第1話 破られた檻
フラジュトフ谷へ戻ると、シロヴァは即座に命令を下した。
「クラを『大倉庫』へ放り込め」
それは、冬の間、凍らせたくない種籾や貴重品を保管するための、分厚い石壁と分厚い扉でできた堅牢な貯蔵庫だった。
窓は明かり取りの隙間だけ。逃げ場はない。
「反省するまでクラをあそこから出すな。酒場への出入りも、訓練場への立ち入りも禁ずる」
それは、クラにとっては死刑宣告にも等しい罰だった。
彼にとって、酒は唯一の安らぎであり、訓練は社会と繋がる唯一の接点だ。その両方を奪い、閉じ込める。
肉体的な痛みではなく、精神的な「飼い殺し」を与える懲罰といえよう。
「…………チッ」
クラは抵抗しなかったが、その目は檻に入れられた猛獣のように、静かに燃えていた。
***
それから、十日ほどが過ぎたある朝。
ルジェが中庭で薪を割っていると、食事を運びに行った使用人の悲鳴が響き渡った。
「きゃあああああっ!」
ルジェが斧を放り出して駆けつけると、そこには信じられない光景があった。
大倉庫の扉――分厚いオーク材に鉄板を打ち付けた頑丈な扉が、内側から「へし折られて」いたのだ。蝶番が飛び、かんぬきがひしゃげている。
「……
ルジェは、床に散らばっているものを見て息を呑んだ。
血のついた包帯と、添え木。
あの時、クラの左腕は大岩に砕かれて確かに骨折していた。全治二ヶ月はかかるはずの大怪我だ。それが、わずか十日で包帯を引きちぎれるほどに治ったというのか?
常人ならざる回復力。あるいは、閉じ込められたストレスが治癒を加速させたのか。異常な速度での治癒だった。
***
「……あいつ、消えたぞ!」
駆けつけた使用人たちが倉庫の中を覗き込み、ロングハウスのあちこちを見回し、そして谷の端から端まで走り回って結論づけた。
大倉庫の中は、当たり前といえば当たり前だがもぬけの殻だった。
なくなっているのは、食糧庫の保存食の干し肉の束と、棚にあった強い火酒の瓶、そして、ロングハウスの壁に掛けてあった薪割り用の手斧だけ。
クラの姿は、シロヴァの大屋敷どころか、谷のどこにもなかった。
雪解けのぬかるんだ地面には、一人分の深く重い足跡が、まだ雪の残る深い山奥へと続いていたのだ。
騒ぎを聞いて現れたシロヴァは、破壊された扉と、引きちぎられた包帯を見て、こめかみを押さえた。
「……あの馬鹿野郎が」
シロヴァの声には、怒りと呆れ、そして「やはりこうなったか」という諦めが混じっていた。
首輪をつけようとすれば噛みちぎる。檻に入れれば檻を壊す。
あの男は、人間の
「……明日にでも捜索隊を出す。今日は、片付けだけしておけ」
シロヴァは吐き捨てて背を向けたが、その背中は「失敗した」という苦い感情を隠しきれていなかった。
ルジェは、足跡が続く深い森を見つめた。
何も持たず、怪我も完治せぬまま、春の荒野へ消えた巨人。
その孤独な背中が、なぜか強くルジェの心を引いた。
(彼は……どこへ行くつもりなんだろう)
そして――、この出奔が、ルジェに課せられる新たな試練となるのだった。