オーバーヒート(AI小説)   作:匿名希望

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32話 静寂に包まれた土俵

 

 さっきまで石畳を割っていた斬撃の音が、嘘みたいに消えていた。

 

 風も、叫び声もない。

 あるのは、黒い鎧と、青白い光の刃。

 

 互いに一歩、距離を取った場所。

 そこが、この勝負の「土俵」になっていた。

 

 黒鉄の鎧を纏った騎士は、静かに剣を上げる。

 頭上、高く。

 

 上段。

 

 全身を一本の斬撃のためだけに組み直した、極めてシンプルな構えだ。

 剣先は、空を向いたまま。

 今は振らない。

 ただ、そこから「落とす」ためだけに上げられている。

 

 対する相馬は、ライトセーバーを両手で握り、いつもの中段。

 刃先は、黒い胸甲へまっすぐ。

 腰が落ちているぶん、突きに全てを載せられる形だ。

 

 どちらも、一撃専用の構え。

 どちらも、その一撃をまだ放さない。

 

 石畳に風が抜ける。

 それだけで、ダイたちの喉が同時に鳴った。

 

 ――静かな勝負が始まった。

 

◇ ◇ ◇

 

「……動かねぇ」

 

 ポップが、息をつめたまま呟く。

 

「いや、動いてる」

 

 相馬のすぐ後ろ、ダイが小さく言った。

 声が自然に低くなる。

 

「足が、ちょっとずつ……」

 

 黒い鎧の足先が、ほんの数センチ。

 石畳をなぞるように動く。

 

 前でもなく、後ろでもなく。

 半歩ずつ、微妙に角度だけを変える。

 

 相馬も、同じように。

 膝をわずかに曲げ、前足と後ろ足の幅を変えながら、じりじりと円を描くように動く。

 

 剣は、どちらも振られない。

 ただ、間合いだけが、すこしずつ揺れ動いていた。

 

 近づきすぎれば、上からの一撃が落ちる。

 遠すぎれば、突きが届かない。

 

 その境目ギリギリを、二人の足だけが測っている。

 

「……あの鎧」

 

 マァムが息を飲む。

 

「さっき、斬っても光の刃でも弾かれてた……」

 

「だからこそ、か」

 

 ポップが、喉を鳴らした。

 

「どっちも、“一発”しかないって顔してやがる……」

 

 レオナは、相馬の背中を見つめた。

 肩越しに見える横顔。

 

(さっきまでの打ち合いだけでも、おかしいくらいだったのに)

 

 今の相馬は、ほんの少し笑っている。

 怖さを隠すみたいな、薄い笑み。

 

 その顔を見るたびに――

 

【レオナ→相馬 300/300】

 

【電子音声:レオナ(甘々+不安オーバーフロー)】

『やめて……そうやって笑うと、また好きになっちゃうぅ……

 これ以上は、本当に壊れる……でも目が離せない……』

 

「うるさい」

 

 レオナが、心の中でだけシステムを殴った。

 実際には杖を握る手に力を込めることで、どうにか気を紛らわせる。

 

(今は、見届けるしかない……)

 

◇ ◇ ◇

 

 相馬が、半歩踏み込んだ。

 

 石畳に靴底が擦れる、かすかな音。

 光の刃の先が、黒い胸甲にぐっと近づく。

 

 すぐには来ない。

 

 上段の黒い騎士は、相変わらず剣を落とさない。

 肩の力を抜いたまま、ただ視線だけで相手の重心を追っている。

 

 相馬は、その視線を真正面から受けながら、静かに息を吐いた。

 

 前足に、少し重心を預ける。

 次の瞬間、ふっと後ろ足に戻す。

 

 また、前。

 

 進むのか、引くのか。

 その境目ぎりぎりの揺れ。

 

 ヒュンケルの足が、ごくわずかに動く。

 相馬のわずかな重心の変化に合わせるように、角度を変えただけ。

 

 でも、そのたびに――二人の間に張り詰めた糸の位置も、変わっていく。

 

(……嫌な構えだな)

 

 相馬は、内心でだけぼやいた。

 

 鎧の重量。

 上段から落ちてくる剣。

 

 先に振ったほうが負ける。

 先に「ここだ」と思って手を出した瞬間、上から全部まとめて叩き落とされる。

 

 だからこそ――足だけで先にヒュンケルの一撃を出させなければならない。

 

 相馬は、もう一度半歩踏み込んだ。

 

 今度は、さっきより明らかに深い位置まで。

 

 光の刃の先端が、鎧の隙間に触れそうな距離。

 

 空気が、変わった。

 

◇ ◇ ◇

 

 見ていたダイの喉が、ひゅっと鳴る。

 

「い、今のって……!」

 

「入ってる、完全に“殺せる位置”に」

 

 ポップが、思わず前のめりになった。

 

 しかし――

 

 相馬は、突かなかった。

 

 半歩深く踏み込んだその足を、すぐさま引き戻す。

 前傾しかけた上体を、ひゅ、と軽く起こす。

 

 ヒュンケルの赤い眼光が、刹那、わずかに細くなった。

 

(……今の距離で、来ないか)

 

 鎧の中で、筋肉がわずかに締まる。

 

 鎧の重さをものともせず、いつでも全力で振り下ろせるように。

 だが、黒い騎士の剣は、まだ落ちない。

 

 相馬がまた、半歩踏み込む。

 さっきより少し浅く。

 

 今度は、横にずれる。

 円を描くように、黒い鎧の死角を探る。

 

 石畳を踏む音が、一定のリズムで鳴る。

 一歩ごとに、呼吸も、視線も、揺れていく。

 

