レアネリア戦記(書きかけ、チラ裏、AI利用)   作:湯木一栄

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第15話 自由という言葉の差

 遠くの尖塔で「城代を生け捕りにしたぞ!」という賑やかな歓声が上がっている頃。

 ルジェは梯子を駆け上り、ある男を探していた。

「――いた!」

 

 ルジェの目指す先。城壁の隅で、クラは脂汗を流して座り込んでいた。

「ハァ……、ハァ……。ぐぅ、うッ……!」

 戦闘中は脳内麻薬で忘れていた激痛が、興奮が冷めると共に津波のように押し寄せてきたのだ。

 左腕が、ありえない方向に曲がっている。

 

「……動くな。骨を戻すぞ」

 ルジェはクラの腕を掴んだ。

 躊躇している暇はない。筋肉が強張り、腫れ上がってしまえば、整復は不可能になる。

 

 ルジェは、まだ熱い身体から湯気を立てている巨人の腕を、全体重をかけて一気に引っ張り、正しい位置へとねじ込んだ。

「ぐっ、ぅぅ……ッ!!」

 クラが獣のような呻き声を上げ、空いていた右手で、落ちていた石を握りつぶす。

 

 あまりの痛みに白目を剥きかけたが、それでも気絶はしなかった。

「……固定する。布と板を」

 ルジェは手際よく添え木を当て、包帯できつく巻き上げた。

 

 その手つきに迷いはない。この冬、何十人もの負傷兵を見てきた経験と、卵白と脂にまみれた「衛生兵」としての場数が、彼の手を職人のそれに変えていた。

 

「……ふぅ」

 処置を終え、ルジェが額の汗をぬぐうと、クラは荒い息の下で、呆れたように笑った。

「……上手いな、お前」

 クラは、固定された左腕と、目の前の華奢な少年を交互に見た。

「本当に、王都のお偉方の子かよ。……医者のせがれの間違いじゃねぇのか」

 それは、寡黙なクラにとって最大の賛辞だった。

 ルジェは「ただの客分」ではない。役に立つ、戦場の仲間だと認められたのだ。

「……色々、教わったんだ」

 ルジェは曖昧に笑って誤魔化した。王族であることは言えない。だが、この名誉ある戦士との間に通った微かな熱だけは、本物だと感じていた。

 

 ***

 

 陥落した砦の中は、予想通り「シケて」いた。所詮は境界警備用の石造りの箱だ。金目のものなど、城代の私室にあった僅かな銀食器と、兵士の給金用の小銭程度。命がけで壁を登った報酬としては、あまりに割に合わない。

 

「チッ、これじゃあ薬代にもなりゃしねぇ」

 戦士たちが不満げにぼやく中、シロヴァだけは涼しい顔で、マーラーン侯の元へ向かった。略奪品がないなら、依頼主から絞り取ればいいだけの話だ。

 

 ***

 

「おお、シロヴァ殿! やってくれたな!」

 マーラーン侯は上機嫌だった。砦を取り戻し、面目を保てたからだ。だが、シロヴァが懐から羊皮紙を取り出した瞬間、その笑顔が引きつった。傭兵契約書だ。

 

「マーラーン閣下。契約通り、砦はお返ししましょう。……ですが、精算がまだですな」

 シロヴァは指を折りながら、淡々と成果を並べ立てた。

 

「まず、『一番乗り』。これは我が部隊のクラという者が成し遂げた。規定の報奨金を」

「む、うむ。それは払おう」

 城壁に登るのは極めて危険な任務ゆえ、城壁に一番乗りした者は名誉と報奨を得る。古来の慣習だ。

 

「次に、『旗指(スタンダード)の更新』。一番高い塔に登り、裏切り者の旗をへし折って、貴殿の御旗を掲げたのもウチの若いのです」

 あれがなければ、敵はまだ抵抗していたでしょうなァ、と恩を着せる。これは士気に関わる重要な手柄だ。

 

「そして、これが一番高い。……『城代の生け捕り』です」

 シロヴァが合図すると、後ろ手に縛られ、猿ぐつわをされた裏切り者の城代が引きずり出されてきた。

 

「ん゙、ん゙ーっ、ん゙ーっ!」

 彼は早くもこの後の運命を悟り、必死に藻掻いているが、両側の屈強な戦士が逃げることを許さない。

 

