十二時、政志は仁志がまだ工場にいることに気付き、戸を開ける。仁志は何故か、上がり
「仁志、もう寝ろ。十二時回ったぞ…って何やってんだ?」
「……」
「おい、明日学校だろ?寝ろ」
「…!もうそんな時間か…」
「どうしたんだ?白石さんと喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩?してないよ…。もう片付いてるから、そのまま風呂行くよ…」
「お、おぅ…」
仁志の様子がおかしい、と政志は思ったが、引き止めるわけにもいかず、政志はただ首をひねるのであった。
翌日、学校では三者面談の通知が配られる。三年生は何故か体育館に集められ、柔道部顧問を兼任する進路担当の体育教諭がプリントを配りながら説明をしていく。馬面でガタイがデカくてタラコ唇だからずっと裏でシノハラって呼んでたけどそういやこの人の名前何だっけ、等と思う仁志をよそに説明は続いていく。曰く、三年生の夏になって親子で進路に対する意見が割れて大揉めするパターンが毎年必ず二、三世帯出るとか、この時期になって何も考えていない生徒が同席した親に詰められるパターンが数年ごとにあるとか。現在の仁志にとってはどちらも他人事には思えなかった。絶対揉めるだろうな、と仁志は気持ちが沈むのを感じた。
放課後、ガソリンスタンドでの助っ人は二日目を迎えていた。
「軽油満タン、入りやす!」
「壺振りか!ピンゾロで入りますみたいに言うな」
ダンプカーに給油する仁志に、運転台からニヤけ顔のツッコミが入る。笑顔はないが迅速丁寧な仁志の仕事ぶりはガテン系の客層から好評で、仁志よりも強面な顔が多く、強面を見慣れている一部の客は冗談まで飛ばすようになっていた。さらに、今の仁志は体を動かしていたほうが認めたくない自分の性格について考えずに済むため、窓拭きウエスを洗ったり、補充したりとひたすら働いていた。
しかし、平日午後のガソリンスタンドである。すぐに客足は途切れ、必死に探した仕事もなくなり、暇な時間が出来てしまうと、仁志の思考は暗い方へ沈んでいく。結局のところ、昨夜の白石の問いに対する答えは仁志が絶対に認めたくないところに落ち着こうとしていた。政志の整備工場を継ぎ、政志や整備工場に来ていた近隣地域の住民に恩返しをするという自分の決心が、結局は恩返しにかこつけて自分の好きな自動車整備をして生きていきたいという自分のわがままでしかなかったという、それを認めたら自己嫌悪に陥るような結論である。政志は世間一般の普通の子のように好きなように生きろと言ってはくれているが、生い立ちからして普通ではないと自認する仁志にとって、整備工場を継がず完全に自由に生きることは酷く恩知らずなことにしか思えなかった。だからこそ、もしも政志の稼業が自動車に関係ないことだった場合、自分が後を継がない選択をするであろうとは、死んでも認めたくなかった。
「トシ、なんか疲れてないか?」
「武内さん…。疲れてはいないよ」
「妙に張り切っていろいろやってくれてたからな。そういう日って急に客足が途絶えると一気に疲れるよな」
「池谷さん…。そういう池谷さんこそ、もう身体は大丈夫なんですか?」
「あぁ、軽いムチウチだ。S13の修理費稼ぐためにも、休んではいられないよ」
渋高コンビの片割れ・武内樹とアルバイトリーダーの池谷浩一郎が話しかけたことで、仁志は自分の身勝手さに対する自己嫌悪をどうにか思考の片隅に追いやることができた。ちなみに樹は昨日仁志をおちょくりに来た西田淳二の影響で、仁志のことをトシと呼ぶようになっていた。
「それより、ありがとうな。俺がこんなんなったからって、店長のツテで手伝いに来てくれてるんだって?」
「いえ、オヤジと店長のツテなら喜んで参上しますよ」
「ありがとう。いいヤツだよ、お前は」
「いいヤツ…ですか…」
中身はただの身勝手な恩知らずでしかないかもしれないんだけどな、と仁志は自嘲する。自分の暗部を本格的に知り合って間もない樹や池谷に洗いざらいぶちまけることなど出来るはずもなかった。
そんな仁志の気を知らぬ樹が、思い出したように怒り出す。
「それに比べて拓海のやつは!週末、俺を差し置いて女と海に行くってんだよ」
「なんだ、そのことか」
「え、トシ?知ってたのか?」
「あ、いや…そんなことかって言おうとして…」
仁志は藤原拓海のデートの件については昨夜白石から聞かされていたので、つい知っている
「そんなことかって!?羨ましくねーのかよ!?女!海!」
「武内さんが一人だけくっついてったってミソッカスになるだけだぜ」
「わかってるって…。ンだから、せめて土曜日のレッドサンズとの交流戦にはハチロク借りて来いって言ってたのに、なんかややこしいことになったって言い出して…」
仁志は今度は注意深く知らない
「え、藤原さん、ハチロク持ってんのかい?」
「拓海が持ってるっていうより、拓海の親父さんのクルマなんだけどね」
「親のクルマか。なら急に都合つかなくなることもあるだろ」
「交流戦だけは絶対外せねぇ。それをすっぽかしたらアイツ絶交だ!」
「言い過ぎだ」
一人でヒートアップする樹を仁志が宥めているとワンボックスとライトバンが入って来る。仁志と樹は雑談をやめ、接客に出た。
「いらっしゃいませ〜!」