 レオナは、見ているだけで頭が痛くなりそうだった。

 

(これ、やってるほうも見てるほうも、神経がすり減るやつだ……)

 

 でも――目は離せなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 どれくらい、そうしていたのか。

 

 数秒にも、数分にも感じられる時間の果て。

 

 相馬が、いつもと違う足を前に出した。

 

 今まで一度も見せていなかった、踏み込みの形。

 膝の角度も、腰の位置も、今までと違う。

 

 ヒュンケルの視界が、そこでわずかに広くなる。

 

 ――来る。

 

 判断は、ほとんど本能だった。

 

 黒い鎧の騎士が、地面を蹴る。

 

 上段から、剣が落ちた。

 

 先の先。

 

 相手が攻めに転じるより、一瞬早く。

 全身の重さと闘気を乗せた、ただ一度の斬撃。

 

 真上から振り下ろされた、見えた時には、もう刃線がそこにあった。

 霞のような軌跡が、相馬の肩口を真っ二つに断ち切る――

 

 はず、だった。

 

◇ ◇ ◇

 

 石畳が、爆ぜた。

 

 剣圧が叩きつけられた場所が、蜘蛛の巣状に割れる。

 黒鉄の剣が通り抜けた空間を、爆風がえぐる。

 

 だがそこに、相馬の身体はいなかった。

 

 踏み込むと見せた足。

 その足が、剣が落ちてくる瞬間、滑るように外側へ逃げる。

 

 ほんの、数センチ。

 けれど、その数センチで――軌道は、少し外れた。

 

 黒い刃が、相馬の上腕を削ぎ取る。

 鎧も盾もない生身に、焼けるような痛みが走る。

 

「ッ……ぐ……!」

 

 だが、その瞬間には、相馬の方も、もう別の動きが始まっていた。

 

 体を外に逃がした勢いのまま、腰を捻る。

 両手で握った光の刃が、弧を描く――途中で止まる。

 

 中段から、そのまままっすぐ突きに変わる。

 

 狙いは、黒い鎧のわき腹。

 胸甲と腰の装甲の、ちょうど継ぎ目になっている部分。

 

 石畳を擦る音と、鎧を穿つ音が重なった。

 

「――っ!」

 

 光の刃が、黒鉄の隙間にめり込む。

 

 鈍い抵抗。

 次の瞬間、それが熱に負けて溶ける感触。

 

 焼け焦げた金属の間から、赤いものがにじむ。

 

 ヒュンケルの身体が、一瞬だけ強張った。

 

 そのまま、前へ出ようとしていた重心が、崩れる。

 

 脚が、半歩。

 そして、もう半歩。

 

 大地を踏みしめていた鎧の騎士が、膝をついた。

 

 石畳に、赤い滴が落ちる。

 

◇ ◇ ◇

 

 誰も、声を出せなかった。

 

 相馬の左腕には、深い斬り傷。

 血が流れ、服が赤く染まっていく。

 

 ヒュンケルのわき腹には、光の刃が突き刺さったまま。

 黒鉄の隙間から、じわじわと血が滲み出ていた。

 

 互いの一撃が、互いの身体を削った。

 だが――決定的に深いのは、鎧の内側のほう。

 

 やがて、光の刃が音もなく消える。

 相馬が、ゆっくりと柄を引き抜いたからだ。

 

 その瞬間、ヒュンケルのわき腹から、溢れ出た血が鎧を伝って滴り落ちた。

 

 黒い騎士は、それでもすぐには倒れない。

 片膝をついたまま、顔を上げる。

 

 仮面のような静けさの奥で、何かを探すように相馬を見ていた。

 

「……見事だ」

 

 低い声。

 それだけを絞り出すと、ヒュンケルの上体がぐらりと揺れる。

 

「……ああ」

 

 相馬も、左腕を押さえながら息を吐いた。

 

「お前もな」

 

 もう次の一撃は振れない。

 

◇ ◇ ◇

 

 沈黙を破ったのは――

 

「相馬っ!!」

 

 マァムの叫びだった。

 

 はっと我に返ったみたいに、みんなの視線が一気に動く。

 マァムが、髪を振り乱して駆け出していた。

 

「ちょ、マァム危ね……!」

 

 ポップが慌てて手を伸ばすが、その前に彼女は二人の間合いへ飛び込んでいた。

 

 膝から崩れ落ちかけていた相馬の身体を、がしっと抱きとめる。

 

「相馬! ねぇ、しっかりして!」

 

「……お、おう」

 

 相馬は、苦笑とも息切れともつかない声を返した。

 

「そんな顔すんなよ。死にかけってほどじゃねぇ」

 

 言いながらも、左腕からは滝のような止まらない血。

 マァムの手が、嫌でもその温度と量を伝えてくる。

 

(そんなの、わからないじゃない……!)

 

 心の中で叫びながらも、彼女は一瞬だけ相馬の顔を見た。

 

 戦いの直後なのに、いつもの薄い笑いを浮かべている横顔。

 

(……ほんと、こういう時まで、その顔で笑うんだから)

 

 胸のどこかが、ぎゅっと掴まれる。

 

 息が詰まりそうになった、その瞬間――視界の端に、もっと深い赤が映った。

 

 黒い鎧。

 片膝をついて、血を流し続けるヒュンケル。

 

 相馬の突きが貫いたわき腹は、鎧の内側で致命的な傷になっているはずだ。

 

「……マァム」

 

 相馬が、小さく呼んだ。

 

「俺はいいから、先にあっち」

 

「でも――」

 

「こっちは、あとでレオナに怒られながら治してもらう」

 

 冗談めかした言葉に、かすかな真剣さが滲む。

 

「ヒュンケルは、そのままだと本当に死ぬ」

 

 マァムは、唇を噛んだ。

 

 敵。

 さっきまで、自分たちを殺そうとしていた不死騎団長。

 

 ――でも。

 

(“瀕死の相手を放っておくな”って言ったのは、誰?)

