 

「ペンダントが?」

 

「ええ。まるで、遠くにあるはずの“紋章の指輪”と、呼応したかのように」

 

 リオは思わず、ペンダントを握りしめた。

 

 今は、何の変哲もない金属の冷たさしか感じない。

 けれど、あの瞬間の熱は、確かにそこにあった。

 

(指輪は、城の宝物庫にあるのに――

 それでも、ボクの中の“何か”は、ちゃんと反応してるんだ)

 

 喜びと、不安が、ふしぎな形で胸の中を渦巻いた。

 

「……立てますか、タイガ様」

 

 リンスが手を差し出す。

 

「ああ。情けないが、少しだけ借りよう」

 

 タイガはリンスの手を借りて立ち上がり、リオを真っ直ぐに見つめた。

 

「殿下」

 

「な、なに?」

 

「さきほども申し上げましたが――

 今のは、紛れもなく“海波斬”でした。

 アバン流の第二の扉を、殿下は確かに叩きました」

 

「そんな大層な……

 ホントに、よく分かんないまま振っただけなんだけど」

 

「“よく分かんないまま扉を開ける”のが、天才というものです」

 

 タイガは、少しだけ悔しそうに笑った。

 

「……そして、それを見て自分を奮い立たせるのが、凡人の役目でもあります」

 

「タイガ?」

 

「いえ。独り言です」

 

 タイガは剣を鞘に収め、丘の上の祠を見上げた。

 

「ともあれ、目の前の脅威は退けました。

 村に戻って、報告と、神官の行方について聞いてみましょう」

 

 四人は頷き、小さな祠を後にした。

 その足元の石畳には、黒い瘴気の名残が、じわりと染み込んでいた。

 

     ◇

 

 パプニカ王城・謁見の間。

 

 レオナハイト隊が戻ったとき、日はすでに傾き始めていた。

 

「――以上が、今回の報告になります」

 

 タイガが一歩前に出て、簡潔に説明を終えた。

 

 リオたちはその後ろに並び、サードと国王は彼らを静かに見つめている。

 

「テラン神殿支部の神官の行方は?」

 

「残念ながら、神官様の姿はどこにも……

 ただ、森の外れで血痕と、破れた神官服が見つかりました」

 

 リンスが悲しげに目を伏せる。

 

「状況から見て、恐らく……先ほどのリザードマンに――」

 

「そうか……」

 

 サードが目を閉じ、静かに祈りの言葉を紡いだ。

 

「冥竜の瘴気は、まだ微弱とはいえ、“人の命”を奪うだけの力を持ち始めている……ということですね」

 

「はい。ですが、今のところ被害は局所的です。

 世界全体を揺るがすほどの規模ではないと思われます」

 

 ニックスが資料を広げながら補足する。

 

「“今のところは”、だけどね」

 

「ニックス、おどかさないでよ……」

 

「現実から目をそらさない程度にビビっておくのは大事だよ、殿下」

 

 国王は、四人の顔を順番に見ていった。

 

「よくやってくれた。

 今回の任務は、“合格”といってよいだろう」

 

 リオの肩の力が、ふっと抜けた。

 

(よかった……)

 

「リオ」

 

「はい、父上」

 

「お前は、紋章の指輪を持たずとも、

 十分に戦える力を持っていることを示した。

 タイガ、ニックス、フォース――お前たちもだ」

 

 国王は目を細め、続けた。

 

「レオナハイト隊。

 今後も、こうした小さな異変の調査役として、

 引き続き働いてもらうことになるだろう」

 

「「「はっ(はい)!」」」

 

「ただし――」

 

 国王の声が、少しだけ厳しくなる。

 

「今回のように、目の前の脅威に対して、

 “紋章の力”なしで立ち向かうことを前提とする。

 指輪は、当面宝物庫から出さぬ」

 

「……分かっています」

 

 リオは、しっかりと頷いた。

 

「ボク、自分の力で出来るところまでは、自分で頑張るから。

 指輪に、甘えたくないし」

 

「殿下……」

 

 リンスが横で微笑む。

 

 サードが、ゆっくりと口を開いた。

 

「リオ殿。

 竜の紋章は、決して“便利な力”ではありません。

 使えば使うほど、おそらく――冥竜の側も、それに反応を強めていくでしょう」

 

「……」

 

「だからこそ、今はまだ“眠らせておく”べき時期なのです。

 その間に、あなたがどれだけ“あなた自身の力”を育てられるか。

 それが、いずれ決定的な差となるでしょう」

 

 リオは拳を握りしめた。

 

「わかりました。

 ボク、もっと強くなる。

 “竜の騎士の血”じゃなくて――ボク自身として」

 

「うむ。期待しているよ」

 

 国王は頷き、四人を下がらせた。

 

     ◇

 

 その夜。

 

 パプニカ王城の訓練場には、ひとりの影だけが残っていた。

 

 タイガだ。

 

 昼間の戦いで受けた傷は、リンスの治癒魔法でだいぶ癒えている。

 それでも、彼はなお、木剣を握っていた。

 

 大地斬。

 海波斬。

 空裂斬。

 

