レアネリア戦記(書きかけ、チラ裏、AI利用)   作:湯木一栄

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第4話 辺境の掟

 フラジュトフ谷の本拠地は、巨大な丸太を組み上げた木造の大屋敷だった。

 

 荒々しい戦士の家を率いる当主シロヴァ・フラジュトフは、熊のような巨漢。彼は王都からの「荷物」を、豪快な笑い声と共に値踏みした。

 

「おお、お前がリッドヒン王の息子、第二王子、ルジェか! よく来たな!」

 

 シロヴァの眼前に立たされたルジェは蒼白で、線が細い。その隣に控える黒髪の従者ロサもまた剣を帯びた女戦士だ。

 

 シロヴァはルジェを上から下まで睨みつけ、王都の事情を彼なりに解釈した。

(この若造は、女か……? あるいは、女に近い出来損ないか)

 

 リッドヒン王は老い、世継ぎはラクサのみ。もしラクサに何かあればシュレーゼンロートの血は途絶える。だからこそ、公にできぬ血を『王子』ということにし、王都から遠ざけたのだろう。

 

 だが、その疑念の端で、シロヴァはふと気になった。

(いや、姫にしては……、隣の侍女に比べて骨格が『硬い』な。線は細いが、女の柔さがない。……どちらか判然とせぬ、厄介な代物か)

 

 シロヴァはどちらとも断じ難いルジェの肉体の曖昧さに戸惑いを覚えたが、すぐに豪快に鼻を鳴らした。

 

(まあいい。男だろうが女だろうが、王都の都合でどう呼ばれようが、俺のところで預かった以上、扱いは変わらんさ)

 

 シロヴァはルジェの頭を鷲掴みにし、万力のような力で頭蓋をきしませながら、その目を覗き込んだ。

「……ルジェ。いいか? この俺に預けられたなら、扱いは変わらんし変えんぞ。剣を持て。弓を引け。自分の食い扶持くらい自分で稼ぐ強さを身に着けろ。それができなきゃ、――お前はこの冬で死ぬ」

 

 シロヴァの宣告は、王都の絹の中で育った十歳の少年には、あまりにも冷酷な響きを持っていた。

 

 だが、父からは「隠れろ」「目立つな」としか言われなかったルジェにとって、この野蛮な男の言葉は、逆説的な希望だった。「強くなりさえすれば、生きていていい」という、初めて与えられた肯定だったのだ。

 

「……はい! やります! 強くなりたいです!」

 ルジェは涙目で、しかし精一杯の声を張り上げた。シロヴァはルジェの魂の奥底から噴き出す、生への渇望を確かに見た。

「ハッ! 良い返事だ」

 シロヴァは豪快に笑うと、ルジェの隣で剣の柄を握りしめている少女、ロサに向き直った。

「そこの女もだ! ただの側仕えじゃないだろう? その剣が飾りじゃないならな」

「っ! はっ、はい!」

 少女の声は澄んでいたが、その手は腰のショートソードの柄を、指が白くなるほど強く握りしめていた。恐怖がないわけではない。ただ、主君を守るという責務が恐怖をねじ伏せているのだ。

 

「私はっ、モルコドの娘ロサ。殿下の乳兄妹であり、殿下をお守りする『剣』として育てられました!」

 シロヴァは目を細め、少女の殺気立った瞳と、震える手を交互に見た。

 

 そして次の瞬間、天井の梁を震わせる大声で、心底愉快そうに笑った。

「ガハハハハハハ! 面白い。お前、あのモルコドの娘か!」

 

 シロヴァの脳裏に、かつて戦場で相見えた戦士の顔が浮かぶ。

 

 モルコド。今でこそ王都で羊皮紙とインクにまみれ、リッドヒン王の金庫番として神経をすり減らす冷徹な官僚だが、三十五年前の内戦では、リッドヒンやガルナンと並んで最前線で敵を叩き割っていた猛者だ。

 

 戦後、荒廃した国を立て直すため、脳筋揃いの戦友たちの中で唯一、計算と読み書きが達者だったという理由で剣をペンに持ち替えさせられた男。

 

「あの堅物が、すっかり牙を抜かれたかと思っていたが……娘にはしっかりと戦士の血を残していたと見える」

 

 シロヴァはニヤリと笑い、ロサの肩を叩いた。いや、叩き潰さんばかりの勢いで激励した。

「いいだろう。親父譲りの根性があるか、明日からたっぷりと試してやる。覚悟しておけ!」

 

 ***

 

 フラジュトフ家の大屋敷(ロングハウス)の夜は、騒々しく、そしてどこか物悲しい熱気に満ちていた。

 