 

 頭の中で、アバンの穏やかな声が蘇る。

 

「……分かった」

 

 マァムは、相馬の身体をそっと地面に座らせた。

 

「絶対動かないでよ!」

 

「動けねぇって」

 

 軽く手を挙げる相馬を残し、彼女は黒い鎧のほうへ駆け寄った。

 

◇ ◇ ◇

 

 ヒュンケルは、まだ剣を手放していなかった。

 

 地面に突き立てた剣に体重を預けるようにして、かろうじて上体を支えている。

 

 近づいたマァムを見て、赤い眼光がわずかに細くなった。

 

「……とどめか?」

 

「違うわよ」

 

 マァムは、さっと膝をつく。

 

「ベホイミ!」

 

 柔らかな光が、彼女の掌から溢れた。

 緑がかった白い光が、黒い鎧の隙間から流れ込んでいく。

 

 焦げた金属の匂いに、温かな気配が混じる。

 

 ヒュンケルの眉が、わずかに寄った。

 

「……なぜだ」

 

 しばらく沈黙してから、低い声が洩れる。

 

「俺は敵だぞ。

 お前たちの国を滅ぼし、今さっきまで命を狙っていた男だ」

 

「私は僧侶だから」

 

 マァムは、短く答えた。

 

「目の前で誰かが死にかけてたら……

 敵でも味方でも、関係なく治す」

 

 光が、じわじわと傷口に染み込んでいく。

 ヒュンケルの呼吸が、少しずつ整っていくのが分かった。

 

「それに……」

 

 マァムは、ちらりと相馬のほうを見やった。

 

「あなたも“アバンの教え子”

  簡単に見捨てたくないの。たとえ、今は敵でも」

 

 ヒュンケルの肩が、かすかに揺れた。

 

「……バカな連中だ」

 

 そう呟いた声は、罵倒にしては少しだけ、力が抜けていた。

 

◇ ◇ ◇

 

「レオナ!」

 

 ダイが呼びかける前に、レオナはもう走り出していた。

 

 血の跡を辿るように、相馬のもとへ。

 

 座り込んだ相馬が、片手で腕を押さえながらもこちらを見てくる。

 

 その顔を見た瞬間――胸が、きつく掴まれた。

 

(あ……)

 

 少し青ざめた顔。

 なのに、やっぱり薄く笑っている。

 

【レオナ→ 相馬 300/300】

 

【好感度システム:戦闘優先モード解除】

【恋愛モジュール:過負荷状態のまま再起動】

 

【電子音声:レオナ(とろとろ+警告無視モード)】

『もうやだ……その顔で血だらけとか、本当に心臓止まる……

 抱きつきたい……でも人前……でも今くらい許される……』

 

(黙りなさい!!)

 

 レオナは、心の中でだけシステムを殴り飛ばした。

 

 その勢いのまま、相馬のすぐそばに膝をつく。

 

「動かないで」

 

 短く言い、両手を傷口の上にかざす。

 

「ベホイミ!」

 

 白い光が、相馬の上腕を包んだ。

 裂けた肉が、ゆっくりと縫い合わさっていく。

 

「……っ」

 

 相馬が小さく息を呑む。

 

「痛む?」

 

「いや……ちょっと、くすぐったいだけだ」

 

「強がらない」

 

 レオナは、光を維持しながら顔を近づけた。

 

 距離が、近い。

 息が触れそうな距離。

 

(近い、近い、近い……!)

 

 頭のどこかが騒ぐのを、必死で黙らせる。

 

 ――それでも、離れたくなかった。

 

 傷が閉じ、血が止まっても。

 レオナの手は、相馬の肩から離れない。

 

 むしろ、そっと滑って、無事な方の肩に回った。

 

「ちょっ、レオナ……?」

 

「今日は、文句言わないで」

 

 レオナは、相馬の額に自分の額をぴたりとくっつけた。

 

 額同士が触れ合う、短い距離。

 ただそれだけの接触。

 

 けれど、彼女の中では――それはかなりの“冒険”だった。

 

「本当に……よく、生きて戻ってきてくれたわね」

 

 ささやく声が、震える。

 

「勝手に一人で、あんな勝負を始めて。

 もし負けてたら、どうするつもりだったの?」

 

「負けなかったからセーフ」

 

「そういう問題じゃないのよ!」

 

 思わず声が強くなる。

 相馬が目を丸くした。

 

「……悪かった」

 

 少し間を置いて、彼は素直に謝った。

 

「でも、突っ込んでいくのは俺の性分なんだ。

 それは、最初に言っただろ?」

 

「知ってるわよ、そんなこと」

 

 レオナは、額をくっつけたまま目を閉じる。

 

「だから余計に、怖いの」

 

【好感度システム】

【重大恋愛イベントを検知しました】

【※仕様の詳細は企業秘密です】

 

【電子音声:レオナ(しゅきしゅきボイス・控えめ版)】

『もっと抱きしめてほしい……

 でも人前でやると国の威信がどっか行く……どうしよう……』

 

(だから黙りなさいってば!!!)

