オーバーヒート(AI小説) 作:匿名希望
さっきまで石畳を割っていた斬撃の音が、嘘みたいに消えていた。
風も、叫び声もない。
あるのは、黒い鎧と、青白い光の刃。
互いに一歩、距離を取った場所。
そこが、この勝負の「土俵」になっていた。
黒鉄の鎧を纏った騎士は、静かに剣を上げる。
頭上、高く。
上段。
全身を一本の斬撃のためだけに組み直した、極めてシンプルな構えだ。
剣先は、空を向いたまま。
今は振らない。
ただ、そこから「落とす」ためだけに上げられている。
対する相馬は、ライトセーバーを両手で握り、いつもの中段。
刃先は、黒い胸甲へまっすぐ。
腰が落ちているぶん、突きに全てを載せられる形だ。
どちらも、一撃専用の構え。
どちらも、その一撃をまだ放さない。
石畳に風が抜ける。
それだけで、ダイたちの喉が同時に鳴った。
――静かな勝負が始まった。
◇ ◇ ◇
「……動かねぇ」
ポップが、息をつめたまま呟く。
「いや、動いてる」
相馬のすぐ後ろ、ダイが小さく言った。
声が自然に低くなる。
「足が、ちょっとずつ……」
黒い鎧の足先が、ほんの数センチ。
石畳をなぞるように動く。
前でもなく、後ろでもなく。
半歩ずつ、微妙に角度だけを変える。
相馬も、同じように。
膝をわずかに曲げ、前足と後ろ足の幅を変えながら、じりじりと円を描くように動く。
剣は、どちらも振られない。
ただ、間合いだけが、すこしずつ揺れ動いていた。
近づきすぎれば、上からの一撃が落ちる。
遠すぎれば、突きが届かない。
その境目ギリギリを、二人の足だけが測っている。
「……あの鎧」
マァムが息を飲む。
「さっき、斬っても光の刃でも弾かれてた……」
「だからこそ、か」
ポップが、喉を鳴らした。
「どっちも、“一発”しかないって顔してやがる……」
レオナは、相馬の背中を見つめた。
肩越しに見える横顔。
(さっきまでの打ち合いだけでも、おかしいくらいだったのに)
今の相馬は、ほんの少し笑っている。
怖さを隠すみたいな、薄い笑み。
その顔を見るたびに――
【レオナ→相馬 300/300】
【電子音声:レオナ(甘々+不安オーバーフロー)】
『やめて……そうやって笑うと、また好きになっちゃうぅ……
これ以上は、本当に壊れる……でも目が離せない……』
「うるさい」
レオナが、心の中でだけシステムを殴った。
実際には杖を握る手に力を込めることで、どうにか気を紛らわせる。
(今は、見届けるしかない……)
◇ ◇ ◇
相馬が、半歩踏み込んだ。
石畳に靴底が擦れる、かすかな音。
光の刃の先が、黒い胸甲にぐっと近づく。
すぐには来ない。
上段の黒い騎士は、相変わらず剣を落とさない。
肩の力を抜いたまま、ただ視線だけで相手の重心を追っている。
相馬は、その視線を真正面から受けながら、静かに息を吐いた。
前足に、少し重心を預ける。
次の瞬間、ふっと後ろ足に戻す。
また、前。
進むのか、引くのか。
その境目ぎりぎりの揺れ。
ヒュンケルの足が、ごくわずかに動く。
相馬のわずかな重心の変化に合わせるように、角度を変えただけ。
でも、そのたびに――二人の間に張り詰めた糸の位置も、変わっていく。
(……嫌な構えだな)
相馬は、内心でだけぼやいた。
鎧の重量。
上段から落ちてくる剣。
先に振ったほうが負ける。
先に「ここだ」と思って手を出した瞬間、上から全部まとめて叩き落とされる。
だからこそ――足だけで先にヒュンケルの一撃を出させなければならない。
相馬は、もう一度半歩踏み込んだ。
今度は、さっきより明らかに深い位置まで。
光の刃の先端が、鎧の隙間に触れそうな距離。
空気が、変わった。
◇ ◇ ◇
見ていたダイの喉が、ひゅっと鳴る。
「い、今のって……!」
「入ってる、完全に“殺せる位置”に」
ポップが、思わず前のめりになった。
しかし――
相馬は、突かなかった。
半歩深く踏み込んだその足を、すぐさま引き戻す。
前傾しかけた上体を、ひゅ、と軽く起こす。
ヒュンケルの赤い眼光が、刹那、わずかに細くなった。
(……今の距離で、来ないか)
鎧の中で、筋肉がわずかに締まる。
鎧の重さをものともせず、いつでも全力で振り下ろせるように。
だが、黒い騎士の剣は、まだ落ちない。
相馬がまた、半歩踏み込む。
さっきより少し浅く。
今度は、横にずれる。
円を描くように、黒い鎧の死角を探る。
石畳を踏む音が、一定のリズムで鳴る。
一歩ごとに、呼吸も、視線も、揺れていく。
レオナは、見ているだけで頭が痛くなりそうだった。
