ブランク&ブラックワンズ   作:83/hachimitsu

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2話

 敵意が迫る。それは明確だった。どろりとした気持ち悪さ私を突き動かす。生存本能のようなものが私に動けと背を叩く。

 

 「莉桜!!」

 

 ほとんど反射的だった。彼女を、莉桜を後ろへ引っ張る。しかし頭1つ分違う体格差もあり、腕だけを引っ張る形になった。

 彼女は動かない。いや、動けなかった。私が莉桜を見たとき、既に彼女の視線はその害意を見つめていた。

 

 「莉桜!見ちゃダメ!!」

 

 必死に引っ張る。しかし、動かない。強張った彼女を動かすには、私の筋力は些か足りな過ぎた。路地の方へ目をやると、今朝と同じ化物──グールは大通りへ出ており、こちらへ向かってきていた。動きは緩慢だ。ここまでたどり着くのに十数秒はかかる。今から動けばまだ十分に逃げられる。

 ガクン、と掴んでいた腕が落ちる。同時にガシャリと自転車が倒れる音がする。莉桜を見れば、グールを見て、腰が抜けたようにへたり込んでしまっていた。表情は見えない。

 

 「莉桜!!」

 

 掴んでいた腕を離し、彼女の肩を大きく揺らす。彼女の前にしゃがみ、彼女の視界からグールを隠す。グールが視界から外れ、背中に悪意突き刺さる。恐怖と不安が私に注がれる。しかし莉桜は、アレが視界から消えたためかハッと意識を取り戻していた。

 

 「ひ、火織。」

 

 莉桜の声は震えている。身体もまた同様に小刻み震え、莉桜が動けないことは明白だった。私は彼女の顔を自身の体で隠すように抱く。できるだけ周囲から遠ざけ、正気に戻すためだった。莉桜を胸に抱きながら、グールへ視線を動かす。あと数秒もあれば、十分に飛びかかれる距離まで近づいていた。

 

 「莉桜、大丈夫だから、目を閉じていて。」

 

 そう言って私は彼女を抱く力を強める。できるだけ音が届かないように。アレを殺す姿を見せないように。莉桜はギュッと目を瞑り、私にすがりつくように抱きかえす。莉桜の体の震えは収まる気配を見せない。

 グール爪の間合いまでほんの少し。私は触腕を出すため、グールへと敵意を向けた。これ以上は殺すと、最後通牒をこめて。それでも彼は止まらない。彼の瞳には本能以外映らない。彼が正気を失っているのは明確だった。少しの憐れみを感じつつも敵意を鋭くする。背中が泡立つような感覚と共に大気が揺らぐ。触腕が制服を破る間際だった。

 

 「見つけた。」

 

 声が響いた。透き通った女性の声だ。数瞬後、ドスッと音が鳴る。真っ黒に泡立つ触腕がグールを貫いていた。しかし、それは私のものではない。グール背後から貫いたそれは、私の持つそれよりも細く、ずっと鋭利だった。

 触腕による刺突はグールを即死させるのに十分な威力だったようで、人体を容易に引き裂けるだろう腕は力なく、だらりと垂れていた。

 グールの体が少し浮き上がり、横へとズレる。そうして見えた背景には1人の女性が立っていた。肩程で切り揃えられた茶髪が夕日を反射し、きらきらと輝く。丈の短い茶色のコート、風に揺られる紺のロングスカートは落ち着き、大人びた印象を与える。そしてその印象を全て霞ませるように、彼女の背から生えた2本の真っ黒な触腕がグールを貫いていた。

 

 「誰?」

 

 強く言い放つ。莉桜を抱きしめる力が強くなる。私自身、彼女の得体の知れなさに動揺していると自覚する。

 

 「……あぁ、そっか。うん。うっかりしてた。」

 

 彼女は私の問いには答えない。しかし、納得したようにうなずくと、横へと放り投げるようにグールから触腕を引き抜いた。支えを無くした肉塊はドチャリ、と湿った音をたてて地面に伏す。そしてゆっくりと黒い物質へと変質していった。

 

 「警戒しないで。私は貴女たちを貶めるつもりなんて無いから。それにほら、触腕もしまうから。敵意なんてないよ。」

 