 

 心の中では盛大にツッコミを入れつつ――実際には、相馬の肩をぎゅっと抱きしめる力が、ほんの少しだけ強くなる。

 

◇ ◇ ◇

 

「お、おおおいおいおいおい!!」

 

 耐えきれなくなった声が、ようやく割り込んできた。

 

「お姫様ー!? ベホイミって、そういう使い方だったっけ!!?」

 

 ポップが大袈裟に身振り手振りを加えながら言った。

 

「てっきり“治療終わったら一歩下がる”のがセオリーだと思ってたんだが…。

 なにその……ゼロ距離看病コース!」

 

「うっさい!」

 

 ジェスチャーを交えるポップに、レオナが怒鳴る。

 頬が真っ赤だ。

 

「これは、その……医療行為の一環よ!」

 

「どこの国の医療だよ!」

 

 ポップがさらにジタバタする。

 

「よかったな相馬、お前そのうち“顔面だけで世界救った男”って呼ばれるぞ!」

 

「称号ダサくない?」

 

 相馬が、まだレオナと額をくっつけたままぼそりと言った。

 

「もうちょいカッコいいのがいいわ」

 

 レオナの首が小さく揺れている。

 

「そこ気にするのかよ!? お前らはもっと気にするべきところはたくさんあるだろォ!!」

 

 ポップのツッコミに、ようやく場の空気が少しだけ緩んだ。

 

 ダイも、ほっとしたように笑う。

 

「でもよかった……みんな、生きてる」

 

「当たり前だ」

 

 相馬は、レオナからそっと額を離しながら言った。

 

「ここで誰か一人でも死んでたら、

  先生に顔向けできないだろ」

 

◇ ◇ ◇

 

 黒い鎧のほうへ視線を向ける。

 

 マァムのベホイミを受けたヒュンケルは、呼吸こそ落ち着いているものの、まだ血の気の薄い顔をしていた。

 それでも、立ち上がろうとするように、ゆっくり剣に手をかける。

 

「無理して立たなくていいわよ」

 

 マァムが止める。

 

「ヒュンケル…あなた相当ボロボロなんだから」

 

「……わかっている」

 

 ヒュンケルは、かすかに口元をゆがめた。

 

「だが、いつまでも土下座みたいな格好をしたままというのも性に合わん」

 

 ぎり、と音がしそうなほど力を込めて、片膝から立ち上がる。

 

 ダイたちが思わず身構えたが、ヒュンケルは剣を下げたままだった。

 

「安心しろ。もう、これ以上剣を振るう気はない」

 

 ゆっくりと、視線を相馬へ向ける。

 

「勝負はついた。

 俺の負けだ」

 

「ああ」

 

 相馬も、立ち上がりながら肩を鳴らす。

 レオナが心配そうに隣で支えたが、彼は軽く首を振った。

 

「さすがに、もう一回やれって言われたらきついぞ」

 

「フッ」

 

 ヒュンケルが、わずかに笑った。

 

 その笑いは、さっきまでの冷たい嘲りではなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

「で、これからどうする気だ?」

 

 ポップが、おそるおそる口を開く。

 

「まさか“やっぱり敵です”とか言い出したら、

 さすがに俺もキレるからな?」

 

「やめなさいってば」

 

 マァムが肘で小突く。

 

 ヒュンケルは、ダイと相馬のやりとりを、ほんの一瞬だけ黙って見ていた。

 それから視線を落とし、静かに口を開く。

 

「……俺は、アバンを憎み、この手を汚してきた」

 

 言葉と一緒に、視線が自分の掌へと落ちた。

 黒い鎧の隙間から覗く指先が、かすかに震えている。

 

「今さら人間に許しを乞うつもりはない。

 お前たちが望むなら、この場で斬られよう」

 

 ダイが、はっと息を呑む。

 

「でもそれじゃ——」

 

「ちょっと待った」

 

 相馬が、ぱん、と軽く手を上げて遮った。

 

「勝手に話、終わらせんな」

 

 ヒュンケルの瞳が、もう一度、相馬をまっすぐ捉える。

 

「お前は、覚悟を決めてこの場に立った。

 それは分かる」

 

 相馬は、腕組みをしながら言葉を選ぶように一拍置いて続けた。

 

「でもさ。覚悟だけ決めて“あとは好きにしろ”って顔されると……

 こっちの気が済まない」

 

「……どういう意味だ?」

 

「“自分の罪は分かってる”“斬られて当然だ”って言われたらさ。

 “じゃあ斬るか”って話になる前に——」

 

 相馬は、ヒュンケルの背後を指さした。

 

 そこには、不死騎団の残骸が散らばっている。

 動かなくなった骨。崩れた魔法陣。黒い旗。

 

「お前が今までやってきたこと全部、

 “死んでチャラ”にはならない」

 

 ヒュンケルの目が、わずかに見開かれた。

 

「だから——お前には“やってもらうこと”がある」

 

「……やってもらうこと、だと?」

 

「ああ」

 

 相馬は、わざとらしく肩をすくめる。

 

「本音を言えば、“魔王軍ぶっ叩く側に来い”って言いたい。

 ――けど、いきなりそれはハードル高すぎるだろ?」

 

「いきなりどころか、棒高跳びレベルだろそれ……」

 

 ポップが小さくツッコむ。

 

 相馬は、そのまま目を細めた。

 

「だからまずは、“ちゃんと話を聞け”。

 “親父さんの話”をな」

 

 その一言で、空気が変わった。

 

 ヒュンケルの表情から、すっと色が抜け落ちる。

 

「親父……だと?」

 

 ほんの一瞬だけ、視線が揺れた。

 

「……何を知っている」

 

「全部とは言わねぇけどな」

 

 相馬は、内心で深く息を吸い込む。

 

