走り屋たちの外伝集   作:下戸摺り半

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前回までのうらすじ

 妙義ナイトキッズの首魁・中里毅から秋名のハチロク・藤原拓海への対戦の申し込みを武内樹が勝手に受けてしまい、群馬県内全域に広がった噂にもはや対戦は避けられないと頭を抱える秋名スピードスターズのツートップ・池谷浩一郎と健二。

 一方、鈴木仁志の日産・B110型サニークーペが遂に実走可能になり、陸運局での登録を控えた未明、仁志はこっそり秋名山へと走らせる。

 拓海は中里の乗るスカイラインGT-Rに興味を示す様子を見せながら豆腐の配達に向かう。途中で仁志の追跡を受けながら高い路面対応力と卓越した操縦技術を見せ、秋名道路を登る。

 高橋啓介は秋名道路の途中に車を止め、拓海を待ち構えていた。通りかかった拓海にGT-Rに負けるなと告げるが、拓海は全くやる気がないと返答するのであった。



俺はGT-Rなんざ怖くねぇ

 やる気がないと言う拓海に対し、啓介は訊く。

 

「何だって?やる気ねぇってどういうことだ?」

 

何も知らないまま巻き込まれた殆ど反社会組織同士の抗争で、これまた理由も知らずに叩きのめしてしまった相手から次に巻き込まれる別の抗争にけしかけられている気の毒な豆腐屋の息子に、気の毒なことだと仁志は同情した。目の前のシド・ヴィシャス風の男に渋々事情を説明しようかと思った先からそのシド・ヴィシャスこと啓介が口を開く。

 

「ナイトキッズの中里がお前を名指しで挑戦してきてんだろ?受けて立ちゃあいいじゃねぇかよ。GT-Rなんざぶっちぎってみろ」

 

このパンクロッカーには経緯とか関係ないらしい、と仁志は事情説明を諦める。どうやら脳みそが筋肉で出来ているらしいと分析する。

 

「…あんたには関係ないことなのに何でそこまで言うんだ?」

 

拓海がここで反論した。仁志は小さく頷く。啓介が答える。

 

「理由は二つある。まず俺はGT-Rが大嫌いなんだ!!」

 

「だったらお前がやれや!」

 

たまらず仁志が突っ込む。すかさず啓介が噛み付く。

 

「何だとこの野郎!」

 

「あんたの好き嫌いなんざそれこそ知ったこっちゃねぇだろ。噂じゃあの黒いGT-Rは毎日わざわざここまで来てるらしいじゃねえか。てめえで絡んでいきゃいいだろ」

 

「それじゃ筋が通らねぇんだよ!コイツに唾つけたのはあの中里だ。邪魔して突っかかるような真似は出来ねぇ」

 

「よく言うぜ、偶然配達帰りに出くわした時の逆恨みで藤原さんをこんなヤクザな世界に引きずり込んだくせに」

 

「何だと!?」

 

「それともまさか、夜な夜な峠でおイタするのが合法だとでもお思いか、シド・ヴィシャス気取りのお坊ちゃん?ちなみに好き嫌いで言ったら俺はあんたみたいに実家が太い奴が大嫌いだね」

 

「俺の家は関係ないだろ!」

 

仁志は突っ込んだことを後悔した。まさかここまで延焼するとは思ってもみなかった。トレノの荷室の豆腐が腐らないか心配になる。啓介も流石に矛の納め方を思案していたらしい。仁志は話を続けろ、と目で啓介に合図する。啓介は咳払いを一つすると続ける。

 

「だからこそ余計にお前に負けてほしくねぇんだよ。わかんねぇかな、走り屋のこの微妙な心理が。俺が勝てなかった相手には他の奴に負けて欲しくねぇに決まってんだろ。お前を負かすのはレッドサンズの高橋兄弟しかいねぇってことさ。絶対負けんなよ、GT-Rに!!」

 