 手を挙げながら私たちへ歩み寄る。ズルズルと、粘度の高い液体を泡立てるような音を立てながら触腕を消していく。警戒は解かない。

 

 「……助けて貰って申しわけないけど、それ以上は来ないで。近づかなくても会話はできるでしょう。」

 

 「信用ないなぁ。そりゃあ、私も人じゃないもの見せたし、敵って思われても仕方ない気はするけど。」

 

 彼女は返答しながら歩みを止める。肩を落とすような素振りをしながら。私は彼女から目を逸らさぬように問いかける。

 

 「貴女はなに?」

 

 彼女は微笑む。どこか懐かしさを感じているような笑みだった。例えるなら、数年ぶりに姪っ子と会ったら、「初めまして」と声をかけられた人のような。そういう切なさを含んだ郷愁を彼女は身にまとっていた。そんな彼女に私の不信感──不可解さと言うべきかもしれないけれど──は増していった。

 

 「そうだね。自己紹介は大切だったね。私は木々会 柚子(ここのえ ゆず)宍戸(ししど)探偵事務所ってところで助手をしているの。貴女達の名前も聞いていいかな?」

 

 「……神野火織、学生。」

 

 「その子は?」

 

 「……この子は巻き込まれただけ。貴女には関係ない。」

 

 「そうはいかないよ。というか、巻き込まれた時点でその子も当事者だなんて、君はよく知っているんじゃない?」

 

 私は押し黙る。事実、こういうトラブルは巻き込まれてスタートするのが常だった。悲しいが莉桜だって例外ではないと思う。これから莉桜もたくさんの化物に襲われる。それは半ば決まったことだと分かっている。一区切りつけば収まるのか、これからずっと関わり続けなければならないのかは分からないけれど。

 

 「葛西莉桜。」

 

 思考を巡らせている私の腕の中から声がした。視線を落とせば、動揺を堪えている莉桜が木々会さんを見ていた。

 

 「莉桜!」

 

 私が声を上げる。彼女と話さないように。危険から遠ざけるように。それを莉桜は手で柔く嗜める。大丈夫だから落ち着いてと言っているように感じた。私はそんな彼女を見て、少し横にズレる。莉桜が木々会さんと対面できるように。それでも不安が拭えない私を察したように、莉桜は私の手をぎゅっと握ってくれていた。

 

 「葛西莉桜です。助けてくれてありがとうございました。」

 

 頭を下げる莉桜に、私は何もできなかった。私も頭を下げなければいけないことは分かっているのだけれど、木々会さんが味方か分からない以上、目を離したくなかった。

 

 「ううん、良いよ。こういうのは助け合いだし。それに、貴女は初めて出会ったみたいだし。」

 

 そう言いながら木々会さんは歩み寄ってくる。私は半ば反射的に莉桜への道を遮る。握った手と反対の腕を広げ、体を割り込ませるように背を木々会に向けて。

 

 「火織。」

 

 莉桜を見る。莉桜は私と目を合わせると、大丈夫と言うように首を振った。私は渋々腕を下げ莉桜の真横まで下がる。そして莉桜に習って頭を下げた。

 

 「今回はありがとうございました。」

 

 顔を上げると木々会さんは笑いを堪えるように口元を手で隠していた。なにがおかしい。そんな抗議の視線を感じ取ったのか、木々会さんは少し咳払いをして真面目な顔に戻った。いや、少し口角が上がりかけている。そしてそれを誤魔化すように肩を竦めた。

 

 「ごめんごめん。知り合いと似たような事するから、ちょっと笑いそうになっちゃった。」

 

 「はぁ。」

 

 「ごめんなさい、木々会さん。火織に悪気は無いんです。ちょっと純粋ワンコなだけで。」

 

 「誰が何て?」

 

 平静を取り戻した途端にこいつ、と莉桜を睨みつける。莉桜は何も悪びれず真剣な面持ちをしていた。木々会さんは木々会さんで、口元を隠し、顔を横に逸らしながら肩を揺らしていた。今までのピリッとした空気はどこへやら。何とも言えない雰囲気が場を包んでいた。

 ひとしきり波が引いたのか木々会さんは朗らかな顔をこちらに向ける。

 

