リオの大冒険 ~ 紋章の指輪と冥竜王ヴェルザー ~ 作:ギアっちょ
……朝から胃が重い。
いや、正確に言うなら――朝じゃなくても、胃は常に重い。
パプニカ王都の空は今日も晴れている。城の中庭では衛兵が整列し、遠くでは訓練の掛け声が聞こえる。平和そのものだ。
なのに、ボクの胸の中だけが、妙にざわついていた。
理由は簡単。
朝一番で届いた手紙の封蝋が、“あの家”の紋章だったからだ。
――ポップ家。
英雄“大魔道士ポップ”の血筋。
……そして、その血筋の中で「出来そこない」と呼ばれた、ボクの居場所。
封を切る前から内容が分かっている手紙ほど、嫌なものはない。
どうせ、こうだ。
“余計な問題を起こすな”
“王家近衛など身の丈に合わない”
“貴様は恥だ”
分かっているのに、指先は勝手に動く。紙の端をつまみ、封を破って――。
『……ニックス。
貴様が何を目指しているのかは知らん。
だが、英雄の名を汚すような真似だけはするな。
お前が探している“あの手記”の話も、二度と口にするな。
――家の恥さらしめ。』
……ほらね。
ボクは手紙をくしゃりと丸め、ポケットに突っ込んだ。
破り捨てるほどの熱量すら、もったいない。
(“あの手記”……ね)
ご先祖、ポップが残した私的な覚え書き。
歴史書にも載らない、英雄譚にもならない、戦いの裏側のメモ。
――黒の核晶。
――世界を吹き飛ばすほどの魔法力。
――そして、**“いつかの未来”**に向けた、保険みたいな言葉。
あれを、ボクは――読みたい。
英雄の派手な武勇伝じゃなくて、あの人が最後に残した「考え方」を拾い直したい。
だって、派手な才能がなくても。
派手な力がなくても。
人間には、人間の勝ち方があるって――あの人自身が、証明したんだから。
「ニックスー! いたいた! 朝から難しい顔してると、また怒られるよ?」
背後から、能天気な声。
振り返ると、リオ・レオナハイト・パプニカ殿下が、軽やかな足取りで近づいてきた。
王女なのに、どこか庶民的。
口調も柔らかいし、一人称が「ボク」だし、時々信じられないほど無防備だ。
でも――目だけは、ちゃんと王族のそれをしている。
「別に。いつも通りだよ」
「いつも通りって、常に不機嫌って意味?」
「殿下、言い方」
「だってそうじゃん?」
笑いながら、リオはボクの胸元を見た。
そして、くしゃくしゃになった手紙がポケットから少し覗いているのに気づいたらしい。
「……お家から?」
「まぁね。家族って面倒だよ」
「ふーん。……でも、ニックスはニックスだよ」
「それ慰めになってる?」
「なるでしょ?」
不思議と、腹は立たなかった。
リオの言葉は、軽いのに、雑じゃない。
“分かったふり”をしないで、ただ、そこに置いてくる。
そのとき、廊下の奥から規則正しい足音が近づいてきた。
「殿下。ニックス殿」
現れたのはタイガ。カール王国からの騎士留学生で、アバン流刀殺法の門下だ。
背筋がまっすぐで、姿勢だけで「礼儀」を語る男。
リオの父王――現パプニカ国王は、タイガを大層気に入っている。
いや、気に入りすぎている。
“将来はリオ殿下の婿に”とか、冗談なのか本気なのか分からない目をして言うくらいだ。
タイガが視線を落とし、リオに一礼する。
「近衛詰所より通達です。
王都近郊の魔道研究所で、魔道具の暴走が発生。研究員が数名、内部に取り残されている可能性があると」
「魔道研究所?」
「はい。小規模施設ですが、王家の認可を受けた研究所です。結界の実験も行っているとのこと」
……結界。暴走。取り残された研究員。
こういうのは、殴って解決できるタイプの問題じゃない。
タイガが、ボクを見た。
