残念! 主人公とソウゴくんの日常回でした!
次回が地続きだと思っていたその姿はお笑いだったぜ
2010年 とある夏
東京都のとある神社において淡い輝きたちが連なるようにして空に縫い付けられ、その下では人々の喧騒が夜の静寂を破っている。人々は殆どが浴衣を身に着けており、神社の中で所狭しと並んでいる屋台に並んでいた。如何やら夏祭りが開催されているらしい。
「ソウゴ、あまり離れないで。迷子になっても自己責任よ」
ドンドンと鳴り響く太鼓の音色が、大気を振るわせる中で、常磐ソウゴは自分に掛けられた冷たそうな声に振り返って見る。視線の先には、提灯の夕焼けめいた輝きに照らされた少女の姿があった。彼女は秋月蛍。彼の同級生でもあり、彼が親友と見なしている唯一の人物である。
「おじさんもいるから大丈夫だよ! それより早く屋台見に行こう!」
「相変わらずの能天気男ね。それでおじさんに心配かけたら世話ないでしょ」
「うっぐ…」
正論でねじ伏せられて言葉に詰まる彼にため息とジト目で答える蛍。彼女は緑色の浴衣に身を包み、彼女のサラサラとした髪が風に揺られているのも相まって、どこか涼しげで澄んだ様な雰囲気が、夏の蒸暑さに纏われるソウゴには心地よかった。一緒にいて苦にならない人。それがソウゴにとっての蛍だった。
「ただでさえ人が多いし、同じ歳の子達もわんさかいるの。蹴られたくなければさっさと手を繋いで頂戴」
「そんなこと言って蛍も祭りを楽しみにしてたんでしょ? 浴衣もなんだかサイズ合ってなくて新しそうだし…おばさんにお下がりもらったの?」
「はいはい御託はいいからさっさと屋台に行きましょ。どこ行きたいかくらいは決めてあるんでしょう?」
ソウゴの手を取って、これまたどこから持ってきたのかカタカタ下駄を鳴らしながら彼女は走る。吹き抜ける風の様に人の波を掻き分けて進む彼女の後ろ姿は、緑の浴衣も相まってソウゴには流麗に、美しく目に焼きついた。
「何か食べるの? それとも遊ぶの? 私が連れて行ってあげるからさっさと言って」
「じゃあ金魚掬い!」
手を引っ張っていた彼女が止まって振り返り聞く。彼女の表情は日本人形の様に精巧で美しく、氷のような美人の顔立ちであった。目は閉じているのかと錯覚する程細く、何を考えているか分からない不気味さもあった。だが、ソウゴにだけは分かっていた。
「一緒にやろう?」
「はいはい。持ち帰ったらしっかり世話しなさいな」
屋台を見つけた蛍が引っ張って屋台まで彼を連れて行く。幸いにして人が余り並んでいなかったので、直ぐに遊ぶことが出来た。大きめのケースに張られた水の中を、所狭しと様々な金魚たちが揺蕩っている。オレンジ、赤、黒…ワキンにデメキンに…それはもうよりどりみどりの光景にソウゴは目を光らせている。
「坊主、そのお嬢ちゃんは連れかい?」
「うん! 俺の友達なん痛ッ⁉︎」
「後ろに人が並び始めてるからさっさとやるわよソウゴ。お金は私が出すわ」
よく見るとソウゴの足を蛍が怪我しない程度に踏みつけていた。表情は変わっていない様に見えたが、少し眉が寄っていて不機嫌な様に見える。ソウゴは理由が分からなかったが、せっかくの二人の祭りを楽しむ為にすぐに忘れた。
小さな手持ちの網で、そろりそろりと忍び寄る様に水面に寄せていく。風のせいか緊張による手の震えか、白い網の膜は少しばかり揺れ、それが水面に伝播すると金魚たちが音も立てずに散り散りになって逃げていく。
ソウゴの手は心臓と共に激しく静かに揺れていた。
何と言っても蛍に手を握られたままなのだ。隣に並んでいる彼女の表情こそ窺えないが、それでも肌と肌から伝わる温もりが、確かにソウゴの心を沸き立たせていた。友人も少ない彼にとって異性と手を繋ぎ並ぶなど劇薬にも等しい。きっと自分の顔は金魚と同じくらい真っ赤だろう。彼女もそうだろうか、そう思って思わず横を見る。
ゆらりと風と共に揺れる提灯の淡い光に照らされる彼女の頬は染まっているか否かは解らない。だが、影の差したその貌は酷く幻想的で、呼吸を一瞬忘れてしまいそうだった。
