今の今までいなかった男が登場します。
どうぞ!
自分のありったけを使い切るということが、どれほど難しいかなんて言うまでもない。人は制限をしないと死んでしまう生き物だ。どこまでが安全で、これ以上は危険だというところを探り探り生きている。
しかし希に、その境界を難なく超えてしまう人物がいる。分からずに飛び込むのは考え足らずの一言で事足りるが、
天に与えられた才覚を持つ人間へと。
もうあと五分ほどでいつもの通りに終業の鐘が鳴る。放送室にかけられた時計を眺めながら、背もたれをギシギシと傾けている諸田は興奮のピークを調整していた。
これほど五分を長く感じたのはいつ以来か。新しいことを始める時の昂ぶりは、いつにも増して耐え難い。そんな事を思いながら、机の上に置いた左手の指で音を立てるように動かしている。
自分で生み出したリズムにのりながら、諸田は昼休みのことを思い出していた。
ただの人間である、彼女のことを。
実は、諸田自身が常に信じていることがある。それは何とも絵空事のようなことで、音楽は時に言葉では伝えられないことを伝えてくれると。心と心がそのまま、何の障害もなく触れ合えると。そう信じている。
社会に出て、現実と向き合ってきた彼がなぜそれを信じることができるのか。
それは、自分たちを知らない人たちと。言葉の通じない人たちと。言葉を知らない人達と、そうして分かり合い、分かち合って来たからだ。
それに、そっちのほうが救いがある。
それでいいんだ。だから、伝わるといいのにな。
さぁ、そろそろ時間だな。
そうして俺はマイクのスイッチを入れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
《
終業のチャイムの代わりに聞こえてきた声に驚いた大和は、そこには何も見えるはずもないのに教室のスピーカーを凝視していた。周りを見るとクラスメイトたちは皆同じような状態で、教科書を直そうとしたりカバンを持ち上げようとした手が不自然な位置で止まっていた。
ここ最近で聴き慣れたその声は、彼の持つ本来の雰囲気同様に無意識に人を引き込む魅力があった。
《OK、OK! はじめましての人は、はじめまして。クラスメイトはさっきぶり。1-E諸田弦順、改め……『FLOW MIND』の、『J』だ》
正体を明かした。
大和にとっては本人から隠すように言われていた事柄を、放送にて大々的に暴露したのだから驚いてはいるがベクトルが違う。
しかしクラスメイトは皆、彼が『J』であることを知らないのだ。斜め前に位置するモロが振り返り目があったその時、限界まで膨らんだ風船が割れたような勢いの歓声が響いた。
「うっそッ!! 『J』だって『J』!!」
「えー!? さっきまでそこに座ってた諸田君が!!?」
「ファン過ぎて真似してるのかと思ったら、本人かよ!? すっげー! やっべー!!」
「え? 何が? 諸田君がどうしたの……?」
濁流のようにあちこちから驚きや戸惑いの声が挙がっている。
大和はその光景に素直に驚いていた。彼のバンドを知らない人間もいる中で、こんなにも一言で引き込めるなんて。空間が浮き足立っている。そう評しても過言では無いほど彼の一言一言に呑まれていた。
そう、呑まれていた。そんなことが頭によぎった。
授業が終わったばかりの教師さえ立ちすくんで訳がわからない状態の中で、今度は皆が窓際に殺到していく。そして指をさしながら叫ぶ生徒に釣られるように大和も窓際へと移動した。
そこには校庭に向かい颯爽と向ってくる見たこともないサイズのトレーラーが複数見えたのだ。
何台ものトレーラーはそのまま学園の校庭へ次々に入ってくると校舎に程近いところで連なるようにぴったりと止まった。分かりきっている誰かを待ち望んでいるみたいにアイドリングの音を撒き散らかしていた。
教室のスピーカーはもう何も言わず、辺りはしんと静まり返っていた。
何が起こるのか、何をしてくれるのか。
期待のような、不安のような。どっちつかずの感情をふわふわと持て余している最中、トレーラーのコンテナがゆっくりと開かれていった。
中から現れたのは所狭しと並べられたスピーカー。その直後にそこから発せられた音は落雷のように窓ガラスを揺らし、響かせた。
爆音と言っていいくらいの音量なのにも関わらず、耳を塞ぐではなく身を乗り出す人が大半を占めている状況に異常さを覚える。そして波が引いていくかのように、部屋の中にいた生徒たちはグラウンドに向かって大移動を始めていた。遅れないようにろ大和もそれに続いて動き始める。
移動中に廊下の窓から見る限り、既に一学年分の人が集まっているように見えた。トレーラーには他にも大型の照明が大量に吊るされており、暗くなり始めた辺りと期待を浮かべた表情を照らしていた。このまま行けば全校生徒に匹敵するくらいの人数が集結しそうな気配がする。武神の……姉さんの決闘の時のように。そう思った大和は不思議と寒気のようなものを感じていた。
武術を極め、その強さを以て武神と呼ばれる大和の姉貴分の川神百代と、川神院のお膝元であるここ川神において同等の注目度というのはどれほどのものか。なまじ理解しているだけに、大和にとって彼が規格外の存在であることを如実に物語っていた。
そしてとうとう姿を現した。音も光も止まぬ中でストラップを肩に回して背中にギターを背負ったまま当の本人、諸田弦順が校舎からトレーラーの建ち並ぶ中央へと一直線に闊歩してきたのだ。