(本来なら、もっと違うタイミングで判明する真実だし……

 地底の隠し部屋とか宝箱とか、説明すればするほど“おかしな作り話”にしかならないんだよな)

 

(でもまあ、今さら自然さ気にしても仕方ねぇか)

 

 相馬は、雑に説明する覚悟を決めた。

 

◇ ◇ ◇

 

「この世界には、“魂の貝殻”ってアイテムがある」

 

 唐突な切り出しに、マァムがはっと顔を上げる。

 

「魂の……貝殻?」

 

「知ってるのか?」

 

 ポップが振り向く。

 

「聞いたことはあるわ。死にゆく人の“最後の声”を封じ込めておける貝殻。

 遺言を残すために使われることが多いって……お父さんがそう教えてくれた」

 

 マァムの説明に、ヒュンケルがわずかに目を細める。

 

「……確かに、そういう話は聞いたことがある。

 だが、それが今さらどうした」

 

「地底魔城の、隠し部屋」

 

 相馬は、それまでより少しだけ静かな声で続けた。

 

「お前が昔暮らしてた場所の、さらに奥だ。

 そこに一つ、“魂の貝殻”が置いてある」

 

 ヒュンケルの呼吸が、目に見えるほどわずかに乱れる。

 

「その貝殻の中には——

 きっとお前が知りたい“本当のこと”が入ってる」

 

 ダイたちが、息を呑んだ。

 

「死に際の親父さんが、自分の身に何が起きたか。

 その場でアバンが何をしたのか。

 お前に、本当は何を伝えたかったのか」

 

 相馬の声は、淡々としている。

 

「全部、その中に残ってる」

 

「……ふざけるな」

 

 喉の奥から、低い声が漏れた。

 

 ヒュンケルの拳が、かすかに震える。

 

「そんな都合のいいものが……

 なぜ今まで、誰の耳にも届かなかった」

 

「地底だろ。しかも隠し部屋だろ」

 

 相馬は肩をすくめた。

 

「そこまで辿り着けるやつが、今までいなかったんだよ。

 お前自身も含めてな」

 

「っ……!」

 

 ヒュンケルは、言葉を詰まらせる。

 

 そこへ、マァムがそっと口を開いた。

 

「でも……ありえない話じゃないわ」

 

 皆の視線が、自然とマァムに集まる。

 

「“父親が真実を残すために魂の貝殻を使う”って話、昔本で読んだことがあるの。

 死ぬまで言えなかったことを、せめて声だけでも残すためにって」

 

 彼女の言葉が、相馬の“妙な知識”に、ほんの少しだけ現実味を足してくれる。

 

 ヒュンケルは、ぎゅっと目を閉じた。

 

「……その貝殻には、何が録られている。

  貴様が、なぜそこまで知っている?」

 

 絞り出すような声だった。

 疑念と警戒がはっきりと混じっている。

 

「それは、自分で確かめろよ」

 

 相馬は、そこでようやく笑った。

 いつもの軽さより、少しだけ真面目な笑みだ。

 

「俺が言えるのは、そこに“親父さんの声”が残ってるってとこまでだ」

 

「……そこで全部言わねぇのかよ」

 

 ポップが、頭を抱えた。

 

「内容めちゃくちゃ重いくせに、説明だけやたら雑なんだよお前!!」

 

◇ ◇ ◇

 

 少々の沈黙。

 

 やがて、ヒュンケルは小さく息を吐いた。

 

「……もし、そんなものが本当にあるとして」

 

 あくまで慎重な口調。

 

「それを俺が聞いたところで、何が変わる。

 今までやってきたことは、消えない」

 

「そうだな」

 

 相馬は、あっさりと頷いた。

 

「考えようによっては、ヒュンケルにとっては一番残酷なことを強要してるかもしれない。

 だが、俺はお前に自分で選んで欲しい」

 

 その言葉に、ダイがはっと顔を上げる。

 ポップも、どこか居心地悪そうに視線を逸らした。

 

「俺は、“何も知らないまま死ぬ”のが一番嫌いなんだよ」

 

 相馬は、自分自身に言い聞かせるように続けた。

 

「どうせ後悔するなら、

 “知った上で後悔したほうがマシ”だと思ってる」

 

「……勝手な理屈だな」

 

「すまんな」

 

 肩をすくめる相馬に、ヒュンケルはしばらく視線を向けてから――

 

 ふっと、ほんのわずかに笑った。

 

「どうやら、お前は俺以上に“問題児”らしい」

 

「ーー俺が巷でなんて呼ばれてるか、知ってるか?」

 

 相馬が返すと、ダイとポップが同時に吹き出した。

 

「……ふん。詐欺師にしてはお粗末な語りだが」

 

 やがて、ヒュンケルは静かに言った。

 

「お前の言う“魂の貝殻”とやらを探しに行くかどうかも含めて。

 俺自身が決める」

 

「それでいい」

 

 相馬は頷く。

 

「俺たちは期待せずに待ってる。

 お前の判断だから」

 

 ヒュンケルは、ふっと目を細めた。

 

「勘違いするな」

 

「?」

 

「お前たちを信用したわけではない。特にお前」

 

 ヒュンケルは相馬を見ながら言う。

 低い声。

 

「俺は魔王軍の不死騎団長ヒュンケルだ。

 その立場は、まだ捨てていない」

 

 その言い方は、あくまで距離を保ったままだった。

 

「地底へ戻るのか?」

 

 ポップが、思わず口を挟む。

 

「さあな」

 

 ヒュンケルは、軽く空を仰いだ。

 

「“魂の貝殻”とやらが本当にあるのかどうか。

 この話は無視できないラインとわかった上で言ったのだろう?」

 

