レアネリア戦記(書きかけ、チラ裏、AI利用)   作:湯木一栄

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第17話 遠征への誘い

 宴も終わり、満腹になったルジェは、静まり返った屋敷の裏手で夜空を見上げていた。

 

 北の星空は、凍りつくように澄んでいる。

 そこへ、有力者たちとの飲み比べから帰還したシロヴァが、雪を踏みしめて歩いてきた。

 

 顔は赤らんでいるが、酒豪なのだろう、足取りは線で引いたように真っすぐだ。北の男は、酔うほどに目が据わる。

 

「おう、ルジェ。……ちょっと来い」

 

 シロヴァは顎で森の方角をしゃくった。

 ルジェはロサと顔を見合わせ、二人でその後ろに続いた。

 人気の無い、風の吹き抜ける崖の上。シロヴァはそこで足を止めた。

 

 彼はルジェの背中を見下ろしながら、腹の中で密かに舌を巻いていた。

 

(……この王子は、間違いなく、『剛腕』リッドヒンの若い頃そのままだ)

 

 シロヴァは、三十五年前のセルウィ内戦を知る世代だ。

 

 次々に王族が死に、氏族長が死に、残された戦士たちは別の有力者の下に付く。目まぐるしく変わる情勢の中でシロヴァは、リッドヒンと敵として斧を交えたこともあれば、同じ旗の下で背中を預け合ったこともある。

 

 若き日のリッドヒンは、戦場における純粋な暴力の化身だった。その実力とカリスマで人を率い、内戦を終結に導いた。

 だが、ルジェにはそれとは少し違う、人を惹きつける奇妙な「愛嬌」がある。泥を啜り、下層民と肩を組んで笑える柔軟さ。それは、鋼鉄の塊だったリッドヒンにはなかった資質だ。

 

(……だが、これほどの逸材が、こんな辺境くんだりに無期限で流されるということは、王家にとってこいつはよほどの『訳あり』だ)

 

 シロヴァの酔った頭脳が、冷徹に計算する。

 少年の線の細さ、やはり女か? それとも生まれついての虚弱か? いや、それにしてはよく動くし、今日の立ち回りを見る限り身体能力に欠陥はない。

 あるいは、出生の秘密――私生児か、あるいは長老たちが眉をひそめるような事情か。

 

(どちらにせよ、リッドヒンやモルコドにとって、あまり騒がれたくない子なのだろう。……あるいは、この北の厳しい冬で、自然に死んでほしいと願っているのかもな)

 

 シロヴァは夜空を見上げ、ニヤリと口角を上げた。

 

(惜しいなぁ。あまりにも惜しい)

 

 王都が「捨てた」というのなら、拾うのに遠慮はいらない。

 隠そうが腐らせようが、牙は牙だ。俺が拾って研いでやり、俺の懐刀にしてやっても文句はあるまい。

 シロヴァはそう結論付けた。

 

「――なあァ、ルジェ」

 

 ***

 

「お前、俺の部屋住たちにクズ肉を振る舞ったそうだな」

 

 シロヴァはルジェに向き直り、低く問うた。

「俺や他の長老たちと同じ、上等なロースを食う権利を捨ててまでな。……どうだ、気分は? 『旨かった』か?」

 

 ルジェは一瞬きょとんとしたが、すぐにその問いの意味を理解した。

 それは、スープの味がどうだったかという問いではない。

 自分の獲物を群れに分け与え、感謝され、その熱狂の中心に立った時の「ボスの味」はどうだったか、という問いだ。

 

 ルジェは、昼に食べた「名誉の一口」、鹿の上等なロース肉の一口と、いまも胃の奥に残る重厚な熱を反芻した、泥臭い大猪のスープ。安酒の匂い。そして、自分を見る少年たちの憧憬の眼差し。

 

「……はい。とても」

 ルジェは正直に答えた。

「あの座で食べた鹿のロースより、ずっと身体が、暖まりました」

 

「ククッ、素直な奴だ」

 シロヴァはニヤリと口角を吊り上げた。

「知っちまったなァ。それが、『群れの頭』が食う味だ。肉そのものの味じゃねえ。お前が食わせた連中の、感謝と忠誠の味だ」

 

