その日の戦闘は、戦術家が見れば欠伸が出るほど退屈なものだった。
平原の小領主同士の小競り合い。策も伏兵もない。
ただ、真正面から歩兵同士がぶつかり合い、どちらかの士気が折れるまで押し合うだけの、原始的な力比べ。
こういう時にセルウィ戦士は強い。だが、相手の平原傭兵も金がかかっている分、死に物狂いだ。
「押せ押せ!」
「崩れるな! 押し返せ!」
ガシャガシャと盾と盾がぶつかり合い、罵声と悲鳴が上がるが、戦線は膠着したまま動かない。
シロヴァの横で戦況を見守るルジェも、泥試合の様相に少し集中力を欠き始めていた。
これが戦争の日常だ。華々しい英雄譚など滅多にない。あるのは、泥の中で男たちが押し合いへし合いする、臭くて重苦しい時間だけ。
だが。
敵の戦列が疲労でわずかに歪んだ、その瞬間だった。
***
「オラァッ!!」
箍が外れたように、セルウィの盾列から一人の巨漢が飛び出していった。
クラだ。
シールドウォールを組む時は、彼も窮屈そうに身体を小さくし、整然と隣の男たちに合わせていた。
だが、いざ乱戦の火蓋が切って落とされると、彼は盾を捨てた。
「邪魔だッ!」
クラは身の丈ほどもある戦斧を振り回しながら、ずんずんと敵陣の中へ歩いていく。
「ぎゃっ」
「ぐわっ!」
走るのではない。歩くのだ。
だが、その一歩ごとに、立ち塞がる敵兵が物理的に弾き飛ばされ、空を舞う。
周りのセルウィ戦士たちが、慌てて彼の側面をカバーしようと追いかけるが、クラの進撃速度は異常だった。
乱戦、混戦。
その中心で、クラだけが別次元の暴力を振るっている。
***
「あの馬鹿! 突出して囲まれるぞ!」
味方が叫ぶ。
敵の指揮官もクラ――突出した巨漢の姿を見逃さなかった。崩れかけた隊列を押し戻すため、予備戦力の精鋭――騎士からなる重装騎兵の小隊を、クラめがけて突っ込ませたのだ。
ドドドドドッ!
地響きと共に、鋼鉄の騎士がランスを構えて迫る。
生身の人間が止められる質量ではない。
だが、クラは逃げなかった。
彼はあろうことか、突進してくる馬に向かって、半歩、踏み込んだ。
「死ねェッ!」
騎士がランスを突き出す。
クラはそれを、紙一重で――いや、獣のような勘でさっと躱した。
そしてすれ違いざま、渾身の力で戦斧を横に薙いだ。
――ガゴォォォォンッ!!
「な…………!?」
鈍く、重い破壊音。
斧の刃が、騎士の被るバケツ型ヘルムを直撃したのだ。
鋼鉄の兜がひしゃげ、騎士は首の骨を折られて落馬し、地面を転がった。
「……チッ、安い斧だ」
クラの手元で、ひしゃげた兜の硬さに負けた戦斧の柄が、無残に折れていた。
彼は舌打ちしてそれを捨てると、落馬した騎士の腰から、上等なロングソードを引き抜いた。
本来は馬上からも振るえるために長く作られた騎士剣だが、クラが持つと片手剣のように軽く見える。
「かかってこい! 次はどいつだァ!?」
血に濡れた巨人が吼える。
その姿に、敵兵たちは恐怖し、後ずさりした。
***
シロヴァの馬の横で、ルジェはその光景に戦慄していた。
本来なら、その恐ろしい重装騎兵を防ぐために、セルウィ戦士は協調し、盾列を組んで耐える。それが弱者の兵法であり、セルウィの誇りだ。
だが、あの男にとって、その「協調性」は手段でしかなかった。
堅い結束、共同体由来の連携。
それらは全て、彼が「シロヴァのチェックを通過し、冬遠征に加えてもらう」ための、入場チケットに過ぎなかったのだ。
