リオの大冒険 ~ 紋章の指輪と冥竜王ヴェルザー ~ 作:ギアっちょ
石造りの大広間に、低い地鳴りが響いた。
ここは、テラン神殿――
竜の騎士を祀り、世界の「異変」をいち早く察するための、古い祈りの拠点。
奥の祭壇には、両腕を組んだ竜の石像が鎮座している。
その足元に、淡く光る紋章の模様。
「……また、微かに揺れましたね」
若い神官が、祈りの姿勢のまま顔を上げた。
その隣に立つ白髪混じりの神官長――メル・リンス・サードが、小さく頷く。
「ああ。今ので、三度目だ」
サードは無精ひげを撫でながら、竜像を見上げた。
石の竜は、今も目を閉じたまま動かない。
けれど、その足元の紋章は、ほんのわずかに脈動しているようにも見えた。
「世界規模の揺らぎ、というほどではないが……
“何か”が、遠くで身じろぎを始めている」
「冥竜王ヴェルザー、でしょうか」
「断定するには材料が足りん。
だが、油断してよい相手でもない」
サードは目を閉じ、深く息を吸った。
「――さて。そろそろ、あの子にも働いてもらうとしようか」
「フォースを、でしょうか?」
「うむ。“竜の騎士の血”に直接触れることになる。
あの子にとっても、避けては通れん試練だ」
そう呟きながら、サードはパプニカ王国宛ての書状を手に取った。
「レオナハイトの姫君と、その仲間たち――
“あの四人”に、最初の仕事を贈るとしよう」
◇
パプニカ王城・訓練場。
朝日が高く昇り始めた頃、その中央で四つの影が交錯していた。
「っと――リオ、足!」
「わっ、危なっ!」
銀の木剣が、リオの足元を軽く撫でる。
彼女は慌てて飛び退き、土煙を立てて着地した。
対峙しているのは、銀の訓練用鎧をまとった青年――タイガ。
アバン流の構えをとったまま、彼は真剣な眼差しでリオを見据えている。
「今のは悪くない踏み込みでしたが、腰が浮いていました。
そのまま振っていたら、カウンターで逆に斬られてますよ」
「うぅ……わかってるけど、体がついてこないんだよねぇ」
リオは頬をふくらませて木剣を握り直す。
少し離れた場所では、ニックスとリンスが見守っていた。
「はい来た、タイガの“真面目に優しいダメ出し”タイム」
「でも……見てください、ニックス。
殿下の大地斬、昨日より格段に形になってます」
ニックスは肩をすくめる。
「そりゃそうでしょ。“勇者の血筋”だよ?
僕なんか、基礎のメラ<火炎呪文>を覚えるだけで一ヶ月かかったのに」
「ニックス様は、理論や応用のセンスがおありですから。
殿下とは得意分野が違うだけです」
「リンス……君、時々すごく優しい言い方で現実突き刺してくるよね?」
そんな言い合いをよそに、タイガは木剣を構え直した。
「では、もう一度。“大地斬”から」
「了解。今度こそバッチリ決めてやる!」
リオは深く息を吸い込み、足を開いて重心を落とす。
大地に根を張るような踏ん張り。
そこから、一直線に踏み込む――
「アバン流刀殺法――大地斬!!」
木剣が風を裂く。
先ほどよりも、明らかに鋭い一撃。
タイガは、軽く受け止めながら頷いた。
「……今のは、先ほどよりずっと良かったです。
地面を“押す”のではなく、“蹴る”感覚に近づいてきました」
「でしょ? ボク、ちょっとは成長してるんだよ?」
「はい。胸を張ってよい進歩です」
そんなやり取りをしていると――
「リオ殿下、タイガ殿、ニックス殿、メル・リンス・フォース殿!」
訓練場の入口から、近衛兵が駆け込んできた。
「国王陛下がお呼びです。すぐに謁見の間へ」
「父上が? ……わかった、すぐ行く!」
汗を拭いながら、リオは木剣を納めた。
タイガは軽く息を整え、鎧の砂を払う。
「いよいよ、ですかね」
「“いよいよ”って?」
「こうして四人で訓練を続けている以上、
いつか正式に隊として任務を与えられる日が来るはずですから」
ニックスが鼻を鳴らした。
「その言い方だと、なんか嫌な予感しかしないんだけど。
どうせロクでもない任務に決まってる」
「そう言いながら、ニックス様が一番ワクワクしているのを私は知っていますよ?」
「リンス、君ほんとに観察力高いね?」
そんな小競り合いをしながら、四人は謁見の間へと向かった。
◇
パプニカ王城・謁見の間。
赤い絨毯の先、玉座に座る国王――リオの父が、静かに彼らを見下ろしていた。
その傍らには、見慣れない僧衣の人物が一人。
