レアネリア戦記(書きかけ、チラ裏、AI利用)   作:湯木一栄

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第8話 平原には金が落ちている

 休憩の合間、片目のない者、腕のない者……、いずれもどこかを失って、もう戦えない古参兵たちが、ルジェの隣にドカと腰を下ろした。彼らは南の平原で十年戦い、生きて戻った古強者だ。

 

 そのうちのひとりが硬い黒パンをかじりながら、王都育ちのルジェにニヤリと笑いかけた。

「おい、王都の坊主。ここへ来る道中、王都ワストゥエステン並みのデカい都市はあったか?」

「……いや、その半分の規模の町もなかった。あるのは小さな宿場と、砦だけだ」

「だろ? だが南の平原は違うぞ」

 古参兵は、ギラついた目で南の空を指差した。

「肥沃で豊かな大平原。あっちじゃ、ウチの王都並みの城塞都市なんざザラにある。地方の大諸侯なら、石造りの立派な城に住んで、毎日ワインを飲んでやがる。……とにかく豊かだ。俺たちの想像がつかねぇくらいにな」

 

 寒冷期は二百年以上前に終わり、帝国の崩壊、民族移動時代に荒廃した農地は再開拓された。現在の平原は、辺縁諸国に穀物を輸出できるほどの余剰生産力を持っている。

 商業ルートは回復し、都市は肥え太っている。北の民にとって、そこは黄金郷に近い。

「だからよ、遠征は儲かるんだ」

 古参兵は舌なめずりをした。

「騎士サマは怖いが、一匹転がして身ぐるみ剥げば、それだけで蔵が建つ。攻城戦は死ぬほどキツイが、一番乗りして『略奪許可』をもらえれば、一生遊んで暮らせる稼ぎになる」

「……」

「だから儲けるために鍛えるぞ、ガキども! 筋肉は銀貨に変えるためにあるんだ!」

 子供たちの目が輝く。彼らにとって戦争とは、政治ではなく、一発逆転の出稼ぎなのだ。

 

 ***

 

その熱気の中で、一人の少年が素朴な疑問を口にした。

「でもよ、おっちゃん。そんなに金持ちで、強い騎士様がいっぱいいるなら、なんで平原の連中は一つにまとまらねぇんだ? 王様が一人いて、俺たちみたいな蛮族なんか追い払っちまえばいいのに」

 もっともな疑問だ。

 資源も人口も技術も、平原はセルウィを圧倒している。彼らが統一国家を作れば、セルウィなどひとたまりもない。

「知らねぇよ。仲が悪いんだろ」

 古参兵は興味なさそうに鼻を鳴らした。

「おかげで俺たちの飯の種になるんだ。せいぜい喧嘩しててほしいもんだぜ」

 現場の兵士には「仲が悪い」としか映らないその現状には、根深い歴史的背景があった。

 かつて古代帝国が崩壊し、世界が凍りついた時、生き残りを求めて、西から、北から、東から、あらゆる民族が豊かな平原へ雪崩れ込んだ。村を乗っ取った盗賊団、雇われの蛮族兵、東方からの騎馬民族、帝国軍の逃亡兵、野心ある軍団長、生き残りを願う元帝国市民。

 

 平原の四通八達の地ゆえに、言葉も、文化も、信じる神も違う連中が、隣り合わせで土地を奪い合ったのだ。

 

 その結果、平原には「低信用のパッチワーク社会」が根付いた。

 隣人は敵だ。笑顔で握手してきた手が、背中にナイフを突き立てる。裏切りは罪ではなく、生き残るための知恵であり、為政者の美徳となった。

 誰も信じられない。だから、誰も王になれない。

 抜きん出た勢力が生まれようとすれば、周囲の諸侯が結託して足を引っ張り、均衡を保とうとする。「虎を追い払うために狼を入れる」ような同盟と裏切りが繰り返される権力の泥沼。それは、豊かさが回復した今でも変わらなかった。

 

 彼らが唯一信用できるのは、「契約期間が終わればさっさと本拠地へ帰っていく、政治的野心のない異邦人」――すなわちセルウィや他の山岳民族のような、外来の傭兵だけだった。