 マーラーン侯の目が、憎悪でギラリと光る。

「おお……! よくぞ、殺さずに捕らえてくれた!」

「死体ならただの首の値段ですが、生体なら値が張ります。……これからたっぷりと『お楽しみ』になりたいでしょう?」

 

 裏切り者への制裁権。それは封建領主にとって、金には代えられない「支配の再確認」の儀式だ。シロヴァはそこを突いた。

 セルウィの戦士たちは報酬目当ての傭兵。そうであるゆえ、目先の大将首に釣られず、よりよい報酬のため制御された殺しをできるのだ。

 

「なにもかもぐちゃぐちゃに混乱する戦場のなかで、あえて『殺さない』こと。これらは我々が訓練された戦士ゆえです。閣下ならばその価値、お分かりになるはずだ」

「ぐ……、仕方あるまい。報酬を増やそう」

 

 さらにシロヴァは、焼け焦げた砦を見回して言った。

「最後に、『倉庫の保全』です」

「なんと?」

「放っておけば、略奪に夢中な『自由』傭兵どもが食料庫や兵舎に火を放っていたでしょう。それを我が隊が追い払い、火を消し止めました」

 

 シロヴァはニヤリと笑った。

「おかげで、この砦は明日からでも使えます。……修理費と備蓄の買い直し費用、それが浮いたと思えば安いものでしょう?」

 

 城代を「殺さなかった」こと、略奪を「しなかった」ことすら、商品として売りつける。

 マーラーン侯は唸り声を上げ、脂汗を流しながらも、頷くしかなかった。それらは全て、彼が喉から手が出るほど欲しいここからの統治の基盤だったからだ。

 

「…………分かった。払おう。すべて、言い値で払おう!」

 

 交渉が成立し、やがてずっしりと重い革袋がシロヴァの手に渡った。砦の中のゴミのような略奪品など目ではない、純度の高い軍資金だ。

 

「見事ですね」

 ルジェが感嘆の声を漏らすと、シロヴァは革袋を放り投げてよこした。

「これが大人の喧嘩の終わらせ方だ。……勝つだけじゃダメだ。相手が何に金を払うか、何に困っているかを見抜いて、骨までしゃぶるんだよ」

 

 ルジェは革袋の重みを感じながら、背後の砦を振り返った。そこには、マーラーン侯の旗が誇らしげに、しかしどこか虚しく翻っていた。

 

 

 ***

 

「ええい、お前らにも褒美だ、受け取れ! 傭兵ども!」

「うぉぉぉぉ!!」

「銀貨! 本物の銀貨だ!」

 

 そこは狂喜と悲惨の坩堝だった。

 その腕っぷしと装備以外に、なにひとつ持たない「自由」傭兵たち。

 

 彼らは無謀な突撃の結果、半分以上が死ぬか、身体のどこかを失うような重傷を負っていた。

 

 いま元気に騒いでいる者たちも、あちこち怪我だらけだ。このうち少なくない数が、汚れた傷からの感染症をこじらせて「あらゆる現世のしがらみ」から解放されていることだろう。

 

 だが、生き残った者たちは、血まみれの手でマーラーン侯から投げ渡された銀貨を握りしめ、踊り狂っていた。中には、味方の死体が転がるその場で博打を始めている者すらいる。

 

「死んだ! あいつは死んだぞ! だが俺は生きている!」

 欠けた歯を見せて笑う男が、仲間の死体を指差して叫ぶ。

 

「ざまあみろ! あいつがくたばった分、俺の取り分が増えた! おお……、アリュートー神にバールバーロ神……、ええいなんでもいい、神々に感謝だ!」

「違いねえ! 生き残った俺たちの運に乾杯だ!」

 

 彼らにとって、仲間とは「分け前を減らすライバル」でしかない。死ねば悲しむどころか、相対的に報酬が増えたことを喜ぶ。

 

 手に入れた大金も、彼らにとっては未来を築くための種銭ではない。

 今夜の酒、女、そして明日にはまた博打。

 

 一瞬で使い果たし、また無一文になって荒野を彷徨うための、刹那の燃料だ。

 明日をも知れぬ身である彼らは、過去を持たず、未来を見ず、ただ「今」という瞬間だけを食いつぶす。

 

 それが、共同体から解放された彼らの「自由」の正体だった。

 

 ***

 

 対照的に、フラジュトフ戦士団の陣営には、静寂と、鉛のように重い熱気が満ちていた。

 