拓海は戸惑う。戸惑うと同時に不満を感じていた。GT-Rに対する興味は湧いてきていたものの、それはそれとしていきなり自分を走り屋ということにされ、走ることを強制されるのは納得いかない。

 

「俺はやらないって言ってんだろ。大体やる理由がないよ」

 

「理由...?何だそりゃ?走り屋同士がバトルするのに理由なんか要るかよ?」

 

「俺、別に走り屋じゃない」

 

それは嫌味で言ってるのか、と啓介は拓海を睨んだ。

 

「あれだけのテクニックを身につけるためには、よほどの走り込みをしてるはずだ。走り屋じゃねぇ奴が何で走り込みなんかするものか。よほど好きじゃなきゃ出来ねぇことだぜ」

 

ベトコンの見分け方みたいなこと言い出したな、と仁志は思う。逃げる奴はベトコンで、逃げない奴は訓練されたベトコンだ、というアレである。

 

「好きでやってるわけじゃない。家の手伝いで仕方なしに乗ってるだけだ。わかってないよ、あんた」

 

「わかってねぇのはお前の方だ。嫌々走ってあんな凄い技が身につくわけねぇだろ!」

 

コイツめんどくせぇ、と仁志は胸の内で呟く。そんなことも知らずに啓介の大演説は続く。

 

「世の中にクルマを走らせるほどワクワクすることはねぇと俺は思ってる」

 

(ソイツはお気の毒に。俺みたいな生みの親がクソだった奴ならまだしも、あんな太い実家で何不自由なく育ててもらってクルマ以外の楽しみがないなんて、親が聞いたら泣くぜ)

 

「走ることが嫌いな奴がドリフトなんかマスターするか!?好きな奴じゃなきゃ絶対身につかない技だぜあんなの!」

 

(まぁマスターすることもあるんじゃねえの?ここ群馬県だってそこそこ豪雪地帯だぜ?)

 

「お前、自分で気づいてねぇだけかもしれねぇけど、本心はクルマの運転が好きに決まってるんだ!」

 

(それはちょっとあるかもしれんな)

 

「これを機に自覚しといたほうがいいぜ!クルマを走らせることが好きならそれだけで十分走り屋なんだよ!!走り屋なら自分が走り込んで身につけた技術(テクニック)にプライドを持てよ!」

 

(いや、その理屈はおかしいだろ)

 

「挑戦されたら受けて立つのが走り屋のプライドってもんだ!」

 

藤原拓海は意外と頑固な奴かもしれんな、と仁志は気付いていた。ヒートアップする啓介に声を掛ける。

 

「それ以上、走り屋の論理を押し付けたら多分逆効果だぜ」

 

「お前ちょっと黙れ!」

 

「いや、俺、藤原拓海の性格ちょっと見えたワ。優男に見えて意外と頑固だぜ」

 

「だったら何なんだよ?」

 

「先々週の末にいきなりこの世界に巻き込まれた上に、自分でも納得いかないままそんな価値観押し付けられてみろ。反発してそれこそ今度の土曜日は国外逃亡するかもしれん」

 

「知るかよ!こういうスカした野郎が一番気に食わねぇ!」

 

「啓介さんとか言ったな。ちょっと耳貸せ、噛み千切るから」

 

「誰が貸すか、そんな奴に!」

 

「冗談だ。いいから貸せ」

 

「変な真似してみろ。顔がなくなるまで殴るぞ」

 

啓介は渋々、仁志に耳を寄せると、仁志は啓介に耳打ちする。

 

「多分、藤原さんも気付いていないかもしれんが、GT-R自体には興味がないわけじゃないと思う。藤原さんはただ今回の経緯が自分の知らん所で勝手に進められたのが気に食わないだけなんだと思う」

 

「走り屋の自覚がないのはどうなんだ?」

 

「そもそもあんたとやり合ったこと自体が野犬に咬まれたみたいなもんなんだ。カタギの高校生に反社の理論を押し付けるな」

 

「俺達が反社だと?」

 

「違うってのか?」

 

「くっ…」

 