 皮肉なことに、平原の豊かさと不信の連鎖こそが、貧しいセルウィ王国を生かしている最大の輸出産業となっていたのである。

「さあ、無駄口叩いてねぇで並べ! 金が欲しけりゃ盾を構えろ!」

「「うおぉぉぉッ!!」」

 ルジェは泥まみれの盾を拾い上げた。

 世界の仕組みなどどうでもいい。ただ、この盾一枚が銀貨に変わり、自由への鍵になることだけが、今の彼らにとっての真実だった。

 

 

 ***

 

 暖炉を囲む夜。一人の古参兵が、顔半分を覆うケロイド状の火傷跡を、子供たちの視線に晒していた。

 彼のあだ名は「油被りのベック」。かつて平原の攻城戦で一番槍を競い、城壁の上から煮えたぎる油を浴びて引退した男だ。

「……熱いなんてもんじゃねぇぞ」

 ベックは、歪んだ口元で濁った酒をあおりながら、低い声で語り出した。

「野戦なら、矢は盾で防げる。槍はかわせる。だがな、攻城戦は違う。空から『死』が降ってくるんだ」

 彼は空を指差した。

「石だ。拳大の石礫ならまだいい。運が悪けりゃ、臼みたいな岩が降ってきて、兜ごと頭蓋をグシャリだ。……そして一番恐ろしいのが、油よ」

 子供たちが息を呑む。

「大鍋で煮立った油だ。盾なんか役に立たねぇ。隙間から入ってきやがる。鎧の中で皮膚が焼ける音を聞いたことがあるか? 鶏肉を揚げた時みてぇな、いい音がするんだよ」

 ベックは自分の爛れた顔を指で叩いた。

「俺の顔は、皮がペロリと剥けた。痛みで気絶することさえ許されねぇ地獄だ。……それが攻城戦だ。高い壁を登るってのは、釜茹で地獄への階段を登るのと同じことよ」

 

 ***

 

「ひっ……」

 孤児の一人が青ざめて震えた。そんな目に遭うくらいなら貧しくても……。誰もがそう思った。

 

「――だがな、坊主」

 ベックは、残った片方の目をギラリと光らせた。その瞳には、恐怖を上回る、強烈な快楽の記憶が焼き付いていた。

「その地獄を登りきって、城門を開けた瞬間……世界が変わる」

 ベックの声が熱を帯びる。

 

「報酬、『三日間の自由』だ」

 それは、傭兵契約における最大のボーナス――「略奪の許可」を意味する隠語だった。

 陥落させた都市に対し、指揮官は一定期間、兵士による略奪を黙認する。それが攻城戦という極めて過酷な任務へのモチベーションであり、対価なのだ。

 

「壁の向こうには、俺たちが一生かかっても拝めねぇもんが山ほどある。銀食器、絹の織物、極上のワイン、柔らかいベッド、良い女……。抵抗した館の主を蹴り飛ばし、金庫を叩き壊し、その家の宝を袋に詰め込み、銀の杯で美酒をあおる」

 

 ベックは恍惚とした表情で空を仰いだ。

「あの三日間だけは、俺たちは泥臭い北の蛮族じゃねぇ。王様だ。……俺はこの顔と引き換えに、死ぬまで食うには困らねぇだけの銀貨と、忘れられねぇ夢を手に入れた」

 彼は懐から、黒ずんだ銀貨を一枚取り出し、親指で弾いた。

 チン、と澄んだ音が響く。

「この一枚のために、俺たちは油をかぶる。……どうだ? 割に合わねぇと思うか? それとも、賭けてみるか?」

 沈黙が落ちた。

 だが、それは恐怖による沈黙だけではなかった。

 孤児たちの目に、とてつもない欲望の火が灯っていた。

 

 ルジェは、ベックの爛れた顔と、その手にある銀貨を交互に見つめた。

 美しくはない。だが、そこには剥き出しの「生」があった。

(……登らなければ、掴めない)

 ルジェは拳を握りしめた。

 油も、石も、槍も越えて。

 その壁の向こう側にしか、自分の居場所はないのだと、その傷跡が教えていた。

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