白と金の神官服をまとい、胸元にはテラン神殿の紋章。
メル・リンス・サード。
テラン神殿の神官長にして、リンスの「先代」にあたる人物である。
「よく来た、リオ。それに、タイガ、ニックス、フォースよ」
サードの声は、柔らかくもどこか重みがあった。
「サード!」
思わず声を上げそうになったリンスは、慌てて口を押さえた。
「……目上の前ですよ、フォース」
サードは目尻を下げて笑う。
「ですが、よい顔をしています。
パプニカでの暮らしが、実りあるものだと分かって安心しました」
「はい。殿下たちのおかげで」
リンスは小さく微笑み、リオたちの隣に並んだ。
国王が立ち上がり、四人を見渡す。
「お前たちを呼んだのは他でもない。
テラン神殿より、今朝このような報せが届いた」
侍従が一歩進み出て、一通の書状を広げる。
「パプニカ近郊のテラン神殿支部、およびその周辺の村々にて――
作物がまだらに枯れる、夜に地鳴りのような音がする、
弱い魔物が急に凶暴化する……といった小さな異変が、
いくつも報告されておる」
国王は視線をサードに向ける。
「神官長殿。これは“よくある自然現象”と考えてよいのか?」
「……そう片付けられれば、どれほど楽か」
サードはゆっくりと首を振った。
「竜の像の足元の紋章が、ここ数日、微かに脈打っております。
世界規模の危機、と断ずるには早い。
されど、“何か”が目覚めかけている気配はある」
リオは思わず、胸元のペンダントに手をやった。
竜の紋章を模した、小さな装飾品。
――あの日。
紋章の指輪を継承した瞬間と、同じ痺れが、ふと指先に蘇る。
「そこでじゃ」
国王の声に、リオは我に返った。
「これを、パプニカ軍全体で大騒ぎするほどではない。
しかし、放置してよい話でもない。
ゆえに――」
国王の視線が、リオたち四人に向けられる。
「リオ・レオナハイト・パプニカ。
タイガ。ニックス。メル・リンス・フォース。
お前たち四人を小隊とし、近郊のテラン神殿支部および周辺の村に赴き、
“異変が存在するかどうか”を確認してきてほしい」
「……!」
リオの胸がどくんと鳴った。
(ついに……ボクたちが、“パーティ”として……)
隣で、ニックスが小さく息を呑む。
リンスは緊張した面持ちで、そっと胸に手を当てた。
タイガは一歩進み出て、膝をつく。
「このタイガ、一命を賭して務めを果たす所存です。
陛下――ただ一点、お伺いします」
「なんだ?」
「リオ殿下の“紋章の指輪”についてです」
玉座の周りに、僅かなざわめきが走る。
タイガは静かに続けた。
「もし、今回の異変が“竜の紋章”に関わるものならば――
紋章の力が必要になる場面もあり得るのではないかと」
「……」
国王は、一瞬だけ目を閉じた。
「指輪は――宝物庫から出すことはできん」
きっぱりとした口調だった。
「リオの紋章の指輪は、この世界にとって希望であると同時に、
冥い影にとっても“鍵”になり得る。
その可能性がある限り、安易に外へ持ち出すことは許されぬ」
「……はい」
タイガは素直に頭を下げる。
代わって、サードが一歩出た。
「紋章の指輪は、神殿の観測から見ても、まだ“眠り”に近い状態です。
完全に目覚めたわけではない。
ならば、今動くべきは、指輪ではなく――」
サードは、リオたち四人を見渡した。
「“未来の担い手たち”のほうでしょう」
リオの胸がきゅっと締めつけられる。
(……“勇者の血”として、じゃなくて。
“ボク自身”として、試されるんだ)
国王は頷き、玉座の脇から一枚の巻紙を受け取った。
「もう一つ、決めねばならぬことがある」
国王の視線が、タイガに向けられる。
「リオは、パプニカの王女にして、紋章の継承者だ。
任務の途上であっても、その身を軽々しく危険にさらす決断を、
本人に任せるわけにはいかぬ」
「……」
「ゆえに――」
国王は巻紙を開き、はっきりとした声で読み上げた。
「カール王国の騎士、タイガ。
そなたに、“レオナハイト隊”の実務上の指揮権を委ねる」
「レオナハイト……隊?」
「そうだ。
リオ・レオナハイト・パプニカを中心とした小隊――
“レオナハイト隊”として、お前たちを正式に認める」
リオは思わず身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと待って父上!?
