『ロッカーズ・カフェ』を出た仁志と淳二はそのまま淳二の家に上がった。二階の淳二の部屋に上がると、淳二は原付用の半ヘルとゴーグルを渡す。
「次来た時、返せよな」
「恩に着る」
「ちゃんと親父さんと仲直りしろよ」
「善処するさ」
仁志はヘルメットの顎紐とゴーグルを着け、調整する。淳二が話しかける。
「まっすぐ帰るんだよな、トシ?」
「…気まずいからとりあえず秋名行く」
「あのな、長くなればなるほど気まずくなるんだからさっさと帰った方がいいぞ」
「頭冷やしてから帰るだけだ」
「十分冷えてるだろ」
「いや、もうちょい冷やしたい」
仁志は世の中のほとんどの人間に対してはいつでも牙を剥いていいと思っているため特に何も気を使わない一方、数少ない味方と思う相手、特に何かしらの恩を受けた人間に対してはどうにも煮え切らないところがあった。気の使い方がゼロか百かしかない上に時として思いっきり間違っているのである。
「しょうがねぇな…。じゃあ俺もついてく。それでいいだろ?」
「オバケが怖いから行きたくないとか言ってたろ?」
「お前の顔見たらオバケだって逃げるだろ」
「俺の人相を魔除けみたいに言うな」
「抗争見物終わったら親父さんとこに一緒に謝りに行ってやるから」
「別に喧嘩したわけじゃない…って」
「何も言わずに丸一日ウロウロして心配かけてるだろ?その件は謝るべきだと思うよ」
仁志は喧嘩したわけではないと否定しながらドリーム50のスターターを蹴る。淳二はジョルノのセルスターターを回しながら仁志をたしなめる。二人ともヘルメットをかぶっているので秋名山へは堂々と国道を走って向かった。
その頃、秋名道路の終端、料金所跡では秋名スピードスターズの副将・健二が、処刑を待つ囚人のような顔で愛車である白の日産・180SXの運転席に座っていた。傍らには主将の池谷浩一郎が黙って秋名道路の下り口を祈るように見ている。池谷の語るところによると、秋名道路で最速を誇る伝説の走り屋に三顧の礼を以て代走を頼んでおり、ついに頼みを受けてくれた―――当然それは藤原拓海の父であり、『藤原とうふ店』の店主である藤原文太のことで、実際には「行けたら行く」くらいの曖昧な返事であったのだが―――というのである。同時に、時間までに行けなかったら自分達で何とかするように言われており、必然的に現在車が生きている中では最速ということになる健二を待機させていた。健二はギリギリまではスタート地点に付かず、ガードレールの向こうで祈り続ける。
高橋啓介は苛立っていた。今夜こそ因縁のスプリンタートレノに勝ち、雪辱を果たしたかったが、現れる気配もなく、明らかにレベルの劣る180SXが今にも死にそうな顔で待機していたからである。本当にコイツが走るなら大差でぶっちぎって赤っ恥をかかせてやると勝手に意気込んでいく。
その頃、五連ヘアピンの少し上にあるギャラリーコーナーで、仁志と淳二は原付を止める。既に周りには噂を聞きつけた県内他地域のチームや、無所属の走り屋と思われる者たちが集結していた。
「しかしよーやるよ、こんな夜中に」
「これが楽しくてしょーがねー奴らも世の中にはいるってことだ」
「まさかトシ、お前もか?」
「いや、ただ単に帰る前に時間が欲しいだけだ」
「まあそういうことにするよ…」
二人は言葉を交わしながら、エンジンを止めたそれぞれの原付に跨ってバトルの始まりを待つことにした。
「そういやシャー、お前クルマの免許はまだなんだったよな?」
「あぁ、早生まれだからな。二学期から
車校卒業してから絶対ヒマするだろ、と仁志は思った。淳二は二輪免許を既に取得しているため、学科が一部免除されて教習所のカリキュラムが早く終わるであろうことは目に見えていたためである。年齢じゃなくて学年で免許取れるようにすりゃいいのに、と腹の中で法律に文句を垂れていると、仁志にとっては見覚えのある白いトヨタ・スプリンタートレノが目の前をゆっくりと登っていく。
「確かトヨタのスプリンター、だよな?」
「あぁ、そうだ。あれはトレノっていうスポーツモデル。
「今日の野次馬かね?」
「いや、今夜の地元代表は意外とアイツかもしれん」
仁志はゆっくりと遠ざかるテールランプを忌々しげに睨みつけながら、そんなことを口にした。淳二はきょとんとした顔で仁志を見る。
「何でそう思うんだよ?」
「あのクルマ、もしかしたら反対側のドアに豆腐屋の屋号が書いてあるはずだ」
「こっちからじゃ見えなかったけどな…」
「降りてくる時はこっち側に向くからわかるさ」
「それで、何でその豆腐屋さんが族の抗争に出てくるんだ?」
