レアネリア戦記(書きかけ、チラ裏、AI利用)   作:湯木一栄

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第5話 隘路を抜けて

 セルウィ川は、盆地内の穏やかな顔とは打って変わり、盆地の南端に至ると南の丘陵地帯を噛み砕くような激流となって谷底を穿っていた。

 

 その断崖にへばりつくような蛇行する街道――「南の隘路」を、長い隊列が慎重に進む。

 

「狭いが、これでも盆地と平原を繋ぐ唯一のまともな道だ。ここだけは車が通れる」

 

 頭上から岩が落ちてきそうな圧迫感。轟音を立てる川。

 そこは、世界と世界を繋ぐ産道のように狭く、暗かった。

 だが、ある曲がり角を越えた瞬間。

 視界を遮っていた岩壁が唐突に途切れ、冷たい風と共に、圧倒的な光が飛び込んできた。

 

「……あっ」

 ルジェは思わず足を止めた。

 そこには、今まで見たこともない広大な空間が広がっていた。

 

 ***

 

「これが……『大平原』」

 ルジェの声が震えた。

 だが、そこは物語で聞くような、地平線まで一直線に続く平坦な緑の絨毯ではなかった。

 

 目の前に広がっていたのは、荒々しく波打つ大地だ。

 なだらかな丘陵、黒々とした森、そして川が削り出した河岸段丘が複雑に入り組み、どこまでも続いている。

 

 山ではない。だが、平地でもない。

 それでも、故郷の盆地では常に空を切り取っていた「山脈の壁」は、もうどこにもなかった。空が、恐ろしいほどに広い。

 

「ああ、これが大平原。半分正解で、半分間違いだ」

 呆然とするルジェの横に、シロヴァが馬を寄せた。彼は慣れた様子で、眼下に広がる起伏を眺めた。

 

「このあたりは、もうセルウィの王権の外だ。だが、地勢はまだまだセルウィの続きさ」

 シロヴァは鞭で南の地平を指した。

「ここは『北の縁』と呼ばれる地域だ。森も深けりゃ、隠れる場所も多い。伏兵には絶好の地形だぜ」

 

 本当の「平原」は、もっと南だという。

 この丘陵地帯を抜け、セルウィ川が大陸を横断する「大河」と合流するデルタ地帯。そこまで降りて初めて、気が狂うほど平らで、肥沃で、そして隠れる場所などない「本当の世界」が顔を見せるのだと。

 

 ***

 

「さ、行くぞ。ここからは敵地だ」

 シロヴァの声が低くなる。

 

「平原の領主の斥候か、あるいは野盗か。……ボサッとしてると、その綺麗な首が飛ぶぞ」

 ルジェは喉を鳴らし、フードを目深に被り直した。

 空気が違う。

 盆地の空気は冷たく停滞していたが、ここの風は乾いていて、微かに砂と、知らない草の匂いがする。

 

 隊列が進む。

 ルジェは一歩ごとに、故郷が背後へ遠ざかり、未知の巨大な世界へと飲み込まれていく感覚を味わっていた。

 

 

 ***

 

 準平原の丘陵地帯を抜け、南へさらに一週間。

 景色は徐々に開け、森は減り、代わりに冬枯れた麦畑と、整然と区画された放牧地が目立つようになってきた。

 

 その先に、依頼主の居城があった。

「あれが……、依頼主、センネンス伯の城」

 ルジェは荷駄の列から背伸びをして見上げた。

 

 王都ワストゥエステンに比べれば規模は劣る。だが、木造建築が主体のフラジュトフ領に比べれば、ずいぶんと「文明的」に見えた。

 

 加工された石を積み上げた高い城壁。尖塔を持つ領主の館。そして城壁の外にまで広がる城下町(アウター・タウン)。平原の豊かさが、石の質量となってそこに在った。

 

 

 ***

 

 城門前の広場。

 到着したフラジュトフ戦士団を出迎えたのは、煌びやかな、しかしどこかサイズの合わない絹の服を着た、太った男だった。

 この地の領主、センネンス伯である。なお、伯爵位は自称だ。この平原に、他者を叙爵し、任務を与える王はいない。

 

