オーバーヒート(AI小説) 作:匿名希望
宝物庫へ向かう回廊には、昨日の名残がまだべったりと貼りついていた。
窓の外では、兵士が瓦礫を運び、メイドたちが壊れた器を片付けている。
城下の方からも、人の声や荷車の軋む音が、生活の音が少しずつ戻り始めていた。
けれど、壁に走る焦げ跡と、黒く残った煤だけは、時間の流れから取り残されたみたいにそこにある。
焦げた石の匂いと、海から吹き込む湿った風。
その真ん中を、レオナとマァムが並んで歩いていた。
テラスで絞り出した「宣戦布告」が、胸のあたりにまだ残っている。
レオナに正面から「ありがとう」と礼を言われた時の、どうにも処理しきれない嬉しさと気恥ずかしさもそのままだ。
そして例の話の反則感も――。
「ねえ」
心のどこかにムカつく、でも引けないという感情を抱えながら、マァムが小声で切り出した。
「宝物庫って、もっと城の奥のほうだと思ってたけど、意外と近いのね。
地下深くとか、トラップの先にあるものかと思ってた」
「そういうのは勇者の冒険譚の中だけよ」
レオナは前を向いたまま、口元だけで笑う。
「元々は、もう少し奥だったらしいけどね。
昔の魔王軍との大戦のときに、避難経路と一緒に見直したって聞いてる。
いざというときに運び出しやすい場所に、って」
「……そうなんだ」
――マァムは、ひびの入った壁を横目で眺めながら、胸のあたりが少しだけざわつくのを感じた。
(この先に、“相馬に渡す国宝”があるんだよね)
テラスで聞いた話が、改めて現実味を帯びてきたのだ。
国の象徴。
歴代の王が受け継いできた剣。
レオナが「相馬に持たせる」と言ったもの。
(……正直。ちょっとそんなもの渡されるのはどうかと思うんだけどなぁ。実用的で質の良い剣がいいと思うの)
マァムは自分の言葉に憂鬱になり、心の中でため息をついた。
レオナが相馬に、パプニカの王が所持するべき国宝の剣を渡す。
それは、ほとんど「婚約指輪代わりに国宝を押しつける」に近い、と好感度システムが先ほど言っていた。
否定し難い意見だった。
(そんなの、ちょっと反則じゃない?)
先ほどお互いの本音をぶつけ合って、最後に大上段からバッサリ斬られた気分だ。
胸の奥で重く沈むこの気持ち。
でも――。
(だからって、「やめて」とは言えないのよ…)
僧侶として。
同じパーティの人として。
魔王軍相手に前線に立つ仲間として。
いい武器を持ってもらうのが理屈の上で最善なのは分かりきっている。
それ、パーティの生存率に直結する。
だから、本来国宝指定された剣を相馬に委ねるという判断は感謝しかないはずだった。
マァムが首を横に振るのは、もう「自分」のわがままだけである。
少なくとも今の状況下では。
(もしかして、レオナってそこまで計算してこの話出してるのかな。だったらやっぱり強敵だわ……。)
そんな自分の内心を、レオナに悟られないように、マァムは口を結んだ。
「鍵は、誰が持ってるの?」
歩きながら考え事をしていたレオナが、少し顔を上げ、端的に言った。
「大臣よ」
レオナの声が、少しだけ真面目な響きに変わる。
「宮内大臣。城の管理と宝物庫の管理、両方任せてる人。
お父様たちがバルジ島に移るときも、『最後まで城に残る』って言い張ったくらいの、筋金入りの真面目さん」
「その人が、今もここに?」
「報告だと、朝から城内を見て回ってるって話だったけど――」
ちょうどその時、回廊が折れ曲がる角に差し掛かる。
二人が角を曲がると、その先の壁際に、小柄な老人の背が見えた。
きちんと整えられた灰色の髪。
年季の入った上等な衣服。
肩から下がった飾り紐が、動くたびに小さく揺れている。
片手に帳面、もう片方にペン。
崩れた石を見上げては、紙の上に細かく書きつけていた。
「あの人、かな」
マァムが立ち止まりかけたとき、レオナは迷いなく前に出た。
「ナバロ」
短く名前を呼ぶ。
老人の肩がびくりと跳ね、ゆっくりと振り向いたその顔に、驚愕と安堵が一度に浮かんだ。
「……姫様!」
帳面を慌てて閉じ、ナバロは胸に手を当てて深く頭を下げる。
「ご無事で……本当に、ようございました。
ご帰還の報せは受けておりましたが、この目でお顔を拝するまでは、どうにも落ち着きませなんだ」
「顔を上げて、ナバロ」
レオナは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「地下に避難してくれたんでしょう?