 中央の長い炉(ハース)で薪が爆ぜる音。脂の焼ける匂い。そして百人に達しようかという大小の男たちが発する体臭と酒精の臭気。

 屋敷の最奥、一段高い上座には、氏族長シロヴァとその妻、その家族、そして直属の幹部たちが座り、猪のモモ肉にかぶりつき、エールの木杯を仰いでいる。

 

 だが、それ以外の場所――炉を囲むように延々と続く長椅子と土間には、身分による区別はなかった。

 

 ルジェとロサに通されたのは、入り口近くの席だった。隙間風が雪を運び込み、炉の煙が滞留する場所だ。

 目の前に置かれた木椀には、黒っぽい燕麦(オートミール)の粥が盛られているだけ。具はない。香り付けの塩と、わずかな豚脂(ラード)が浮いているのが唯一の贅沢だった。

「……肉は、ないのですね」

 ロサが小声で呟いた。セルウィ盆地の南、王都も決して豊かではないが、ライ麦パンや豆、根菜のスープにはありつけた。だが、ここは耕作限界の北辺。穀物は貴重品であり、カロリーの主役は森の獣だ。

 

「なんだ、新入りか? 肉が食いたければ、森へ行け」

 通りがかった古参の戦士が、ロサの言葉を拾ってニヤリと笑った。その男は片足がなく、木の義足を履いていた。

 

「ここの掟は単純だ。向こうの森はシロヴァ様の庭だ。獲物を仕留めたら、一番いい脂の乗った部位をシロヴァ様に献上する。その残りで、借りがある奴に借りを返す。……さらにその残りが、テメェの胃袋に入るんだよ」

 

 顔に深い皺の刻まれた男は、自分の椀に入った粥を美味そうに啜った。

「俺みてぇに片足失くして走れねぇ役立たずは、シロヴァ様の慈悲にすがって、この粥を啜るしかねえのさ」

 

 ルジェは周囲を見渡した。

 そこにいるのは、屈強な現役の戦士だけではなかった。

 片腕、片脚のない男。顔に深い傷跡があり片目が潰れた老人。そして、まだ剣も握れないような幼い子供たち。

 彼らは皆、かつてシロヴァと共に戦場で血を流した戦友の成れの果てか、あるいは死んだ戦友が遺した子供たちだった。

(そうか……。ここは兵舎じゃない。孤児院であり、養生所なんだ)

 

 シロヴァは、義理堅く寛大なのだ。それが知己であれば、役に立たなくなった者や、行き場のない者を切り捨てていない。

 かといって、働かぬ者を太らせる余裕も、この貧しい北の谷にはない。

 だから「屋根の下に入れてやり、最低限の粥は食わせてやる」。それが、セルウィ北方で一番の大氏族長、シロヴァ・フラジュトフという男の、精一杯の寛大さであり、義理の通し方なのだ。

 

 

 ***

 

 上座から、シロヴァがルジェたちを一瞥していた。

 彼にとって、リッドヒン王からの「預かり(フォスタリング)」の依頼は、政治的な重要事というよりも、戦場で死にかけている戦友から「俺が死んだら、ガキを頼む」と血塗れた手で託された遺言と同義だった。

 

(王の子だろうが、片腕のガーマンの遺児だろうが、俺にとっては同じ「預かりもん」だ)

 シロヴァは猪の骨を齧りながら、心の中でうそぶく。

 特別扱いはしない。だが、見捨てもしない。

 王都の柔らかいベッドはないが、ここなら凍死はしない。

 あとは、自分で肉を獲ってくるか、一生粥を啜って終わるか。それは王子の血が決めることではなく、本人の牙が決めることだ。

 

 ***

 

「……食べましょう、ルジェさま」

 ロサが椀を持ち上げた。

 

「ここは王都ではありません。ですが、誰も私たちを『余所者だから』と虐めているわけではないようです」

「ああ、わかってる」

 ルジェは木のスプーンで粥を口に運んだ。

 ザラザラとした燕麦の殻が舌に触れる。土と、わずかな塩の味。

 隣では、親を亡くしたであろう子が、同じ粥を奪い合うように食べている。

 

(これが、生きるということか)

 

 冷遇されているのではない。ただ、自分が「自分の力で肉を獲れない弱者」として、正当に扱われているだけだ。その事実は、王都で「存在しない者」として無視されていたルジェにとって、奇妙なほど腑に落ちる公正さだった。

「……悪くない味だ」

 ルジェは呟き、粥を飲み込んだ。

 身体の奥が熱くなる。

 

 いつか、自分の手で獲物を狩り、あの上座に座ってやる。

 その原始的な渇望が、ルジェの中で初めて芽生えた夜だった。

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