ザッ、ザッ。
十人の巨漢、南方から来たという決闘士たちが、地面を踏みしめて前に出る。
彼らは一様に、戦場の泥濘とは無縁の、手入れされた鋼の輝きを放っていた。
(……こいつら、強い)
ルジェは、肌を刺すような圧力に息を呑んだ。ただ体格がいいだけではない。重心の低さ、構えの隙のなさ、ここまでに戦ってきた
だが、何よりもルジェを警戒させたのは、彼らが纏っている「異常な防具」だった。
***
先頭の男が身に着けているのは、遠目には銀色の布で作られた衣服のように見えた。
だが、違う。
ルジェの目が、その「布」が波打つたびに生じる、微細な金属音と光の反射を捉える。
(あれは……鎖帷子なのか!? だが、目が細かすぎる)
通常の鎖帷子は、小指ほどの鉄の輪を繋ぎ合わせたものだ。剣の斬撃は防げても、強い突きや矢は隙間を抜けることがある。
だが、あの男のそれは、麦粒ほどしかない極小の鉄輪を、二重三重に密に編み込み、更に要所をリベットで固くカシメた代物だった。その手間と労力は気の遠くなるほどで、その価値はたった一着でひとつの村の租税数年分にも匹敵する
そして、後衛に控える男たちが着ているのは、小さな鉄の板を革紐で幾重にも綴り合わせた
ルジェらセルウィ人は知る由もないが、それは南方の都市国家工房が異大陸から取り入れ、研鑽した技術の粋。一枚一枚が焼き入れされた鋼板の重なりは、柔軟かつ強固だ。この積層装甲は北の戦士の戦斧さえ逸らし、受け止めてしまうだろう。
(こいつら全員、……個人の武勇なら、セルウィの戦士たちより上だ)
ルジェは初見の衝撃から素早く立ち直り、素早く戦力差を分析した。
セルウィの戦士は強い。だが、それは盾を並べた時の結束力、そして後ろを気にせず吶喊する蛮勇による強さであり、個々の装備は、自前で用意できる一般的な鎖帷子や革鎧に過ぎない。訓練も、畑と家畜を守り、その残り時間で行うものだ。
彼らは戦争の道具というより
一対一で戦えば、セルウィの戦士といえど、対人戦の経験と装備の差で押し切られるだろう。
***
「押し通るぞ! かかれッ!」
本陣に飛び込んできたセルウィの戦士の一人が、勇敢にも手斧を振り上げて飛びかかった。
ガギィン!
甲高い音が響く。
戦士の渾身の一撃は、男の肩口――鎖帷子の上を、まるで氷の上を滑るように弾かれていた。
「なにッ……!?」
刃が食い込まない。衝撃が浸透しない。驚愕に目を見開いた戦士の胴体を、返しの刃が襲った。
「この、ばろばろい、めっ!」
ズンッ!
「――ギャッ!」
横薙ぎに両手剣。遠心力で勢いづいた重い斬撃が、セルウィ戦士の革鎧と鎖帷子をやすやすと断ち切り、致命傷を与えた。
「ころす……、ころす……」
彼を屠った決闘士が、酷く訛った平原語で呟く。たどたどしくも聞こえるその訛りが、セルウィ人たちにはむしろ威圧的に響いた。
「気をつけろ! 一人で当たるなッ!」
ルジェは素早く命じる。だが、ルジェが率いてきた部隊は五十に満たない。彼ら南方の決闘士たちを囲い込むには数が足りない。
「――ウォォォッ!」
(クラは……。畜生ッ、後ろか)
遠く背後でクラの蛮声が聞こえる。千人を超す敵兵から本陣に突入したルジェらを守るべく、残る彼らが敵に立ち塞がっているのだ。
手元にある最強の武力が欠けている以上、個の質で押し切るのは無理筋となる。
「連携だ! 数人で連携して当たれッ!」
***
「グゥッ……!」
幾度かの攻防の末、ルジェの隣で戦っていた戦士の一人が、横薙ぎに振るわれた
ゴガンッ!
鈍く重い音が響き、戦士は枯れ木のように吹き飛ばされ、地面を転がった。
「大丈夫か!?」
「ウウッ……、はい……」
即死ではないが、肋骨が砕けていた。戦士はそのままうずくまって動けなくなる。
「すばしっこいっ、ねずみめ!」
「ッッ――!」
ルジェの目の前には、身長二メートル近い護衛兵が立ちはだかっていた。フラジュトフ谷では巨漢で知られるシロヴァやクラすら超える身長だ。
ガアァァァン!!
大剣が振り下ろされる。ルジェは剣で受けるが、衝撃が骨まで響く。
そして、その振り下ろされる体勢のまま鍔迫り合い(ロック)に持ち込まれる。
「ぬっ! うぅ……ッ!」
ルジェは歯を食いしばり、全身のバネを使って押し返そうとする。
だが、相手は岩のようだ。
鋼鉄の重量と、圧倒的な腕力、体格差。ルジェの足が泥の中をズルズルと後退する。
押し込まれる。顔の前に、敵の冷たい面頬が迫る。
(……力が、違いすぎる)
技術や速さでは補えない、絶対的な質量の差。
このままでは押し潰される。
死が脳裏をよぎったその時、甲冑兵の首元に銀閃が走った。
カィン!