淳二の疑問はもっともだった。豆腐屋と暴走族、全く接点のない組み合わせである。
「それは俺もわからん。だが、速さは多分本物だ」
「…もしかして、お知り合い?」
「家で食う豆腐は八割そこで買ってる。無愛想な親爺だ。そしてこの前、客のスカイラインの試走をしていてぶっちぎられた」
「…トシが下手だっただけなんじゃない?」
「何だとこの野郎!?バラして埋めちまうぞテメェ!」
「怒らない、怒らないよ。みんな引いてるから」
余計なひと言を発した淳二に仁志が噛みつくが、淳二は堪えた風もなく宥める。淳二の言う通り、何人かの観客がそそくさと別の場所に移動するのが見えた。
「…冗談だよ。俺のドリーム50をオートマのモッズスクーターで煽り倒したお前に言われたからちょっとマジでイラッとしたけど、あくまで冗談だ」
「まさかトシ、それでこないだイラついてたのか」
「うるせえ!放っとけ!」
掘らなくてもいいところを掘る淳二に仁志が再び噛みつく。見るからに荒くれ者風な一部の男たちや、赤く点滅する誘導棒とトランシーバーを持った男だけがギャラリーポイントに残り、人の良さそうな若者や彼女連れの観客は全てそそくさと車に乗り込み、別の場所へ走り去ってしまった。それを見た淳二は仁志の態度と人相の悪さに苦言を呈した。
「トシ、いい加減にしな。誰もいなくなっちゃうから」
「…ったく、どいつもこいつも冗談通じねぇな」
「冗談は冗談っぽい言葉で言ってくれない?それと冗談通じない方が悪いみたいな言い方は何か違うと思うよ」
「…今のも冗談だ」
「どうだか…」
少し時を巻き戻し、仁志と淳二がいるギャラリーポイント、二人から少し離れた暗がりに、黒い日産・スカイラインGT-Rと、取り巻きと思われる流行りの日産車が数台止まっていた。交流戦の始まりを待ちながら、結果予想をしていた。
「なかなか始まらないなー」
「やる前から結果は見えてるがな。どうせ秋名の惨敗だろ」
交流戦の始まりを待ちウズウズしている取り巻きに対し、秋名スピードスターズをにべもなく切り捨ててみせるリーダー格の青年。
「高橋兄弟の実力は噂通りだぜ。あっちこっちで交流戦を仕掛けてここまで全勝してることも知っている」
青年の背後には、愛機である日産・スカイラインGT-R。
「いずれは群馬最速をブチ上げるつもりだろうが、オレ達ならレッドサンズなんかに負けやしねえ。群馬最速はオレ達、妙義ナイトキッズだ!!」
青年の名は中里毅。隣町の松井田から交流戦を見に来た、妙義ナイトキッズのリーダーである。ナイトキッズは妙義山をホームコースとし、松井田町の車好きで素行不良の若者が集まって出来たチームで、中里毅の高い手腕によりどうにかチームの体を成している。しかし、チーム内にはチームの乗っ取りを狙い、または乗っ取りを狙う構成員に取り入って甘い目を見ようと目論み、中里の失脚を虎視眈々と狙う不穏分子をいくつも抱えるという不安定な面も持っていた。
「モータースポーツに勝つという目的のためだけに生まれてきた純血種サラブレッド・スカイラインGT-R。オレのR32は群馬最強最速だ。イモロータリーなんかに負けやしねえぜ!!」
もっとも、このように愛機・スカイラインGT-Rを至上と信じるあまり、その強い思想を押し付ける悪癖がチーム内に親中里派と反中里派を生む原因の一つと言える。親分肌な性格による強い求心力と、近付く者と離れる者を選ぶ思想の強さが腹の内に同居している不安定な男であった。
ギャラリーポイント前を白いトヨタ・スプリンタートレノが登っていく。その姿を見た毅が、周りにいた仲間達に問いかける。
「いい腕だ!あのハチロク…コーナーを立ち上がるあの後ろ姿にはえも言われぬ余韻がある。わかんねーか?」
「そうかな…オレらにはちょっと…」
「どこの峠にもいる普通のハチロク小僧にしか見えねーけど…」
毅は無理もねぇか、と呟く。一般構成員の走り屋としてのレベルがまだそこまで高いレベルに達していないことを理解する。
「わかる奴にしかわかんねーことだからな。自分のクルマを手足のように操る域に達した走り屋のクルマにはオーラが漂う。同じレベルに達した熟練の走り屋にはそのオーラが見えるんだ。高橋涼介の走りにはオーラが見える。高橋啓介の走りにはまだかすかに見える程度のオーラしかない」
毅は熟練の走り屋同士が互いの存在を嗅ぎ分ける感覚の話をするが、目の前の仲間はピンときていない様子である。毅はスプリンタートレノが消えていった方を見る。
(あのハチロクには強いオーラが出ていた…。並の走り屋じゃねーな。あんな奴が秋名にもいたのか…!?)