「ニックス殿。今回の件、あなたの知見が必要です。――いや、あなたが要になる」
「……買いかぶりだよ」
「買いかぶりではありません。あなたは――この隊の“頭脳”だ」
……やめてくれ。
そういう真っ直ぐな言葉、胃に刺さる。
リオが笑う。
「よーし! じゃあ行こう。レオナハイト隊、出動!」
「……その言い方、なんか“冒険”始まる感あるよね」
「始まるんだよ!」
「始まっちゃうのかぁ……」
ボクは肩をすくめた。
でも、心の底では――ちょっとだけ、嬉しかった。
“出来そこない”でも、ここでは役に立てる。
それだけで、十分だ。
*
魔道研究所は王都から馬で半日ほど。森の縁に建つ、小さな石造りの施設だった。
周囲には柵が張られ、入口には王家の認可証を示すプレートがかかっている。
……が。
そのプレートが、今は半分溶けていた。
表面を焦がしたような黒ずみ。金属が歪んでいる。
「焼けたのか……?」
リオが眉をひそめる。
「魔道具の暴走、ですか」
リンスが胸元で小さく祈る。
彼女はテラン神殿からの神官見習いで、今は王都に留学中。リオ付きの巫女ポジ――ということになっている。
“ことになっている”のが重要だ。
神殿の人間は、真名だの戒律だの、やたらと“隠す”のが好きだ。
……でも、今はそれどころじゃない。
施設の中から、かすかに唸るような音が聞こえた。
魔力が空気を震わせている。
「入る前に、確認」
ボクは足を止めて言った。
「物理でぶち壊すのは最後。できればゼロ。タイガ、斬りたくなっても我慢」
「……承知しました」
「殿下も。“竜の騎士の血”があるからって、何でも押し切れると思わないで」
「はいはい。今日は参謀殿の言うこと聞きまーす」
「リンスは、後ろ。回復の準備」
「はい。ホイミ<回復呪文>の準備はいつでも」
よし。
全員、動ける。
ボクはゆっくりと扉に手をかけ、押し開いた。
中は――妙に明るかった。
壁の魔光石が、昼間みたいに強く光っている。
そして、その光が一定の間隔で“脈打って”いた。
嫌な予感がする。
魔力の流れが、心臓みたいに拍動してる。
「……結界が生き物みたいだ」
ボクが呟くと、タイガが小さく息をのむ。
「結界の実験が、暴走しているのか……」
「暴走っていうか、誰かが“変なもの”を混ぜた可能性がある」
廊下の先に、研究員らしき男が倒れていた。
すぐにリンスが駆け寄る。
「大丈夫です! 息は……あります」
リンスが掌をかざし、そっと唱える。
「ホイミ<回復呪文>」
淡い光が男の胸に落ち、呼吸が少し整う。
……よし、生きてる。
そのとき――。
床のルーンが、ひときわ強く光った。
直後、廊下の空気が“歪む”。
「来る!」
反射的に叫んだ。
目の前に、半透明の壁が立ち上がった。
いや、壁じゃない。魔力の刃だ。
触れたら切れる。
タイガが剣に手を伸ばしかける。
「斬るな!」
「……っ!」
彼は動きを止めた。偉い。ほんとに偉い。
ボクは一歩前に出て、指先を立てた。
「メラ<火炎呪文>」
小さな火球。
……派手じゃない。英雄譚にもならない。
でも、今はそれでいい。
火球を“壁”に当てた瞬間、魔力の刃が一瞬だけ揺らいだ。
揺らいだ隙間に、ボクは続けて呪文を重ねる。
「ヒャド<凍結呪文>」
冷気が走り、魔力の刃の“流れ”が固まる。
固まった部分だけ、光が鈍る。
「今だ、抜ける!」
ボクが声をかけると、リオが真っ先に飛び出した。
タイガが続き、リンスが研究員を背負って最後に入る。
――間一髪。
背後で魔力の刃が再び活性化し、廊下の壁を削った。
石が粉になる。
ゾッとする。
「……ニックス、今の何?」
リオが息をつきながら言った。