 型をなぞる。

 何度も、何度も。

 

(……今日の一撃は、“先生の真似”に過ぎなかった)

 

 アバンストラッシュ。

 英雄アバンが、自らの全てを賭けて編み出した必殺の一撃。

 

 その軌跡に憧れ、必死に追いかけてきた。

 実際、ある程度は形になっている。

 今日放った技も、威力だけ見れば決して弱くはなかった。

 

 それでも――届かなかった。

 

(“形”だけなぞっても、結局この程度か)

 

 リオの海波斬が、脳裏に蘇る。

 

 ぎこちない。

 でも迷いのない一歩。

 守りたいもののために振るった一撃。

 

 それは、アバン先生の教えを受けたわけでもない、

 完全な“初見”の技だったはずなのに。

 

(殿下は、“竜の騎士”の資質がある。

 リンス殿は竜の神に仕える巫女。

 ニックス殿は、ああ見えて魔力の質は一級品だ。

 じゃあ、俺は?)

 

 アバンの流派を継ぐ誇りはある。

 選ばれたことも、偶然ではないと信じたい。

 

 それでも――

 

「……凡人の俺が、“天才の剣”をなぞっても意味がない」

 

 タイガは、自嘲気味に笑った。

 

「劣化コピーのアバンストラッシュじゃ、殿下の“竜の力”の隣には立てない」

 

 木剣を構え、足を開く。

 

 大地斬の構えから、少しずつ崩していく。

 

 足の向き。

 腰のひねり。

 肩の入り方。

 視線の高さ。

 

(アバン流は“正解”だ。

 でも、“そのまま”が俺の正解とは限らない)

 

 彼は、自分の体格、自分の癖、自分の戦い方を、一つ一つ思い返した。

 

 大地を蹴る感覚。

 炎を断つイメージ。

 空を裂く感触。

 

 それらを、自分なりに混ぜ合わせていく。

 

 剣を振る。

 振って、振って、振って――

 

 ふと、腕の中に、違う軌道が生まれた。

 

 竜の牙のように一直線ではなく、

 獲物を捕らえたら決して逃さない“虎の爪”のような軌道。

 

(竜に対して、“虎”はどう斬る?)

 

 リオの背中が、脳裏に浮かぶ。

 紋章を継いだ者の、宿命の背中。

 

 その隣に、並び立つ自分の姿。

 

(竜が天から牙を振り下ろすなら――

 虎は地を蹴って、下から喉笛を食い破る)

 

 暗闇の中、虎のような影が、竜に飛びかかる光景が見えた気がした。

 

「――これだ」

 

 思わず、声に出ていた。

 

 タイガは柄を握り直し、新しい軌道で木剣を振るう。

 

 大地斬の踏み込みを土台に、

 海波斬の“流れを断つ”感覚を重ね、

 空裂斬の“空間を裂く”要素を少しだけ混ぜ込む。

 

 竜の牙をなぞるのではない。

 虎の爪として振るう、一太刀。

 

(アバン先生の切っ先と、殿下の竜の紋章。

 そのどちらにも“食らいつける”一撃を――)

 

 夜風が、剣の軌跡を撫でていく。

 

 まだ名前もない、試行錯誤の一撃。

 

 けれど、その原型が、いつの日か――

 

 竜と並び立つ虎の必殺剣、

 **『虎皇斬』**と呼ばれるようになることを、

 このときのタイガはまだ知らない。

 

     ◇

 

 一方その頃――

 

 パプニカから遠く離れた、地下の洞窟。

 

 薄暗い空間の中心に、黒い石柱が立っていた。

 その表面には、竜の鱗のような紋様が刻まれている。

 

 石柱の前に、フードを被った影が数人、ひざまずいていた。

 

「……また、一つ“器”が壊れたか」

 

 中央に立つ影が、低く呟く。

 

「はい。ですが――」

 

 ひざまずいた一人が、うっすら笑った。

 

「最後の咆哮は、確かに村を震わせました。

 あの程度の瘴気で、あそこまでの力を引き出せるとは」

 

「冥竜王様の“破片”は、小さくとも偉大だということだ」

 

 中央の影は、石柱に手を当てた。

 

 黒い石柱の内部で、何かが、ドクン、と脈打つ。

 

「封印は、まだ厚い。

 だが――」

 

 石柱の表面に、細いひびが一本、走った。

 

「“竜の紋章”も、“竜の血”も――動き始めた」

 

 フードの奥で、目が赤く光った。

 

「我ら冥竜教団が、その全てを“冥竜王の糧”とする日も、そう遠くはあるまい」

 

 石柱のもっと奥。

 誰も知らない、さらに深い闇の底で。

 

 石と化した巨大な竜の姿が、静かに眠っていた。

 

 閉じられていたはずの瞼の裏で、

 燃えるような紅い光が、ほんの僅かに揺らめく。

 

(――まだ、眠っていろ)

 

 低い声が、闇の中で囁いた。

 

(この世界の匂いを、もう少し味わってからでも遅くはない)

 

 冥竜王ヴェルザーの嗤い声が、

 誰にも届かない深淵へと、静かに沈んでいった。

 

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