リオの大冒険 ~ 紋章の指輪と冥竜王ヴェルザー ~   作:ギアっちょ

4 / 14
聖節名

 祈りの言葉が、喉の奥で引っかかる。

 いつもなら、息を吐くように自然に出るはずなのに――今夜は違った。

 

 メル・リンス・フォースは、王都の宿舎の小さな窓辺に立って、外の闇を見ていた。

 夜風がカーテンを揺らし、遠くで警邏兵の足音が規則正しく響く。平和だ。少なくとも、見える範囲は。

 

(……なのに、心だけが落ち着かない)

 

 研究所で見た瘴気。

 結界が生き物みたいに脈打ち、空気そのものが刃になった瞬間。

 そして――ニックスが、あの場で迷いなく前に出た背中。

 

 すごいと思った。

 羨ましいとも思った。

 怖いのに、それを「怖い」と言わずに動ける人がいるのだと。

 

 リンスは両手を胸の前で組んで、静かに祈る。

 

「……主よ。今日も生かしてくださり、感謝いたします」

 

 言葉は出た。

 でも、どこか遠い。

 

 “祈りは逃げではない。戦うための足場だ。”

 神殿で何度も聞かされた教えが、今夜は妙に重かった。足場のはずなのに、その足場が揺れている気がする。

 

 そのとき――扉を叩く音がした。

 

「フォース」

 

 名前ではない。

 呼称だ。

 それだけで、背筋が伸びた。

 

 扉が開く。現れたのは、黒い神官衣を纏った人物――神官長、メル・リンス・サード。

 年齢はリンスよりずっと上だが、動きに無駄がない。瞳は鋭く、声は淡々としている。

 

「……サード。こんな夜更けに……」

 

「夜更けは関係ない。急ぎだ」

 サードは部屋の中を一瞥し、無言で入ってきた。

 扉が閉まると同時に、空気が少しだけ張り詰める。神殿の空気だ。

 

「王都に来ていたの?」

「来た。呼ばれたからな」

 

 リンスの心臓が、嫌な音を立てる。

 呼ばれた――それは、神殿案件。しかも「急ぎ」。良い知らせではない。

 

「研究所の件か」

 

 サードは、何も聞かずに結論に行った。

 

「……はい」

 リンスはうなずいた。

「冥竜教団が関わっている可能性が……」

 

「可能性ではない」

 サードは一言で切った。

「関わっている。お前が“王都にいる”ことも含めてな」

 

 リンスの喉が鳴る。

 その言葉の意味を理解する前に、サードは続けた。

 

「明朝、神殿へ戻る。お前は――封印庫に入る」

 

「……封印庫?」

 思わず声が裏返った。

 

 テラン神殿の封印庫。

 竜の騎士にまつわる秘儀と遺物を保管する場所。

 神官見習いが軽々しく足を踏み入れていい場所ではない。

 

「私、まだ……」

「だから呼ぶ」

 サードの声は揺れない。

「“知らないまま”ではいられない段階に入った」

 

 リンスは唇を噛んだ。

 

 怖い。

 でも、逃げるわけにはいかない。

 

「……分かりました」

 

 サードは頷くと、ふっと表情を緩めた。ほんの一瞬だけだ。

 

「よい。……それから、もう一つ」

 

 サードは少し視線を逸らし、淡々と告げた。

 

「レオナハイト隊も同行させる。王家の同意は取った」

「えっ?」

 

 リンスが目を丸くすると、サードは冷たい声で補足した。

 

「お前が王都で何かに巻き込まれた場合、神殿は責任を負いきれない。王家にも言い分がある。……それだけだ」

(それだけ、じゃない気がする……)

 

 だが、口には出せない。

 

 サードは扉の前で立ち止まり、振り返った。

 

「フォース」

「はい」

「祈りは足場だ。だが、足場は“踏み抜かれる”こともある」

「……」

「そのとき、どうする」

「……立ち直ります」

「違う」

 サードの声が鋭くなる。

「踏み抜かれる前に、気づけ。……そして、守れ」

 

 言い終えると、サードは扉を出ていった。

 残されたリンスは、しばらく動けなかった。

 

(封印庫……)

 

 胸の奥が、冷える。

 同時に、何かが少しだけ熱くなる。

 

(逃げない。……逃げない)

 

 自分に言い聞かせるように、リンスは小さく息を吐いた。

 

 

 翌朝。

 レオナハイト隊は、王家の許可のもと、テラン神殿へ向かった。

 

 リオ・レオナハイト・パプニカ殿下は馬上でも軽い。

 風を切りながら、鼻歌でも歌いそうな顔をしている。

 