 シロヴァは太い指で、自身の胸板をドンと叩いた。

「自分の獲物を群れに分け与え、骨までしゃぶらせ、その熱狂の中心に立つ。……舌先で味わう脂なんぞより、よほど魂に沁みるだろう?」

 

 ルジェは、ゆっくりと頷いた。

 

 ***

 

「さて…………、収穫祭、大狩猟会が終わったとなれば、じきに雪が道を閉ざす。長い冬だ」

 

 シロヴァの顔が、松明の火に照らされて陰影を深める。

「今年の実入りは悪くなかった。だが、それでもいくつかの家は備蓄が足りん。このままじゃ冬を越せずに、何人か年寄りや子供が死ぬ」

 

 北の冬は、情緒などではない。物理的な「死の壁」だ。

 備蓄が尽きれば餓死する。薪が尽きれば凍死する。毎年、必ず誰かが間引かれる季節。

 

「雪に閉ざされた家のなかに、力仕事は少ない。家畜の世話や、木細工、撚り紐作り……そういうのは、女子供や老人でもできる」

 

 シロヴァは、南の空――大平原の方角を指差した。

 

「だから、一番の食い扶持を『外』に出すんだよ」

 

 ルジェが息を呑む。

 ガズたち古参兵は「金のため」「一発逆転のため」と語っていた。だが、氏族長の視点はもっと冷徹で、切実だった。

 

「冬の間、食欲旺盛な男たちが谷に残れば、それだけ食料が減る。だが、そいつらを連れて平原へ降りれば、谷の食い扶持は減る。口減らしだ。そんでもってさらに向こうで稼げば、春には麦や銀貨を持って帰ってこれる」

 

 口減らしと、外貨獲得。

 それが、セルウィ王国が国家として遠征を行う、真の理由だった。

 誇りなど二の次だ。これは、群れ全体を春まで生き延びさせるための、ギリギリの生存戦略なのだ。

 

「俺たちは略奪者だ。人殺しだ。平原の連中から見れば悪魔だろうよ。……だがな、そうしなきゃ俺の谷のやつらが死ぬ。だから俺は、喜んで手を血に染める」

 

 シロヴァの目には、迷いのない覚悟があった。

 自分の手を汚してでも、身内を食わせる。それが「族長(ボス)」の仕事だ。そう言わんばかりに。

 

 ***

 

「ルジェ。お前は今日、戦士としての一歩を踏み出した。だが、本当の戦場はあんな猪遊びじゃねえ」

 

 シロヴァは、ルジェの目を射抜くように見つめた。

 

「あんなのが、鉄の鎧を着て、列になって突っ込んでくるんだ。そして敵も味方も、汚く死んでいく」

 

 シロヴァは手を差し伸べた。

 

「お前はただの部屋住みには収まらない。――俺に付いてこい。戦場の空気を教えてやる」

 

 ルジェが目を見開く。ロサが息を呑み、思わず前に出ようとする。

 初陣の風習は十五歳。十二歳のルジェにはまだ早いのではないか。王都から預かった大事な王子を、戦場に連れて行くなど。

 だが、シロヴァはその懸念を笑い飛ばした。

 

「ああ、勘違いするな。指揮官としてじゃないぞ。まぁだまだ、お前に人の命は預けられん」

 

 シロヴァはニヤリと笑った。

 

「戦利品はないがな。俺の『客分(ゲスト)』としてだ。俺の馬の横で、一番安全な特等席から見学させてやる。……本物の『長の仕事』ってやつをな」

 

 それは、王都のどの学校でも得られない、実地演習への招待状だった。

 ルジェの心臓が、早鐘を打った。

 怖い。だが、それ以上に知りたい。

 シロヴァが、父リッドヒンが、生き抜いてきた世界の色を。

 

「…………行きます」

 ルジェは、シロヴァの手をしっかりと握り返した。

 

「ぜひ、連れて行ってください!」

 

 短い夏、走り去る秋が終わり、まもなく冬を告げる風が吹き抜ける。

 遠征の季節が、すぐそこまで迫っていた。

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