そのせいだろうか。
「あっ!」
目の前で音もなく網がちぎれてしまう。だらりと力なく下がるびしょ濡れの名残に、カップの中には虚しく水面が揺れるのみ。気をそらしていた時に破れてしまったらしい。それを見て蛍は一言。
「…馬鹿ね」
「そういう蛍はどうなの?」
「お嬢ちゃんも一匹も釣れてないぜ!」
「店長さんやめてください!」
彼女にしては珍しい大声を挙げての抗議。それに釣られてよく見れば蛍のカップにも金魚は一匹も入っていない。網もすでに破れていて使えない。ソウゴと同じように網を握る手が震えていた。ここでもう一回、ソウゴは彼女の顔を覗いてみる。
「何見てんのよ…」
「いや? 蛍もそんな顔するんだなって思っただけだよっ痛い痛い痛い!」
「黙って。金魚を一匹お情けで貰うか潔く諦めるかさっさと決めて頂戴。まさか、これで帰るわけじゃないでしょう?」
罰が悪そうに俯いて視線を逸らしてしまう蛍であったが、どう見ても恥じらいを覚えている乙女の顔であることは明白であった。その下では下駄が何回もソウゴの足を踏みつけて黙らせているわけであるが、やはりどうにもソウゴには不快ではないようだった。店長に礼を言って、二人は新しい出店を探して人の群れを泳ぐように抜けていく。
「次はどこに行くの?」
「りんご飴でも食べようよ!」
「おじさんが夜ご飯作ってるだろうから程々にしなさいね。腹壊していいなら幾らでも買ってあげるわ」
「じゃあ一緒に食べよう! お金なら俺も出すからさ」
目をキラキラと光らせるソウゴに対してため息を一つ吐いた蛍は、そのままソウゴの手を掴んで群衆の隙間から見えたりんご飴の屋台へと足早に走っていく。時折彼の方へと振り返りながら。ソウゴは振り回されているように見えて相も変わらず笑っている。その眼に映るのは慈愛か、それともしょうがないなぁという呆れか。
「何個買うのか決めてあるの?」
「そうだなぁ…この後射的もやりたいしチョコバナナも食べたいしお面も買ってみたいし…」
「欲だけはいっちょ前ね」
呆れる蛍に対してソウゴは臆面もなく言い放った。
「別にいいじゃん。俺はこれから王様になるんだからこれくらい当然でしょ」
「本当に欲望だけはいっちょ前ね…」
王様になりたいという願いは常磐ソウゴの原点である。王様となって全ての人に幸せをもたらそうとする大それてはいるがありきたりで子供じみた優しい夢。それをいくら歳を取っても変わることなく信じられる気概と肝っ玉こそが彼の異常性でもあり魅力でもあった。ありもしない夢を、もしかしたら現実に持ってこれるのかもしれない。
そう思わせる彼のカリスマが、確かに彼女にも影響を与えていた。彼女は既にがま口財布からお金を取り出して数え始めている。彼女が着ている大きめの浴衣も、サイズが合ってない下駄も、古臭い財布も、全ては蛍が両親の事故死の後に引き取ってもらった叔母から、この日のためだけにねだって譲って貰った品々である。
普段こそソウゴには厳しい正論を言ったり、呆れたような目線を向けて腕を組んでため息が絶えない能面のような表情を浮かべているだけであったのだが、それは裏を返せばソウゴの長所と短所を熟知しており、それが一朝一夕ではどうにもならないことを悟っているからこその諦めが現れているだけなのだ。
そして彼女はそんなソウゴ自身を否定することは何も言っていない。
彼の要望に文句や小言を漏らすことは有っても決して拒否はしないし、できるだけ要望に沿うようにしてそれに応えている。あの日以来、ソウゴの夢に触れてから、彼女の中ではソウゴこそが一番であり最優先であることが当然であった。歪といえるのかもしれない、とてもまともとは思えないかもしれない、正気の沙汰ではないと思う人もいるだろう。
しかし、今彼女の胸に抱く想いだけは彼女自身にとっての絶対の定理であり、真実でもある。
そしてそんな彼女の歪み切った性格もソウゴは幼いながらも理解していた。