 そして、相馬を一瞥する。

 

「……もしそれが罠だったら。

  ここまでお前は言ったんだ」

 

 赤い瞳が、わずかに細くなった。

 

「次に会ったとき、お前の首は真っ先に斬り落としてやる」

 

「物騒だな」

 

「本気だ」

 

 それだけ告げると、ヒュンケルはゆっくりと立ち上がる。

 

 まだ足元はふらついている。

 それでも、その背中には敗北者の色は薄かった。

 

「不死騎団、撤退だ」

 

 低く、しかしはっきりとした声が、戦場に響く。

 

 城門の上や崩れた城壁の影で倒れていた骸骨兵たちが、

 次々と立ち上がり、主の命令に従って列を組む。

 

 ヒュンケルは、最後にダイたちのほうへ振り返りもせず、歩き出した。

 

 黒い鎧の背中が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 不死騎団の影も、それに続いて闇の向こうへ消えていった。

 

「……行っちゃったな」

 

 ダイが、小さく呟いた。

 

「いいのかよ、あれで」

 

 ポップが、相馬を見る。

 

「引き止めなくて」

 

「引き止められるタイプか、あいつ」

 

 相馬は苦笑する。

 

「どうしても気になるなら、そのうち勝手に戻ってくるさ。

 “気になって仕方がないこと”を抱えたまま耐えられる性格じゃなさそうだしな」

 

「それ、そーまの自己紹介でも通用するわよ」

 

 マァムが、半分呆れた顔で言った。

 

「そっちは否定できねぇ」

 

 相馬は、肩をすくめた。

 

◇ ◇ ◇

 

 その時――

 

「おおっ、お、おおおおお……!」

 

 場違いなほどの大声が、城門の陰から響いた。

 

「ひ、姫様ぁーーー!!」

 

 みんなが振り向く。

 

 廃墟になりかけた城門の影から、ひとりの男が転がるように飛び出してきた。

 

 中年の兵士。

 がっしりとした体格に、煤けた鎧。

 髭面だが、その目は涙でうるんでいる。

 

「バ、バダックさん!」

 

 レオナが、思わず声を上げた。

 

「おおっ、本当にレオナ様だぁ……!

 生きておられたぁ……!」

 

 バダックは、その場でがくりと膝をつき、地面に頭を擦りつけそうな勢いで泣き崩れる。

 

「やめてください、顔を上げて」

 

 レオナは慌てて駆け寄った。

 

「私こそ、無事でいてくれて嬉しいわ。

 パプニカの兵士が……あなたが、生き残っててくれて」

 

「いやぁ、面目ねぇことで……」

 

 バダックは鼻をすすりながら立ち上がる。

 

「不死騎団に攻め込まれてな、王都の兵の大半はバラバラにされちまった。

 わしは、城門の地下の物資庫に籠もって、敵の様子を伺うしかなかったんだ」

 

 そこで、ようやくバダックの視線が相馬たちへ向く。

 

「こっちの若いのが……」

 

 相馬が小さく手を挙げる。

 

「山田相馬。デルムリン島出身(仮)の魔法剣士枠です」

 

「勇者の仲間で、今は私の護衛兼、危険因子よ」

 

 レオナがさらっと補足した。

 

「危険因子って公式肩書きなんだ……」

 

 ポップがぼそりと呟く。

 

「ダイとポップとマァムは、アバン先生の弟子」

 

 レオナが続けると、バダックは目を丸くしながらも、深く頷いた。

 

「そりゃあ心強いお方がたじゃ……!」

 

「父上と母上は……?」

 

 レオナが食い気味に問う。

 

「どこにいるの、今?」

 

「バルジ島でございます!」

 

 バダックの顔に、少しだけ光が戻った。

 

「パプニカ近海の孤島、覚えておいででしょう。

 あの天然の要塞に避難して、魔王軍への反撃の機をうかがっておられるんです」

 

 彼は、身振り手振りを交えて説明を続ける。

 

「パプニカには、たった一隻だけ“気球船”がありましてな。

 それを連絡船代わりにして、バルジ島と行き来していたんですが……」

 

「気球船?」

 

 ダイが目を輝かせる。

 

「空飛ぶ船!? 乗ってみたい!」

 

「遊覧じゃねーからな!?」

 

 ポップが即座にツッコむ。

 

 バダックは苦笑しながら頷いた。

 

「ええ、空を飛ぶ船ですとも。

 燃料になる火薬と、いくつかの仕掛けを使ってな……

 今はバルジ島のほうに常駐しているはずです」

 

「じゃあ、どうやって呼ぶの?」

 

 レオナが問う。

 

「合図に“信号弾”を使います」

 

 バダックは胸を張った。

 

「城の地下倉庫に、火薬と色付きの弾がまだ残っているはずです。

 赤い光を上げれば、“パプニカ復旧の兆しあり”の合図。

 王と三賢者は、必ず気球船をこちらに向かわせてくださるでしょう」

 

「なるほどね」

 

 相馬が納得したように頷く。

 

「じゃあ明日以降の方針は決まりだな。

 今日は傷の手当てと休息。

 明日、地下倉庫で信号弾を上げる」

 

「そうね」

 

 レオナも同意した。

 

「このままバルジ島へ向かうにしても、今の状態じゃ無理をしすぎだわ。

 まずはパプニカ城に入りましょう」

 

 バダックが大きく頷く。

 

「姫様のお部屋……と言いたいところですが、城の上階はまだ片付いておりませんで。

 それでも、客間のいくつかは使えるはずです。

 今夜はそこで休んでくだせぇ」

 

