レアネリア戦記(書きかけ、チラ裏、AI利用)   作:湯木一栄

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第8話 準備完了!

 冬の訪れを告げる北風が吹き荒れる中、フラジュトフ谷の中央広場は、かつてない熱気に包まれていた。

 例年なら、冬遠征への志願者は、肉体的に全盛期の次男坊三男坊や、稼ぎたい古参兵に限られる。死ぬかもしれない旅だ。生半可な覚悟では集まらない。

 

 だが、今年は違った。

 広場を埋め尽くす志願者の数は、例年の倍。

 しかも、その中にはまだ髭も生え揃わぬ少年たちや、去年の古傷が癒えきっていない老人までもが混じっていた。

「並べ! 装備を見せろ!」

 

 シロヴァが歩く。その検品は、例年以上に厳しく、冷酷だった。

「……だめだ。お前は腰痛が治ってないだろ?」

 うなだれる中年の戦士。夏頃、訓練に熱が入りすぎて腰をやってしまったのだ。

 

「お前もだめだ。盾が薄い、出直せ」

「そんなっ、シロヴァ様! 俺は走れます! 槍だって……」

「走れても、衝撃を受け止められなきゃ死ぬんだよ。失せろ」

 シロヴァは容赦なく志願者を弾いていく。

 

 最初の方で不合格を言い渡された少年が、地面に帽子を叩きつけて悔しがった。

「くそーっ! ルジェの兄貴と一緒に行きたかったのに!」

 

 ――ルジェと行きたい。これが、今年の異常な熱気の正体だった。

 彼らは金のために集まったのではない。「ルジェと共に戦いたい」という、信仰にも似た憧れが、彼らの恐怖心を麻痺させ、無謀な志願へと駆り立てていたのだ。

 

 ***

 

 検品の列の先では、合格を勝ち取った正規戦士たちが、誇らしげに胸を張っていた。

「ははは、泣くなよヒヨッ子ども! また来年もあるさ!」

「俺たちが帰ってくるまで、指を咥えて留守番してな!」

 二度目、三度目の冬遠征を経験するベテランたちにとって、シロヴァの検品を通り、ルジェの指揮下に入ることは、選ばれたエリートの証だった。

 

 彼らはルジェが王子だとは知らない。ただ「王都から来た、美しく強い若大将」として、その背中を崇拝している。

 

 ***

 

 広場の隅で、最年少の志願者――アーリという少年が、膝を抱えて泣いていた。

 体格が基準に満たず、門前払いを食らったのだ。

 そこへ、一人の影が落ちた。

 美しく整えられた革鎧に、真新しいマントを羽織ったルジェだ。

 今年で十五歳を迎える彼は、少女のような繊細な美貌を残しつつも、戦場を知る者特有の静かな威圧感を纏っていた。

 

「……泣くな、アーリ」

 ルジェは屈み込み、目線を合わせた。

「連れて行けなくてすまない。シロヴァ様の目は誤魔化せない」

「うぅ……ルジェ兄ちゃん……。俺も、兄ちゃんの盾になりたかった……」

 

 ルジェは首を振り、アーリの肩に手を置いた。

「違うぞ。盾が必要なのは、平原だけじゃない」

 ルジェは、背後にそびえる雪山と、谷に点在する家々を指差した。

「主力が出払った後、この谷を守るのは誰だ? 女や子供、老人たちを、冬の狼や野盗から守れるのは、ここに残る『男』だけだ」

 ルジェの言葉に、アーリが顔を上げる。

 

「私が安心して前線で戦えるのは、君たちが背中、つまり故郷を守っていてくれるからだ。……今年の冬は、この谷と屋敷を、誰よりも勇敢な兵士として守ってくれ」

 それは、単なる慰めではなかった。

 適材適所。戦えない者には、戦えないなりの「誇りある任務」を与える。

 それは、シロヴァから盗み、ルジェが独自に昇華させた「王の分配(役割の付与)」だった。

「……はい! 任せてくれ、大将!」

 アーリは涙を拭い、敬礼した。その瞳には、新たな使命感が宿っていた。

 

 ***

 

 最終的に選抜されたのは、例年よりやや多い、五百人の精鋭たちだった。

 志願者が倍増したおかげで、結果として兵の質は極限まで高まり、装備も充実していた。

 シロヴァは、整列した五百の鋼鉄の塊を見渡し、そしてその中心に立つルジェを見た。

 

(……罪な男だ)