 「まぁ、こうやって話すのもなんだし、喫茶店でも入ろっか。お姉さん奢っちゃうよ。」

 

 「良いんですか?お言葉に甘え散らかしますよ?」

 

 「莉桜?初対面の良く知らない人って分かってる?もうちょっと警戒するとかしない?」

 

 私の声は一切届かなかったようで、莉桜は立ち上がると、木々会さんに駆け寄る。私は彼女に引かれ木々会さんの前まで連れて行かれる。

 木々会さんは私より一回り背が高く、莉桜と並んでも遜色ない。その背丈に整った顔立ち、綺麗な金髪が映えモデルのようにすら思える。同時に、こんなに目立つ見た目で探偵助手って務まるのかなんて思った。木々会さんは私を見下ろすとこちら敵意はないよと言うように微笑んだ。一瞬だけ、どこか寂しそうな顔をした気がした。

 

 

 駅前の喫茶店は時間帯が少し遅いからか、珍しいことに客の1人もいなかった。選び放題の席から木々会さんはできるだけ奥の、窓に隣接しない席へ座るよう私達に促す。莉桜は促されるがまま、ソファ席へと座る。私もまた、莉桜の隣へ腰を下ろした。対岸の椅子に木々会さんが腰掛けると、何とも言えない沈黙がテーブルを包んだ。

 不安と警戒で緊張している私はカプチーノを飲みながらも、横目で莉桜がどうしているかを確認する。莉桜は木々会さんに奢ってもらったフラペチーノを美味しそうに吸っていた。視線を正面に戻せば、木々会さんは美味しそうにフラペ飲む莉桜を微笑ましそうに眺め、カフェラテをこくりと飲んでいた。

 

 「いやー、このフラペ気になってたんですよね。苺×ガナッシュなんて美味しいに決まってるんですから。」

 

 「若い子は好きだよねぇ。甘いの。」

 

 「木々会さんだってまだ若いじゃないですか。肌とかすごく綺麗ですし。秘訣とかあるんです?」

 

 「ありがとう、スキンケアには結構かけてるからね。でもやっぱり歳は感じるよ。学生時代はもっと適当だったからなおさらね。」

 

 談笑する莉桜と木々会さんを交互に見る。急激に毒気が抜かれていくような感覚がする。私は難しく考えすぎていたのかという感情が頭を過る。それを警戒心という理性でなんとか振り払っていると木々会さんから話しかけられる。

 

 「貴女はカプチーノで良かったの?」

 

 「え?」

 

 「ほら、葛西さんみたいに好きなもの頼んで良かったんだよ?」

 

 「莉桜で良いですよ、木々会さん。それと火織は、甘いものは固形物に限るって宗派なので。」

 

  「そっか、ならフラペは良さそうだね。それと、私も柚子で良いよ。名字じゃ呼ばれ慣れてないんだ。」

 

 半ば私を置いていくように歓談進んでいく。なんだこれ、と私が首をもたげた始めた頃、木々会さんは話を切り出した。あの道であった時のような真剣な雰囲気に戻って。

 

 「さて、と。本題入ろうか。と言っても、化物のことと私のこと、どっちから話したほうがいいかな。」

 

 莉桜はフラペチーノを飲みながら視線を木々会さんに向ける。ストローから口を外すと、少し重ために口を開いた。

 

 「それじゃあ、柚子さんのことを教えてください。良い?火織。」

 

 私は無言で頷いた。実際、私が気になるのは木々会さん改め、柚子さんの方だ。グールはこれまでに何度か会った事があるから、大体知っているというのもあるが。

 

 「じゃあ改めて。私は宍戸探偵事務所で助手をしてる木々会柚子。浮気調査、探し物から怪物退治まで基本的に何でも請け負ってる探偵事務所で働いているの。」

 

 そう言って柚子さんはコートのポケットから名刺を2枚差し出した。私達はそれを受け取り名刺に目を移す。白地の中央に名前、左上に事務所の名前、右下に住所が書かれた簡素なものだった。

 

 「まぁ、あんまりお仕事無いから自転車操業なんだけどね。」

 

 自虐的に笑う柚子さんは大人びた雰囲気から打って変わって、少しの幼さを感じた。こちらが素なのだろうかと思案していると、莉桜が口を開いた。

 