隊の名前、ボクの名字そのまま!?」
「不服か?」
「いや……不服っていうか……恥ずかしいっていうか……!」
ニックスが横から小声で囁く。
「いいじゃん。かっこいいよ、“レオナハイト隊”。
世間的な看板としては、これ以上ないでしょ」
「ニックス、他人事だと思って……!」
「……殿下の名前が入っているということは、それだけ陛下が期待している、ということです」
リンスが微笑む。
「私、好きですよ。“レオナハイト隊”。
響きも綺麗です」
「……うぅ」
リオは頬を赤くしながら、それでも小さく頷いた。
「わかったよ。
じゃあ、ボクたちは今日から、“レオナハイト隊”なんだね」
「はい。“レオ隊”、出陣ですね」
「略すなニックス!」
玉座の前で、四人のやりとりに、国王とサードは目を細めた。
「タイガ」
「はっ」
タイガは慎重に一歩進み出る。
「そなたに、この命を託す」
国王は、巻紙――指揮権の委任状を、タイガに手渡した。
「その手でレオナハイト隊を導き、
娘と仲間たちの命を守れ。
竜の紋章の力に頼らずとも、“自らの力”で危機に立ち向かえるかどうか――
それを、この目で確かめさせてくれ」
「……畏まりました、陛下」
タイガは膝をつき、深く頭を垂れた。
「このタイガ。
アバン流の剣と、この身のすべてを賭して――
リオ殿下と隊の仲間たちをお守りします」
その声は、静かでありながら、鋼のような強さを秘めていた。
◇
王都を離れ、パプニカの郊外へ向かう街道。
青空の下、リオたち“レオナハイト隊”四人が並んで歩いていた。
「いやー……」
ニックスが両手を頭の後ろで組み、空を見上げる。
「ついにボクたち、“公式に隊”になっちゃったねぇ。
もっとこう、こっそり練習期間が長引いてくれても良かったのに」
「ニックス様、顔がニヤニヤしてます」
「してない。……してる?」
「してます」
「リンス、観察力高すぎ問題」
リオはそんな二人の会話を聞きながら、少し前を歩くタイガの背中を見つめていた。
肩幅の広い、まっすぐな背中。
歩幅も姿勢も、まさに騎士のそれだ。
(隊長……か)
指揮権を託された瞬間、タイガの表情が一瞬固くなったのを、リオは見逃していなかった。
責任を自覚した人間の、覚悟の顔。
「……ねぇ、タイガ」
「なんでしょう、殿下」
「隊長だからって、あんまり背負い込みすぎないでよ?」
タイガは一瞬驚いたように振り返り、それから少し照れくさそうに笑った。
「背負わねばならない立場ですから」
「それでもさ。
ボクたち、“四人で一つの隊”なんだから。
ボクもちゃんと戦うし、ニックスもリンスもいる」
「殿下……」
「だから、変な遠慮しないで、ちゃんと“仲間”として頼ってよ。
ボクだって、隊長の力になりたいから」
タイガは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「……心得ました。
そのお言葉、ありがたく肝に銘じます」
リオは満足そうに頷き、
「よし、じゃあ隊長」
「はい」
「道中の時間、無駄にしないためにもさ――
海波斬、教えてよ!」
「……今この流れで、それですか殿下」
ニックスが吹き出した。
「おお、殿下。さすがポジティブの権化」
「だって、せっかく外に出たんだもん。
ボクも、もっと強くなりたいし!」
リンスもくすりと笑う。
「タイガ様、観念して教えてあげてください。
殿下、今とても良い顔をしてますから」
「……参りました」
タイガは軽く肩をすくめ、腰の剣に手をかけた。
「では、歩きながらになってしまいますが。
アバン流刀殺法・第二の扉、“海波斬”の理屈から」
「よっしゃ来た!」
リオの目がキラキラと輝く。
タイガは、空を見上げるようにして言葉を選んだ。
「まず、“大地斬”は、地を踏みしめ、その反力を利用して“硬いもの”を断ち切る技です。
対して、“海波斬”は――」
「炎を、斬る技……だよね?」
「ええ。ですが、炎そのものを斬るのではありません」