「結界が暴走して“刃”を作っただけ。たぶん、火で揺らして氷で固めると、流れが止まる」
「その発想、どこで覚えたの?」
「……頭の中」
ボクは答えながら、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
(派手な呪文が撃てなくても、勝ち方はある)
ご先祖の手記の言葉が、脳裏に掠めた気がした。
*
研究所の奥は、実験室になっていた。
中央に大きな魔法陣。周囲に、いくつもの石碑――いや、“石柱”が配置されている。
石柱の表面には、彫り込まれた溝。
溝に沿って、黒いものが流れている。
……瘴気だ。
「冥竜教団……」
ボクが吐き捨てるように言うと、タイガが眉をひそめた。
「彼らが、ここまで?」
「たぶん、まだ“本隊”じゃない。末端の仕込みだよ。でも――」
ボクは魔法陣を見つめた。
中心に向かって、瘴気が集まるように流れている。
石柱は“集めるためのアンテナ”だ。
「これ、結界実験の増幅器に紛れ込ませてる。
研究所の魔力を“燃料”にして、瘴気を増幅するつもりだ」
リオが唇を噛む。
「……研究員さんたち、気づかなかったのかな」
「気づいてても、止められなかった可能性がある。これ、巧妙すぎる」
ボクは膝をつき、魔法陣の外周に指を沿わせた。
――刻印がある。
符号のような文字列。
(……これ、見たことある)
背筋が冷えた。
ポップの手記。
分散され、封じられ、家に残された断片。
その端に、意味不明な符丁として書かれていた文字列。
――AMATERASU。
当時、ボクはそれを「何かの呪文名」だと思った。
でも、説明はなかった。
ただ一行だけ。
『“外側の観測者”の符丁。書くと面倒が増えるから、ここではこの綴りで。』
(……冗談だろ)
この世界の魔法陣に、なぜその綴りがある?
冥竜教団が、手記の内容を“どこかから”手に入れている?
それとも……別の意味?
ボクは唾を飲み込んだ。
でも、この場で口に出すのは違う。今は――目の前の危機を止める。
「ニックス?」
リオの声で我に返った。
「……大丈夫。ちょっと嫌なものを見ただけ」
ボクは立ち上がり、全員を見渡す。
「作戦。
石柱を壊すな。壊したら瘴気が散って、研究所全体に広がる。
代わりに“流れ”を止めて、自壊させる」
「どうやって?」
タイガが問う。
ボクは指を二本立てた。
「メラで揺らして、ヒャドで固める。
それを“順番”じゃなく、“同時”にぶつける」
「同時……?」
リオが目を丸くする。
「そう。火と氷は混ざらない。混ざった瞬間に、互いを消す。
だから、流れの中心にぶつければ――魔力ごと、瘴気の通り道ごと、消える」
言いながら、胸の奥が少し痛くなる。
これが、あの手記の“外側”だ。
もっと奥に、もっと危険な形があることも……分かっている。
リンスが一歩前に出た。
「私にできることは?」
「結界を薄くして。魔力の流れが暴れてる。
あと、ボクが倒れたら……ベホイミ<回復呪文>で引っ張り上げて」
「はい」
彼女の返事は静かで、揺れない。
タイガが剣を握り直す。
「私と殿下は?」
「二人は“守る”。冥竜教団の連中、ここに“番犬”を置いてるはずだ。来るよ」
言い終わる前に、床の影が揺れた。
魔法陣の縁から、ぬるりと黒いものが立ち上がる。
瘴気をまとった魔物。
人型に近いが、鱗がある。目が赤い。
「……来たね」
ボクが呟く。
「殿下、後ろへ!」
タイガが前に出る。
「タイガ、斬るなら“石柱に当てるな”!」
「心得ています!」
タイガの剣が走る。
アバン流の基本――大地斬。
床を割るような一撃で魔物の足元を崩し、動きを止める。
リオも続く。