 「それでその、こういった事は経験豊富なんですか?」

 

 「豊富ってほどじゃないよ。こういう事に巻き込まれたのは5年前からだし。頻度もまぁ、年2回って感じだし。」

 

 「結構会ってません?」

 

 「頻度だけならね。でもこういうのって長丁場にならないから。関わってる時間まで含めれば、浮気調査の方がよっぽど経験してるよ。」

 

 そう言って柚子さんはカフェラテを飲む。頬は緩まず、苦々しい顔をしていた。

 

 「一応、私が言える素性はこんな感じ。少なく感じるかもだけどごめんね。話せるのはここまでなんだ。……隠し事も無くはないから、無理に信用してとは言わない。けれど、お願い。私が貴女達の味方って判断だけはして欲しい。」

 

 そう言って私達に真剣な顔を向ける。莉桜は伏し目がちになってこちらを見る。信じてあげたい。そういう感情が莉桜の視線に籠っている気がした。私は少し考える。何を知れば彼女を味方と考えられるかを。そうして少しの沈黙の後、私は口を開いた。

 

 「2つ質問しても良いですか。」

 

 「うん、なんでも聞いて。」

 

 「私達を助けるだけじゃなくて、こうやって色々話す時間を作ったのはなんでですか?」

 

 柚子さんは顎に手を当て少しの間考え込む。それからゆっくり答えた。

 

 「どんな形でも巻き込まれてしまった以上、今後もアレらと関わらなくちゃいけない。そうなった時、戦力になってくれなきゃ困るから、かな。」

 

 ある種の冷たさを含んだ声だった。冷静で、理性的で、自分にも利がある事を示す回答。そんな回答に私は少しだけ安心感を覚える。善意100%では無い、打算もあるのだと開示してくれたことに真摯さを感じたためだった。

 

 「協力した方が互いに得なんだし。それならきちんと説明して上げた方が良いかなってね。」

 

 「そうですか。」

 

 相槌をしながら莉桜に視線を移す。莉桜は特に何も感じないといった風にフラペを飲んでいた。私は口を出しませんという意思表示代わりだった。

 

 「さて、2つ目の質問はなに?」

 

 そう言って微笑む柚子さん。私はそんな柚子さんに少しの罪悪感を感じる。これからする質問はおそらく、あまり聞かれたくないことだろうからだ。それでも知りたい。聞かなければならない。そう自分に言い聞かせ、2つ目の質問を口に出した。

 

 「グールを倒したアレはなんですか?」

 

 一瞬、柚子さんが固まる。しかし表情は変わらず朗らかなままだ。莉桜の方はきょとんとしている。莉桜はあの触腕を見ていないから、当然の反応なのだけど。

 

 「うーん……話さないとダメ?」

 

 「できる事なら。アレの二の舞いになるのは勘弁したいので。」

 

 「そりゃそうだよね。でも、改めての説明っている?」

 

 そう微笑む柚子さん。私は眉間にシワが寄るのを感じつつ、不機嫌を誤魔化すようにカプチーノを飲む。柚子さんの確認のような問いかけ。それは柚子さんが私の触腕についても知っているという情報開示と同義だった。重ねて言えば、彼女の持つ触腕が私のそれと同じであるという認識を共有するひと言でもあった。

 

 「アレがなに由来のモノなのかくらい、教えてくださっても良くないですか?」

 

 質問を続ける。正直なところグールへの挙動で私と柚子さんの触腕がおおよそ同じものである事は予想していた。だからこそ、この質問を問いかけたのだけど。私が知りたいのは触腕の詳細以上に、それがどうやって手に入ったかだったから。

 

 「あー………成程ね。まぁ教えるべきか。うん。教えた方が色々分かりやすくなるよね。」

 

 1人合点したように頷くと、柚子さんは一息吐いた。心構えをするようだった。

 

 「私の触腕と貴女の、神野さんの触腕は」

 

 瞬間、パンッと破裂音が店内をつんざいた。爆竹に似た音だ。反射的莉桜は顔を上げ、何が起こっているかを確認しようとする。そんな彼女の視界を遮るように莉桜をソファの方へ倒し、彼女の顔を体で隠す。柚子さんは話を中断し、店の出入り口の方へと半身で体を向けていた。柚子さんの視線の先にはおよそ普通の客とは呼べない風貌の人達が立っていた。