ここは本当に自分が見た校庭だったのだろうか。あの授業をしたり休みの時間に遊んだり、放課後に決闘が行われていたみんなの知っている校庭なのだろうか。そう感じてしまうほど別空間に思えるそこは、文字通り彼のためのステージになっていた。
「待たせたかい?」
気取った風に言う仕種が妙にしっくりくる。誇張も虚勢でもなく身につけられた上に立つものの雰囲気と表現すればいいのか、呼吸するかのように吐き出された言葉に乗って辺りは感情を爆発させて一つの生き物であるかのように動き出した。
ジャリっと砂粒を踏みしめる音を鳴らし歩を進めると、集団は収束し真っ二つに分かれた。
その間を悠々と歩いている。
ここに来て初めて、本当に思い知らされた。
彼は天才だ。
たくさんの人に囲まれ、煽り、向かい合う姿を見て確信した。
彼は音楽の天才であり、人の上に立つ天才だと。
ここは彼一人の独壇場。止める人も反抗する人も纏めて
嵐のように。
《OK、OK! 集まってくれてありがとう!》
マイクをセッティングしながら手を振る姿は、誰が見ても堂に入っていた。
誰もが彼の言葉を一言たりとも聞き逃すまいと、固唾を飲んで見守っていた。
《堅苦しいのはナシだがその前に一つだけ》
また一言。それだけで空気が変わる。
彼という絵の具が、誰も彼もを塗り替えていく。
《お前らこのままそこで、足踏みしたまんまでいいのか?》
言葉と同時に彼はすっと右手を掲げた。手の甲をこちらに向け、握り締めた拳の中指だけを天に向け突き立てる。お世辞にも良いとは言えないポーズを決め、何を伝えようとしているのか。
《進むために、世界に蹴りくれてやれ。中指立てて生きてやれ。誰のためでもない、自分自身のためにそうやって生きてやれ》
変わらず中指を突き立てたまま彼は全員を見渡しながら、瞳を覗いていた。冷たいシャワーを浴びたみたいな、優しくも痛みを伴う言葉を彼は続けた。
《自分の意思を、決意を、心を折る必要なんてどこにもない。一生自分のために世界に対して中指突き立てていけ!!》
その言葉は、なぜか大和に
《ありがとう皆。さぁ、ここからが本番だ。遅れずついてこいよ?》
ギターをかき鳴らし、空気ごとテンションを強引に引き上げると聞き覚えのあるイントロが始まった。足元で音を操作しながらフロントマン一人で行われるライブに、そこら中は酔いしれ音に乗り騒ぎ始めた。その中心の彼は、自身も楽しさで満ち溢れているように見える。
歌が始まる前に、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで呟かれた言葉を大和は耳聡くキャッチしていた。
……ここでは全てが許される。
それは、祈りのような懺悔のような。意味深な言葉をかき消すようにギターの音は大きくなったが、それはしっかりと耳に残っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ステージと呼んでいいものか。グラウンドの中央を乗っ取り暴れまわる集団を、少し離れたところで眺めていた百代は鉄心が物陰で楽しそうにしているのを見つけ、織り込み済みの事柄であることを悟っていた。
そして百代のその意識は、中心で乱れ続ける諸田を捉えていた。
彼の姿は苛烈を極め、自分をすり減らすかのように力強く歌い上げていた。
もうステージとしか言えないあの場を縦横無尽に動き回り、汗を散らしながら、数百を超える人数を煽り続けている。
驚異的だとしか言えない。決して体力だとか技術がとか、そんな陳腐な代物ではない。誰もが持ってるにも関わらず、しかし誰もが出すのを憚るような物を出し続ける事がだ。
どうしてあんな生き方が出来るのだろうか、不思議でならない。もはや同じ生物なのか疑いたくなるレベルだ。
そんな彼を見ながら、百代は既に彼に囚われていた。
最初の出会いは最悪、謝ろうにも取り付く島もない。
口は悪いし目つきも態度も最悪、おまけに説教ばかりする。なのに……。
「なのになんで、こんなにもお前から目が離せないんだろうな……。」
不器用ながら積もっていったその想いの全容が、早くも姿を成そうとしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
鳴り止まない歓声。
大地を揺らすよううに跳ね回る人々。
まさに興奮の
時間を忘れて、力の限り騒ぎ続けた。
頭の先からつま先まで汗で濡れた体は、熱にほだされた気持ちを優しく冷ましてくれる。見える位置にある時計は既に短針が二つほど左に回り、影が落ちる程度だった空はとっぷりと日が沈んで周りを黒に染めている。
最後に咲かせる花火にしては、満足いったかな。
肩で息をしながら足にもう力が入らなくなってしまい、膝から崩れ落ちる。額から落ちた汗がばたばたと地面を濡らしていく。
見上げた景色は、かつての野外ライブを終えて見た空と同じだった。ふとしたことに、世界は繋がっているんだなんて当たり前のことを今更に理解した。
《ありがとう》
今の気持ちはこの言葉に尽きる。
核心はいつもシンプルだ。一言で表せる。
「じゃぁな……。」
漏れ出た呟きが誰かに届く前に、それを吹き飛ばすほどの大声が塗り尽くした。
それに反応して振り向くと、校門前に一人の男の姿があった。堂々と仁王立ちをし、頭に巻いた赤いバンダナをたなびかせて口元を釣り上げた風来坊は楽しそうに叫んだ。
「何、楽しそうな事してんだよ!! 羨ましいぞォォォ!!」
大型の嵐が二つ、接触した。
嵐の衝突!
皆様、良いお年を。