「十分よ」

 

 レオナは微笑んだ。

 

「ありがとう、バダックさん」

 

◇ ◇ ◇

 

 パプニカ城の中は、外よりも静かだった。

 

 壊された箇所は多い。

 壁には焦げ跡が残り、ところどころ床がえぐれている。

 

 それでも、どこか懐かしい気配があった。

 

「……帰ってきたんだな、レオナ」

 

 相馬がぽつりと呟く。

 

「そうね」

 

 レオナは、少しだけ遠い目をした。

 

「“ちゃんとした形”で帰ってくるのは、思ってたよりずっと早かったけど」

 

「そんで、思ってたよりずっとボロボロなタイミングだけどな」

 

「そういうこと言わない」

 

 二人のやり取りを見ながら、ダイが笑う。

 

「なんか、いつもの感じに戻ってきたな」

 

「ほんっと、さっきまでのピリピリ空気はどこ行ったんだよ……」

 

 ポップがほっとしたように肩を落とす。

 

 マァムは、その様子を見守りながらも、時々さっきの黒い鎧を思い返していた。

 

(あの人は……どっちへ向かうんだろう)

 

 地底か、地上か。

 答えはまだ出ていない。

 

 それでも、“全部捨てて死ぬ”顔からは、少しだけ変わっていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 その夜。

 

 相馬には、客人用としてはかなりいい部屋があてがわれた。

 

 広めのベッド。

 小さなテーブルと椅子。

 窓の外には、夜のパプニカの街並みが、まだところどころ灯りをともしている。

 

「……なんか、落ち着かねぇな」

 

 相馬は、ベッドの端に腰を下ろしながら苦笑した。

 

 つい数時間前まで、石畳の上で命のやり取りをしていたのに。

 今は、ふかふかのベッドと清潔なシーツ。

 

 左肩には、レオナのベホイミのおかげで傷一つ残っていない。

 

 けれど、あの一撃の感触は、まだ体のどこかに残っていた。

 

(ヒュンケル、か)

 

 あの男の、ぎりぎりの一撃。

 そして、自分の突き。

 

 どちらがわずかに早く、どちらがわずかに深く入ったのか。

 そんなことは、もうどうでもいい。

 

(問題は、あいつがこれから何を選ぶかだ)

 

 魂の貝殻。

 地底の隠し部屋。

 親父の声。

 

 全部“こっち側”の事情で知っている情報。

 本当なら、口を出すべきじゃないと、何度も思ってきた。

 

(でもまあ……もう遅いよな)

 

 自嘲気味に笑う。

 

 原作を知っているからこそ、魂の貝殻の件については、どうしても“手を出さずにいられなかった”場面だった。

 自分の胸の内を、誰かに評価してほしいわけじゃない。

 

 ただ――原作では“父親の最後の声”を聞いた上で、仲間になってくれたからこそ、信頼できる仲間になってくれた。

 

(あのままなし崩し的に進めば、きっと彼は仲間にはならない。)

 

 そう考えていたところ。

 

 コン、コン。

 

 控えめなノックの音がした。

 

「どうぞー」

 

 反射的に返事をすると、扉が少しだけ開く。

 

 そこから顔を覗かせたのは――

 

「入ってもいい?」

 

 レオナだった。

 

 いつもの旅装ではなく、簡素な寝間着姿。

 それでもどこか気品が抜けていないのが、この姫らしいところだ。

 

「お、おう。どうぞ姫様。

 城の中でまで敬語使うべきか一瞬悩んだわ」

 

「今のは悩む必要なかったと思うわよ?」

 

 レオナは、少しだけ笑って部屋に入ってくる。

 

 扉を閉める音が、妙にはっきり聞こえた。

 

◇ ◇ ◇

 

「どうした?」

 

 相馬は椅子を引きながら問う。

 

「眠れないとか?」

 

「正解」

 

 レオナは、正面の椅子に腰を下ろした。

 

 少しだけ、目の下に疲れが見える。

 

「今日は色々ありすぎて、頭が全然静かにならなくて。

 ダイたちの部屋に行くわけにもいかないし……」

 

「あいつらの部屋に夜中突撃はやめてやれ」

 

「誰が突撃よ!!」

 

 即座にツッコんでから、レオナはふっと笑った。

 

「……で。なんとなく、いちばん“眠れなさそうな顔”してそうな人のところに来たの」

 

「選別基準そこかよ」

 

 相馬も笑う。

 

「まあたしかに、ぐっすり熟睡モードではねぇけどな。

 今日はヒュンケルが夢に出てきそうだ」

 

 二人の間に、少しだけ柔らかい空気が流れた。

 

◇ ◇ ◇

 

「……怖かった?」

 

 ふと、レオナが尋ねる。

 

「ヒュンケルとの勝負」

 

「そりゃあな」

 

 相馬は、あっさり認めた。

 

「普通に死ぬかもしれねぇってのは、頭では分かってたし。

 実際、数センチずれてたら、腕ごと飛んでたろうなって感触もある」

 

「やめて、そういう具体的な話」

 

 レオナが顔をしかめる。

 

「でもまあ、“やるしかねぇ”ってのも同時に分かってたから。

 怖いとか怖くないとか、途中からよく分かんなくなってたわ」

 

「……そう」

 

 レオナは、少し俯いてから言った。

 

「私は、ただ見てることしかできなかった。

 ダイたちみたいに剣も魔法も強くないし、あなたみたいに“前に出る覚悟”もない」

 

「いや、あるだろ」

 

 相馬は即答した。

 

「パプニカの王女が、“覚悟ありません”って顔でここまで来れるかよ。

 説得力ゼロだわ」

 