 4人の大柄な人達だった。テレビの再現VTRで見るSWATが近いだろうか。真っ黒な防弾ベストを着け、各関節にプロテクターが付いている。顔はフルフェイスヘルメットで隠れて見えないが、こちらを視認している事は理解できた。そしてなにより、彼らは皆、銃を持っていた。ゲームでしか見ないようなAR(アサルトライフル)を持っている者が2人、集団後方に。拳銃を持っている者が2人、集団前方に陣取っている。拳銃持ちのうち1人はカウンターへ銃を向けており、カウンターのタペストリーには赤黒い液体が飛び散っていた。

 

 「チッ、人払いをくぐり抜けてきたな。クソったれども。」

 

 柚子さんが呟くように毒づく。しかし、私も柚子さんも動けなかった。当然だ。彼らがこちらを見ているのだから。こちらが動けば、彼らは躊躇いなく引き金を引く事が分かっているのだから。

 集団はこちらに銃口を向けながら周囲を見回す。人がいない事が確認できたのか、拳銃を持った者がこちらに歩み寄ってくる。しかし半ばで止まると片手を耳へ持っていく。銃口はこちらに向いたままだ。

 

 「対象確認。指先の表出無し。」

 

 くぐもった声が聞こえる。イヤホンか何かで通話しているのであろう。漏れ聞こえる単語の意味はピンとこなかった。

 

 「また何か来てるの?」

 

 莉桜が小さく呟く。私は彼女に答えるように小さく頷いた。莉桜は「そっか。」とだけ呟いて目を鋭くして視線を落とす。机の下から状況を確認しているようだった。それからスカートのポケットからスマホを取り出し、何かを打ち込んでいく。

 

 「了解。」

 

 先頭の男がそう言ってハンドサインをした。それを見た集団が再びこちらへ近寄ってくる。同時に、膝をトツトツと叩かれる。視線を落とせば莉桜がスマホをこちらに見せてきていた。

 視線を上げてしばらくすれば、彼らは銃口が触れそうなほどの距離まで近づいてきた。私達それぞれに1人ずつ、全員を見渡せる位置にAR持ちが1人陣取っている。完全武装の男が私の右手に触れる。瞬間、私は左手で飲みかけのカプチーノをフルフェイスヘルメットに叩きつけた。くぐもった声が響くと同時に泡がヘルメットの視界を奪う。そのまま私は彼の腕を掴み机の下に潜り込む。不意を打たれ、引っ張られ、バランスを崩した男はそのまま転けるようにソファに倒れ込んだ。

 

 「ぐぇ!」

 

 もう一つ籠った声がしたかと思えば、同じような装備をした男がソファに倒れ込んでくる。私が体勢を崩した男の上に重なるように倒れ込み、彼の動きを阻害する。新しく倒れ込んできたそれはヘルメットにはクリームがべっとりと付いており、甘い匂いを発していた。また、全身から力が抜けており、気を失いかけているようだった。完全武装の男の下敷きになった彼も、打ちどころが悪かったようで、力なく腕をぶら下げていた。

 

 「っ!この!」

 

 くぐもった若い男性の声が悪態を付く。机の下から覗けばARを持った男が銃口を莉桜や柚子さんのいる方へ向けていた。瞬間、ごぽり、と溢れるような音が空気を揺らす。その異質な音に引き金に掛かっていた指が、男の全身が硬直する。それは1秒にも満たない僅かなものだった。しかし私の2着目の制服を破り出た触腕には十分過ぎる猶予だった。触腕は男が引き金を引くより先に彼の足首に巻き付く。それに気づいた男が下を確認すると同時に、男の足をぐいと引っ張った。

 

 「うゎ!」

 

 男の体勢が大きく崩れそのまま仰向けに倒れる。倒れた衝撃で引き金を引いたのか、銃声が天井へと吸い込まれていった。すぐさま体勢を立て直そうとする男に影が落ちる。それから間を置かず、ガシャリと銃が横へと放り捨てられた。影の正体──莉桜が回し蹴りで銃をはじき飛ばした音だった。それでも立ち上がろうとする男の腹部に、蹴りの勢いが残った莉桜が倒れ込むように肘を入れる。咽るような声と共に彼の体から力が抜けていった。