タイガは指を一本立てた。
「炎を生み出している“力の流れ”。
それを見抜き、その“芯”を断ち切る技です」
「力の……流れ」
リオは首をかしげる。
「川の流れを思い浮かべてください。
表面の波をいくら叩いても、本流は止まらない。
ですが、源流を塞げば、いずれ水は止まります」
そう言うと、タイガは道端の草に向かって、軽く木の枝を振った。
当然、何も起こらない。
「今のは、ただの素振りです。
“海波斬”の型だけを真似た、意味のない一撃」
「え、それって……ボクの大地斬の初期バージョンじゃ……」
「殿下。ご自分で言われるとさすがにフォローできません」
ニックスが笑いをこらえながら口を挟んだ。
「つまり、“見えてないものを斬る”ってことだよね。
物理的な斬撃に、精神的なイメージを乗せる感じ」
「おお……さすがニックス様。
言葉にすると分かりやすいですね」
「えっ、今の説明あってるの? 勢いで言ったけど」
リオは両手で木の枝を握りしめた。
「“炎を生み出す力の流れ”……か。
とりあえず、“燃えてる何かの心臓を斬る”ってイメージで振ってみる!」
「だいぶ物騒なイメージですが、方向性は間違っておりません」
「おお、マジか」
リオは道端に立ち止まり、ひゅっと枝を振る。
「アバン流刀殺法――見よう見まね海波斬!」
風だけが通り過ぎ、草がちょっと揺れただけだった。
「……はい、ただの気合い入りすぎた素振りですね」
「ですよねー!」
四人の笑い声が、街道にこだました。
その上空を、遠くから見守るように、一羽の鷹が旋回していた。
誰も、その爪に巻き付けられた、黒い布切れの存在に気づく者はいなかった。
◇
パプニカ近郊・小村ソレイル。
辺り一帯に、小さな畑が広がるのどかな村――のはずだった。
「……これが、報告にあった“枯れ方”です」
村の代表らしき男が、畑の手前で立ち止まる。
そこには、まだらに枯れた作物が点在していた。
完全に枯れているわけではない。
部分的に黒ずみ、そこだけ力が抜けるように萎れている。
「土を変えたり、水を変えたりしたんですが……
どうにも原因が分からなくて。
魔物の仕業かと思って、テラン神殿支部の方に相談したんです」
リンスは膝をつき、土を指でつまんだ。
「……少しだけ、ですが。
“瘴気”の残り香があります」
「瘴気?」
「冥い竜の気配……と言ったほうが早いかもしれません」
リオは思わず息を呑んだ。
「竜の……」
「ただ、今はもうだいぶ薄れています。
ここ最近、何度か繰り返し“小さな波”が来ている感じです」
タイガが周囲を見渡す。
「魔物は?」
「普段から森に棲みついている小物はいますが……
最近、夜になると、森のほうから“何かの吠え声”が聞こえるとか。
テラン神殿の神官様が、祠の様子を見に行かれたきり戻って来なくて……」
「その祠とやら、案内してもらえますか」
タイガの言葉に、男は頷いた。
◇
村から少し離れた、小さな丘の上。
そこには石造りの小さな祠があり、中には竜を模した古い石像が安置されていた。
しかし――その石像は、今は見当たらない。
「……像が、ない?」
「はい、本来ならここに“竜の守り像”があるはずなんですが……
気づいたら忽然と消えていて」
タイガは剣の柄に手を伸ばした。
「リンス殿、周囲の気配は?」
「……酷くはありませんが、ここが一番濃いですね。
何かが、ここから森のほうへ移動したか――」
その瞬間。
森の奥から、低い唸り声が響いた。
「――チッ」
タイガが反射的に前へ出る。
木々の間から現れたのは、二足歩行のトカゲ――リザードマンだった。
ただのリザードマンではない。
その鱗の一部は黒く変色し、体表からはじりじりと熱気が立ち上っている。
目は赤く濁り、口の端から煙のようなものが漏れていた。
「……なるほど」
ニックスが小さく呟いた。
「冥竜の瘴気で、属性強化されたリザードマン。
火と、闇の気配が混ざってる」
「こっちに来るよ!」