(これ、やってるほうも見てるほうも、神経がすり減るやつだ……)
でも――目は離せなかった。
◇ ◇ ◇
どれくらい、そうしていたのか。
数秒にも、数分にも感じられる時間の果て。
相馬が、いつもと違う足を前に出した。
今まで一度も見せていなかった、踏み込みの形。
膝の角度も、腰の位置も、今までと違う。
ヒュンケルの視界が、そこでわずかに広くなる。
――来る。
判断は、ほとんど本能だった。
黒い鎧の騎士が、地面を蹴る。
上段から、剣が落ちた。
先の先。
相手が攻めに転じるより、一瞬早く。
全身の重さと闘気を乗せた、ただ一度の斬撃。
真上から振り下ろされた、見えた時には、もう刃線がそこにあった。
霞のような軌跡が、相馬の肩口を真っ二つに断ち切る――
はず、だった。
◇ ◇ ◇
石畳が、爆ぜた。
剣圧が叩きつけられた場所が、蜘蛛の巣状に割れる。
黒鉄の剣が通り抜けた空間を、爆風がえぐる。
だがそこに、相馬の身体はいなかった。
踏み込むと見せた足。
その足が、剣が落ちてくる瞬間、滑るように外側へ逃げる。
ほんの、数センチ。
けれど、その数センチで――軌道は、少し外れた。
黒い刃が、相馬の上腕を削ぎ取る。
鎧も盾もない生身に、焼けるような痛みが走る。
「ッ……ぐ……!」
だが、その瞬間には、相馬の方も、もう別の動きが始まっていた。
体を外に逃がした勢いのまま、腰を捻る。
両手で握った光の刃が、弧を描く――途中で止まる。
中段から、そのまままっすぐ突きに変わる。
狙いは、黒い鎧のわき腹。
胸甲と腰の装甲の、ちょうど継ぎ目になっている部分。
石畳を擦る音と、鎧を穿つ音が重なった。
「――っ!」
光の刃が、黒鉄の隙間にめり込む。
鈍い抵抗。
次の瞬間、それが熱に負けて溶ける感触。
焼け焦げた金属の間から、赤いものがにじむ。
ヒュンケルの身体が、一瞬だけ強張った。
そのまま、前へ出ようとしていた重心が、崩れる。
脚が、半歩。
そして、もう半歩。
大地を踏みしめていた鎧の騎士が、膝をついた。
石畳に、赤い滴が落ちる。
◇ ◇ ◇
誰も、声を出せなかった。
相馬の左腕には、深い斬り傷。
血が流れ、服が赤く染まっていく。
ヒュンケルのわき腹には、光の刃が突き刺さったまま。
黒鉄の隙間から、じわじわと血が滲み出ていた。
互いの一撃が、互いの身体を削った。
だが――決定的に深いのは、鎧の内側のほう。
やがて、光の刃が音もなく消える。
相馬が、ゆっくりと柄を引き抜いたからだ。
その瞬間、ヒュンケルのわき腹から、溢れ出た血が鎧を伝って滴り落ちた。
黒い騎士は、それでもすぐには倒れない。
片膝をついたまま、顔を上げる。
仮面のような静けさの奥で、何かを探すように相馬を見ていた。
「……見事だ」
低い声。
それだけを絞り出すと、ヒュンケルの上体がぐらりと揺れる。
「……ああ」
相馬も、左腕を押さえながら息を吐いた。
「お前もな」
もう次の一撃は振れない。
◇ ◇ ◇
沈黙を破ったのは――
「相馬っ!!」
マァムの叫びだった。
はっと我に返ったみたいに、みんなの視線が一気に動く。
マァムが、髪を振り乱して駆け出していた。
「ちょ、マァム危ね……!」
ポップが慌てて手を伸ばすが、その前に彼女は二人の間合いへ飛び込んでいた。
膝から崩れ落ちかけていた相馬の身体を、がしっと抱きとめる。
「相馬! ねぇ、しっかりして!」
「……お、おう」
相馬は、苦笑とも息切れともつかない声を返した。
「そんな顔すんなよ。死にかけってほどじゃねぇ」
言いながらも、左腕からは滝のような止まらない血。
マァムの手が、嫌でもその温度と量を伝えてくる。
(そんなの、わからないじゃない……!)
心の中で叫びながらも、彼女は一瞬だけ相馬の顔を見た。
戦いの直後なのに、いつもの薄い笑いを浮かべている横顔。
(……ほんと、こういう時まで、その顔で笑うんだから)
胸のどこかが、ぎゅっと掴まれる。
息が詰まりそうになった、その瞬間――視界の端に、もっと深い赤が映った。
黒い鎧。
片膝をついて、血を流し続けるヒュンケル。
相馬の突きが貫いたわき腹は、鎧の内側で致命的な傷になっているはずだ。
「……マァム」
相馬が、小さく呼んだ。
「俺はいいから、先にあっち」
「でも――」
「こっちは、あとでレオナに怒られながら治してもらう」
冗談めかした言葉に、かすかな真剣さが滲む。
「ヒュンケルは、そのままだと本当に死ぬ」
マァムは、唇を噛んだ。
敵。
さっきまで、自分たちを殺そうとしていた不死騎団長。
――でも。
(“瀕死の相手を放っておくな”って言ったのは、誰?)