ふと毅は反対側に目を向けると、エンジンを止めたドリーム50とモッズスクーターに跨ったままの男が二人、視界に入った。不思議なことに、高橋啓介よりも更に微弱ではあるが、同質のオーラが二人から発せられているのが見えた。
(不思議なこともあるもんだな…少なくともモッズスクーターのアイツは高校生くらいにしか見えねーが…。何故あの手のオーラを纏うんだ…?)
ドリーム50に跨る男からは、人を拒むような雰囲気が感じられた。それを見た仲間が毅に話しかける。
「毅、あの原チャリの男…負のオーラが見えるんだが…」
「あぁ、あれは走りのオーラじゃねー。『俺に話しかけるなオーラ』だ」
「やっぱり…」
「たまに慎吾が出しているが、あそこまでではないな」
毅は反中里派の筆頭ともいえる、勝つためなら対戦相手を事故死させることも厭わない素行不良の走り屋を思い浮かべる。慎吾も三人くらい出刃で刺してそうな顔してるが、あそこにいるアイツほどではないな、と毅は中々酷い一言を付け足す。
「何だとこの野郎!?バラして埋めちまうぞテメェ!」
毅がちょうど向こうの二人の会話に聞き耳を立てようとした瞬間、怒号が飛んできたため、そこにいた毅とその仲間数名はギョッとしてその方向を見る。ドリーム50に跨った鬼瓦のような顔の男が、今や辻斬りのような顔でモッズスクーターに跨った少年に噛みついている。気弱そうな観客たちが蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの乗り物で別のギャラリーポイントに逃げ出していく。
「怖っ…」
「目を合わせるな。何持ってるかわからん」
「しかし…」
「見ろ。相方が宥めてるうちは実害はない」
「…ホントだ。すげえな…」
もう一度怒号が飛ぶが、モッズスクーターの少年が眉ひとつ動かさずに宥めているのを見て、取り巻きの一人が舌を巻く。
「肝が据わってるのか、それとも壊れてるのか…」
「多分バカなんだろ。年の差もあるだろうに、あんな犯罪者スレスレの奴とつるんでるんだからな」
スプリンタートレノが料金所跡に到達したのは、それからすぐのことであった。秋名道路の沿道に無線機と誘導棒を持って立っていたレッドサンズ構成員の連絡により、このスプリンタートレノが登るまでタイムアタックのスタートは見合わせることが決まる。とあるポイントからの連絡では鬼が暴れて観客がコース上に散っているなどという不可解な連絡もあり、高橋兄弟と池谷の他、山頂にいる関係者が揃って首を傾げるという混乱もあったが、かくして高橋啓介が狙う秋名のハチロクがスタートラインに並ぶ。方向転換をし、黄色いRX-7の右側に並べられたスプリンタートレノの右サイドシルには、『藤原とうふ店(自家用)』のレタリングが刻まれているのであった。
ちなみに、作中で仁志が想像していた、年齢ではなく学年で自動車免許の取得を許可するシステムを導入すると、受験日や免許の更新日が年度始めに集中し、結果として教習所や試験場、警察署が四月一日からの前後二、三ヶ月だけ大混雑することが考えられる。
しかし、免許の取得時期を年齢で分けることにより、一年間で運転免許に関わる人や書類の流れがほぼ均等に分散し、上記のような一極集中の問題を回避できている面もあり、それ故に学年による免許取得時期の区分には移行できないのが実情と思われる。