レアネリア戦記(書きかけ、チラ裏、AI利用)   作:湯木一栄

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北辺の谷編
第3話 呪われた肉体


「陛下……、ルジェ殿下に、『始まり』がありました」

 リッドヒンは執務机の上の羽ペンを止めた。インクがポトリと羊皮紙に落ち、黒い染みを作る。

 静寂の中、侍医の低い、恐怖に震える声だけが響いた。

「ルジェ殿下の身体に、……変化が」

 

 ルジェが両性具有として生まれたことは、王家と家宰、侍医だけが共有する最大の秘密だった。

 

だが、これまで彼らは密かに期待していた。このどちらの性とも知れぬ「混ざり者」が、長ずるにつれどちらかの性に明確に振れ、片方が萎縮してくれることを。そうすれば扱い方が決められる。

 

 境界人(インターセックス)は呪いではなく、血が濃くなりすぎた古い血筋に稀に見られる奇形であると、王家付きの侍医は知っていた。だが、それが(おおやけ)のことになれば、周囲は「血の呪い」と叫び、王権の、尊い血の正統性が根本から崩壊する。シュレーゼンロート朝は、ただでさえ内戦を勝ち残った血に塗れた王朝だ。

 

「ルジェが、男に振れたというのか?」

「いえ……」

 侍医は絞り出すように告げた。

 

「喉仏の隆起と声変わりがありながら、同時に胸部の緩やかな膨らみと……、『血』を確認しました。身体が、両極端な大人への変化を、同時並行で始めているのです」

「……そうか」

「また……、その、男性のほうでも下着を汚され……」

「これ以上はよい!」

 

リッドヒンは顔を歪ませて侍医を制した。

 

 もはや病弱な王子という言い訳は通用しない。身体が大人になろうとする生命のエネルギーが、隠蔽という薄い膜を内側から突き破ろうとしているのだ。

 

(………よもや、よもや、身内殺しで玉座に座った儂への罰だというのか!)

 伝統と呪術が色濃く残るセルウィ盆地の男として、リッドヒンの脳裏を冷たい恐怖がよぎった。この事実が露見すれば、迷信深い氏族長は惑い、平原の諸外国はセルウィ王家が呪われた血筋であると騒ぎ立てるだろう。

 

リッドヒンは、垂れたインクを親指の腹で擦り払った。指紋に黒いインクが染み込んでいく。

 

預かり(フォスタリング)を決定する。北のフラジュトフ谷だ」

 

 リッドヒンは机を叩き、決断した。

「期間は未定。……二度と都へ戻れぬ可能性も承知の上だ。とにかくこの騒がれる前に公の視界から消せ。これが国のためだ。モルコド! 手配はできてるな」

「はい、陛下……」

 

シュレーゼンロート家の忠実な家宰モルコドは、第二王子とともに、その侍従をしている自らの娘を想っていた。

 

 ***

 

出発の朝、王都ワストゥエステンの空は鉛色の雲に覆われていた。

 

 内城の裏門には、家紋のない馬車が一台と、数人の護衛が待機しているだけだった。見送りの儀仗兵もいなければ、父王も、兄ラクサも姿を見せない。

 

 十歳になったルジェは、旅装束に身を包んで立っていた。

 

 その顔立ちは、日に日に美しく、そして妖しくなりつつあった。少年のような凛々しい眉の下に、少女のような潤んだ瞳がある。

 

「……お乗りください、殿下」

 声をかけたのは、モルコドの娘、ロサだった。

 ルジェと同じ十歳。黒髪を高く結い上げ、子供用の剣を佩いている。彼女だけが、ルジェの秘密を知り、共に北へ行くことを許された唯一の従者だった。

 

「父上は……来ないの?」

 ルジェの問いに、見送りの指揮を執る家宰モルコドは、無表情に一礼しただけだった。

 

「陛下は公務でお忙しくあらせられます。……殿下におかれましては、北の地で、立派な戦士として成長されますよう」

 

 形式的な言葉。そこには「戻ってくるな」という響きが含まれていた。

 ルジェは唇を噛み締め、涙をこらえるように空を見上げた。

 

秘密を知る周りの者たちがルジェの性徴を恐れるように、他ならぬルジェ自身も、自分の身体の異変に怯えていた。

 

夜毎に身体が熱くなり、胸が痛み、下腹部が疼く。自分が自分でなくなっていくような恐怖。

 

そしてついに数日前の夜中、寝具を血で汚してしまった――。旅が決まったのはそのすぐ後のことだった。

 

 父上は、そんな僕を気味悪がって捨てたのだ――、幼心にも、そう理解できてしまった。

 

(僕の身体が、おかしいからだ。僕が弱々しく、「半端」で、男として認められていないからだ)

 

 それでも、強くなれば、父は認めてくれるかもしれない。男として、戦士として、誰よりも勇敢になれば、この異形の身体も許されるかもしれない。

 

(もし僕が……、誰よりも強い戦士になれば。化け物じゃなくて、役に立つ『剣』になれば、父上も……)

 

 それは、あまりにも健気で、悲痛な決意だった。

 

 ロサは何も言わず、ルジェの手を強く握った。彼女の手のひらの温もりだけが、ルジェをこの世界に繋ぎ止めていた。

「……行きましょう、ルジェさま」

 

 ロサはルジェのこの悲痛な期待を知っていたが、何も言わずにその手を引いた。

「北だろうとどこへだろうと、私がルジェさまをお守りします」

 彼女の献身は、ルジェの肉体の秘密と、王家の呪いから彼を守る、唯一の壁だった。

 

馬車が動き出す。石畳を叩く蹄の音が、王都との別れを告げる鐘のように響いた。

 ルジェは一度だけ振り返ったが、王宮の窓は固く閉ざされたままだった。

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