タイガから習ったばかりの型。まだ荒い。だけど――速い。
「……っ、海波斬はまだ未完成だ! 焦るな、殿下!」
「分かってる! でも、試さないと身につかない!」
――いい。
そういう無茶が、いつか“本物”になる。
その間に、ボクは魔法陣の中心へ視線を固定した。
石柱から流れ込む瘴気の道筋。
魔力の拍動。
結界の呼吸。
(……読める。読めるぞ)
ボクは息を吸い込む。
「メラ!」
火が揺らす。
「ヒャド!」
氷が固める。
同時に撃つ――言うのは簡単だ。
でも実際は、魔力の出力、速度、角度、全部合わせないと“ただの事故”になる。
――それでも。
(ボクは“出来そこない”でいい。
でも、頭だけは、負けたくない)
もう一度、息を吸って。
「……メラ!」
「……ヒャド!」
二つの呪文が、中心で重なった。
火と氷がぶつかり、互いを打ち消し合う――はずだった。
でも、中心にあったのは“瘴気の通り道”だ。
瘴気が一瞬、引き裂かれる。
魔法陣の光が、途切れた。
次の瞬間、石柱の溝を流れていた黒が、行き場を失って逆流する。
――自壊。
バチバチと空気が裂け、魔光石が一斉に明滅した。
リンスが叫ぶ。
「結界、薄めます!」
彼女が両手を広げ、短い祈りを落とす。
空間が少しだけ“柔らかく”なった。
タイガが魔物を押し返す。
「今です、ニックス殿!」
「言われなくても!」
ボクは最後の調整として、中心に向けて指を突き出した。
「ヒャド!」
冷気が走り、暴走しかけた魔力の拍動が凍りつく。
魔法陣が、完全に沈黙した。
――静寂。
さっきまで生き物みたいだった結界が、死んだ。
研究所の空気が、ようやく“普通”になる。
魔物は、瘴気を失って形を崩し、黒い砂みたいに床に落ちた。
「……終わった?」
リオが息を切らしながら言った。
「終わった。たぶんね」
ボクは膝に手をつき、笑ってみせる。
クールに。冷静に。いつも通りに。
(……そして、今がその時だった)
……指先の震えは、全員に見えないように隠した。
*
帰路、リオがぽつりと言った。
「ニックス、すごかった」
「褒めても何も出ないよ」
「出る出る。自信ってやつが」
「……余計なお世話」
「余計なお世話、好きでしょ?」
「嫌いじゃないかもね」
タイガが真面目な顔で続ける。
「ニックス殿。今日、あなたがいなければ研究所は瘴気に飲まれていた。
……あなたは、この隊に不可欠です」
「やめてって。そういうの胃に刺さる」
「刺さっても、言います。事実ですから」
……やれやれ。
でも、悪くない。
ボクは馬の背で、そっと懐に触れた。
くしゃくしゃの手紙が、そこにある。
(家の恥さらし、か)
なら、恥さらしのまま――この隊で役に立ってやる。
この隊でしかできない勝ち方を、積み上げてやる。
そして。
(AMATERASU……)
魔法陣の縁で見た、あの綴り。
ご先祖の手記の符丁。
“外側の観測者”。
冥竜教団が、どこまで知っている?
あの手記の残りは、どこにある?
――いや、それ以前に。
(なんで、この世界の魔法陣に、その符丁が刻まれてる?)
答えは出ない。
でも、確実に言えることが一つある。
ご先祖の遺産は、過去の栄光じゃない。
未来のための保険だ。
ならボクは、その保険を――拾い上げる。
誰に何と言われようと。
ボクは小さく息を吐き、いつもの軽口を胸の中で転がした。
(……切り札っていうのは、最後まで見せない“ジョーカー”のことを言うんだぜ)
まだ見せない。
でも、確実に――積み上げていく。
次の“匂い”がしたときのために。
次回
リンスの“名”に触れるとき。神殿に刻まれた聖節名が、ニックスの記憶と繋がりはじめる――。