第1話 大公の招待状
時期は春先。平原に一足早い春が訪れ、腹を満たした各々谷のセルウィ戦士団が最後の駄賃を稼ぎつつ、いよいよ北を目指す頃。
北へ向かう隊列が、ふいに足を止めた。
早馬の伝令が、シロヴァのもとに一通の羊皮紙をもたらしたからだ。
それを読んだシロヴァの目が、獲物を見つけた鷹のように細められた。
「……聞いたか、おい。ここから大河を西に渡った向こうで、
「マジか!?」
「数年ぶりじゃねえのか。やるねぇ」
途端にざわめく戦士団の幹部たち。
この広大な平原に王はいない。
男爵だか伯爵だか侯爵だかの、雑多な
だが、大公はそのいずれでもない。抜きん出た
平原有数の実力者、大公――、彼らが動くとなれば、動く金と兵の桁が違う。
「依頼主は、平原西部の覇権を争う『ヴァルド大公』!」
シロヴァは地図を広げ、西を指差した
「敵対するのは、その北に隣接する『ゴルム大公』だ」
本来なら、ひと月ほど経てば帰るべき時期だ。更に大河を越えた向こうの土地ともなれば、行軍が間に合っても舟の確保に失敗して帰れないリスクがある。雪解け水は着実に川へと流れ込み、これから夏にかけて川幅は広く、流れは激しくなる。
平原から見た北の果て、彼らの故郷であるセルウィ盆地を貫流せしセルウィ川は、平原の雪解けからおよそ二ヶ月後に勢いを増す。
それが大河に合流すれば、大河も一気に激しくなるだろう。戦利品の荷車を置いて帰ることになる、どころか、夏の過ぎまで帰れなくなる危険があった。
だが……、それでも提示された報酬額は、これまでの冬遠征の稼ぎが霞むほどの巨額だった。
雪解けのリスクを冒してでも、食らいつく価値は、ある。
各々が畑を持つ自由民である戦士たちは、半刻ほどの会議を経て、決断に至る。
「進路変更だ! 西へ向かう! ……今年の冬は、まだ終わらんぞ!」
***
シロヴァが件の羊皮紙を見せ、「ヴァルド大公のもとへ参陣したい」と渡し守に伝えると、格安で大河を渡ることができた。
ここはまだ大公領ではないが、この地の領主が「忖度」しているのだろう。大公の底知れなさを感じさせる。
「すごい……、これが大陸最大の河川、『大河』……!」
「進んでも進んでも向こう岸が見えません!」
ルジェやロサ、そして冬遠征のベテランの中からも、何人かの驚嘆と歓声があがる。
普段のフラジュトフ戦士団の冬遠征範囲は大河の東岸。見たことない者も多かったのだ。
「がーっはっは、そういえばお前ら、見るのは初めてかぁ!」
「山脈の雪解けが始まるともっとすごいぞ。こんなの目じゃねえ!」
そう言うのは、したり顔の古参兵たちだ。彼らは若い頃、数年がかりの大遠征を行った経験があるのだ。
(世界は……、こんなにも広いものなのか)
果てなどないかのような大河川。大河はゆるやかに見えたが、耳を澄ませば、どこまでも続く水塊が大地を押し流すような、低いうなりを響かせていた。
***
そして河越えをして数日後。大河の西岸に展開されたヴァルド大公の陣営は、一つの移動都市のような規模だった。
万に届く大軍勢。その一角に、見慣れた旗印や、見たくもない旗印が林立していた。
ヴァルド大公は、戦力を確保するために、冬遠征の帰路にあったセルウィの有力氏族を手当たり次第に雇い入れたのだ。
北の雄たるフラジュトフ氏族と、そこに従う中小氏族の戦士、フラジュトフ戦士団の五百名。
フラジュトフの友邦、ヘジャロローフ氏族。
王都に近いヴェールドメールク氏族。
盆地西の大氏族、オルドトーデーン氏族。
そして因縁浅からぬリュデデンドール氏族の戦士団もあった。
「おーっおーっ、ダバルんところもだ。氏族長自ら来てるぜ。気合い入ってらァ」
他にも大小様々なセルウィの戦士団旗が並んでいる。それに倍する平原傭兵の姿もある。
ここはまさに、金で買われた暴力の見本市だ。
***
「ケッ、またあのシロヴァか」
「相変わらずデカい面をしやがって」
氏族長や、氏族長の代理で氏族長戦士団を率いる戦士団長、傭兵団長がまとめて集められた軍議の席。
リュデデンドール氏族の長が、露骨に床に唾を吐いた。彼の後ろには、以前王都でクラに半殺しにされた若者たちが、恨めしげな目でこちらを睨んでいる。
その他の氏族長や戦士団長も、敵意とも憎しみとも言い難い冷ややかな視線を送ってくる。
彼らは普段、狭いセルウィ盆地の中で領境や水利権を巡って殺し合い寸前の争いをしているライバル同士だ。仲が良いわけがない。
(……空気が重い)
シロヴァの後ろに控えていたルジェは、背筋が凍るような敵意の交錯を感じていた。
敵は大公軍だけではない。味方の陣営の中にこそ、無数の刃が隠されている。
一触即発の空気の中、シロヴァは悠然と歩み出た。
彼はリュデデンドールの氏族長を睨み返し、そして周囲の氏族長たちを見回して、ドカと椅子に座った。
「睨むなよ、ご同輩。……ここはお互い、出稼ぎの現場だろうが」
シロヴァの声は低く、凄みがあった。
「今回の報酬は、個人の感情で蹴るにはデカすぎる。……故郷のガキどもに美味い麦を食わせたいのは、お前らも同じはずだ」
氏族長たちが黙り込む。
悔しいが、その通りだ。ここで揉めて契約を破棄されれば、一族の損害になる。
「ここでの喧嘩はナシだ。……この稼ぎ場を荒らす奴は、ヴァルド大公より先にこの俺が許さんぞ」
シロヴァは腰の剣を指で弾いた。
リュデデンドールの氏族長は舌打ちし、視線を逸らした。
「……フン。分かっている。稼ぎに来ただけだ」
場が収まる。
ルジェは、息を吐いた。
これだけの猛者たちを、言葉一つで黙らせる胆力。
シロヴァは、単なる一氏族長ではない。セルウィ傭兵という「業界」を取り仕切る、顔役としての格を持っていたのだ。
だが、安堵はまだ早い。
これだけの数の戦士が集められたということは、それに見合うだけの「死地」が用意されているということだからだ。