頭の中で、アバンの穏やかな声が蘇る。
「……分かった」
マァムは、相馬の身体をそっと地面に座らせた。
「絶対動かないでよ!」
「動けねぇって」
軽く手を挙げる相馬を残し、彼女は黒い鎧のほうへ駆け寄った。
◇ ◇ ◇
ヒュンケルは、まだ剣を手放していなかった。
地面に突き立てた剣に体重を預けるようにして、かろうじて上体を支えている。
近づいたマァムを見て、赤い眼光がわずかに細くなった。
「……とどめか?」
「違うわよ」
マァムは、さっと膝をつく。
「ベホイミ!」
柔らかな光が、彼女の掌から溢れた。
緑がかった白い光が、黒い鎧の隙間から流れ込んでいく。
焦げた金属の匂いに、温かな気配が混じる。
ヒュンケルの眉が、わずかに寄った。
「……なぜだ」
しばらく沈黙してから、低い声が洩れる。
「俺は敵だぞ。
お前たちの国を滅ぼし、今さっきまで命を狙っていた男だ」
「私は僧侶だから」
マァムは、短く答えた。
「目の前で誰かが死にかけてたら……
敵でも味方でも、関係なく治す」
光が、じわじわと傷口に染み込んでいく。
ヒュンケルの呼吸が、少しずつ整っていくのが分かった。
「それに……」
マァムは、ちらりと相馬のほうを見やった。
「あなたも“アバンの教え子”
簡単に見捨てたくないの。たとえ、今は敵でも」
ヒュンケルの肩が、かすかに揺れた。
「……バカな連中だ」
そう呟いた声は、罵倒にしては少しだけ、力が抜けていた。
◇ ◇ ◇
「レオナ!」
ダイが呼びかける前に、レオナはもう走り出していた。
血の跡を辿るように、相馬のもとへ。
座り込んだ相馬が、片手で腕を押さえながらもこちらを見てくる。
その顔を見た瞬間――胸が、きつく掴まれた。
(あ……)
少し青ざめた顔。
なのに、やっぱり薄く笑っている。
【レオナ→ 相馬 300/300】
【好感度システム:戦闘優先モード解除】
【恋愛モジュール:過負荷状態のまま再起動】
【電子音声:レオナ(とろとろ+警告無視モード)】
『もうやだ……その顔で血だらけとか、本当に心臓止まる……
抱きつきたい……でも人前……でも今くらい許される……』
(黙りなさい!!)
レオナは、心の中でだけシステムを殴り飛ばした。
その勢いのまま、相馬のすぐそばに膝をつく。
「動かないで」
短く言い、両手を傷口の上にかざす。
「ベホイミ!」
白い光が、相馬の上腕を包んだ。
裂けた肉が、ゆっくりと縫い合わさっていく。
「……っ」
相馬が小さく息を呑む。
「痛む?」
「いや……ちょっと、くすぐったいだけだ」
「強がらない」
レオナは、光を維持しながら顔を近づけた。
距離が、近い。
息が触れそうな距離。
(近い、近い、近い……!)
頭のどこかが騒ぐのを、必死で黙らせる。
――それでも、離れたくなかった。
傷が閉じ、血が止まっても。
レオナの手は、相馬の肩から離れない。
むしろ、そっと滑って、無事な方の肩に回った。
「ちょっ、レオナ……?」
「今日は、文句言わないで」
レオナは、相馬の額に自分の額をぴたりとくっつけた。
額同士が触れ合う、短い距離。
ただそれだけの接触。
けれど、彼女の中では――それはかなりの“冒険”だった。
「本当に……よく、生きて戻ってきてくれたわね」
ささやく声が、震える。
「勝手に一人で、あんな勝負を始めて。
もし負けてたら、どうするつもりだったの?」
「負けなかったからセーフ」
「そういう問題じゃないのよ!」
思わず声が強くなる。
相馬が目を丸くした。
「……悪かった」
少し間を置いて、彼は素直に謝った。
「でも、突っ込んでいくのは俺の性分なんだ。
それは、最初に言っただろ?」
「知ってるわよ、そんなこと」
レオナは、額をくっつけたまま目を閉じる。
「だから余計に、怖いの」
【好感度システム】
【重大恋愛イベントを検知しました】
【※仕様の詳細は企業秘密です】
【電子音声:レオナ(しゅきしゅきボイス・控えめ版)】
『もっと抱きしめてほしい……
でも人前でやると国の威信がどっか行く……どうしよう……』
(だから黙りなさいってば!!!)
