レアネリア戦記(書きかけ、チラ裏、AI利用)   作:湯木一栄

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第2話 戦場の霧と待つという地獄

 翌朝。

 大河沿いの平原に、朝霧が立ち込めていた。

 シロヴァは馬上で目を細め、彼方に対陣するゴルム大公軍の陣容を観察していた。

 

「……チッ。面倒な連中がいやがるな」

 シロヴァの視線の先には、林のように長い槍(パイク)を垂直に立てて整列する、異様な歩兵集団がいた。

 平原の徴募兵ではない。彼らの纏う独特の縞模様の服は、セルウィ盆地の西の境を為す大山脈、その麓の丘陵地帯に暮らす部族の印だ。

 

「あれは……、見慣れない武装ですね」

「あいつらは、ジュロルディ族だ」

 シロヴァがルジェに解説する。

「俺たちの盆地の、山を挟んだ西側に住む連中さ。あそこの土地も貧しい。牧畜と、あの長槍(パイク)を使った出稼ぎで食っている」

 

 セルウィが「盾と斧」の文化なら、ジュロルディは「超長槍による密集陣」の文化だ。

 五メートル近い槍の壁は、騎兵はおろか、歩兵さえも寄せ付けない。

 市場を争う商売敵であり、戦術的にも噛み合わせの悪い相手、それがジュロルディ傭兵だった。

 

 ***

 

 霧が晴れるにつれ、戦場の全貌が明らかになった。

 

【敵軍:ゴルム大公軍 約8,000】

 中央に分厚い徴募兵と平原傭兵。その後ろの本陣には重装騎兵か。そして右翼には、不気味な沈黙を守るジュロルディ傭兵団(3,000)が配置されている。

 

【友軍:ヴァルド大公軍 約7,500】

 対するこちらは、中央に大公の騎士団から成る重装騎兵、徴募兵。左翼に、我らセルウィ連合傭兵(2,000)が配置された。 後ろにはヴァルド大公従士による督戦隊と、平原傭兵団の弓兵、弩兵。

 

 合わせて一万五千を超える人間が、一つの平原で殺し合う。

 ルジェは、視界を埋め尽くす「人の海」に圧倒され、軽い眩暈を覚えた。

(……これまでの戦いとは、桁が違う)

 

 数百人の小競り合いなら、クラのような個人の武勇で戦局をひっくり返すこともできた。

 だが、この規模では無理だ。一人の英雄が百人を斬ったところで、その横を千人が通り抜けていくだけだ。

 

 ***

 

「あれ、そういえば友軍右翼には誰がいるんでしょう。よい……、しょっと」

 ルジェがその身軽な平衝感覚を発揮し、馬上の鞍上に立って遠くを眺めるが、右翼には誰がいるのかすら見えなかった。

 

「右翼は……、なにが集まってるのかもよく見えませんね」

「そりゃそうだ。中央軍を挟んだ向こうだからな。向かい側のゴルム軍の陣容のほうがまだ見通せる」

 

 シロヴァがあっけらかんと言った。だがその直後、ふと気づいたように顔色を変える。

「そうか、ずいぶん鍛えてやったつもりだがお前、『大会戦』はまだだよな」

 

 シロヴァが、いつになく真剣な声で言った。

「いいか、よく聞け。これは『大会戦』だ。単独の総大将が、これだけの数を細かく動かすことは不可能だ。だから軍は三つに割れる」

 

 右翼、中央、左翼。

 それぞれに将軍が置かれ、別の生き物のように動く。

 

「普段は『全体を見ろ』って言ってるよな」

「はい。それが指揮官の視座を養うためだと」

「その通り。だがな、こういう大会戦は違うぞ。なにをどうしても見えないところ……ってのが、普段の戦場以上に無数にあるんだ」

 

 シロヴァの現場の講義が続く。

 左端の部隊と右端の部隊は、物理的に数キロメートルの距離で隔てられている。まともに連絡ができない。中央が勝っても、翼が崩れれば包囲されて負ける。逆もまた然り。手を尽くしてもどうにもならないことを気にしていれば、目の前への注意が散漫になる。

 

「だから今日ばかりは、『見える範囲だけ』を見ろ。いいな?」

「っ、はい!」

「いい返事だ。じゃあ、俺たちセルウィ勢二千は、左翼に配置された。……対面を見てみろ」

 

 ルジェは目を凝らした。

 正面にいるのは、あの長い槍の森――ジュロルディ傭兵団、三千だ。

 

「ヴァルド大公の狙いは明白だ。『蛮族には蛮族をぶつけて潰し合わせろ』ってな」

 

 シロヴァは獰猛に笑い、兜の緒を締めた。

 

「上等だ。西の槍使いどもに、北の盾の硬さを教えてやる。……ルジェ! お前の隊は俺の後ろ、遊撃(リザーブ)に付け! 全体の動きを見るな、目の前の『旗』だけを見ろ!」

 

 ブォォォォォォォ……!!

