走り屋たちの外伝集   作:下戸摺り半

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あー夏休み

 新潟県柏崎市、柏崎海岸。藤原拓海はクラスメイトの茂木なつきを連れて海水浴に来ていた。茂木が波打ち際で、両足が浸かる海水の冷たさに声を上げはしゃいでいるのを見るともなしに眺める。明るい青のワンピースの水着にそのしなやかな身を包み、張りのある健康的な曲線を爽やかに演出していた。茂木が、乗り物酔いに備えて持ってきた酔い止め薬を使わずに済んだと拓海の運転技術を褒め、波打ち際から砂浜に上がる。海の家から有線放送で『夏の日の1993』が聞こえていた。

 

 拓海は、普段豆腐の配達の時、父・藤原文太の指示で車内のカップホルダーに水を入れた紙コップを置き、零さないように運転していた。車体の急激な動きや路面のギャップによる衝撃から壊れやすい豆腐を守り、四角いまま秋名湖畔のホテルの厨房に届けるためである。今日は紙コップの水はなかったが、紙コップをイメージして零さないような運転操作を心掛けていたのが功を奏したようである。

 

 拓海の意識は昨日に飛ぶ。秋名道路に出かける前、今日は紙コップは要らないのかと父・藤原文太に訊いた拓海に、豆腐がないならコップも要らないと文太は答えた。配達じゃないんだから遊んでこいと言われ、こんな気が重い遊びがあるかと答えた拓海だったが、秋名道路の下りでは気がつけば目の前を走るRX-7の黄色い機影を夢中で追いかけていた。近付くテールランプ。目の前に見える頃には追い抜くスペースを潰すように赤い残影が揺れる。五連ヘアピンで見えた隙を突いて溝落としで仕留める頃にはすっかり高揚感に支配されている自分がいた。今朝も、柏崎海岸まで茂木なつきを隣に乗せ運転していて楽しいと感じていた。今までは家業の手伝いで嫌々するものだった運転に対し、初めて楽しさを感じていた。クルマって結構いいよな、と拓海は頭の中で呟く。

 

 ふと拓海は我に返る。先程から隣にいた茂木がずっと話し掛けていたが、思案にふける拓海が全く気付かないので大きめの声で話しかけながら腕を掴んで揺さぶったからである。誰が選曲したのか、少し離れた海の家の有線放送ではいつの間にか『ラムのラブソング』が流れている。こんなに可愛い女の子が隣にいるのに放っておいて自分の世界に入り込むのかと唇を尖らせる茂木に、拓海は慌てて詫びながら用件を尋ねる。拓海くんには好きな女の子はいるのかと茂木は尋ねる。拓海は、今のところはいないと答えるが、目の前の茂木を見て、気になっている女の子ならいると答え直す。茂木こそどうなんだと拓海は訊き返すと、なつきも気になっているコならいるよと、茂木は悪戯っぽく微笑んだ。

 

 

 群馬県渋川市内、国道沿いのガソリンスタンドでは、休みを取った拓海の代役で仁志がシフトに入っている。店長の立花祐一は野暮用があるとかで先刻出掛けて行った。武内樹が、今頃は女子の同級生と海にしけ込んでいるであろう渋高コンビの片割れこと藤原拓海を思い浮かべながら仁志に愚痴る。

 

「あーあ、拓海のやつ、今頃は女の子と海でイチャコラしやがってんのかなぁ。俺も水着ギャルと遊びたかったのに、薄情なやつだよ。そう思うだろ、トシ?」

「武内さん、さっきから壊れたテレコみたいに同じこと言ってるよ」

「だってそうだろ?普通親友の俺に黙って行くか?」

「普通は黙って行くもんだろ。まあ俺も経験ないから知らないけど」

「くぅ〜ッ!真夏の太陽!白い砂浜、波打ち際の水着の彼女!羨ましいッ!」

 

仁志は帰りたい、と天を仰いだ。そうとは知ってか知らずか、樹が仁志に頼み始める。

 

「ところでさ、トシの知り合いの女の子とか紹介してくれよ」

「出来るわけないだろ」

「何でだよ~!ケチ〜!拓海もトシも薄情なやつだよ」

「第一に、武内さんはただ単にヤりてえだけだろ。そういうところが出会いを遠ざけてるんじゃないのか?」

「じゃあお前はどうなんだよ?」

「俺は人間を遠ざける雰囲気を出してるな」

「何だよそれ…」

 