心の中では盛大にツッコミを入れつつ――実際には、相馬の肩をぎゅっと抱きしめる力が、ほんの少しだけ強くなる。
◇ ◇ ◇
「お、おおおいおいおいおい!!」
耐えきれなくなった声が、ようやく割り込んできた。
「お姫様ー!? ベホイミって、そういう使い方だったっけ!!?」
ポップが大袈裟に身振り手振りを加えながら言った。
「てっきり“治療終わったら一歩下がる”のがセオリーだと思ってたんだが…。
なにその……ゼロ距離看病コース!」
「うっさい!」
ジェスチャーを交えるポップに、レオナが怒鳴る。
頬が真っ赤だ。
「これは、その……医療行為の一環よ!」
「どこの国の医療だよ!」
ポップがさらにジタバタする。
「よかったな相馬、お前そのうち“顔面だけで世界救った男”って呼ばれるぞ!」
「称号ダサくない?」
相馬が、まだレオナと額をくっつけたままぼそりと言った。
「もうちょいカッコいいのがいいわ」
レオナの首が小さく揺れている。
「そこ気にするのかよ!? お前らはもっと気にするべきところはたくさんあるだろォ!!」
ポップのツッコミに、ようやく場の空気が少しだけ緩んだ。
ダイも、ほっとしたように笑う。
「でもよかった……みんな、生きてる」
「当たり前だ」
相馬は、レオナからそっと額を離しながら言った。
「ここで誰か一人でも死んでたら、
先生に顔向けできないだろ」
◇ ◇ ◇
黒い鎧のほうへ視線を向ける。
マァムのベホイミを受けたヒュンケルは、呼吸こそ落ち着いているものの、まだ血の気の薄い顔をしていた。
それでも、立ち上がろうとするように、ゆっくり剣に手をかける。
「無理して立たなくていいわよ」
マァムが止める。
「ヒュンケル…あなた相当ボロボロなんだから」
「……わかっている」
ヒュンケルは、かすかに口元をゆがめた。
「だが、いつまでも土下座みたいな格好をしたままというのも性に合わん」
ぎり、と音がしそうなほど力を込めて、片膝から立ち上がる。
ダイたちが思わず身構えたが、ヒュンケルは剣を下げたままだった。
「安心しろ。もう、これ以上剣を振るう気はない」
ゆっくりと、視線を相馬へ向ける。
「勝負はついた。
俺の負けだ」
「ああ」
相馬も、立ち上がりながら肩を鳴らす。
レオナが心配そうに隣で支えたが、彼は軽く首を振った。
「さすがに、もう一回やれって言われたらきついぞ」
「フッ」
ヒュンケルが、わずかに笑った。
その笑いは、さっきまでの冷たい嘲りではなかった。
◇ ◇ ◇
「で、これからどうする気だ?」
ポップが、おそるおそる口を開く。
「まさか“やっぱり敵です”とか言い出したら、
さすがに俺もキレるからな?」
「やめなさいってば」
マァムが肘で小突く。
ヒュンケルは、ダイと相馬のやりとりを、ほんの一瞬だけ黙って見ていた。
それから視線を落とし、静かに口を開く。
「……俺は、アバンを憎み、この手を汚してきた」
言葉と一緒に、視線が自分の掌へと落ちた。
黒い鎧の隙間から覗く指先が、かすかに震えている。
「今さら人間に許しを乞うつもりはない。
お前たちが望むなら、この場で斬られよう」
ダイが、はっと息を呑む。
「でもそれじゃ——」
「ちょっと待った」
相馬が、ぱん、と軽く手を上げて遮った。
「勝手に話、終わらせんな」
ヒュンケルの瞳が、もう一度、相馬をまっすぐ捉える。
「お前は、覚悟を決めてこの場に立った。
それは分かる」
相馬は、腕組みをしながら言葉を選ぶように一拍置いて続けた。
「でもさ。覚悟だけ決めて“あとは好きにしろ”って顔されると……
こっちの気が済まない」
「……どういう意味だ?」
「“自分の罪は分かってる”“斬られて当然だ”って言われたらさ。
“じゃあ斬るか”って話になる前に——」
相馬は、ヒュンケルの背後を指さした。
そこには、不死騎団の残骸が散らばっている。
動かなくなった骨。崩れた魔法陣。黒い旗。
「お前が今までやってきたこと全部、
“死んでチャラ”にはならない」
ヒュンケルの目が、わずかに見開かれた。
「だから——お前には“やってもらうこと”がある」
「……やってもらうこと、だと?」
「ああ」
相馬は、わざとらしく肩をすくめる。
「本音を言えば、“魔王軍ぶっ叩く側に来い”って言いたい。
――けど、いきなりそれはハードル高すぎるだろ?」
「いきなりどころか、棒高跳びレベルだろそれ……」
ポップが小さくツッコむ。
相馬は、そのまま目を細めた。
「だからまずは、“ちゃんと話を聞け”。
“親父さんの話”をな」
その一言で、空気が変わった。
ヒュンケルの表情から、すっと色が抜け落ちる。
「親父……だと?」
ほんの一瞬だけ、視線が揺れた。