「蛍」
「何?」
「買いたいものかったらさ、境内の方に行かない?」
「いきなり何? おじさんを困らせるなって言ったはずだけど」
「ここだと人が多すぎて食べるの楽しめなさそうだし、お願い…!」
そして彼女は…少し考える素振りを見せていたが。
「ま、ソウゴが大勢の他人に迷惑を掛けるよりはマシね。いいわ、おじさんには私から言っておくから行きましょ。私も騒がしいのは苦手だし」
「もし迷ったら…」
「は? 私がいて迷子になるとか思ってるわけ? 普通に心外なんだけど」
「痛いって! ごめんってば!」
げしげしと足を踏みつける蛍の手を、今度はソウゴが握り返す。ギュッと握られた感触に驚いたのか蛍は足を止めて、一瞬震えたのち、僅かばかりに目を見開いた。提灯の光に溶け込んで消えてしまいそうな黄色の瞳。周りの目を気にしてずっと閉じている目ではあるが、ソウゴといる時だけは少しだけ開くことはある。
「さっさとエスコートして頂戴」
「うん!」
俯いてか細い声で言う蛍に、ソウゴはニコニコしながら人の海を駆け抜けて行った。後ろで呟く彼女の言葉も知らずに。
「鈍い人、本当に…」
◇
「りんご飴美味しいソウゴ?」
「ありがと!」
「感謝は素直に受け取るわ。どういたしまして」
夕焼けが尾を引いて空を彩る中、暗闇が急いで空を塗りつぶそうとしている暗いか、明るいか曖昧な空。その下では二人の男女が誰もいない神社の境内に座り込んでりんご飴を食べていた。ソウゴは首にご当地ヒーローのお面をぶら下げ、蛍は頭におたふくの仮面を巻き付けている。
虫たちがコーラスを奏で、時折吹く風たちは木々をざわざわと轟かせる。夕焼けの赤い光に飛び込んでいく鳥たちの点々とした小さな影が、空しく映る。ソウゴが夕焼けに見とれていると。その隣に蛍が座り込んでくる。先程まで柱に寄りかかっていたが、どういう風の吹き回しであろうか。
「空が綺麗ね。ソウゴは、夕暮れが好きだったりする?」
「うーんどうだろう…綺麗だとは思うんだけどな…」
彼女も目を薄く開いて夕暮れを見つめていたが、直ぐに視線をソウゴへと傾ける。どうやらソウゴの答えを聞きたがっているらしい。普段はソウゴから喋って、それを窘めたり応じたりするのが彼女のスタイルであったが、ときたま彼女からこうやって質問が投げられる事もある。大体は趣味趣向についてで、今回もそれは変わり無いようだった。
「…ちょっと苦手かも」
「ちょっと苦手、ね。どうして?」
「なんか、夕焼けを見ているとこれで終わるのかなーって思わされるんだよね。うまく言えないんだけど、なんだか不気味っていうか…大切な何かがそのまま消えていっちゃいそうな気配がしそうで…」
夕焼けの次には夜が降りてくる。
一日が終わりを告げ、星たちが降りてくる。
何かが終わるという捉えようによっては不吉な前兆。それを空いっぱいに貼り付けてアピールしてくる夕焼けの気味の悪さを、僅か10歳でありながらソウゴは敏感に感じ取っていた。うまく言語化できないながらもしっかりと自分の言葉にして見せたソウゴ。そんな彼を蛍は肯定する。
「否定はしない。むしろそれが普通じゃないかしら? そうでなかったら昔の人は夕暮れ時を逢魔が時なんて呼んだりはしないわ」
逢魔が時。魔性の者たちと会いやすくなるという時間帯。昔日の人々は夕焼けの空をそう呼んで恐れていた。ソウゴは当然そんな言葉を知らないはずであるが…彼の幼い割に優れた感性に驚きながらも、彼女は喋ることを辞めなかった。
「そうね、私もどちらかと言えば夜が好きよ。夕焼けも嫌いではないけれど…やっぱり夜空が好き。星が光っていたらなおいいわ」
舞い散る花のようにふっと笑う彼女の表情にソウゴは驚いて少し固まっていた。蛍は、元来から笑うことが苦手である。人に自然に笑みを浮かべるという当たり前の行為を彼女は酷く忌み嫌う。彼女曰く「どうして私の心を他人に見せるなんて面倒なことしなきゃいけないの?」らしい。
ソウゴの前でもあまり笑わない。