今こうして働いてくれているだけで十分よ」
「恐れ入ります。
昨夜までは、他の者たちと共に地下区画へ。
夜明けと同時に地上へ戻り、今は城の損傷と宝物庫周辺の状況を、こうして書き留めておるところでございます」
そこまで一気に言ってから、ナバロはわずかに首を傾ける。
「……そちらの方は?」
「ロモスから来た仲間よ。マァム」
レオナが自然に紹介する。
マァムは慌てて軽く頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします。マァムです」
「これはこれは。宮内大臣のナバロと申します」
老人は深く礼を返したあと、改めてレオナに向き直る。
「それで、姫様。
本日は、いかなるご用向きで」
問いかけに、レオナの表情がきゅっと引き締まる。
彼女にとってはここからが本番だ。
「宝物庫を開けたいの」
その一言で、空気が変わった。
「……今、でございますか?」
ナバロの手が、無意識に腰のあたり――鍵束のある位置へと伸びる。
「姫様。あそこには、何があるかはご存知かと思いますが――」
「分かってる」
食い気味に遮るが、声が荒くなることはない。
レオナはあくまで、淡々とした口調で言葉を投げかけていた。
「あれは、お飾りとして仕舞い込んでおくための剣じゃないわ」
レオナはナバロを正面から見据える。
「本来あの剣は、『国を守る』ための切り札でしょう?」
マァムには、レオナの横顔が少しだけ強情っぽく見えた。
「魔王軍との戦いは、パプニカから不死騎団をなんとか撤退させただけよ。
まだ終わってないわ。
前線はこれからもっと厳しくなる。
それなのに、国宝だけは“いつかの儀式用”として眠らせたまま?」
レオナは言葉を重ねる代わりに、静かに首を横に振った。
「……わたしは今こそ、活躍の場を与えるべきだと思うの」
理屈としては、まったくもって正しい。
だけど、だ。
(……やめてほしい)
胸の内側で、恋するマァムの声が小さく呻いた。
(あたし個人としては、すごくやめてほしいけどね)
けれど、マァムはその不満を飲み込んだ。
口を出せば、「僧侶の立場」ではなく「恋をこじらせてる女」の立場からの発言になる。
それだけは絶対に嫌だった。
ナバロは、二人を見比べながら、慎重に言葉を選ぶ。
「……宝物庫を開くとして。
その中身を、どなたに」
そこまで聞いて、マァムの心臓がドクンと跳ねた。
(来る)
嫌でも分かる。
テラスで聞いた話の続きが、今ここで現実になる瞬間だ。
「山田相馬に」
レオナは、真っ直ぐに言った。
名前を口にしたとき、ほんの一瞬だけ視線を泳がせた。
耳の先が、かすかに色づくのがマァムには見えた。
しかし本人は、何事もなかったように続ける。
「この城を取り戻してくれた人よ。
国としての恩に報いる意味でも、
これからの戦いで“うちの国の英雄”として立ってもらう意味でも、
あの人ほどふさわしい相手はいないわ」
(レオナ…すごい威厳。テラスの時と本当に同じ人なの?)
マァムは心の中で頭を抱えた。
ナバロにレオナの暴走を見抜いてもらい、止めて欲しかったが、無理かもしれない。
ナバロの方は、そこまで深読みはしていないらしく、ただ真剣な面持ちで頷いた。
「……山田殿の働きは、城内の者も皆、耳にしております。
折れた剣で鎧の騎士と渡り合われたときは、正直、見ているこちらの心臓に悪うございましたが」
そこで、ちらりとレオナの方を見やる。
淡々とした目だった。
「姫様にとっても、さぞや心臓に悪かったことでしょうな」
(――来た!?)
