オーバーヒート(AI小説) 作:匿名希望
海の向こうの黒い影は、一晩経っても消えなかった。
デルムリン島の断崖の上。
朝の光を受けて、遠くの水平線に、低く重いシルエットが滲んでいる。
魔王軍――そう呼ぶしかない何か。
「……距離はまだあるけど、あれは昨日より近づいてるわね」
レオナが風を受けながら目を細める。
横ではアバンが同じ方向を見つめていた。
「ええ。潮と風を考えると、今日中に“こちらを狙った位置”まで来てもおかしくありません」
「戦いになる、ってことだね」
ダイがごくりと唾を飲み込む。
その少し後ろで、ポップは肩を震わせていた。
「マジかよ……昨日の模擬戦だけでも死ぬかと思ったのに、
今度は本物の魔王軍とか……」
「ビビってる暇はないぞ、ポップ」
相馬が軽く笑って肩を叩く。
「――っと」
その瞬間、いつもなら頭上にふわりと展開される“数字のパネル”が、
なぜか現れなかった。
「……あれ?」
ダイが首を傾げる。
「今日、頭の上、静かじゃない?」
「言われてみりゃ……」
ポップも自分の上を見上げるが、なにもない。
昨日までは当たり前のように表示されていた好感度の数値が、
すっぽりと消えている。
代わりに、空中に別のパネルが現れた。
【好感度表示システムより通知】
【魔王戦力接近につき、一部機能を休止します】
「……は?」
相馬が、ものすごく嫌な予感とともにパネルを見た。
続きの文字が、あっさりと表示される。
・当面、恋愛パラメータの“数値表示”を停止します。
・ただし、顔イベント発生時には、
恋愛感情に基づく「好き」「不満」「要望」「なでなで/抱きしめ要求」などを、
風に溶けるように電子音声で広範囲に流します。
・これにより、戦闘時の視覚情報負荷を軽減しつつ、
当システムとしては恋愛面の健全な進行を引き続き支援します。
「最後の一行がおかしいわよ明らかに!!」
レオナが、思わず叫んだ。
「“恋愛パラメータの表示は止めるけど、気持ちは風でバラ撒きます”って何なのよそれ!」
「いや、戦闘中に数字見てると危ないのは分かるけどさ……
代わりに音で距離無視して垂れ流すのは絶対違うだろ……」
ポップも顔を引きつらせる。
アバンだけは、珍しく苦笑いを見せた。
「どうやら、“視線を数字に奪われないようにする”という配慮と、
“恋愛パラメータだけは止めたくない”という、
システム側の妙な意地の折衷案のようですね」
「意地いらないから……」
レオナは両手で顔を覆いそうになるのを、王女の意地でなんとか堪えた。
(数字が出ないのは正直助かるけど……
代わりに“甘い声”が風に乗って広がるって、前よりタチ悪くない?)
◇ ◇ ◇
その少しあと。
島の中央付近に、即席の作戦会議スペースが設けられていた。
岩に布をかけた簡素な卓の上に、相馬が描いた雑な地図と、
アバンが補足した魔王軍の進軍経路が並んでいる。
「……つまり、あの黒い影は“船”というより、“移動要塞”に近いと?」
「少なくとも、普通の船よりずっと低くて重い影ですね。
ドラゴンや飛行戦力を載せている可能性も高い」
アバンの説明に、レオナは腕を組んで頷いた。
「デルムリン島は小さいけど、ここで時間を稼がなきゃいけない。
パプニカもベンガーナも、次の攻撃に備えるのに、まだ時間が必要だわ」
「勇者の卵の“初陣”としては、ずいぶんハードだな」
相馬が、わざと軽い調子で言う。
「ダイ。怖いか?」
「……正直、ちょっと。でも――」
ダイはぎゅっと拳を握りしめた。
「オレ、みんなを守る勇者になるって決めたから。
逃げたくない」
「いい返事だ」
相馬は微かに笑い、視線をレオナに移した。
――そのときだった。
ふいに、丘を撫でる風が方向を変えた。
湿り気のない、さらりとした風。
そこに、不自然な“声”が混じる。
『……こういうときだからこそ、
本当はぎゅって抱きしめてほしいって思ってるの、
分かってる……?』
レオナそっくりの声だった。
ただし、甘さと恥ずかしさが二割増しで、
風に溶けるようにふわっと会議スペース一帯に広がっていく。
「~~~~~っ!!?」
レオナは、思わず卓を叩きそうになった。
「ちょ、ちょっと待って!? 今のはなに!? どこから!?」
「システム、完全には止まってないみたいですね……」
相馬は、風の向きと強さを妙に冷静に観察しながら言った。
「顔、見られました?」
「見てない! たぶん! おそらく! ……ちょっとだけ!」
「それを“顔イベント”と言うのでは」
アバンが咳払いをしてごまかす。
「今のが、“なでなで/抱きしめ要求+恋愛感情”の風モード、
ということなのでしょうね」
「そんな詳しい説明いらないです先生!!」
レオナが悲鳴混じりに叫ぶ。
(数字が出ないのは良かったけど……
心の声が風に乗って広がるって、公開処刑感が増してるじゃない!)