 

 「凄い大立ち回りだね、莉桜。正直驚いちゃったよ。」

 

 机から顔を覗かせる。柚子さんは自身に向かってきていたであろう男の首を、それはもうがっちりと腕でホールドしていた。コートの裾から2本の触腕が垂れ、男の足を絡め取り、抵抗の余地を奪っている。

 

 「柚子さんも1人仕留めているじゃないですか。……なんか愉快なものも垂らしてますけど。」

 

 「あぁ、これはまぁ、3本目と4本目の腕みたいなものだよ。」

 

 「へー。便利そうですね。」

 

 そう言って触腕の存在を流していく。正直なところ、明らかに人が持つにはおかしい黒く泡立つ触腕は結構おぞましいと思うのだけど。そんな私の内心とは裏腹に、莉桜はそこまで気にしていない様だった。まぁ、使えるなら追求の必要無しと判断した故のドライさだろうけれど。

 私は男の足首に巻き付いていた触腕をしゅるりと背中へしまう。少しだけ冷たい空気を背中に感じながら、机から完全に這い出ると、莉桜がこちらに駆け寄ってきた。

 

 「火織!大丈夫だった?」

 

 「うん、莉桜の作戦のおかげだね。莉桜こそ怪我は無い?」

 

 「あんな舐めてる連中に怪我なんてしないって。」

 

 そう言って莉桜は笑った。いつも通りの明るい笑顔だった。

 

 「さて、二人とも大丈夫そうだから今後の話をしたいんだけど。」

 

 柚子さんが連中の持っていた拳銃をクルクルと回しながらこちらへ来る。柚子さんが首をキメていた男は、他の連中も含めて床にひとまとめにされていた。転がっているARはぐしゃりとひしゃげており、使い物にならないことは一目瞭然だった。

 

 「もちろんです、って言いたいんですけど。もうちょっと安全な場所が良いです。」

 

 莉桜が笑いながら返答する。目は全く笑っていないのだけど。正直怖いのだけど。私の感想は柚子さんの心情と一致していたのか、柚子さんが強張っているように見えた。

 

 「そうだね。少しかかるけれど、うちの事務所で話そう。そこならバレないし、バレていても手は出せないはず。」

 

 「そうなんです?」

 

 「うん。なにせ強くてこわーい人が常駐してるようなものだからね。」

 

 そう言って私にコートを投げ渡す。戸惑いながら受け取ると、柚子さんは私にウインクをする。私が着ている制服の背中が破けている事は気付いているようだった。柚子さんのお気づかいに感謝しながらコートを羽織る。体格上、少し余った袖をそのままに、今後の方針を話し合っている彼女たちの方へ向いた。

 

 「火織、とりあえず柚子さんのとこの事務所の行くことになったんだけど、来れる?」

 

 「莉桜も行くんでしょ。なら行くよ。」

 

 尋ねる莉桜に頷きながら返答をした。柚子さんのことを信用できるかと言われれば、正直微妙なところだ。それに加えて、彼女の事務所が絶対安全だなんて信じられない。だからこそ、莉桜を1人で行かせたくはなかった。幸い、私は一人暮らしなわけだし。

 

 「分かった。それじゃあついて来て。」

 

 そう言って柚子さんは警戒しながらカフェを出て行った。パトカーのサイレンを聞きながら、莉桜と一緒についていく。

 

 「ねぇ、火織。」

 

 莉桜が耳打ちしてくる。柚子さんに聞かれたくない内容なのだろうかと、背伸びをして彼女の顔へ寄る。

 

 「どしたの?」

 

 「さっきはありがと。色々助かったよ。」

 

 「気にしないでよ。私も柚子さんとの会話とか助かってるし。」

 

 「そっか。ありがと。それとさ。」

 

 「なに?」

 

 「火織が柚子さんのコート着てると、いつにも増してちいかわだよね。」

 

 「え、なに喧嘩?」

 

 そんな軽口を叩きながら、私たちもカフェを出た。この時だぇは、なんてことのない日常のようだった。




まーったく短くできなかったですわ。
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