「この一件は、スピードスターズ側でも藤原さんを説得しようと動いてるらしい。まぁ俺には関係ないがな。池谷さん達からしてみればここで想定外の動きをして拓海を意固地にさせるのはやめてほしいと思うんじゃないか?」

 

「…わかったよ」

 

啓介は仁志から離れると拓海に向かい合う。

 

「わざわざ会いに来てがっかりしたぜ!兄貴が言ってたGT-Rの弱点を教えてやろうと思ってたけど、やる気ない奴に何言っても無駄だ!それとそこの鬼瓦!次会ったら殺すからな!」

 

そのまま啓介はRX-7に乗り込むと、アクセルターンで向きを変え、飛び石を撒き散らしながら下って行った。

 

 残された拓海は納得がいかなかった。車の運転が嫌いではないことは薄々自覚していたものの、だからといってされた挑戦を全部受けるなどというルールは納得できなかった。ましてや、自分がいない所で勝手に話を進められるなど許せるはずもなく。好きを自覚し始めた車の運転も、こういった義務のようなものが伴えば大嫌いな豆腐の配達と同じだった。

 

「誰が鬼瓦だ…ったく。…藤原さん、行ったほうが良いんじゃねえの?豆腐が腐るぜ」

 

「鈴木、何でここに?」

 

「クルマが出来たんでな、シェイクダウンついでに、藤原さんが言ってた紙コップトレーニングをしてたとこさ。丁度良く目の前にお手本もいることだしな」

 

「『拓海』でいいよ」

 

「そうかい。じゃあ俺のことは好きなように呼んでくれ。よく『トシ』って呼ばれるけどな」

 

「じゃあトシ、やっぱり俺は受けなきゃいけないのかな?」

 

「好きなようにしろ。俺としては、これ以上こんなヤクザな世界に引きずり込まれるのはどうかと思うがな」

 

「そうだよな…。とりあえず配達行くよ」

 

「ついて行けるだけついてくけど、いいよな?」

 

「あぁ。でも難しいだろ?」

 

「もうビッショリだぜ…。慣らしだからエンジンもぶん回してないのにな」

 

二人はそれ以上何も言わず、それぞれの車に乗り込んだ。仁志は前を走る拓海に付いて行こうと頑張ってみたが、紙コップの水面を気にしている間にトレノのテールランプが見えなくなったため、そのまま料金所跡でUターンし、水が紙コップの高さの四割まで減り、もはや水面が見えなくなったのを見て溜息を吐いてから、もと来た道を下るのであった。

 

 

 翌朝、朝食を済ませ、書類と印鑑を持った鈴木政志・仁志親子はサニーに乗り込んだ。仁志がキャブレター車特有の『儀式』を行い、セルを捻る。何となく噎せるようにエンジンが掛かり、マフラーから一瞬黒煙が上がる。政志が言う。

 

「随分燃調(ガス)が濃かったようだな。確かに夏はセルを回す前にアクセルを踏む回数は少なくて良かったりするがな」

 

「確かにちょっと咳き込むみたいだったな」

 

「にしても濃かったようだな。まるでさっきまで動いていたように…な」

 

バレテーラ、と仁志は舌を出す。政志は少しニヤけている。政志はセンターコンソールに取り付けられたカップホルダーに気が付く。周りには雑巾で拭いたような跡があった。

 

(文太が拓海にやらせている紙コップだな。いい傾向だ。まず自分でやってみようっていうその姿勢がナ…。しばらく格闘してみろ)

 

 

 国道沿いのガソリンスタンドでは、早番の池谷と樹が立ち話をしている。樹は妙義ナイトキッズに事情を話して詫びを入れるつもりでいた。元はといえば樹が秋名スピードスターズの構成員を騙ったのがそもそもの原因で、本来スピードスターズは関係ないことだと、しょぼくれた様子で池谷に言う。池谷はもう一度拓海を説得出来ないか考えているようだが、拓海と幼馴染である樹が語るところによると、拓海は昔から他人に物事を強制されるのが嫌いらしく、これ以上の説得は逆効果になりかねなかった。

