数日の行軍の末、フラジュトフ戦士団は盆地の中央にして最南端の要衝、王都ワストゥエステンに到達した。
「これが……、王都かあ!」
北の寒村しか知らない若者たちが、その威容に息を呑む。
セルウィ川と街道が交差するこの都市は、国内唯一の大都市であり、冬遠征という国家事業の心臓部だ。
街は、出発前の熱気とカネの臭いで沸騰していた。
「遠征費用の貸付! 担保は春の戦利品でいいぞ!」
「契約書の代筆はこちらだ! 平原の言葉が読めない者は騙されるぞ!」
「干し肉! 硬いチーズ! 買っておけ、向こうへ行けば値段は倍だ!」
「急いで来てくれ! 平原の名門リュットー伯からのご依頼だ!」
大通りには、武具の修繕屋、高利貸し、食料商人、はたまた平原から来た諸侯の代理人が所狭しと並んでいる。
冬遠征は軍事行動であると同時に、巨大な商取引だ。
ここで借金をして装備を整え、食料を買い込み、神殿で武運を祈り、そして王の代官所、あるいは平原諸侯の代理人のもとで正式な「傭兵契約書」に拇印を押す。
帰還時には、ここで略奪品もとい戦利品を換金し、家畜や農具に変えて故郷へ帰る。
ワストゥエステンは、セルウィの血と欲望が循環する、巨大な市場だった。
***
その喧騒の中を、シロヴァ率いる精強な戦士団が、威圧的に行進していく。
だが、荷駄隊の中にいたルジェの足取りは重かった。
視線の先。
王都の城壁内のなかでもひときわ堅牢な地区。
あそこには、父リッドヒンがいる。兄ラクサがいる。
そして、自分を「なかったこと」にした家宰モルコドがいる。
(見つかったら……)
ルジェの顔が強張る。
もし、ここで誰かに気づかれたら?
「なぜ追放された王子がここにいる」と咎められるか。あるいは、嘲笑されるか。
どちらにせよ、ルジェにとってこの都市は、故郷ではなく巨大な審問所だった。思わず顔を伏せ、身体を小さくする。
***
その時、バサリと視界が遮られた。
目の前に、熊の毛皮の分厚い外套が投げかけられたのだ。
「被っておけ。風が冷たい」
馬上から見下ろすシロヴァの声は、ぶっきらぼうだが、その目は周囲を油断なく警戒していた。
「お前は俺の荷物持ちだ。顔を上げてキョロキョロするな。……面倒ごとは御免だからな」
「……はい。ありがとうございます」
ルジェは深くフードを被り、安堵の息を吐いた。
シロヴァは鼻を鳴らし、前を向いた。
彼の配慮は、単なる優しさだけではない。冷徹な計算があった。
(リッドヒン王は、この逸材を「いないもの」として扱っている)
シロヴァは、尖塔を横目で睨んだ。
もし今、成長したルジェの姿を王や側近が見れば、どう思うか。
「危険な火種」として幽閉するか、あるいは「使える駒」として取り返そうとするか。
どちらにせよ、シロヴァにとっては損だ。
(拾ったのは俺だ。磨いたのも俺だ)
王が冷遇し、手放してくれている現状こそが、シロヴァにとっては好都合なのだ。
この「牙」は、フラジュトフ家の戦力として、そして将来の政局における切り札として、俺の手元で育て上げる。
そのためには、今のルジェは「名もなき従者」でなくてはならない。
「行くぞ! 契約の登録を済ませたら、さっさと南門を抜ける!」
シロヴァの号令で、隊列は速度を上げた。
ルジェはフードの奥から、遠ざかる王城をもう一度だけ見上げた。
(行ってきます、父上)
見送りも、承認もない出立。
だがルジェは、王都の門をくぐる時、確かに自分の足で「外の世界」へと踏み出したのを感じていた。
一行は補給と契約の手続きを迅速に済ませ、その日のうちに王都を後にした。
目指すはセルウィ王国の外界への自然国境、南の隘路。
その向こうには、いよいよ大平原が広がっている。