第6話 準備完了
シロヴァから贈られた新品の剣と盾を返し、クラの赦免を願ってから、二年が経った。
「装備ならばまたいずれ手に入る」と啖呵を切ったルジェの言葉は、嘘ではなかった。
だが、それは英雄譚にあるような、洞窟で魔法の剣を見つけるといった類の話ではない。
泥と、汗と、小銭の積み重ねによるなんやかんや――本当に、言葉にするのも疲れるような「なんやかんや」があって、剣と盾までは揃えることができていた。
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十三歳の夏。
近隣の谷で、家畜を襲う狼の群れが発生した。
ルジェは即座にクラとロサ、そして訓練仲間の次男坊たちを率いて「駆除」を請け負った。
「くっせえーッ! 獣臭ェぞ!」
クラが文句を垂れながら、巣穴の前に煙を送り込む。
燻り出された狼を、待ち構えていたルジェたちが網と槍で仕留める。
華麗な騎士の戦いではない。泥にまみれ、獣の糞尿にまみれ、噛みつかれそうになりながらの害獣駆除。
その報酬と、剥ぎ取った毛皮を売り払った金で、ルジェはまず「盾」を買い戻した。
フラジュトフ家の紋章入りではないが、厚い樫の木に鉄の縁を巻いた、実戦的で頑丈な円盾だ。
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十四歳の春。
シロヴァに頼まれて隣の隣のそのまた隣谷への手紙を渡しに行く道中、街道に出没した野盗団をクラが物理的に粉砕した際、その頭目が持っていたロングソードを戦利品として巻き上げた。
元は名のある騎士のものだったのだろう。手入れが悪く刃こぼれしていたが、ガズに教わって砥石で研ぎ澄ますと、北の寒空のような鋭い輝きを取り戻した。
そしてルジェが片手使いするには微妙に大きいその剣を、なんかやんや歩き回り、走り回り、複数人との交換を経た結果、ルジェの手にちょうどよく馴染む、手頃な肉厚の
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英雄譚には残らない、泥と汗にまみれた「なんやかんや」の積み重ね。
その対価として、ルジェとロサの装備は少しずつ、しかし確実に更新されていった。
そして現在、――十四歳の秋。
冬遠征の準備を進めるルジェの装備は、奇妙な不均衡さを帯びていた。
右手には、自力で稼いだ実直な鋼鉄の長剣。
左手には、獣の脂と泥で汚れた、使い込まれた円盾。
そして胴体には――、十歳の頃から使い続けている、あの一張羅の
「……くっ、きつい」
出発の朝、ルジェは息を詰めて革ベルトを締め上げた。
五年前、王都を出る際に持たされたこの胸甲は、王家御用達の名工が打った逸品だ。
鋼は薄く、軽く、それでいて驚くほど硬い。
だが、十五歳となり、女性的な膨らみを主張し始めたルジェの胸には、もはやそれは鎧というより「拘束具」に近かった。
「ルジェさま、大丈夫ですか? あまり締めると呼吸が……」
「平気だ、ロサ。……これくらい締めないと、入らないからな」
ルジェは苦笑した。
この胸甲だけが、唯一残された「王都のルジェ」の痕跡であり、自らの身体を男の輪郭へと矯正する「仮面」だ。
品質は文句なし。どれだけ成長しても、これだけは手放せない。
「あとは……」
ルジェは、鏡に映る自分の姿を見た。
頭には、革の帽子。
身体は、胸甲の下は分厚いウールの服だけ。
防御力が足りない。
乱戦で刃を受け流すには、全身を覆う
これらは鉄と手間暇をとりわけ必要とする高級品だ。狼退治やお使い駄賃程度では、到底手が届かない。
だが、ここで向こう岸から一隻の助け舟がやってきたのだった。
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冬の足音が聞こえ始めたある日。
訓練場で今日もしごかれるルジェのもとを訪ねたのは、谷の古い家屋に住む一人の老戦士だ。
「……今年の春には、まだまだ次の冬もやれると思ってたんだがな」
老戦士は、ルジェの顔を見て力なく笑った。
「膝がもういうことを聞かねえんだ。……引退する」
彼は、ルジェが何度も手紙の代筆をしてやった男だった。
文字の読み書きができない彼のために、遠方の谷の戦友や、嫁いだ娘への手紙を、ルジェは焚き火のそばで何枚も書いてやった。
彼の武勇伝も、愚痴も、後悔も、ルジェはそのペンの先を通してすべて知っている。
「それでな、ルジェ。……こいつを持って行ってくれ」
差し出されたのは、使い込まれた鉄兜と、油の染み込んだ鎖帷子だった。
「……えっ?」
「俺の装備だ。息子にやるつもりだったが、生憎と息子は流行り病で先に逝っちまった。……ルジェ、お前が使ってくれ」
「そんな、いただけません!」
ルジェは慌てて首を振った。
「これはあなたの戦歴そのものです。それに……」
いずれも鉄を大量に使う高級品。その価値は、それらを手に入れようと苦労するルジェこそ深く知っている。市場で売れば、隠居後の数年は楽に暮らせるほどの価値がある。老後の資金にすべきだ。
だが、老戦士は首を横に振った。
「金ならある。一昨年の冬遠征で、望外のボーナスがあったからな」
ニヤリと笑うその顔には、あの激しい攻城戦を生き残った記憶が刻まれている。
「おかげで、俺ひとりの老後くらいなんとかならぁよ。……だからさ」
老戦士は、重い鎖帷子をルジェの手に押し付けた。ずしりとした鉄の冷たさが伝わる。
「知らない若造に売っ払って、呑んで腹に溶かしちまうより、俺の言葉を一番知ってるお前に継いで欲しいんだ」
手紙の代筆。
ただそれだけのことが、血の繋がりよりも濃い信頼となって返ってきたのだ。
「……俺の息子が生きてりゃあ、ちょうどお前くらいの歳だった。……頼む、俺の代わりにコイツに、また平原の風を吸わせてやってくれ」
ルジェは、震える手でそれを受け取った。
新品の輝きはない。
あちこちに補修の跡があり、鉄の匂いと、老戦士の汗と脂の匂いが染み付いている。鎖の輪の一つ一つに、この男が生き抜いてきた戦場の記憶が編み込まれている。
「……はい。必ず」
ルジェは兜を胸に抱き、深く頭を下げた。
「あなたの魂と共に、戦います」
こうして、ルジェ・セルウィ・シュレーゼンロートの装備は整った。
それは、シロヴァから与えられたピカピカの新品よりも遥かに重く、汚れていて、そして何倍も誇らしい「正規戦士の証」だった。
***
「やりました! やりました!」
「よかったなぁロサ……!」
感涙を流してポーズを取るロサと、つられて涙ぐむルジェ。
「……これで私も! 一人前の、戦士です!」
――あと他にもなんかやんやがあり、ロサの装備も揃えることができたのだ。
クラはもとより正規戦士の武装を既に備えている。これで、ルジェとその供回りの二人。三人揃って冬遠征へ出る資格を得たのだった。
***
そして、冬が来る。
シロヴァが呼んでいる。
「ルジェ。……準備はいいか」
「――はいッ!」
今年の冬遠征は、見学ではない。
次の冬至を過ぎれば、皆はまとめて一つ齢を取り、そうすればルジェとロサは十五になる。セルウィ族の人を率いる上位者の習わし、成人の儀式――初陣だ。
ルジェ・セルウィ・シュレーゼンロートの、真の初陣であり、通過儀礼となる戦いが始まろうとしていた。