仁志が接客を終え、樹よりもひと足先に事務所前に戻ると、藤原拓海がいた。どこか遠くを見るような目をしたまま立っている。樹と池谷からの前情報で、拓海はいつもそんな感じだと聞いていた仁志は、さり気なく一人分の空間を空けて拓海の横に立つ。樹と違ってグイグイ話しかけてこないので落ち着きはするが、勝手に何でも喋ってくれる樹と違い、情報収集をしたい時には些か困るなと思う仁志である。
「なぁ、藤原さん」
「…?」
「さっき武内さんから聞いたんだが、お宅のクルマ、土曜日の予定に借り出せなくなりそうなんだって?」
「いや…秋名には行けそうなんだけど、何ていうか、ただただややこしいことになって…」
あれ、樹は例の交流戦だか何だかに行けなくなりそうな体で言ってたけどな、と仁志は訝しむ。
「何か複雑な事情がありそうだ」
「えぇ。そうなんですよ」
「交流戦ったって、族の集会みたいなもんだ。笑って送り出す親なんてどこにもいないだろうからな」
「そう、普通はそうなんですよ。俺だって本当は興味ないのに」
何故かやや食い気味に答える拓海を見て、なるほど、武内さんと違って藤原さんは常識人らしいな、と仁志は考える。暴走族の集会を見に行きたがる武内樹と、無理矢理つきあわされる藤原拓海の様子が目に浮かんだ。
「それで、親に気付かれないようにクルマを持ち出す算段がまだついてない、と。しかも藤原さん本人もそんなに乗り気じゃない。難儀だねぇ」
あれ、意外と話せるな、と仁志は内心驚く。人間不信の野犬のような性格は自覚していたので、見知らぬ人間を相手にここまで話せるとは思ってもみなかった。しかし、拓海の口から語られたのは仁志の予想の逆であった。
「それが…クルマは借りれるし、秋名にも行けるんですよ」
「マジかよ…。どんな教育する気なんだ、その親御さんは…」
「これ以上はちょっと人には言えない話ですけど、とにかく行けるには行けるんです、困ったことに」
「ワケアリってことか。でもそれなら武内さんを拾って行ってあげたらいいのに」
「俺もまだ行くかどうか目茶苦茶悩んでて…」
仁志はこの件についてこれ以上は掘れないと判断した。快適ではないが気まずくもない沈黙が流れる。仁志はふと、池谷が窓拭き用の濡れタオルを洗おうとしているのを見て、拓海の横を離れる。
「池谷さん、それは俺がやりますよ」
「仁志か。頼んでいいか?足がこんなんだから上手くいかなくてナ」
「捻挫は無理に動かしたら毒だ。声掛けてください」
「すまんな」
「ところで、族の集会みたいなことやるんですね」
「走り屋と呼べ。怒られるぞ」
「似たようなもんだ。立派に違法行為でしょう」
「わかってるって…。でも結局クルマしか取り柄がない奴らはそうなっちゃうんだよ」
「別に責める気はないですよ。単車乗ってた頃から知ってますし、俺も似たようなもんだ」
「…まさかあのドリーム50、秋名で昔見たのと同じヤツか?」
「脛に傷持つのはお互い様ですよ。あの時俺、中二か中三だったし」
「マジかよ。ヤッてんな、お前」
「同じ穴の兄弟です」
「ムジナ、な。兄弟になる方の穴には縁がないよ」
「俺もです」
ジャブジャブとタオルを水で洗いながら、雑談を交わす。池谷の愛車がまだ二輪車だった頃、当時高校生の池谷と、当時中学生の仁志は既に明け方の秋名道路で出会っていた。
「ガソリンとかどうしてたんだよ。言えばこっそり入れてやったのに」
「ご迷惑はかけられませんよ。バレたらただじゃ済まない」
「田舎だし、よくあることさ」
「ガスはオヤジのクルマからくすねてました」
「ヤッてんな」
「ところで週末の交流戦ですけど、大丈夫そうですか?…まぁ俺は関係ないんですけど、ただ単に興味があって」
「最悪、健二に頼むしかなさそうだ。でも、店長から聞いた伝説の走り屋にお願いはしてるよ」
「へぇ、そいつは誰なんですか?」
「ハチロクを配達車に使う豆腐屋だ」
マジかよ、ここでも豆腐屋かよ、と仁志は天を仰ぐ。同時に、先程拓海が言っていたことが引っ掛かった。
「確かあそこにいる藤原さんの自宅でしたよね?」
「そうなんだよ」
「いえね、武内さんも藤原さんの横乗りで交流戦を見に行く予定だったらしいんですけど、クルマの都合が何かややこしいことになったとかで怒ってましたよ」
「そうなのか?」
「なんか完全に行くの無理ってなったわけでもないらしくて」
「そりゃまた曖昧な…」
豆腐屋さんが走るなら息子さんは完全にクルマの都合がつかなくなるはずなんだよな、と仁志は訝しんだ。それなら武内さんにハッキリと無理って言うだろうし、と考える。仁志の脳裏に、とある突拍子もないケースが浮かんだ。
「まさか、あそこにいる藤原さんが走る、なんてことはないですよね?」
「まさか。まだ若葉マークだぜ。俺の運転でビビりまくって、頂上で降りた後ゲロ吐いてたぜ」
「それはお気の毒…」
「…おっ、タオル全部出来たな」
「持って行きます」
「助かるよ」
話をしている間に濡れタオルの準備が終わる。ここで雑談は切り上げとなった。
(普通に考えたら確かにあの藤原さんが走るとは考えられない。ただの若葉マークなら、な…。でも免許を持ってなくてもキーを捻ればエンジンは掛かる。足さえ届けばペダルは踏める。俺がそうだったからな。親父さんはむしろゴーサインを出しているってことは、まさか黒幕があの豆腐屋さん…?)
突拍子もない思いつきが、豆腐屋の脱法英才教育という形でハッキリとした輪郭を持ち始めていた。