マァムの表情が僅かに明るくなる。
それに対するように、レオナの肩が、びくっとわずかに震えた。
「――べ、別に。
アイツ……いえ、山田殿は毎回あんな無茶してるから、慣れてるし」
視線を横にそらしながら、早口で言い訳を並べる。
「ちゃんとした剣を渡しておかないと、国としても、良くないと思うのよ。
彼には今からバルジ島に行き、お父様たちの援護の任務についてもらうわ」
レオナの仮面がブレたのはほんの一瞬のことだった。
すぐにきちんと仮面を付け直したレオナが、反撃に出る。
「ナバロ。今のパプニカはかつてない危機にあります。ここで我が父、レナード王を失うわけには行かないのよ」
マァムはレオナの立て直しの速さに驚いていた。
今目の前で繰り広げられてるのは、宮廷の建前の殴り合いなのだ、と、この時初めて実感した。
「ナバロ、あなたの意見があれば尊重するわ。
ただし、それは平時の話。
はっきりと言います、これは国の存続の為の指示よ。拒否する理由があなたにあれば言いなさい」
ナバロは少しだけ目を細めてから、深く息を吐く。
「……承知いたしました」
鍵束にそっと手を置きながら、ゆっくりと言う。
「主たる柄と、“海の刃”は、レナード様がお持ちになりました。
ご自身の手で振るうと仰せになり、前線へ向かわれる際に」
「……それは。お父様らしいわね」
レオナの声に、かすかに柔らかい響きが混じる。
「ここに残っているのは?」
「もう一方の柄と、“太陽”と“風”――二本の刃でございます」
「そう。わかった」
レオナは小さく頷いた。
その顔には安堵がどこかにあった。
対し、マァムの目は死んでいた。
マァムには、一拍の間に、希望も絶望も色々なものが見えた。
(“海”は、お父さんが持っていった)
(じゃあ、ここに残った二本が……今はレオナの判断に委ねられる、ってこと?)
「太陽と風、ね」
レオナは、少しだけ姿勢を正して言う。
「どっちも、箱にしまって眺めるための剣じゃないわ。
使われることで意味が出る剣よ。
もう一度聞くわ。異論は無いわねナバロ」
ナバロは、その言葉を静かに聞き終えると、深々と頭を下げた。
「はい、姫様のお考えのとおりに」
腰の鍵束が揺れ、金属が触れ合う音が静かな回廊に広がる。
「どうか、わしにその扉を開けさせてください。
レナード様にお仕えしてきたこの手で、今度は姫様のご決断を支えたい」
「お願いするわ」
レオナはまっすぐに答えた。
◇ ◇ ◇
いくつもの錠前が外され、重厚な扉が音を立てて開いていく。
中から流れてきた空気は、外の海風とは違う冷たさを持っていた。
長い間、光と人の出入りを拒んできた場所の、乾いた冷気。
壁際の棚には、封印された箱や巻物が整然と並んでいる。
奥の一段高くなった場所には、台座がひとつ。
その上に――二本分の刃と、一本の柄。
聖銀の刃が、差し込む光を静かに弾いていた。
ひとつは、芯の部分に温かな光を宿しているような、力強い輝き。
もう一方は、淡く青みを帯びた細身の刃で、空気ごと切り裂きそうな鋭さをまとっている。
「これが……」
マァムの声が自然と細くなる。
「太陽と風」
レオナは短く答えた。
「太陽は、統治の象徴。
風は、境界を守る意志の象徴。
そして海は――今、この城にはいない」
最後の一文だけ、ほんの少しだけ息が揺らいだ。
ナバロが控えめに咳払いをする。
「姫様。
この二本のうち、いずれを山田殿に」
「それは、本人の手に持たせてから決めるわ」
レオナは、台座から視線を外して振り向いた。
「どちらを選ぶにしても、使い手である相馬の意見を聞いてから。
――“レオナが勝手に決めた”なんて言われたら、後が面倒だもの」
言い終わった瞬間――レオナの指が、スカートの裾をきゅっと握る。
「ナバロはここで待ってて。
マァムも、一緒に残っててくれる?