 大地を震わせる角笛の音が、重なり合って響く

 それを聞くや否や、陣容の前を何騎もの伝令が駆け、口々に命令を下す。

「――前進! 前進! 前進!」

 

 個人の意思など飲み込む、巨大な暴力の波が動き出した。

 

「よォし、ケツ締めてくぞテメェら! フラジュトフ戦士団、前進ッ!!」

「オオオオオッ!!」

 

 セルウィの盾壁と、ジュロルディの槍衾。

 ――貧しき山の民同士が、平原の富豪の代理戦争として、正面から激突する。

 

 ***

 

 開戦から数時間。

 左翼の戦況は、泥沼の消耗戦に陥っていた。

 

「押せ! 槍をへし折れッ!」

「だめだ、長すぎる!」

 

 最前線では、セルウィの円盾(ラウンドシールド)と、ジュロルディの長槍(パイク)が激突していた。

 

 相性は最悪だ。

 ジュロルディの槍は五メートルもある。セルウィの戦士が斧を振るう間合いに入る前に、三本、四本の穂先が襲いかかってくる。

 

 盾で防いでも、衝撃で足が止まる。隙間を縫って突き出された槍が、戦士の喉や太ももを貫く。

 だが、共同体由来の堅い結束で守られたセルウィの盾列は、そう簡単に揺るがない。誰かが傷つけば入れ替わり、後退し、退くことなく前線を張り続ける。

 

 それでいい。そうすれば、こちらも傷つき疲れるが、5メートルの長槍を振り回す彼らジュロルディ族も疲労が溜まっていく。

 

 動かない戦線。すり減る戦士たち。

 ヴァルド大公からの命令は来ない。

 ならば契約に従い、これをずっと、ずっと繰り返す。

 

 ***

 

「……ッ」

 後方の小高い丘で待機するルジェは、味方が串刺しにされる光景に歯噛みした。

 助けに行きたい。クラを突っ込ませて、あの槍の森を薙ぎ払いたい。

 

 ――だが、動けない。

 ルジェの任務は、フラジュトフ氏族戦士団が担当する前線幅における遊撃だ。前線が突破された瞬間に穴を塞ぐのが役目であり、それまでは一歩も動いてはならない。

 

 いざ突破されて穴が空いた時に、そこを素早く塞げる予備がいなければ、戦線はその穴から決壊する。そして背後や側面を突かれた戦士は、脆い。

 目の前で救える戦士より、もっと大勢の味方が死ぬことだろう。

 

 だからルジェと、ルジェ指揮下の五十人は、味方がすり減るのを眺めて安全な後ろで待たなければいけない。

 危険といえば、時たま風に流された流れ矢が飛んでくるのみ。

(矢弾が行き交い、切っ先を交えるたび、死ぬ。死ぬ。死ぬ――)

 

 ***

 

 思わず堪えきれなくなり、視線を転じれば、遥か彼方の中央や右翼でも、似たように砂煙と怒号が上がっている。

 だが、そこで何が起きているのか、一介の前線指揮官であるルジェには全く分からない。

 

(味方の騎士団は優勢なのか? それとも崩壊寸前なのか?)

 もし中央が負ければ、左翼の自分たちは敵中に孤立し、包囲殲滅される。

 逆に、もし右翼が勝っていれば、無理に攻めずに時間を稼ぐだけでいい。

 

 攻めるべきか、耐えるべきか、あるいは逃げるべきか。

 その判断材料が、現場には一切ないのだ。

 

(……だめだ! シロヴァに、全体を見るなと言われた)

 

 ルジェは、預かり親の言葉をハッと思い出し、意識を切り替える。

 一介の部隊長には、なにをどうしても見えないところ、行けない場所がある。

 ただでさえ神経のすり減る前線だ。手を尽くしてもどうしようもないところを、そもそも気にしてはいけない――、と。

 

(でも、……怖い)

 ルジェは、無意識に手綱を握る手に力を込めていた。指の関節が白く浮き出る。

 目の前の敵よりも、この「全体像が見えない」という暗闇の方が、遥かに恐ろしい。

 

 ***

 

「……ほらよ」

 

 不意に、目の前に革の水筒が差し出された。

 いつの間にか隣に来ていたシロヴァだ。

 

 戦列の前後入れ替えに伴って、前線部隊長と入れ替わるように後ろに下がってきたのだ。

 彼は、目の前の戦況を睨み据えたまま、平然と水を飲んでいた。

 

「手が白いぞ、ルジェ。……まあ、無理もないがな」

 シロヴァは水筒をルジェに渡し、口元を拭った。

 

「これが『大会戦』ってやつだ。気を強く持てよ」

 シロヴァは、遥か後方、ヴァルド大公の本陣がある丘を顎でしゃくった。

 そこには、豆粒のように小さな大公旗が翻っている。

 

「どのタイミングで何を援護するか、あるいは俺たちを見捨てて撤退するか。……全てはあそこに座っている、顔もよく知らないおっさんの腹一つだ」

 

 ルジェは水筒の水を含んだ。ぬるい水が、乾いた喉を通り過ぎる。

 

 自分の命運を、信頼関係もない、顔もよく知らない他人に預け、ただ命令を待つ。

 そして、その命令が「正しい」保証などどこにもない。

 大公が臆病風に吹かれれば、勝てる戦も負けになる。伝令が来るのが数分遅れれば、撤退の機を逃して全滅する。

 

 自分たちの命は、彼らにとっては盤上の駒に過ぎない。

 

 もし、「ここで二千人の傭兵が全滅しても、敵の主力を削れれば安いものだ」と判断されれば、それまでなのだ。

 

(……なんて無力なんだ)

 ルジェは、戦士としての「個」の力が、システムの前ではあまりにちっぽけであることを痛感した。

 個々がどんなに強くても、盤面ごとひっくり返されれば、死ぬ。

 

 ***

 

「……来ました!」

「ッ!」

 視力のよいルジェの侍従、ロサが鋭く叫んだ。

 本陣の方角から、一騎の伝令が、泥を跳ね上げてこちらへ駆けてくるのが見えた。

 吉報か、凶報か。あるいは、死刑宣告か。ルジェは水筒を返し、剣の柄に手をかけた。

 軍隊という巨大な歯車が、またギチリと回ろうとしている。

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