一回だけ笑ってと頼んでやって貰ったことはあるが、とてもへたっぴで見せられたものではないことをはっきりと覚えている。その後に思いっきり尻を蹴り飛ばされてコンビニで買い物のお題を支払わされたことももちろん覚えている。
それに気が付いたのか、彼女は笑ったまま、足をプラプラと揺らして答える。
「そんなにおかしかったかしら? 別に自分の思った、好きなことを正直に伝えただけよ」
「俺の前でも笑えるんだなって…」
「こうするのは私に笑ってとせがんだ貴方だけよ。他は頼まれても無いからやらないだけ」
そう言えば、とソウゴは思う。彼女が夕焼けの空よりも夜の星空を好むらしいが、その理由は聞いていなかった。なにしろ彼女が笑うなんて初めてだったから、余程彼女にとって星空というものは思い入れが深いらしい。
「どうして蛍は夜が好きなの?」
投げかけられた疑問に、彼女はこともなげに簡単に答える。
「何故って、あなたに会えたからよ。それ以外には何もないわ」
秋月蛍にとっての真実とは、究極的には常磐ソウゴ以外あり得ない。これからこの世界のありとあらゆる事を知り成長していくはずだった少女にとっては、家族との死別と友人の死は余りにも重すぎる衝撃だった。
スクラップアンドビルドという言葉があるが、今の蛍の状態はそれが近いだろう。あのバス事故の日に、それまでの9年を生きてきた秋月蛍という人間は、関係者の死と共に消滅した。そして空になった彼女の中に注ぎ込まれたのが、ソウゴだった。
あの月の夜の病室で、自分を幸せにすると言った夢の様な言葉に彼女は縋っていた。
証明して欲しい。
保障して欲しい。
まだ自分は生きているんだって
この世界に居てもいいんだって
その為にならあなたになんだってするから
何でもしてあげられるから
だから私を側にいさせて欲しいし、私をはっきりと1番に覚えていて欲しい。他の有象無象が比べるのも烏滸がましくなる程の目一杯の祝福を授けて欲しいのだと、彼女はそう願わずにはいられない。ソウゴの夢を証明することは、自身の存在証明にも等しい。
故に彼女にとっての真実とはソウゴだけであり、彼こそが真理である。
ソウゴに厳しい言葉を投げかけるのは、彼がいつか似たような経験をした時に折れて欲しくないから。夢を成し遂げて欲しいという親心にも似た何かである。或いは、もはや愛と呼んでも差し支えないのではなかろうか、その為ならば彼女は修羅にもなるだろう。
彼女は僅か10歳にしてこの境地に至っていたのである。
そして悟りか狂気にも似た精神性を、ソウゴは朧げながらも理解できていた。彼女のお下がりであろう浴衣も下駄も財布も、普段はボサボサなのに整えられた白髪混じりの短い髪も、お小遣いを全部持ち出したであろう資金も。
全ては夏祭りを楽しんで欲しいし、自分もソウゴと一緒に祭りを楽しんでみたいという彼女なりの乙女心の発露だったのではなかろうか。その幼い女子らしい心が、生来のそれかソウゴとの交流で生まれたのかは不明だが。
それを曖昧ながらも分かっていたソウゴは、彼なりの言葉を彼女に送ることにしたのである。
「ねぇ蛍、今日はありがとう」
「あなたが改まってお礼を言うなんて珍しいわね」
気がつけば、二人のりんご飴は棒だけになっていた。
「だからさ…お返しがしたくって」
「あなた本当にソウゴ?」
「王様になるんだから民に施しをしなくちゃさ!」
はぁ、とため息を吐き頬杖を突く彼女に対してソウゴはあっけらかんと言い放つ。
「一緒に星を見よう。あの夜と同じようにさ!」
カランとお面の落ちる音がした。
秋月蛍
10歳の頃に初めてソウゴと夏祭りに行った。本人はソウゴがねだったから付き合ったという雰囲気を出しているが実際は押し売りに近い形でソウゴたちを祭りに連れていった。本心はソウゴに楽しんで欲しいという献身とデートの真似をしたいという乙女心。
常磐ソウゴ
皆さんご存知の時の魔王
10歳でありながら蛍の気持ちをある程度理解できるという猛者