 

 ガソリンスタンドの主・立花祐一は池谷と樹の立ち話に聞き耳を立てる。樹が語る拓海の性格を聞き、その父親で旧知の仲である藤原文太にそっくりだとほくそ笑む。昔から文太の性格を逆手に取り、何度も(そそのか)しては様々な走り屋と戦わせてきた祐一には秘策があった。頑固で天邪鬼な相手を焚き付けるには、『あれをやれ、これをやれ』は逆効果になるのだ。

 

 何も知らない拓海は、今日は遅番であった。

 

 

 陸運局での登録を終え、サニーに正式なライセンスプレートが取り付けられた。後側のライセンスプレート、左側のボルトヘッドには新しい封緘(ふうかん)が取り付けられる。仁志はそれをしみじみと眺めた。

 

 帰る直前、政志が仁志に頼んだ。

 

「仁志、帰りは俺が運転していいか?」

 

「いいよ、名義はオヤジだしな」

 

「ありがとよ。もうひとつ頼む。汲んで来い。七分くらいで」

 

政志は仁志に紙コップを手渡す。仁志は便所に向かい、手洗い場で蛇口から水を汲むと、言われた通り七分くらいになるように少し水を捨てる。サニーに戻り、窓から紙コップを手渡す。

 

「ご苦労さん。溢したらごめんだけどな」

 

助手席に乗り込んだ仁志が、シートベルトを締めながら尋ねる。

 

「まさか、オヤジも出来るのか?」

 

「わからんが、少なくとも今のお前よりは上手くやれるはずだ。一滴も溢さず、というのは難しいがな」

 

「そこは嘘でも溢さないって言ってくれん?」

 

政志は慣れた手つきでエンジンを掛け、滑らかに発進させると、確かにコップに沿って水面を回すように陸運局の出口にサニーを導く。陸運局から歩道を渡って車道に降りる寸前、政志は仁志に紙コップに手で蓋をするように言う。

 

「流石にこの段差は無理だ」

 

車道に出てからは再び水面がコップに沿って円舞する。仁志は舌を巻いていた。

 

「オヤジ、出来てるじゃねぇか」

 

「まさか自分でもここまで出来るとは思わなかったよ」

 

「昔やってたわけじゃないんだろ?」

 

「言ったろ、モテたかったって(笑)」

 

「そうか、きっかけはそんなんでいいのか…」

 

「まぁ、文太のAE86(ハチロク)の面倒見るなら、走りへの理解も半端じゃ無理だろ?」

 

「やっぱり豆腐屋さんのためか…」

 

「チューナーは結局、自分の感覚に頼るところが大きい。運転が下手なままそれに合わせてセッティングしても、下手くそをさらに下手くそにするクルマしか作れないんだ。ましてや、走りを知り尽くしたプロの要求には応えられない」

 

「いいチューナーはいい乗り手であるべきってことか」

 

「そうだ。…しかし、先日池谷呼んで満タン入れてもらったにしちゃ随分減ってるな。お前、やっぱり昨夜乗ったな?」

 

「建前上、否認します」

 

「昨日の俺の真似かよ、生意気な(笑)」

 

「建前上、無許可だったからね」

 

「祐一のとこで入れてやるよ。俺も運転したしな」

 

「マジかよ、ありがてぇ」

 

国道沿いのガソリンスタンドに入るために歩道を渡る。政志は仁志にコップを塞がせるのを忘れていた。歩道の段差でチャッポンと水が跳ねる。

 

「あっ…」

 

「あっ…」

 

「すまない仁志、拭いといてくれ」

 

「いいよ、これから暫く俺もビシャビシャにするだろうし」

 

「気を良くするとすぐこうなっちゃうな(笑)」

 

給油ブースにクルマを入れると、深刻そうな顔をしていた池谷と樹がいらっしゃいませ、と言いながら駆け寄って来る。

 