「……何を知っている」
「全部とは言わねぇけどな」
相馬は、内心で深く息を吸い込む。
(本来なら、もっと違うタイミングで判明する真実だし……
地底の隠し部屋とか宝箱とか、説明すればするほど“おかしな作り話”にしかならないんだよな)
(でもまあ、今さら自然さ気にしても仕方ねぇか)
相馬は、雑に説明する覚悟を決めた。
◇ ◇ ◇
「この世界には、“魂の貝殻”ってアイテムがある」
唐突な切り出しに、マァムがはっと顔を上げる。
「魂の……貝殻?」
「知ってるのか?」
ポップが振り向く。
「聞いたことはあるわ。死にゆく人の“最後の声”を封じ込めておける貝殻。
遺言を残すために使われることが多いって……お父さんがそう教えてくれた」
マァムの説明に、ヒュンケルがわずかに目を細める。
「……確かに、そういう話は聞いたことがある。
だが、それが今さらどうした」
「地底魔城の、隠し部屋」
相馬は、それまでより少しだけ静かな声で続けた。
「お前が昔暮らしてた場所の、さらに奥だ。
そこに一つ、“魂の貝殻”が置いてある」
ヒュンケルの呼吸が、目に見えるほどわずかに乱れる。
「その貝殻の中には——
きっとお前が知りたい“本当のこと”が入ってる」
ダイたちが、息を呑んだ。
「死に際の親父さんが、自分の身に何が起きたか。
その場でアバンが何をしたのか。
お前に、本当は何を伝えたかったのか」
相馬の声は、淡々としている。
「全部、その中に残ってる」
「……ふざけるな」
喉の奥から、低い声が漏れた。
ヒュンケルの拳が、かすかに震える。
「そんな都合のいいものが……
なぜ今まで、誰の耳にも届かなかった」
「地底だろ。しかも隠し部屋だろ」
相馬は肩をすくめた。
「そこまで辿り着けるやつが、今までいなかったんだよ。
お前自身も含めてな」
「っ……!」
ヒュンケルは、言葉を詰まらせる。
そこへ、マァムがそっと口を開いた。
「でも……ありえない話じゃないわ」
皆の視線が、自然とマァムに集まる。
「“父親が真実を残すために魂の貝殻を使う”って話、昔本で読んだことがあるの。
死ぬまで言えなかったことを、せめて声だけでも残すためにって」
彼女の言葉が、相馬の“妙な知識”に、ほんの少しだけ現実味を足してくれる。
ヒュンケルは、ぎゅっと目を閉じた。
「……その貝殻には、何が録られている。
貴様が、なぜそこまで知っている?」
絞り出すような声だった。
疑念と警戒がはっきりと混じっている。
「それは、自分で確かめろよ」
相馬は、そこでようやく笑った。
いつもの軽さより、少しだけ真面目な笑みだ。
「俺が言えるのは、そこに“親父さんの声”が残ってるってとこまでだ」
「……そこで全部言わねぇのかよ」
ポップが、頭を抱えた。
「内容めちゃくちゃ重いくせに、説明だけやたら雑なんだよお前!!」
◇ ◇ ◇
少々の沈黙。
やがて、ヒュンケルは小さく息を吐いた。
「……もし、そんなものが本当にあるとして」
あくまで慎重な口調。
「それを俺が聞いたところで、何が変わる。
今までやってきたことは、消えない」
「そうだな」
相馬は、あっさりと頷いた。
「考えようによっては、ヒュンケルにとっては一番残酷なことを強要してるかもしれない。
だが、俺はお前に自分で選んで欲しい」
その言葉に、ダイがはっと顔を上げる。
ポップも、どこか居心地悪そうに視線を逸らした。
「俺は、“何も知らないまま死ぬ”のが一番嫌いなんだよ」
相馬は、自分自身に言い聞かせるように続けた。
「どうせ後悔するなら、
“知った上で後悔したほうがマシ”だと思ってる」
「……勝手な理屈だな」
「すまんな」
肩をすくめる相馬に、ヒュンケルはしばらく視線を向けてから――
ふっと、ほんのわずかに笑った。
「どうやら、お前は俺以上に“問題児”らしい」
「ーー俺が巷でなんて呼ばれてるか、知ってるか?」
相馬が返すと、ダイとポップが同時に吹き出した。
「……ふん。詐欺師にしてはお粗末な語りだが」
やがて、ヒュンケルは静かに言った。
「お前の言う“魂の貝殻”とやらを探しに行くかどうかも含めて。
俺自身が決める」
「それでいい」
相馬は頷く。
「俺たちは期待せずに待ってる。
お前の判断だから」
ヒュンケルは、ふっと目を細めた。
「勘違いするな」
「?」
「お前たちを信用したわけではない。特にお前」
ヒュンケルは相馬を見ながら言う。
低い声。
「俺は魔王軍の不死騎団長ヒュンケルだ。
その立場は、まだ捨てていない」
その言い方は、あくまで距離を保ったままだった。
「地底へ戻るのか?」
ポップが、思わず口を挟む。
「さあな」
ヒュンケルは、軽く空を仰いだ。