ロサの投げナイフだ。
正確に兜の隙間を狙った一撃だったが、厚いネックガードに阻まれ、火花を散らして弾かれた。
だが、その衝撃に敵が一瞬だけ意識を逸らす。
「今だッ!」
ルジェはその隙を逃さず、身体をひねって鍔迫り合いを解除し、バックステップで距離を取った。
「ハァ……、ハァ……ッ」
荒い息を吐く。
助かった。だが、有効打はない。
セルウィ戦士の強みは武勇と連携、隊列が組めないこの状況下では、純粋な装備の質と、対人戦闘の技術(スキル)の差が残酷なまでに現れる。
十人の鋼鉄の壁が、じりじりとルジェたちを押し返し始めた。
「ははっ、はははっ! どうだ! これぞ金……、おっと、文明の力よ!」
後ろでザガン伯が勝ち誇ったように叫んでいる。伯爵の周囲を大盾を持った護衛が囲んでいた。あれでは飛び道具の奇襲も届かないだろう。
***
焦りは、目の前の敵だけではなかった。
周囲の空気が変わり始めていた。
ルジェたちが生み出した「混乱の波」が、徐々に収まりつつあったのだ。
指揮官を失ってパニックに陥っていた農民兵たちも、敵――ルジェ隊の数がわずか五十人弱であることに気づき始めていた。
「押せ! 討て! 本陣の危機を救ったとなればザガン閣下から恩賞が出るぞ!」
「おおーーーーっ!」
逃げ惑っていた数千の群れが、今度は巨大な肉壁となって、逆にルジェたちを圧殺しようと動き出す。
クラを筆頭に、ルジェら突入部隊の背後を守っていた戦士たちが、逆に本陣側へ押し込まれてくる。
「囲まれるぞ!
クラが吼え、戦斧で敵を牽制するが、多勢に無勢だ。
(まずい……)
ルジェは背筋が凍るのを感じた。
ここで足止めを食らえば終わりだ。
川へ捜索に出ていた敵の重装騎兵百騎が、異変に気づいて戻ってきたら?
背後から突撃を受け、全滅する。
――万策尽きたか。
そう思われた、その時だった。
***
「オラァァァァッ!!」
背後――川の方角から、新たな鬨の声が轟いた。
正面の敵を食い破り、隘路を突破してきたシロヴァの本隊だ。
本陣の混乱によって連絡が途絶え、指揮系統を失って崩れたザガン軍の中央を、正面から物理的に踏み潰して到達したのだ。
「遅くなって悪かったなァ、ルジェ!」
シロヴァの声と共に、唸りを上げて何かが飛んできた。
回転する凶器――投斧だ。
ガゴォッ!!
ルジェを追い詰めていた護衛の背中、装甲の薄い部分に正確無比の投斧が炸裂した。
「がはっ……!?」
不意打ち。
さしもの巨漢も、背後からの衝撃には耐えられず、前のめりに倒れ伏した。
装甲は貫かれておらず、まだ致命傷には至らない。だが――。
「転んだぞ! 叩き殺せッ!」
「オオォ!!」
ガン! ガン!
ドガドガッ! バキッ!
ベコッ!
ここが好機とばかりに、倒れた決闘士へと数名の戦士たちが群がり、鉄鋲のブーツで足蹴にし、斧の峰や槍の石突きを鎧の上から何度も何度も叩きつける。
「やめ、ろ! ……ごっ、ごぷっ」
グシャ!
やがて、はるばる平原の北辺までやってきた南の
***
「なっ……!? ぼす!」
(ここだ――ッ!)
ルジェと対峙していた護衛が、同僚が倒されたことに驚愕し、わずかに体勢を崩した。その瞬間、ルジェは剣を捨て、獣のように飛びかかった。
ルジェは男の懐に潜り込み、その自重と勢いを利用して足を掛ける。
「なっ、きさま……!」
男が仰天し、ルジェを引き剥がそうとする。
小柄なルジェ一人では、いくらなんでも重量差が大きすぎる。そのままでは倒せない。
「アアアアーーーッ! ルジェ様!!」
だが、背後から走ってきたセルウィ戦士が、そのまま全体重を込めて突撃した。
ドタアァン!
護衛兵が倒れ込み、
周りの戦士がルジェの背後を守り、的確に護衛の兜に足蹴を加えて集中させない。
そして一分ほど地面をもつれた後、ルジェは男の胸の上に馬乗りになった。腰から抜いた
狙うは、兜と鎧の隙間。首元のわずかな露出部。
「――――イヤァッ!」
ズプッ。
「が……、……ぁ……、おぉっ」
嫌な感触と共に刃が沈み、男の身体がビクンと痙攣し、動かなくなった。
***
「セヤーーーッ!!」
少し離れた場所では、ロサが裂帛の気合いと共に踏み込んでいた。
彼女の目の前には、三人のセルウィ戦士が盾を掲げて突進し、重装の護衛兵を押さえ込んでいる。
「くっ、はなせ! きたない、ばろばろいめ!」
護衛が戦士たちを振り払おうともがく。その一瞬、兜のバイザーの奥で、男の目が動いた。
ロサは、その「目」だけを見ていた。
ヒュッ。
針のように細い切っ先が、兜の横長の
眼窩への刺突。脳を直接破壊された男は、悲鳴を上げる間もなく、糸の切れた人形のようにぐったりと崩れ落ちた。
***
「ハァーーッ……、ハァーーッ……」
荒い息を吐きながら、死の危機から脱したルジェが改めて周りを見回す、返り血で真っ赤に染まったシロヴァと、四百の狼たちがそこに立っていた。
「……間に合った、のか」
ルジェは剣を下ろし、大きく息を吐いた。
駆けつけたシロヴァ隊によって、本陣は完全に制圧された。
ザガン伯は腰を抜かして座り込み、残った護衛たちも武器を捨てて降伏の姿勢を取る。
大勢は決した。
ルジェの初陣は、薄氷の上の勝利として幕を閉じたのだった。