リオが剣を抜いた。
リザードマンは、彼らを認識した瞬間、迷いなく突進してきた。
その動きは、通常の個体よりも明らかに速い。
「殿下、前へ出過ぎないでください。
タイガ様、お願いします!」
「心得た!」
タイガは一歩踏み込み、大地斬で先頭の一体を叩き伏せる。
リオもその横から、見よう見まねの斬撃で迫る個体を牽制する。
「ニックス様、後方援護を」
「任せて。――ヒャド<凍結呪文>!」
ニックスの杖から放たれた氷の針が、リザードマンの足を貫いた。
動きが鈍る。しかし――
「熱っ……!」
リオが思わず飛び退いた。
リザードマンの体表から放たれる熱は、近づくだけで皮膚を焼くようだった。
「これ……普通の炎じゃない……」
「瘴気で増幅された炎です。
中途半端に近づくと、こちらが炙られます」
リンスが急いで防御の祈りを紡ぎ始める。
「守りの加護を――!」
薄い光の膜が、四人を包み込んだ。
「……問題は、あの中央の奴だな」
タイガの視線の先、他の個体より一回り大きなリザードマンがいた。
その口元には、赤黒い火が渦巻いている。
「来るぞ――!」
次の瞬間、リザードマンの喉から、灼熱の炎が吐き出された。
「うわっ!」
「きゃっ!」
ニックスの防御魔法とリンスの加護がなければ、一瞬で炭になっていたかもしれない。
それでも、熱風だけで前髪が焦げる。
「……これは、厄介ですね」
タイガが歯を食いしばる。
「炎そのものも怖いが、問題は――」
「“炎を生み出してる力の流れ”、だよね?」
リオが小さく呟いた。
タイガは僅かに頷く。
「殿下。あれが、“海波斬”の真価を問われる場面です」
「……やってみる」
リオは一歩前に出ようとした。
だが、タイガがすぐにそれを制した。
「まだ、無茶はさせられません。
まずは俺が行きます」
「タイガ……」
タイガは深く息を吸い込んだ。
(初任務。
隊長としての初陣――ここで、情けない姿は見せられない)
大地斬の構え。
踏み込み。
海波斬で炎を裂き、
最後に――
「アバン流刀殺法――アバンストラッシュ!!」
鋭い光が、空気を裂いた。
一筋の光の刃が、炎の奔流を切り裂きながら突き進む。
リザードマンの胸元を掠め――背後の岩を深く抉った。
だが。
「……ッ!」
手応えが、足りない。
リザードマンは、肩口から血を流しながらも、まだ立っていた。
次の瞬間、反撃の炎が噴き上がる。
「タイガ!」
炎の爆風に巻き込まれ、タイガの体が宙に浮いた。
「ぐあっ――!」
岩に叩きつけられ、地面に転がる。
「タイガ様!」
「結界――間に合えっ!」
ニックスの放った防御魔法が、辛うじて追撃を防いだ。
だが、タイガはしばらく立ち上がれそうにもない。
(外した……)
視界がぐらぐらと揺れる中で、タイガは奥歯を噛み締めた。
(“形”は合っていた。
教本どおりの構え、教えられた通りの軌道――
それでも、届かなかった)
「……タイガ!」
リオが叫んだ。
リザードマンの赤い目が、じろりと動く。
狙いが、少し後方にいるリンスに移った。
「っ……!」
リンスは一歩下がる。
ニックスが慌てて前に出て、杖を構えた。
「やば。完全に“支援役から潰す”気だコイツ」
「ニックス様、下がって――」
「下がったら、きっと次は君が狙われるよ、リンス。
僕が持つ。結界、もう一枚――!」
再び炎が渦巻く。
さっきよりも、明らかに濃い。
(このままじゃ――)
その瞬間だった。
リオの胸元で、ペンダントが、かすかに光った。
「……っ!」
熱とも冷たさともつかない痺れが、胸から腕へと走る。
(なに、これ……)
瞳の奥に、炎の“流れ”が見えた気がした。
ただ燃え上がる炎ではない。
リザードマンの胸の奥、どす黒い瘴気の塊から、
渦を巻いて噴き出している“芯”の部分。
(炎そのものじゃない。
炎を生み出してる“力の流れ”――)
タイガの声が、頭の中で蘇る。
『源流を断てば、いずれ水は止まる』
(なら――“源”を斬ればいいんだ!)