ダイとポップは、顔を赤くしてうつむいていた。
「……レオナ、そういうのはさ」
ダイが、もじもじしながら言う。
「ちゃんと本人に言った方が……」
「ダイくん、続きは言わなくていいですよ」
アバンがやんわりと口を塞いだ。
◇ ◇ ◇
「と、とにかく――」
ひとしきり騒ぎ終わってから、レオナは無理やり会議モードに戻った。
「好感度の数字は見えないけど、
だからって“感情が消える”わけじゃない。
だからこそ、戦い方をより慎重に考えなきゃいけないわ」
「そうですね」
相馬も表情を引き締める。
「魔王軍の戦力が不明な以上、
勇者候補を最前線で消耗させるのは悪手です」
「オレ、戦うよ!」
ダイが前のめりになるが、レオナは首を振った。
「戦ってもらうわ。でも、“一番危ないところ”は違う。
基本は――」
レオナは、自然と相馬を見る。
顔を見た瞬間、また風がざわりと揺れた。
『危険因子なのは分かってる。
でも、一番危ない場所には、どうしてもあなたを置きたくなる……
――お願い、無茶しすぎないで……』
さっきより少しだけ弱い風だったが、
声はやっぱり甘く、そして不安を含んでいた。
「……」
相馬はしばらく黙り、海の方を見たまま呟く。
「無茶はしますよ」
「ちょっと!?」
「ただし、“誰にも意味がない無茶”はしない。
それが、危険因子なりの線引きってことで」
レオナは、思わず言葉を飲み込んだ。
(……ずるい)
数字が見えなくても、
相馬のこういう言い方が、自分の心にどれだけ刺さるかは、痛いほど分かる。
◇ ◇ ◇
午後。
上陸に備えて、島のあちこちに簡易の防御陣地が作られていた。
岩陰には魔物たちが潜み、
丘の上にはパプニカ兵が弓と石弓を構える。
ダイはガンガディアとともに、
海側の見張りと、ドラゴンへの即応担当。
相馬は、島の中央に近い位置で予備戦力として待機していた。
「いい? ダイ」
レオナが、少年の前でしゃがみ込む。
「あなたは“勇者の卵”なんだから、無茶しないのが仕事よ。
危なくなったら、ちゃんと引いて」
「……うん!」
ダイは力強く頷く。
と、そのとき。
海風の流れが変わった。
『ほんとは、“一緒に最前線まで行きたい”って思ってる。
でも、それを言ったら、
あの人がまた危ない方に行っちゃいそうで……』
レオナの声。
今度は、相馬に聞こえる位置だけでなく、
ダイやポップ、近くの魔物たちにまで、ふわりと届いてしまった。
「レ、レオナ……」
ダイが、どうしていいか分からない顔でレオナを見る。
「……聞かなかったことにして」
レオナは耳まで真っ赤にしながら言った。
「システムの悪ふざけよ。本気にしないで」
(本気なんだけど、本気にされると困るのよ……
そんなことしてたら、本当に誰か死ぬ)
だからこそ、
恋愛パラメータの表示が止まっている今が、“まだマシ”だとも思う。
数字が見えない方が、
“王女としての判断”に集中できるから。
◇ ◇ ◇
一方その頃。
島の反対側の崖の上で、
相馬とアバンが並んで海を眺めていた。
黒い影は、さらに近づいている。
波しぶきの中に、竜のシルエットが混じって見えた。
「ドラゴンライダーがいますね」
「ですねぇ」
アバンは、いつもの柔らかい笑みを少しだけ引き締める。
「ダイくんとガンガディアだけに任せるのは、
さすがに荷が重いかもしれません」
「じゃあ、俺が一体ぐらい相手をしましょうか」
「危険因子が嬉々として前に出ようとしていますね」
「前に出たいわけじゃないですよ。
“ここで止めた方が、あとが楽だ”ってだけです」