「“魂の貝殻”とやらが本当にあるのかどうか。
この話は無視できないラインとわかった上で言ったのだろう?」
そして、相馬を一瞥する。
「……もしそれが罠だったら。
ここまでお前は言ったんだ」
赤い瞳が、わずかに細くなった。
「次に会ったとき、お前の首は真っ先に斬り落としてやる」
「物騒だな」
「本気だ」
それだけ告げると、ヒュンケルはゆっくりと立ち上がる。
まだ足元はふらついている。
それでも、その背中には敗北者の色は薄かった。
「不死騎団、撤退だ」
低く、しかしはっきりとした声が、戦場に響く。
城門の上や崩れた城壁の影で倒れていた骸骨兵たちが、
次々と立ち上がり、主の命令に従って列を組む。
ヒュンケルは、最後にダイたちのほうへ振り返りもせず、歩き出した。
黒い鎧の背中が、ゆっくりと遠ざかっていく。
不死騎団の影も、それに続いて闇の向こうへ消えていった。
「……行っちゃったな」
ダイが、小さく呟いた。
「いいのかよ、あれで」
ポップが、相馬を見る。
「引き止めなくて」
「引き止められるタイプか、あいつ」
相馬は苦笑する。
「どうしても気になるなら、そのうち勝手に戻ってくるさ。
“気になって仕方がないこと”を抱えたまま耐えられる性格じゃなさそうだしな」
「それ、そーまの自己紹介でも通用するわよ」
マァムが、半分呆れた顔で言った。
「そっちは否定できねぇ」
相馬は、肩をすくめた。
◇ ◇ ◇
その時――
「おおっ、お、おおおおお……!」
場違いなほどの大声が、城門の陰から響いた。
「ひ、姫様ぁーーー!!」
みんなが振り向く。
廃墟になりかけた城門の影から、ひとりの男が転がるように飛び出してきた。
中年の兵士。
がっしりとした体格に、煤けた鎧。
髭面だが、その目は涙でうるんでいる。
「バ、バダックさん!」
レオナが、思わず声を上げた。
「おおっ、本当にレオナ様だぁ……!
生きておられたぁ……!」
バダックは、その場でがくりと膝をつき、地面に頭を擦りつけそうな勢いで泣き崩れる。
「やめてください、顔を上げて」
レオナは慌てて駆け寄った。
「私こそ、無事でいてくれて嬉しいわ。
パプニカの兵士が……あなたが、生き残っててくれて」
「いやぁ、面目ねぇことで……」
バダックは鼻をすすりながら立ち上がる。
「不死騎団に攻め込まれてな、王都の兵の大半はバラバラにされちまった。
わしは、城門の地下の物資庫に籠もって、敵の様子を伺うしかなかったんだ」
そこで、ようやくバダックの視線が相馬たちへ向く。
「こっちの若いのが……」
相馬が小さく手を挙げる。
「山田相馬。デルムリン島出身(仮)の魔法剣士枠です」
「勇者の仲間で、今は私の護衛兼、危険因子よ」
レオナがさらっと補足した。
「危険因子って公式肩書きなんだ……」
ポップがぼそりと呟く。
「ダイとポップとマァムは、アバン先生の弟子」
レオナが続けると、バダックは目を丸くしながらも、深く頷いた。
「そりゃあ心強いお方がたじゃ……!」
「父上と母上は……?」
レオナが食い気味に問う。
「どこにいるの、今?」
「バルジ島でございます!」
バダックの顔に、少しだけ光が戻った。
「パプニカ近海の孤島、覚えておいででしょう。
あの天然の要塞に避難して、魔王軍への反撃の機をうかがっておられるんです」
彼は、身振り手振りを交えて説明を続ける。
「パプニカには、たった一隻だけ“気球船”がありましてな。
それを連絡船代わりにして、バルジ島と行き来していたんですが……」
「気球船?」
ダイが目を輝かせる。
「空飛ぶ船!? 乗ってみたい!」
「遊覧じゃねーからな!?」
ポップが即座にツッコむ。
バダックは苦笑しながら頷いた。
「ええ、空を飛ぶ船ですとも。
燃料になる火薬と、いくつかの仕掛けを使ってな……
今はバルジ島のほうに常駐しているはずです」
「じゃあ、どうやって呼ぶの?」
レオナが問う。
「合図に“信号弾”を使います」
バダックは胸を張った。
「城の地下倉庫に、火薬と色付きの弾がまだ残っているはずです。
赤い光を上げれば、“パプニカ復旧の兆しあり”の合図。
王と三賢者は、必ず気球船をこちらに向かわせてくださるでしょう」
「なるほどね」
相馬が納得したように頷く。
「じゃあ明日以降の方針は決まりだな。
今日は傷の手当てと休息。
明日、地下倉庫で信号弾を上げる」
「そうね」
レオナも同意した。
「このままバルジ島へ向かうにしても、今の状態じゃ無理をしすぎだわ。
まずはパプニカ城に入りましょう」
バダックが大きく頷く。
「姫様のお部屋……と言いたいところですが、城の上階はまだ片付いておりませんで。
それでも、客間のいくつかは使えるはずです。