「シロヴァ殿! よくぞ、よくぞ来てくれた!」

 センネンス伯は、なりふり構わず馬上のシロヴァに駆け寄ってきた。

 その顔に浮かんでいるのは、複雑な感情の混合物だ。

 強力な助っ人が到着したことへの安堵。

 薄汚い蛮族に対する、隠しきれない生理的な侮蔑。

 そして何より、「金で解決策を買ったのだ」という、商人のような打算。

 

「隣のオストール公め、調停の使者を斬り捨ておった! あやつは多くの騎士を金で雇い入れ、我が領地を併呑するつもりだ!」

 伯爵は唾を飛ばしてまくし立てた。

「我が軍も弱くはないが、騎士相手には歩兵が足りぬ。……頼むぞ、シロヴァ殿。契約の銀貨は用意してある」

「ご安心を。契約通り、盾の壁をお貸ししましょう」

 シロヴァは馬上から、冷ややかに見下ろして頷いた。

 北の族長と、南の領主。

 魂の格の違いが、その姿勢だけで残酷なほど浮き彫りになっている。――北の男たちの目にはそう映った。

 

 ***

 

 挨拶が終わり、ルジェは期待を込めて城門の方を見た。

 平原の都市。市場にはどんな物が売られているのか。人々はどんな暮らしをしているのか。

 だが、戦士団の列は城門をくぐることはなく、城壁から少し離れた荒れ地へと誘導されていく。

「……あれ? 街には入らないの?」

 ルジェが思わず呟くと、近くにいた古参兵が鼻で笑った。

 

「なんだ、都市を見たかったのか?」

 兵士は、城壁の上から不安そうにこちらを覗き込んでいる衛兵や、窓を閉ざす市民たちを顎でしゃくった。

「それならまた今度、旅人として来るんだな、坊や」

「え?」

「俺たちは、ここでは『客』じゃねぇ。『猛獣』だ」

 信用がないのだ。

 いくら雇われたとはいえ、数百人の武装した蛮族を城壁の中に入れれば、何が起きるか分からない。

 酒に酔って暴れるかもしれない。娘たちに手を出すかもしれない。あるいは、寝首をかいて城を乗っ取るかもしれない。

 平原の人々は、セルウィの戦士を頼りながらも、心底では恐怖し、蔑んでいる。

「へっ、臆病な豚どもめ。自分たちで戦えねぇくせに、守ってくれる番犬を家に入れる度胸もねぇときた」

 別の戦士が吐き捨てた。

「ま、いいさ。城の中は窮屈だ。野営(キャンプ)の方が気楽でいい」

 

 ***

 

 都市の郊外、風除けの丘の陰に、手際よく天幕が設営されていく。

 ここが彼らの城だ。

 センネンス伯から差し入れられたエールの樽(安物だが)と、屠殺されたばかりの羊が運び込まれると、野営地は一気に活気づいた。

 

 シロヴァは幹部を集め、地図を広げた。

 ルジェもまた、客分としてその端に控えることを許された。

 

「敵はオストール公。主力は重装騎兵と、周辺から集めた徴募兵だ」

 シロヴァの指が、地図上の一点を叩く。

「奴らは数で勝る。だが、所詮は寄せ集めだ。……我々の仕事は単純だ。中央で盾を固め、騎兵の突撃を受け止める。その間にセンネンスの軍が側面を突く手筈になっている」

 シロヴァは顔を上げ、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「さて、三日後に決戦だ! それまでせいぜい羽を伸ばせ。肉を食い、武器を研げ!」

「応ッ!!」

 鬨の声が上がる。

 ルジェは、遠くに見えるオストール領の方角を睨んだ。

 

 猪狩りとは違う。

 そこには、同じ人間が、殺意を持って待ち構えている。

(これが、戦争)

 

 城壁の外、寒風吹きすさぶ荒野のテント。

 そこだけが、ルジェたちに許された居場所であり、命を燃やすステージだった。

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