足が、勝手に前へ出ていた。
「リオ!?」
「殿下、危険です!」
ニックスとリンスの声が飛ぶ。
それでもリオは止まらなかった。
(怖い。怖いよ。でも――)
背後には、仲間がいる。
タイガが守ろうとして傷ついた仲間たちが。
(ここで下がったら、“勇者の子孫”失格だ!)
ペンダントの光が、腕に、剣に、僅かに伝わる。
「ボクは――」
リオは、剣を構えた。
「誰も、焼かせない!!」
踏み込み。
大地斬で鍛えた足が、地を強く蹴る。
「アバン流刀殺法――」
炎の芯。
瘴気の渦。
それらをまとめて断ち切るイメージ。
「海波斬ッ!!」
剣が、弧を描いた。
炎が、左右に割れる。
その中心――リザードマンの胸元に、一直線の光が走った。
「ギィ――――ッ!!」
悲鳴を上げ、炎がふっと消える。
黒ずんだ鱗がひび割れ、内側からどす黒い蒸気が噴き出した。
リザードマンの体が、ぐらりと揺れ――
ドサリ、と地面に倒れ込んだ。
しばらく、誰も動かなかった。
「……今の」
最初に口を開いたのは、タイガだった。
岩にもたれながら、息を荒げつつ、目を見開いている。
「殿下。今のは――
紛れもなく、“海波斬”でした」
「え……」
リオは自分の手を見つめた。
震えている。
心臓が破裂しそうなほど早く打っている。
「今のは……ボクも、よく分からないよ。
ただ、“あそこを斬らなきゃ”って思ったら――」
ニックスが、半ば呆れたように笑った。
「出ました。“よく分かんないけど出来ちゃいました”勇者の血。
僕なんか、一つの魔法覚えるのに何ヶ月かけてると思ってるの?」
「ニックス様。
今のは素直に称賛してあげてもいいと思います」
リンスが優しく微笑む。
「殿下、さっき――海波斬を放つ瞬間。
胸元のペンダントが、はっきりと光っていました」
「ペンダントが?」
「ええ。まるで、遠くにあるはずの“紋章の指輪”と、呼応したかのように」
リオは思わず、ペンダントを握りしめた。
今は、何の変哲もない金属の冷たさしか感じない。
けれど、あの瞬間の熱は、確かにそこにあった。
(指輪は、城の宝物庫にあるのに――
それでも、ボクの中の“何か”は、ちゃんと反応してるんだ)
喜びと、不安が、ふしぎな形で胸の中を渦巻いた。
「……立てますか、タイガ様」
リンスが手を差し出す。
「ああ。情けないが、少しだけ借りよう」
タイガはリンスの手を借りて立ち上がり、リオを真っ直ぐに見つめた。
「殿下」
「な、なに?」
「さきほども申し上げましたが――
今のは、紛れもなく“海波斬”でした。
アバン流の第二の扉を、殿下は確かに叩きました」
「そんな大層な……
ホントに、よく分かんないまま振っただけなんだけど」
「“よく分かんないまま扉を開ける”のが、天才というものです」
タイガは、少しだけ悔しそうに笑った。
「……そして、それを見て自分を奮い立たせるのが、凡人の役目でもあります」
「タイガ?」
「いえ。独り言です」
タイガは剣を鞘に収め、丘の上の祠を見上げた。
「ともあれ、目の前の脅威は退けました。
村に戻って、報告と、神官の行方について聞いてみましょう」
四人は頷き、小さな祠を後にした。
その足元の石畳には、黒い瘴気の名残が、じわりと染み込んでいた。
◇
パプニカ王城・謁見の間。
レオナハイト隊が戻ったとき、日はすでに傾き始めていた。
「――以上が、今回の報告になります」
タイガが一歩前に出て、簡潔に説明を終えた。