今から呼んでくるから」
レオナが言う。
「相馬を連れて戻るとき、ちゃんと見届けてほしいの。
あなたにも、仲間として」
それは、いつもの王女の声だった。
「今は戦時。わたしとナバロと相馬の3人だけでも、略式の授与式の形は取れる。けど、第三者としてマァムにもいて欲しい」
――でも、その言葉には微かな揺れが混じっていた。
(レオナ、不安なの……?)
さっきまでの様子から一転して、ほんの少し、レオナの様子が心細そうにも見えた。
「分かった。あたしも証人として、国宝が正当に与えられた、というのを見てればいいのね。」
「そうよ、お願いできるかしら?」
マァムはそこで、含みを持たせた顔でにこりとだけ笑った。
「――それから……レオナが帰って来るまでに元気になってるかも見てるから」
レオナの肩が、ほんのわずか跳ねる。
「いちいち含みを持たせないで」
レオナはそれだけで、もう扉へ向かっていた。
返事は短いのに、足だけがやけに正直で――角を曲がる頃には小走りになる。
◇ ◇ ◇
レオナの姿が見えなくなってから、ナバロが小さく息を吐いた。
「……レオナ様は、強いお方です」
ぽつりとこぼす。
「レナード様に似ておられる部分もございますが、あの方はあの方で、また違う強さをお持ちなのですじゃ」
「そう、ですね」
マァムはさっきまでの光景を思い出しながら返事をした。
レオナは“王女の権限”を持っていた。
そして、それを本当に行使できる人だった。
それも強引一辺倒ではなく、うまく周りの人を動かして成立させる。
その判断が国や周りの人にとってマイナスにはならないラインを守ってる。
したたかで、強い、そんな女性だと思う。
ライオンのような女性だ。
ただ、そんなレオナも責任の重圧からは逃れられない。
「さっき、あたしも初めて国宝の話を聞いた時は驚きました。
ただ……言ってるだけじゃなくて色々考えてるんだろうなって思います」
「……そうかもしれませんな」
ナバロは柔らかく目を細めた。
「わしどもの仕事は、その覚悟をどこまで支えられるか、でございます。
口を出すのではなく、鍵を開け、帳簿を付け、殿下の選んだ道が少しでも長く続くようにまわりの人間にも伝える」
「……前線にいるあたしたちも、似たようなものかもしれません」
マァムは、自分の手のひらを見下ろした。
「レオナが決めた道を、戦いで切り開く。
それが、勇者パーティの役目だと思うから」
「心強い言葉ですな」
ナバロは短く頷き、視線を台座へと向けた。
聖銀の剣が二本。
そして、一本分だけ、ぽっかりと空いた場所。
「レナード様が“海”をお持ちになったときも、わたくしはこの鍵束を握っておりました。
今日、姫様が太陽か風のいずれかを城の外に出されるときも、同じ場所に立っていられる。
それを少しだけ誇りに思います」
静かな言葉に、積み重ねてきた時間の重さが滲む。
マァムは、その横顔を見届けてから、もう一度だけ台座に目をやった。
聖銀の刃が二本。もう一本ぶんのスペースだけが、静かに空いている。
並んでいる二本は、どちらもただの“強い剣”じゃない。
パプニカ王家が代々背負ってきた、パプニカの歴史そのものみたいな刃だ。
空いた場所にあった一本は、今も王が前線で握っている。
(……このどっちかを、相馬が握るんだ)
そう思った瞬間、喉の奥が、きゅっと詰まった。
(ただ強い武器を渡すって話じゃないもんね)
マァムの胸の奥が、じんわりと押さえつけられるように苦しくなった。
さっきまで忘れてた自分の中のモヤモヤが、また少しだけ輪郭を持つ。
宝物庫の空気は、相変わらずひんやりしていて生命の色がない。
けれどマァムには、その真ん中に立つ二本の刃が、さっきよりすこしだけ「生き物」に近づいたように見え、手を握りしめた。