「トシ、珍しいな」

 

「今日登録したばっかりだ。書類上はオヤジの」

 

「君が武内樹君か。うちの仁志が世話になってるよ。ハイオク満タン入れてくれ」

 

「はい只今」

 

政志は仁志にキーを預け、祐一のところへ向かう。樹が仁志に話しかける。

 

「随分古いクルマみたいだな。これなんてクルマだ?」

 

「日産のサニーだ。B110型」

 

「サニーか…どうしてもFFのファミリーカーのイメージあるけどな」

 

「まだFRだった頃のやつだ」

 

「すげぇいい音してたよな」

 

「当たり前だ。俺が組んだんだぜ」

 

「マジかよ、メカに強えんだな」

 

「工業高校行ってりゃ普通だ。蛮カラ工業ナメんな」

 

仁志と西田淳二が通う工業高校は、県内では札付きの蛮カラな高校としても知られていた。誰が呼んだか県内では『蛮カラ工業』、または略して『蛮工(バンコウ)』と呼ばれている。

 

 祐一と政志は拓海のことについて話していた。

 

「しかしまぁ、拓海もエラいもんに巻き込まれたよな、祐一」

 

「お調子者の樹がやってくれたものだってウチの若いのもボヤいてたよ」

 

「で、どうなると思う?」

 

「拓海はどうも文太譲りの頑固者だ。唆し方なら俺は多分知っているよ」

 

「お主も悪よのぉ」

 

「拓海はどこだ?」

 

「今日は遅番だからまだ来てないぞ」

 

「あ、そう。…文太がハチロク持って来そうな気がするから、そろそろ帰るとするか…」

 

「そうか。じゃ、また今度、ゆっくりと」

 

「おぅ。今度は文太も交えて、ナ」

 

 

 政志と仁志が整備工場兼自宅に戻ると、ちょうど電話が鳴っていた。政志が出て何事か話していた。仁志がサニーを住居部の裏に止め、裏口から整備工場に入ったタイミングで、先に降りていた政志が受話器を置く。仁志が尋ねる。

 

「何の電話だった?」

 

「あぁ、知り合いの中古車センターから、レビン探してる若いのがいるって話でな。そこにあるやつだとまだ支払いが厳しそうなんだと」

 

政志はその客があまり経済力がないこと、若い男であること、やたらFRのトヨタ・カローラレビンを探していることを仁志に伝える。

 

「マジかよ。俺なら追い返すけどな、そんな焦げ付きそうな客…」

 

「やたらとレビンが欲しいらしいんだよ。で、アテがないかって電話だった」

 

「…それ、俺がこないだまで私物化してたヤツでもいいんかな?」

 

「アレか?」

 

「そうそう。別にAE86(ハチロク)をくれとは言ってないんだろ、ソイツ?レビンにはやたら拘るけど」

 

「そうだな」

 

「ソイツ多分新しいAE92(キューニイ)とかAE101(ヒャクイチ)とかはまだ高いからE80(ハチマル)系探してるだけだと思う」

 

「そうかなぁ…」

 

「…てか、どうせ前橋辺りの駅弁大学にでも通うボンクラだろ、ソイツ?だったら別にAE85(ハチゴー)だろうがAE86(ハチロク)だろうが関係ないって。どうせ遊びに使うか、通学の下駄にするかだと思うぜ?たまに女連れ込んだりとか」

 

「…お前は大学生に親でも殺されたのか?」

 

「あんなん酒と煙草と麻雀覚えたチンパンジーと変わらんって。とにかくどうせそんな使い方しかしないんだからAE85(ハチゴー)でいいんだよ。格好も一緒なんだし。ソイツは大学でクルマを自慢出来る。俺達は小銭を稼げる。中古車センターは売り上げが出る。三方良しだぜ」

 

「そんなに言うなら任せていいか?…それと三方良しの意味はもう一度調べ直せ」

 