リオたちはその後ろに並び、サードと国王は彼らを静かに見つめている。
「テラン神殿支部の神官の行方は?」
「残念ながら、神官様の姿はどこにも……
ただ、森の外れで血痕と、破れた神官服が見つかりました」
リンスが悲しげに目を伏せる。
「状況から見て、恐らく……先ほどのリザードマンに――」
「そうか……」
サードが目を閉じ、静かに祈りの言葉を紡いだ。
「冥竜の瘴気は、まだ微弱とはいえ、“人の命”を奪うだけの力を持ち始めている……ということですね」
「はい。ですが、今のところ被害は局所的です。
世界全体を揺るがすほどの規模ではないと思われます」
ニックスが資料を広げながら補足する。
「“今のところは”、だけどね」
「ニックス、おどかさないでよ……」
「現実から目をそらさない程度にビビっておくのは大事だよ、殿下」
国王は、四人の顔を順番に見ていった。
「よくやってくれた。
今回の任務は、“合格”といってよいだろう」
リオの肩の力が、ふっと抜けた。
(よかった……)
「リオ」
「はい、父上」
「お前は、紋章の指輪を持たずとも、
十分に戦える力を持っていることを示した。
タイガ、ニックス、フォース――お前たちもだ」
国王は目を細め、続けた。
「レオナハイト隊。
今後も、こうした小さな異変の調査役として、
引き続き働いてもらうことになるだろう」
「「「はっ(はい)!」」」
「ただし――」
国王の声が、少しだけ厳しくなる。
「今回のように、目の前の脅威に対して、
“紋章の力”なしで立ち向かうことを前提とする。
指輪は、当面宝物庫から出さぬ」
「……分かっています」
リオは、しっかりと頷いた。
「ボク、自分の力で出来るところまでは、自分で頑張るから。
指輪に、甘えたくないし」
「殿下……」
リンスが横で微笑む。
サードが、ゆっくりと口を開いた。
「リオ殿。
竜の紋章は、決して“便利な力”ではありません。
使えば使うほど、おそらく――冥竜の側も、それに反応を強めていくでしょう」
「……」
「だからこそ、今はまだ“眠らせておく”べき時期なのです。
その間に、あなたがどれだけ“あなた自身の力”を育てられるか。
それが、いずれ決定的な差となるでしょう」
リオは拳を握りしめた。
「わかりました。
ボク、もっと強くなる。
“竜の騎士の血”じゃなくて――ボク自身として」
「うむ。期待しているよ」
国王は頷き、四人を下がらせた。
◇
その夜。
パプニカ王城の訓練場には、ひとりの影だけが残っていた。
タイガだ。
昼間の戦いで受けた傷は、リンスの治癒魔法でだいぶ癒えている。
それでも、彼はなお、木剣を握っていた。
大地斬。
海波斬。
空裂斬。
型をなぞる。
何度も、何度も。
(……今日の一撃は、“先生の真似”に過ぎなかった)
アバンストラッシュ。
英雄アバンが、自らの全てを賭けて編み出した必殺の一撃。
その軌跡に憧れ、必死に追いかけてきた。
実際、ある程度は形になっている。
今日放った技も、威力だけ見れば決して弱くはなかった。
それでも――届かなかった。
(“形”だけなぞっても、結局この程度か)
リオの海波斬が、脳裏に蘇る。
ぎこちない。
でも迷いのない一歩。
守りたいもののために振るった一撃。
それは、アバン先生の教えを受けたわけでもない、
完全な“初見”の技だったはずなのに。
(殿下は、“竜の騎士”の資質がある。
リンス殿は竜の神に仕える巫女。
ニックス殿は、ああ見えて魔力の質は一級品だ。
じゃあ、俺は?)