「神殿って、なんかこう……神聖で、肩こるよね」

「殿下、声が大きい」

 タイガがたしなめる。

「だって本当だもん。リンス、緊張してる?」

「……少し」

「大丈夫。ボクも緊張してる」

「殿下が……?」

「うん。緊張してるから、こうやって喋ってる」

「……なるほど」

 

 隣でニックスが肩をすくめた。

 

「王女が緊張してるって言うと、余計に不安になるな」

「失礼な」

「いつも通りだよ。ボクは“いつも通り”が得意なんだ」

「それ、強さだよね」

 リンスがぽつりと言うと、リオは笑った。

「でしょ?」

 

 タイガだけが、真面目な顔で周囲を警戒していた。

 神殿行き。封印庫。冥竜教団。

 護衛として、油断できる要素が一つもない。

 

 森の道を抜け、山裾に建つ白い神殿が見えてくる。

 テラン神殿。

 竜の騎士を祀る聖域。

 

 大理石の柱。精緻な彫刻。

 空気が、王都よりも少し冷たい。澄んでいる。

 

 門の前で、サードが待っていた。

 神官衣の裾が風に揺れる。彼の視線がリンスに止まる。

 

「フォース」

「はい」

 

 そして次に、リオたちへ視線を移した。

 

「パプニカ王女、そして護衛の騎士。魔道士」

 短く一礼。必要以上の礼節はない。

「封印庫に入る者は、言葉を慎め。名を軽々しく口にするな」

 

「名?」

 リオが首を傾げる。

 

 サードはリオを見たまま、淡々と告げた。

 

「この神殿では、名は“力”だ。

 力は、使う者を選ぶ。……そして、呼ぶ者も選ぶ」

 

 リオが口を開きかけ、タイガが袖を引いて止めた。

 ニックスだけが、少し面白そうな顔をしている。

 

 サードは踵を返した。

 

「来い」

 

 

 封印庫は、神殿の地下にあった。

 石段を降りるたびに空気が冷え、湿り気が増していく。

 壁には祈祷灯が等間隔に灯り、淡い光が長い影を落とす。

 

 最奥。

 巨大な扉があった。

 

 扉の表面には、幾重もの紋様。

 竜の鱗を思わせる意匠。

 そして――その中央に、刻まれている文字列。

 

 ローマ字。異質なほどに整った綴り。

 

 USARETAMA

 

 リンスは息をのんだ。

 

 サードが扉の前に立ち、低い声で祝詞を唱え始める。

 

「メル・リンス・サード……これより聖節を開く。

 メル・リンス・フォース……汝が名を預かる。

 真名を封じ、聖節名を以て通す」

 

 サードの声は石に吸われるように響いた。

 祈祷灯が一斉に揺れ、扉の紋様が微かに光る。

 

 リンスは、胸の前で手を組んだ。

 指が少し震える。

 でも、目を逸らさない。

 

 サードが言った。

 踏み抜かれる前に気づけ。守れ、と。

 

 祝詞が終わる。

 扉の刻印が、青白く輝く。

 そして重い音を立てて、扉がわずかに開いた。

 

 リオが喉を鳴らした。

「……開いた」

 タイガが息を整える。

「殿下、私の後ろへ」

「うん」

 

 ニックスは、扉の文字列をじっと見つめていた。

 表情はいつも通り、軽い。

 でも、目だけが鋭い。

 

(……USARETAMA)

 

 彼の脳裏に、別の綴りが浮かぶ。

 ポップの手記。断片。符丁。

 意味不明の一語。

 

 ――AMATERASU。

 

 説明はなかった。

 ただ、“外側の観測者”の符丁だと。

 

(……偶然?)

 

 偶然にしては、整いすぎている。

 でも、今ここで口に出すのは――違う。

 

 サードの声が、ニックスの思考を切った。

 

「入るな」

 言葉は短い。鋭い。

 サードは扉の向こうを見たまま言った。

 

「……誰かが、来た」

 

 全員の息が止まった。

 

「冥竜教団?」

 タイガが小さく問う。

 

「断定はできん」

 サードは扉の縁に指を這わせた。

 そして、祈祷灯の一つを見上げる。

 そこだけ――灯が、消えている。

 

 床の隅には、黒い粉。

 瘴気とは違う。だが、嫌な匂いがする。

 

「……見られた」

 サードが低く言った。

「この封印庫の“外側”を嗅ぎ回った者がいる」

 

 リンスの喉が鳴る。

 

「どうして……?」

 リオが呟いた。

「ただの神殿なのに」

 

「ただの神殿ではない」

 サードが即答する。

「ここは“竜の騎士”の歴史を預かる場所だ。

 そして……名を預かる場所だ」

 

 名。

 力。

 呼ぶ者。

 