「知ってるよ。世間にとっては良くないだろうな。何かの間違いで奇跡的に免許取れたチンパンジーがワッパ握って路上に出るんだから(笑)」

 

「とりあえずお前が大学生嫌いなのはよくわかったよ…。客を陰で貶すのはやめろ。仕事にもそれが出るぞ」

 

 

 普段からメンテナンスを欠かさなかったため、カローラレビンの整備はほぼ必要なかったが、各部のオイルを交換し、溝がなくなっていたタイヤを手頃な中古タイヤに組み替えた。

 

「後はローダーに積んで持ってくか…あ、俺まだ中免ねぇや…。すまんオヤジ、持ってく時追走してきて」

 

「まぁそんなことだろうと思ったよ…。俺がローダー出すから安心しな」

 

「何から何までありがてぇ。午後に頼むよ。午前中でエアコンフィルター替えて車内掃除するから」

 

「…明日以降でいいか?文太が来た…」

 

言われて仁志は政志の視線の先を追う。乾いた排気音が近付いて来ていた。

 

 

 整備したカローラレビンを裏に回し、作業スペースを空けると同時に、見慣れた白と黒のツートンカラーのスプリンタートレノが入庫する。

 

「よう、政志。すまんが足回りのセッティングを弄ってくれ」

 

降りてきた文太が勝手知ったる顔で上がり框に腰を下ろし、煙草に火を点けながら政志に言った。凄えな遠慮なしかよ、と仁志は内心舌を巻いた。政志は尋ねる。

 

「次のステップに進むのか。どういうふうにしてやればいい?」

 

「ウチの拓海は並の走り屋以上の成長を遂げているはずだ。まぁ俺には負けるがな。それはさておき、どうも次はGT-Rとやるらしい」

 

「やはり、断れなかったか…。で、作戦は?」

 

「拓海の腕も次のステップに進んだ。その上で、GT-Rだ。出来るだけアクセルを早く、長く開けられるようにする」

 

「トラクションを増やす、か」

 

「大幅に、だ。今夜十時に秋名に持っていけるようにしてくれ」

 

「その件だが…今回は仁志にやらせてみようと思うんだ。文太がそれでいいなら、だがな」

 

言われて文太はガレージで仁志を見る。

 

「…俺もちょうど、仁志にやらせてみるかと思案していたところだ」

 

「そうか、ちょうどいい。仁志、仕事だ」

 

「合点承知!」

 

こうして、仁志が初めて秋名のハチロクに整備の手を付ける瞬間が訪れた。

 

「とはいえ、なにぶん初めてのクルマなので、現状を確認したい。というわけで…」

 

「リフトか?クルマ入れてやるから上げなよ」

 

「いえね、豆腐屋さん。走りを見たいので、まずは乗せてください。出来れば俺も運転してみないと、下回りを見ても実際どう動くのかまではわかりません。なんせ駆け出しなもんでね」

 

文太は暫し仁志を見る。仁志は肩をすくめてみせる。

 

「いい傾向だ。クルマは動かさなきゃわからんからな」

 

「仁志、運転するなら先にしろ。文太の横乗りの後じゃ使い物にならんかもしれんぞ」

 

 

 白いスプリンタートレノが秋名道路を登る。文太が助手席から声を掛ける。

 

「拓海から聞いたのか、紙コップのこと?」

 

「えぇ。まだ溢れまくりますけどね」

 

「まぁそう簡単には出来んだろう。だが意識しているのは横で乗っててもわかる」

 

仁志は、文太には一生掛かっても運転では敵わないような気がした。まさか助手席で運転を見るだけで自分が始めた練習法を見抜かれるとは予想していなかった。仁志は、せめてチューナーとしての腕は見せなければならないと、車の感覚に神経を集中する。

 

 伊香保秋名道路の料金所跡で方向転換し、下りに入る。仁志は一気にペースを上げ、かつて自殺志願者だった頃の走りをし始める。リアタイヤが金切り声を上げ、激しい振動が伝わる。下りの最初の左カーブを曲がり、反動で右に切り返すも、そこでもたついたまま無理矢理アクセルで曲がっていく。その先の直線でスピードを乗せると、そのまま次のカーブに突っ込むが、そこでリアタイヤが限界を超え、スピンして止まった。