「それは……」

 

「国捨てて逃げてもよかったんだぞ?」

 

 相馬は、肩をすくめる。

 

「それでも戻ってきて、今こうして“次どうするか”考えてる時点でさ。

 普通の人より覚悟持ってるって自覚、もうちょい持っていいと思うけどな」

 

 レオナは、目を瞬いた。

 

 しばらく黙ってから、ふっと笑う。

 

「……そうやって、調子よく褒めておけば、また危ない勝負を許してもらえると思ってる?」

 

「バレたか」

 

「バレバレよ」

 

 二人の笑い声が、静かな部屋に広がる。

 

◇ ◇ ◇

 

 しばらく他愛もない話をした。

 

 今後のバルジ島のこと。

 気球船のこと。

 ダイが絶対はしゃぐだろう、という話。

 ポップが絶対酔うだろう、という話。

 

 やがて、話題がふっと途切れた。

 

 窓の外には、夜の海から吹き込む風が、薄いカーテンを揺らしている。

 

「……ねぇ、相馬」

 

 レオナが、少し真面目な声で呼んだ。

 

「なに」

 

「さっき、ヒュンケルに話してた“魂の貝殻”のことだけど」

 

 彼女は、相馬の目を真っ直ぐ見た。

 

「本当に、あるのよね?」

 

「多分な」

 

 相馬は、少しだけ視線を逸らし、それからまた彼女の目を見返した。

 

「俺が知ってる限りでは、ある。

 あれば、そこにバルトスの声が残ってるのも、ほぼ確定」

 

「どうして、そんなことまで――」

 

 レオナはそこで言葉を飲み込み、小さく首を振った。

 

「ごめん。今は、聞かないほうがいい気がする」

 

「賢い判断だ」

 

 相馬は苦笑する。

 

「俺も、自分で全部説明できる自信ねぇしな」

 

 レオナは、少しだけ微笑んだ。

 

「でも、ありがとう」

 

「ん?」

 

「こんなこと言うのも変なのかもしれないけど…。

 ヒュンケルがただの敵として扱われなくて、安心してる」

 

 その言葉に、相馬は肩をすくめた。

 

「まぁ、俺のほうが勝手に感情移入してるだけなんだけどな」

 

「そうね。あなた、そういうところあるもの」

 

「フォローになってなくね?」

 

 二人はまた笑った。

 

◇ ◇ ◇

 

 気づけば、かなり時間が経っていた。

 

 窓の外は、夜の一番深い時間帯。

 遠くの海に、うっすらと星が反射している。

 

「そろそろ部屋に戻ったほうが……」

 

 相馬が言いかけたとき。

 

 レオナは、椅子に座ったまま、こくりと小さく首を傾けた。

 

 そのまま、テーブルに片肘をついて――眠っていた。

 

「おいおい」

 

 相馬は苦笑しながら立ち上がる。

 

「ここで寝落ちかよ」

 

 近づいてみると、レオナの呼吸は穏やかで、顔はさっきよりもずっと柔らかい。

 

 緊張がようやく切れたのだろう。

 

「……お疲れさん」

 

 相馬は、小さく呟いた。

 

 起こすべきか、一瞬迷う。

 

 この時間に姫を一人で廊下に歩かせるのもどうかと思うし、

 誰かを呼びに行くにしても、今この状態を誰かに見られるのはそれはそれで面倒だ。

 

「しゃあねぇな」

 

 相馬は、レオナをそっと抱き上げた。

 

 軽い。

 思っていたよりずっと。

 

(王女抱っこってやつか……)

 

 今ここにポップがいたら、確実にうるさい。

 そう思って、少しだけ笑う。

 

 ベッドの端に、彼女を横たえる。

 毛布をかけ、枕の位置を整えて――

 

 レオナが、寝言のように小さく呟いた。

 

「……どこにも、行かないで……」

 

 相馬の手が、止まる。

 

 半分眠っているくせに、相馬の胸元の布をぎゅっと掴んで離そうとしない。

 

「……」

 

 ため息とも笑いともつかない息が漏れた。

 

「分かったよ」

 

 相馬は、そのままベッドの反対側に腰を下ろした。

 

 距離を取ろうと一瞬思ったが、レオナの手が布を掴んだまま離さないので、あまり動けない。

 

「こっちの腕、さっきまでざっくりいってたんだぜ?

 もうちょい優しく扱ってくれよな」

 

 誰にともなくぼやきながら、相馬は横になる。

 

 レオナの手は、いつの間にか布から相馬の手へと移っていた。

 指先が、かすかに触れ合う。

 

(……まあ、いっか)

 

 夜風が、窓からそよそよと吹き込む。

 

 戦いの余韻。

 パプニカの静けさ。

 これから向かうバルジ島と、気球船のこと。

 

 色々考えるべきことは山ほどあるのに――

 

 隣で聞こえる、一定の寝息が。

 それら全部を、少しだけ遠くへ押しやってくれた。

 

「明日、ちゃんと起きてくれよな。姫様」

 

 そう小さく呟いて、相馬も目を閉じた。

 

 こうして――

 パプニカ城の一室で、二人は過ごす。

 明日の朝、ポップが騒ぐ未来だけははっきり見えた。




作者より
これでヒュンケル編が終了し、次からフレイザード編になります。
手持ちの原稿は無くなりましたので、しばらく原稿を積むための期間に移ります。
正直、話が進むたびに設定が増えて、AIがまとめ切れなくなっているため、手作業が増えています。
一話一話の作成時間はだんだんと伸びていくと思います。

年明け以降の再会を予定しています。
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