 この攻城戦は、これまでの小競り合いとは比べ物にならない損害を出した。

 死者は十数名。そしてそれ以上に、手足を失い、あるいは腱を切られ、新たにもう戦えない者(ブロークン)になった者が多数出ていた。

 

 彼らは命の一部を切り売りし、それを気まぐれな戦の神が運営する法外な賭場へと持ち込んだ。

 

 高額な賭け金を皆で積み上げ、彼らが得たのは――、単なる銀貨ではない。「未来」だ。

 

 そもそも本来なら、この攻城戦をやらなくても、これまでの冬遠征の稼ぎだけで平年並みの稼ぎは出ている。そこへ重ねての、この破格の臨時ボーナスだ。

 

「ううっ、……これで、これでついに独立できる」

 片目を潰された戦士が、包帯を巻かれながら、しっかりと銀貨の袋を握りしめている。残された目からは絶え間なく涙が溢れていた。

「よくやった。よくやったよお前は……!」

「……俺の戦士としての人生は終わったが、故郷に帰れば俺の『家』が始まるんだ。ぐすん」

 

「俺は……、これで親父の借金が消える」

 梯子から落ち、片腕を骨折した若者が、痛みで顔を歪めながらも、しっかりと革袋を抱きしめている。

「俺の腕一本で、家族が三年は食える。……安いもんだ」

 

「俺は牛を買う。種牛だ」

 別の戦士が、故郷の牧草地を思い描くように呟く。

「――これで俺は、兄貴の家の居候じゃなくなる。自分の暖炉に火を入れるんだ」

 

 新たに家を立てられる者。

 借金を完済してなお余る者。

 老いた親に楽をさせてやれる者。

 戦死した者の遺族には、氏族長シロヴァの責任のもと、一生食うに困らないだけの弔慰金が送られる。

 

 彼らは、誇り高き「自由民(フリーマン)」、その子らだ。

 

 その自由とは、好き勝手に生きるという意味ではない。誰にも隷属せず、自分の才覚と武力で一族を養い、自分の足で立つ権利を持つことだ。

 彼らの銀貨には、死んだ仲間の魂と、故郷で待つ妻子たちの生活が乗っている。

 だからこそ、彼らは軽々しく笑わない。その歓喜は、地面に根を張る大木のように重く、そして誇り高いものだった。

 

 ***

 

 一方、砦の広間。

 マーラーン侯は、自身の威信を取り戻したことに安堵の息を漏らしていた。

 

「……見たか。儂に逆らえばこうなるのだ」

 侯爵の視線の先には、捕らえられた裏切り者の城代が転がされている。

 処刑の方法はすでに決めてある。

 

 ――裏切り者の皮を剥ぎ、塩を塗り込み、生きたまま城壁に吊るすのだ。こうすることで「マーラーン侯はコスト度外視で裏切り者を制裁する」という評判がわかりやすく広まる。

 

 哀れな裏切り者の絶叫が響く限り、近隣の封建領主たちがマーラーン侯を軽んじることはないだろう。恐怖こそが秩序だ。

 

「くくっ、くふふふっ……! これで、誰も儂を見限るまい……」

 侯爵は震える手でワインを煽った。

 

 だが、その背後で控える家宰の顔は、死人のように青ざめていた。

「閣下……。砦は戻りましたが、代償が大きすぎます」

 家宰は震える声で、羊皮紙の計算書を差し出した。

 

「セルウィの蛮族への追加報酬、南方の弩弓兵への技術料、そして商業ギルドへの借金……。これらを支払えば、金庫は空です。いや、来年の税収まで前借りしても足りません!!」

 

 砦一つを取り戻すために、侯爵家は事実上の破産に追い込まれたのだ。

 威信は守られた。だが、その内実は空っぽになった。

 

「……うるさい! 勝てばよいのだ、勝てば!」

 侯爵は計算書を払いのけたが、その手は小刻みに震えていた。

 金で買った勝利の味は、あまりにも苦く、そして高くついたのだった。 

 

 

 ***

 

 勝者たちの明暗を背に、シロヴァは撤収の号令をかけた。

「長居は無用だ! 雪解け水が溢れる前に、隘路を抜けるぞ!」

 皆は、戦利品を山積みにした荷車の重みを感じながら歩き出した。

 

 長く、過酷で、そして実り多かった冬が、終わろうとしていた。

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