チケットを使って中に入れば、あとは野放図な「個」の時間だ。
彼は、小さな箱に無理やり押し込められていた猛獣だったのだ。
「……化け物だ」
ルジェの呟きをまるで肯定するかのように、敵の戦列が崩壊を始めた。
「か、敵わねぇ。逃げろーー!」
一人の巨人が開けた風穴から、裂け目が広がり、そこへ他のセルウィ戦士たちが雪崩れ込む。
戦術も陣形もない。
ただ一人の圧倒的な暴力が、停滞していた戦場をこじ開けた瞬間だった。
***
その夜、シロヴァは天幕の奥で、略奪品の安ワインを独りで呷っていた。
脳裏に浮かぶのは、今日の戦場で暴れまわった巨人、シロヴァの私生児、クラの姿だ。
「……ったく、度し難い馬鹿息子だ」
シロヴァは苦々しく吐き捨てた。
今日のクラの突出は、戦術的には最悪だ。
セルウィの強みは個を殺した集団戦術にある。盾を並べ、鎖のように繋がるからこそ、騎兵を止められるのだ。
だが、クラは鎖を引きちぎって飛び出した。今回はたまたま勝ったから良いようなものの、もしこれを見た血の気の多い若手どもが「俺もクラみたいに英雄になるんだ!」などと勘違いして列を乱し始めたらどうなる?
セルウィのブランドは崩壊し、傭兵としての商品価値は地に落ちるだろう。雇われで食えないなら、略奪するしかない。それは、曲がりなりにも契約に基づいて行う傭兵よりよっぽど険しい道だ。
「それに、あの性格だ」
シロヴァは天幕の隙間から、遠くで一人、誰とも交わらずに肉を食らっているクラの背中を睨んだ。
群れのボスに必要な資質とは何か。
それは腕力ではない。「分配」と「調停」だ。
獲物を公平に分け与え、部下の不満を聞き、喧嘩を仲裁する。その面倒くさい泥仕事をやるからこそ、人はついてくる。
だが、クラにはその気が一切ない。
自分の力で奪い、自分で食う。他人に興味がなく、頭を下げてくる者も拒絶する。あれでは、どれだけ強くても「長」にはなれない。ただの「はぐれ熊」だ。
(族長としては失格だ。……使い所を間違えれば、味方を殺す毒にすらなる)
***
シロヴァはグラスの底に残った澱を見つめ、ふと口元を緩ませた。
苦虫を噛み潰したような顔の裏で、抑えきれない笑いが込み上げてくるのを自覚する。
「……だが、強い」
理屈ではない。
あの圧倒的な暴力。騎士の兜を薪のように叩き割り、何者にも縛られずに戦場を闊歩する姿。
それは、シロヴァ自身が若い頃に目指し、そして「氏族長」という責任ある立場に就くことで諦めざるを得なかった、究極の狂戦士の完成形だった。
(俺の種だ。あいつは間違いなく、俺の腰から放たれた種で出来た子だ)
正妻との間に生まれた行儀の良い嫡男たちではない。
若い頃の過ち、どこの馬の骨とも知れぬ女に産ませた庶子。
だが、その汚れた血の中にこそ、最も色濃く「北の獣」の血が流れていたという皮肉。
(俺以上の勇猛な戦士。……これぞ、蛮族セルウィ)
親としての、そしてオスとしての原初的な誇りが、胸の奥を熱くする。
組織の論理では否定しなければならない存在を、本能が肯定してやまない。
「へっ、……せいぜい暴れろ、クラ。お前の首輪を握れる奴なんざ、この世にいやしねぇよ」
シロヴァはワインを飲み干した。
北の大氏族長は、頭の痛い問題と、ワクワクするような予感を同時に肴にして、夜更けまで杯を重ねていった。