仁志は家のガレージで待っているサニーに思いを馳せた。早く帰って整備をしたいと心から願う。

 

「第二に、俺、工業高校だぜ。全校でも女子なんて両手で数えるほどしかいないよ」

「いなくはないんだろ?」

「多少形が悪くても、あの空気の中では妙に可愛く見えるらしいな。俺は人間が嫌いだからどれも同じに見えるがな」

 

仁志は皮肉を込めて答えた。樹には皮肉が効かないらしく、そのまま掘り下げ始める。

 

「それでも女の子なんだろ?オッパイでかいか?有名人で言うなら誰かに似てるとかあるのか?」

 

仁志は彼女たちがどんな有名人に似ているかと問われてふと考え込んだ。天を仰ぎ、足元を見つめ、それから口を開く。

 

「アジャコングと、神取忍(かんどり・しのぶ)と、それから和田アキ子だな。さあどれがいい?」

「すみませんでした」

「そこですぐ謝るのは失礼だろうが!」

 

そういうとこだぞ、と仁志は頭を抱えた。丁度その時、すっかり顔なじみとなった強面のダンプ運転手が軽ワゴン車で現れる。今日は休日らしい。仁志はまるで砂漠でオアシスでも見つけたかのように樹の『女紹介しろコール』から逃れ、駆け足で接客に向かうのであった。

 

 

 日曜日の日没、西の空は茜色に染まり、明日も晴れるらしいことを見上げる者全てに告げている。東から夜の帳が降りる頃、白い車体を夕焼けの残り火で僅かに朱に染めてスプリンタートレノが静かに止まる。ここでいいのかと拓海が問うと、この路地を入ったところだからここでいいと茂木が答える。往復の運転で、昨日の非合法レースともまた違う楽しさを感じていた拓海は、この時間が終わることを少し寂しく感じる。

 

 去り際、商用のボロだと言うけど小さくて元気に走って可愛いからこの車は好きだと茂木は言った。車の名前を訊き、またトレノに乗せてと言って、路地の奥に帰っていく茂木の背中を見送りながら、なんとも言えない寂しさと照れくささを拓海は持て余すのであった。今までは単なる家業の道具にしか思えなかった白い車体と、ボンネットの上でぴょこんと開いた双眸が、まるで仲のよい兄弟が優しく微笑んでいるかのように見えた。

 

「可愛いだってよ。どうする、お前…?」

 

 

 すっかり夜の帳が下りた秋名道路では、白いマツダ・サバンナRX-7が何度も登っては下り、そしてまた登っていた。クォーターパネルには『REDSUNS』のデカールが貼られ、それが赤城道路で最速の走り屋・高橋涼介の愛機であることを示していた。目撃した地元の走り屋たちは、弟・高橋啓介が『秋名のハチロク』に撃墜されたことがよほど腹に据えかねているらしいと噂する。

 

 何本目かの登り、高橋涼介のサバンナの後ろから、突如一台の日産・スカイラインGT-Rが現れ、目撃した地元の走り屋たちは騒然となった。ブローオフバルブの開放音をシューッと響かせ、その黒い機影は傲然と秋名道路を登っていくのであった。

 

 

 営業が終わった鈴木政志の整備工場では、ガソリンスタンドのアルバイトから帰った仁志が解体した日産・A12型エンジンの部品の洗浄を終えていた。仁志はおもむろにクランクシャフトを両手で持ち上げる。工業高校の実習で解体したA12のそれとは明らかに形が違っており、重量も明らかにこちらの方が重いことがわかる。しかしそれ以上に仁志の興味を引いていたのは、手から伝わる不動の安定感であった。まるでそれは、そこから一歩も引かぬと言わんばかりに、重く真っすぐな芯が通っているかのような感触であった。すると後ろから政志が声を掛ける。

 

「何を見てるんだ?十二時回るまでに片付けなきゃいかんだろう?」

「わかってるけどさ…何か、凄えんだよ、これ…」

 

政志は仁志の肩越しに手元を覗き込むと、クランクシャフトを一瞥して答える。

 

「レース仕様の研究のために先代が買ったエンジンだからな、やはり付いていたか…。これは、フルカウンタークランクだ」

 




2026/03/24 『ギア・ブルース』のくだりを削除。想定していた時期には未発売のため。
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