アバンの流派を継ぐ誇りはある。
選ばれたことも、偶然ではないと信じたい。
それでも――
「……凡人の俺が、“天才の剣”をなぞっても意味がない」
タイガは、自嘲気味に笑った。
「劣化コピーのアバンストラッシュじゃ、殿下の“竜の力”の隣には立てない」
木剣を構え、足を開く。
大地斬の構えから、少しずつ崩していく。
足の向き。
腰のひねり。
肩の入り方。
視線の高さ。
(アバン流は“正解”だ。
でも、“そのまま”が俺の正解とは限らない)
彼は、自分の体格、自分の癖、自分の戦い方を、一つ一つ思い返した。
大地を蹴る感覚。
炎を断つイメージ。
空を裂く感触。
それらを、自分なりに混ぜ合わせていく。
剣を振る。
振って、振って、振って――
ふと、腕の中に、違う軌道が生まれた。
竜の牙のように一直線ではなく、
獲物を捕らえたら決して逃さない“虎の爪”のような軌道。
(竜に対して、“虎”はどう斬る?)
リオの背中が、脳裏に浮かぶ。
紋章を継いだ者の、宿命の背中。
その隣に、並び立つ自分の姿。
(竜が天から牙を振り下ろすなら――
虎は地を蹴って、下から喉笛を食い破る)
暗闇の中、虎のような影が、竜に飛びかかる光景が見えた気がした。
「――これだ」
思わず、声に出ていた。
タイガは柄を握り直し、新しい軌道で木剣を振るう。
大地斬の踏み込みを土台に、
海波斬の“流れを断つ”感覚を重ね、
空裂斬の“空間を裂く”要素を少しだけ混ぜ込む。
竜の牙をなぞるのではない。
虎の爪として振るう、一太刀。
(アバン先生の切っ先と、殿下の竜の紋章。
そのどちらにも“食らいつける”一撃を――)
夜風が、剣の軌跡を撫でていく。
まだ名前もない、試行錯誤の一撃。
けれど、その原型が、いつの日か――
竜と並び立つ虎の必殺剣、
**『虎皇斬』**と呼ばれるようになることを、
このときのタイガはまだ知らない。
◇
一方その頃――
パプニカから遠く離れた、地下の洞窟。
薄暗い空間の中心に、黒い石柱が立っていた。
その表面には、竜の鱗のような紋様が刻まれている。
石柱の前に、フードを被った影が数人、ひざまずいていた。
「……また、一つ“器”が壊れたか」
中央に立つ影が、低く呟く。
「はい。ですが――」
ひざまずいた一人が、うっすら笑った。
「最後の咆哮は、確かに村を震わせました。
あの程度の瘴気で、あそこまでの力を引き出せるとは」
「冥竜王様の“破片”は、小さくとも偉大だということだ」
中央の影は、石柱に手を当てた。
黒い石柱の内部で、何かが、ドクン、と脈打つ。
「封印は、まだ厚い。
だが――」
石柱の表面に、細いひびが一本、走った。
「“竜の紋章”も、“竜の血”も――動き始めた」
フードの奥で、目が赤く光った。
「我ら冥竜教団が、その全てを“冥竜王の糧”とする日も、そう遠くはあるまい」
石柱のもっと奥。
誰も知らない、さらに深い闇の底で。
石と化した巨大な竜の姿が、静かに眠っていた。
閉じられていたはずの瞼の裏で、
燃えるような紅い光が、ほんの僅かに揺らめく。
(――まだ、眠っていろ)
低い声が、闇の中で囁いた。
(この世界の匂いを、もう少し味わってからでも遅くはない)
冥竜王ヴェルザーの嗤い声が、
誰にも届かない深淵へと、静かに沈んでいった。