 リンスは、扉の文字列を見た。USARETAMA。

 意味は知らない。

 でも、背筋がぞくりとする。

 

「外へ」

 サードが言う。

「追う。だが、追いすぎるな」

 

 タイガが先頭に立つ。

 リオとリンスが続き、ニックスが最後尾――と思ったが、彼は一瞬だけ立ち止まった。

 

 扉の刻印。

 USARETAMA。

 頭の中で、逆に並べ替えてみる。

 

 ……AMATERASU。

 

(……いや、まさか)

 

 ニックスは唾を飲み込み、何事もなかったように歩き出した。

 

 

 地上に出ると、空気が急に軽くなった。

 だが、森の縁から、確かに“気配”がする。

 

 タイガが片手を上げて合図し、全員を止めた。

 風が木の葉を鳴らし、鳥が一斉に飛び立つ。

 

 ――いる。

 

 森の奥。

 黒衣の影が一つ。

 こちらを見た瞬間、影は踵を返した。戦う気はない。逃げるだけ。

 

「待て!」

 タイガが踏み出しかけた。

 だが、サードの声が止める。

 

「追うな、深追いするな」

「しかし……!」

「目的は戦闘ではない。……“写す”ことだ」

 

 その言葉の意味は、すぐに分かった。

 影が逃げ際に、何かを落としたのだ。

 薄い紙片――いや、薄い金属片のようなもの。

 木の根元に、ひらりと舞い落ちる。

 

 ニックスが素早く駆け寄り、それを拾い上げた。

 

 掌の上のそれは、薄い金属板。

 表面には、かすれた刻印。

 

 AMATERASU

 

 ニックスの顔から、血の気が引いた。

 

(……冗談だろ)

 

 ポップの手記の符丁。

 “外側の観測者”。

 それが、今ここにある。

 

「ニックス?」

 リオが不安そうに覗き込む。

 

「……何でもない」

 ニックスは咄嗟に金属板を握り込んだ。

 手の中で、冷たい感触が刺さる。

 

 サードが近づき、ニックスの拳を見る。

 視線が鋭い。

 

「見せろ」

「……これは」

「見せろ」

 

 ニックスは、渋々手を開いた。

 

 金属板の刻印を見た瞬間、サードの目が細くなる。

 

「……その綴りを、どこで知った」

「……手記」

 ニックスは短く答えた。

「大魔道士ポップの、私的な」

 

 サードは沈黙した。

 長い沈黙。

 そして、低い声で言った。

 

「……厄介なものが、厄介な場所に繋がり始めたな」

 

 リンスが恐る恐る問う。

 

「サード……それは、何ですか」

「……符丁だ」

 サードはリンスを見た。

「意味を知ろうとするな。今は、守れ」

 

「守る……?」

「守る」

 サードの声が重い。

「主神は剣ではない。地面だ。

 だが……地面の上に、外側の“影”が落ちれば、誰かがそれを踏み台にする」

 

 冥竜教団が、外側に手を伸ばす。

 その言葉の意味が、リンスの背筋に冷たく染みる。

 

 リンスは震えそうになる指を、胸の前で組んだ。

 

(逃げない)

 

 自分に言い聞かせる。

 

(私は、逃げない)

 

「……サード」

 リンスは、声を絞り出した。

「私に、出来ることを教えてください」

 

 サードは少しだけ目を柔らげた。

 

「……よい」

 そして、淡々と言う。

「まずは名を守れ。

 お前の名は……軽いものではない」

 

 リンスは頷いた。

 

 ニックスは握り込んだ拳を、再びポケットに突っ込む。

 いつもの軽口を言うには、喉が乾きすぎていた。

 

(……冥竜教団が、“外側”を拾ったら洒落にならない)

 

 まだ、誰にも言わない。

 言えない。

 でも、確実に――次が来る。

 

 そしてその時こそ、参謀の役目だ。

 

(切り札っていうのは、最後まで見せない“ジョーカー”のことを言うんだぜ)

 

 胸の奥で、言葉を転がした。

 自分を落ち着かせるために。

 

 森の奥では、逃げていく影が風に溶けた。

 

 ――ただの影ではない。

 “誰かの意図”を運ぶ影だ。

 

 リンスは空を見上げた。

 青い空は澄んで、何も知らない顔で広がっている。

 

(……主よ)

 

 祈りが、今度は少しだけ地に足がついた。

 

(私は、踏み抜かれない。踏み抜かせない)

 

 そして、リンスは初めて思う。

 

 “名”とは、いったい何なのか。

 自分は何を預かっているのか。

 

 その答えはまだ遠い。

 けれど――物語は確実に、次の章へ進み始めていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。