今夜はそこで休んでくだせぇ」
「十分よ」
レオナは微笑んだ。
「ありがとう、バダックさん」
◇ ◇ ◇
パプニカ城の中は、外よりも静かだった。
壊された箇所は多い。
壁には焦げ跡が残り、ところどころ床がえぐれている。
それでも、どこか懐かしい気配があった。
「……帰ってきたんだな、レオナ」
相馬がぽつりと呟く。
「そうね」
レオナは、少しだけ遠い目をした。
「“ちゃんとした形”で帰ってくるのは、思ってたよりずっと早かったけど」
「そんで、思ってたよりずっとボロボロなタイミングだけどな」
「そういうこと言わない」
二人のやり取りを見ながら、ダイが笑う。
「なんか、いつもの感じに戻ってきたな」
「ほんっと、さっきまでのピリピリ空気はどこ行ったんだよ……」
ポップがほっとしたように肩を落とす。
マァムは、その様子を見守りながらも、時々さっきの黒い鎧を思い返していた。
(あの人は……どっちへ向かうんだろう)
地底か、地上か。
答えはまだ出ていない。
それでも、“全部捨てて死ぬ”顔からは、少しだけ変わっていた。
◇ ◇ ◇
その夜。
相馬には、客人用としてはかなりいい部屋があてがわれた。
広めのベッド。
小さなテーブルと椅子。
窓の外には、夜のパプニカの街並みが、まだところどころ灯りをともしている。
「……なんか、落ち着かねぇな」
相馬は、ベッドの端に腰を下ろしながら苦笑した。
つい数時間前まで、石畳の上で命のやり取りをしていたのに。
今は、ふかふかのベッドと清潔なシーツ。
左肩には、レオナのベホイミのおかげで傷一つ残っていない。
けれど、あの一撃の感触は、まだ体のどこかに残っていた。
(ヒュンケル、か)
あの男の、ぎりぎりの一撃。
そして、自分の突き。
どちらがわずかに早く、どちらがわずかに深く入ったのか。
そんなことは、もうどうでもいい。
(問題は、あいつがこれから何を選ぶかだ)
魂の貝殻。
地底の隠し部屋。
親父の声。
全部“こっち側”の事情で知っている情報。
本当なら、口を出すべきじゃないと、何度も思ってきた。
(でもまあ……もう遅いよな)
自嘲気味に笑う。
原作を知っているからこそ、魂の貝殻の件については、どうしても“手を出さずにいられなかった”場面だった。
自分の胸の内を、誰かに評価してほしいわけじゃない。
ただ――原作では“父親の最後の声”を聞いた上で、仲間になってくれたからこそ、信頼できる仲間になってくれた。
(あのままなし崩し的に進めば、きっと彼は仲間にはならない。)
そう考えていたところ。
コン、コン。
控えめなノックの音がした。
「どうぞー」
反射的に返事をすると、扉が少しだけ開く。
そこから顔を覗かせたのは――
「入ってもいい?」
レオナだった。
いつもの旅装ではなく、簡素な寝間着姿。
それでもどこか気品が抜けていないのが、この姫らしいところだ。
「お、おう。どうぞ姫様。
城の中でまで敬語使うべきか一瞬悩んだわ」
「今のは悩む必要なかったと思うわよ?」
レオナは、少しだけ笑って部屋に入ってくる。
扉を閉める音が、妙にはっきり聞こえた。
◇ ◇ ◇
「どうした?」
相馬は椅子を引きながら問う。
「眠れないとか?」
「正解」
レオナは、正面の椅子に腰を下ろした。
少しだけ、目の下に疲れが見える。
「今日は色々ありすぎて、頭が全然静かにならなくて。
ダイたちの部屋に行くわけにもいかないし……」
「あいつらの部屋に夜中突撃はやめてやれ」
「誰が突撃よ!!」
即座にツッコんでから、レオナはふっと笑った。
「……で。なんとなく、いちばん“眠れなさそうな顔”してそうな人のところに来たの」
「選別基準そこかよ」
相馬も笑う。
「まあたしかに、ぐっすり熟睡モードではねぇけどな。
今日はヒュンケルが夢に出てきそうだ」
二人の間に、少しだけ柔らかい空気が流れた。
◇ ◇ ◇
「……怖かった?」
ふと、レオナが尋ねる。
「ヒュンケルとの勝負」
「そりゃあな」
相馬は、あっさり認めた。
「普通に死ぬかもしれねぇってのは、頭では分かってたし。
実際、数センチずれてたら、腕ごと飛んでたろうなって感触もある」
「やめて、そういう具体的な話」
レオナが顔をしかめる。
「でもまあ、“やるしかねぇ”ってのも同時に分かってたから。
怖いとか怖くないとか、途中からよく分かんなくなってたわ」
「……そう」
レオナは、少し俯いてから言った。
「私は、ただ見てることしかできなかった。
ダイたちみたいに剣も魔法も強くないし、あなたみたいに“前に出る覚悟”もない」
「いや、あるだろ」
相馬は即答した。
「パプニカの王女が、“覚悟ありません”って顔でここまで来れるかよ。