その会話の途中で、風がふと強くなった。
『……危険因子なんて言ってるけど、
本当は、“あなたが前に立つのが心強い”って分かってる。
でも、それを言うと、
きっとまた一人で無茶しそうで怖い……』
レオナの声が、二人のいる崖の上まで届いてきた。
甘ったるいけれど、
そこに含まれているのは不安と恐怖だ。
「……聞こえました?」
「ええ」
アバンは、視線を海のままにして頷いた。
「良くも悪くも、“レオナ姫の心の風”は、
あなたを中心に吹いているようですね」
「勘弁してくださいよ、本当に」
相馬は髪をかきあげる。
「数字が見えない分、
どれくらい重い風なのか分からなくなってる気がします」
「風の重さを量る秤は、まだありませんからね」
アバンは少しだけ笑い、真顔に戻った。
「ただ、ひとつだけ確かなのは。
――その風を、完全に無視することもまた“不誠実”だ、ということです」
「……やっぱり、先生ですね」
「家庭教師ですから」
アバンはそう言ってから、相馬を横目で見た。
「さっき、電子音声が“最後の夜に話そう”と言っていた、と聞きました」
「ダイが島を出る前夜に、ですね」
「約束は、覚えておきなさい」
アバンは、穏やかな口調のまま、言葉に少しだけ重みを乗せた。
「魔王軍が来ようと来まいと。
約束を守れない人間に、勇者の隣は務まりませんから」
「……」
相馬は、海を見ながら小さく息を吐いた。
「はい。覚えておきます」
◇ ◇ ◇
夕方。
空が赤く染まり始めた頃、
ついに黒い影が、デルムリン島の輪郭をはっきりと侵食し始めた。
ドラゴンの叫び声。
魔物の咆哮。
そして――巨大な獣のような、低く重いうなり。
「来たわ……!」
レオナが丘の上で杖を握りしめる。
ダイは木剣を構え、
ポップは震える手で杖を持ち直した。
相馬は、彼らより半歩前の位置で、海風を受けて立っている。
その背中を見てしまった瞬間、
また風が吹いた。
『怖い。
でも、あなたが前に立ってくれるのは、やっぱり嬉しい。
――だから、お願い。
一人で死ぬなんて選び方だけは、絶対にしないで……』
レオナの声が、今度は丘全体に、
風のように柔らかく、それでも確かに届いた。
聞く者によっては、甘く。
聞く者によっては、涙の混じった叫びに聞こえる声。
「レオナ……」
ダイが振り向きかけて、
すぐに前を向き直った。
相馬は、その言葉を背中で受け止める。
「……命令として受理しておきましょう」
振り向かずに、そう言った。
「王女レオナの命で、“一人で死ぬのはなし”。
――危険因子としても、守るべきラインってやつですね」
「……最初からそうしなさいよ」
レオナは、震える息をどうにか笑いに変えて言った。
「危険因子を野放しにしてるのは、王女としての責任よ。
だから、ちゃんと帰ってきなさい」
「努力します」
そう答えた相馬の横で、
アバンが木剣を構えた。
「さあ、みんな」
家庭教師の声が、夕風に乗って響く。
「好感度の数字も、甘ったるい風の声も、
いったん全部置いておきましょう」
ダイとポップ、レオナ、相馬。
それぞれが武器を握りしめる。
「ここから先は――“勇者の物語”としての時間です」
その言葉とともに、
魔王軍の第一波が、デルムリン島の海岸に、
黒い波のように押し寄せてきた。
恋愛パラメータの数字は、今はどこにも浮かんでいない。
けれど、風の中には、確かにたくさんの「好き」と「怖い」と「生きて」の声が混じっていた。
その全部を背負いながら、
彼らは、最初の本当の戦いへと足を踏み入れていくのだった。