 シロヴァは苦笑した。

 本人は無自覚だが、そのカリスマは麻薬のようなものだ。

 「あの方のためなら死ねる」と思わせる熱狂が、冷静な判断を奪い、死地へと人を群がらせる。

 だが、それこそが「英雄」の条件でもある。

「行くぞ! 目指すは王都、そして平原だ!」

「「応ッ!!」」

 五百の鬨(とき)の声が谷を震わせる。

 先頭を行くのはシロヴァ。そのすぐ脇に、ルジェ、ロサ、そして巨躯のクラが並ぶ。

 フラジュトフ戦士団は、かつてない熱量と殺気を孕んで、雪の街道を南下し始めた。

 

 

 ***

 

 王都ワストゥエステンまで、あと一日。

 最後の宿場町は、五百人のフラジュトフ戦士団の熱気で沸き返っていた。

 

 彼らは知っている。今回の遠征の主役は自分たちであり、その先頭に立つのが、美しく聡明な若き指揮官ルジェであることを。士気は最高潮だ。

 だが、その熱狂の中心にいるはずのルジェは、宿屋の一室で一人、鏡の中の自分と対峙していた。

 

「……ふぅ」

 ルジェは、深く、重い息を吐いた。下腹部に、濡れた綿を詰め込まれたような、不快な鈍重さがある。

 

 生理だ。

 

 初潮から五年。最初のころの不安定だった周期はだんだんと安定していた。そして、ルジェはあることを知る。ロサや谷の女性たちが言うような内臓を絞られる激痛に比べれば、ルジェのそれはずいぶん「軽い」部類に入っていたのだ。薬を飲めば、立っていられないほどではない。

 

 だが、肉体の痛みは軽くても、精神の防壁は脆くなる。ホルモンの波が、心の奥底に沈めていたヘドロをかき混ぜるのだ。

 

 ***

 

 ルジェは、下着に付着した少量の赤色を見て、吐き気を催した。

(なぜ、今なのか)

 よりによって、父のいる王都へ凱旋しようというこの時に。

 

 この血は、ルジェに突きつけるのだ。

 『お前は男ではない』

 『お前は、鎧で着飾っただけの、中身の壊れた人形だ』と。

 

 王都の尖塔が近づくにつれ、ルジェの脳裏には、五年前の記憶が鮮明に蘇っていた。

 冷たい玉座。自分を見ようともしなかった父リッドヒン。

 

 そして、「隠せ」「消えろ」と言外に告げられた絶望感。

 

(父上は正しかったのかもしれない)

 弱気な思考が首をもたげる。

 シロヴァは認めてくれた。戦士たちも慕ってくれる。

 

 だが、もし彼らがこの「血」を見たら?

 僕が股間から女の血を流し、胸を布で潰している奇形だと知ったら?

 

 彼らの崇拝は、一瞬で軽蔑と生理的嫌悪に変わるのではないか。僕は、彼らを騙している詐欺師ではないのか――――?

 

 ***

 

 ルジェは、鏡に映る蒼白な顔を睨みつけ、自身の頬を両手で叩いた。

 パァン! と乾いた音が響く。

 

(……やめろ)

 ルジェは、震える唇で自分自身に命令した。

(卑屈になるな、ルジェ・セルウィ・シュレーゼンロート!)

 

 自分のためではない。

 あの雪山で、命を賭けて連れ戻したクラのために。

 「ルジェ兄ちゃんと行きたい」と泣いてくれた少年たちのために。

 そして、自分の可能性を信じて送り出してくれたシロヴァのために。

 

(この卑屈さは、私を認めてくれた皆への侮辱だ……!)

 

 私が私を否定すれば、彼らの信頼まで「偽物」になってしまう。それだけは、してはいけない。ルジェは、鋼鉄の意志で心の揺らぎをねじ伏せた。

 

 ***

 

 ルジェは新しいさらしを巻き、きつく締め上げた。腹の底の不快感を、物理的な圧迫感で誤魔化す。

 そして、冷たい鋼鉄の胸甲(キュイラス)を装着し、ベルトを限界まで締める。

 

 ガチャリ。

 

 金属音が、ルジェの弱い心を閉じ込める錠前の音のように響いた。

「……ルジェさま」

 控えめに扉が開き、ロサが入ってきた。

 

 彼女は、ルジェの顔色と、部屋に漂う微かな血の匂いを察知し、痛ましげに眉を寄せた。

「……薬湯を、お持ちしましょうか」

「いや、いい」

 

 ルジェは振り返った。

 その顔には、すでに「若き指揮官」の仮面が張り付いていた。少し青ざめてはいるが、その瞳には鬼気迫る光が宿っている。

「行くぞ、ロサ。……王都が待っている」

 身体は呪われている。心は泣いている。

 だが、それでも足は前へ進む。

 

 ルジェは、鎧の内側の粘つく不快感を「戦意」という薪に変えて、部屋を出た。

 その背中は、痛々しいほどに美しく、そして孤高だった。

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