説得力ゼロだわ」
「それは……」
「国捨てて逃げてもよかったんだぞ?」
相馬は、肩をすくめる。
「それでも戻ってきて、今こうして“次どうするか”考えてる時点でさ。
普通の人より覚悟持ってるって自覚、もうちょい持っていいと思うけどな」
レオナは、目を瞬いた。
しばらく黙ってから、ふっと笑う。
「……そうやって、調子よく褒めておけば、また危ない勝負を許してもらえると思ってる?」
「バレたか」
「バレバレよ」
二人の笑い声が、静かな部屋に広がる。
◇ ◇ ◇
しばらく他愛もない話をした。
今後のバルジ島のこと。
気球船のこと。
ダイが絶対はしゃぐだろう、という話。
ポップが絶対酔うだろう、という話。
やがて、話題がふっと途切れた。
窓の外には、夜の海から吹き込む風が、薄いカーテンを揺らしている。
「……ねぇ、相馬」
レオナが、少し真面目な声で呼んだ。
「なに」
「さっき、ヒュンケルに話してた“魂の貝殻”のことだけど」
彼女は、相馬の目を真っ直ぐ見た。
「本当に、あるのよね?」
「多分な」
相馬は、少しだけ視線を逸らし、それからまた彼女の目を見返した。
「俺が知ってる限りでは、ある。
あれば、そこにバルトスの声が残ってるのも、ほぼ確定」
「どうして、そんなことまで――」
レオナはそこで言葉を飲み込み、小さく首を振った。
「ごめん。今は、聞かないほうがいい気がする」
「賢い判断だ」
相馬は苦笑する。
「俺も、自分で全部説明できる自信ねぇしな」
レオナは、少しだけ微笑んだ。
「でも、ありがとう」
「ん?」
「こんなこと言うのも変なのかもしれないけど…。
ヒュンケルがただの敵として扱われなくて、安心してる」
その言葉に、相馬は肩をすくめた。
「まぁ、俺のほうが勝手に感情移入してるだけなんだけどな」
「そうね。あなた、そういうところあるもの」
「フォローになってなくね?」
二人はまた笑った。
◇ ◇ ◇
気づけば、かなり時間が経っていた。
窓の外は、夜の一番深い時間帯。
遠くの海に、うっすらと星が反射している。
「そろそろ部屋に戻ったほうが……」
相馬が言いかけたとき。
レオナは、椅子に座ったまま、こくりと小さく首を傾けた。
そのまま、テーブルに片肘をついて――眠っていた。
「おいおい」
相馬は苦笑しながら立ち上がる。
「ここで寝落ちかよ」
近づいてみると、レオナの呼吸は穏やかで、顔はさっきよりもずっと柔らかい。
緊張がようやく切れたのだろう。
「……お疲れさん」
相馬は、小さく呟いた。
起こすべきか、一瞬迷う。
この時間に姫を一人で廊下に歩かせるのもどうかと思うし、
誰かを呼びに行くにしても、今この状態を誰かに見られるのはそれはそれで面倒だ。
「しゃあねぇな」
相馬は、レオナをそっと抱き上げた。
軽い。
思っていたよりずっと。
(王女抱っこってやつか……)
今ここにポップがいたら、確実にうるさい。
そう思って、少しだけ笑う。
ベッドの端に、彼女を横たえる。
毛布をかけ、枕の位置を整えて――
レオナが、寝言のように小さく呟いた。
「……どこにも、行かないで……」
相馬の手が、止まる。
半分眠っているくせに、相馬の胸元の布をぎゅっと掴んで離そうとしない。
「……」
ため息とも笑いともつかない息が漏れた。
「分かったよ」
相馬は、そのままベッドの反対側に腰を下ろした。
距離を取ろうと一瞬思ったが、レオナの手が布を掴んだまま離さないので、あまり動けない。
「こっちの腕、さっきまでざっくりいってたんだぜ?
もうちょい優しく扱ってくれよな」
誰にともなくぼやきながら、相馬は横になる。
レオナの手は、いつの間にか布から相馬の手へと移っていた。
指先が、かすかに触れ合う。
(……まあ、いっか)
夜風が、窓からそよそよと吹き込む。
戦いの余韻。
パプニカの静けさ。
これから向かうバルジ島と、気球船のこと。
色々考えるべきことは山ほどあるのに――
隣で聞こえる、一定の寝息が。
それら全部を、少しだけ遠くへ押しやってくれた。
「明日、ちゃんと起きてくれよな。姫様」
そう小さく呟いて、相馬も目を閉じた。
こうして――
パプニカ城の一室で、二人は過ごす。
明日の朝、ポップが騒ぐ未来だけははっきり見えた。
作者より
これでヒュンケル編が終了し、次からフレイザード編になります。
手持ちの原稿は無くなりましたので、しばらく原稿を積むための期間に移ります。
正直、話が進むたびに設定が増えて、AIがまとめ切れなくなっているため、手作業が増えています。
一話一話の作成時間はだんだんと伸びていくと思います。
年明け以降の再会を予定しています。