 

「危ねえ…すみません、藤原さん。息子さんの運転は再現できそうもないや」

 

「ぶつけてたら半殺しにしてたとこだな。…それにお前、気付いているだろう?その走りは度胸がいる割に、そんなに速くもない」

 

「そうですね、こないだハチゴーで下った時のほうが速かったな…」

 

「そりゃそうだ。まるで死ぬつもりで突っ込んでいるようだが、裏を返せば全てのコーナーでとっ散らかってる。それじゃダメなんだよ」

 

「少し抑えます」

 

「抑えるんじゃなくて、下りでも紙コップの感覚を半分くらい意識してみろ。それでマシになるはずだ」

 

仁志は再び車を走らせる。タイヤの限界を大きく逸脱することはなく、先程よりもスムーズに下っていく。そして仁志は急速に、この車の状態を把握する。確かに荷重移動さえ正しく行うことで、カーブ入り口ではオーバーステアに持ち込みやすい特性があったが、敢えてそうしていたのかカーブから抜けた先で真っ直ぐ加速する態勢を作る瞬間にアクセルの踏み込みを躊躇させるような感覚があった。

 

(とはいえ、これから数時間で弄るとしたらプリロード、減衰力、スタビのどれかしかないな。突っ込む時の鋭さは消したくないから前を固めるのは今日のところは無しだな…)

 

仁志が秋名道路の入口まで戻り、考えたことを伝えると、文太は了承する。

 

「上出来だな。確かに今日は時間がない。弄るなら決め打ちでどれかひとつだ」

 

 

 国道沿いのガソリンスタンドでは、遅番の拓海が閉店作業を終わらせたところであった。祐一が、待合室のソファに掛けるように促す。拓海が腰を下ろすと祐一は、今夜GT-Rと競走するつもりならそれは絶対にやめておけ、と切り出す。

 

「店長、その話は…」

 

拓海が言いかける。祐一はどうせ樹が見栄を張って勝手に受けたのだろう、困ったものだ、と告げた。続けて、お前も友達の顔を立てるのも程々にしろと窘める。ここで祐一は、敢えて拓海が言いかけたタイミングでそれを遮るように言葉を発していた。祐一はなおも続ける。曰くせっかく高橋啓介を撃墜し名声を得たんだから大事にしろ、GT-Rには絶対に勝てないぞ、と。

 

 拓海の目の色が変わる。オヤジは紙一重の勝負になると言っていたのに。そう思いながら訊く。GT-Rはそんなに凄いのか?

 

 祐一は内心、しめしめとほくそ笑む。拓海を焚きつけるために、かつて頑固者で天邪鬼な文太を唆すために心得た三つのツボを押さえていた。まず、やれと言ってやらない相手には、やるなと言うこと。次に、やっても上手くいくわけがない、徒労に終わるぞと決めつけること。最後に、まるで本人のために善意で言っている風を装いつつ、敢えて押し付けがましい口調で言い聞かせること。頑固者をその気にさせるのはDoベースではなくDon'tベースの押し付けがましさなのである。池谷や健二、樹には出来ない技であった。

 

 祐一は拓海にGT-Rの凄さを語って聞かせる。後輪駆動と四輪駆動のいいとこ取りのような、安定してまっすぐ走るのによく曲がるドライブトレイン。主要部品をレースでそのまま使うことを想定したエンジンは周辺機器の小変更だけで大馬力を発生すること。ドライバーが下手くそならどうにかなるかもしれないが、妙義最速の使い手が乗っているなら勝ち目はない、と付け加えると、ちらりと拓海の様子をうかがう。案の定、拓海は静かに怒っていた。

 

 輝かしい戦歴だとか名声とやらに興味はない。そこまで無理だと言われるなら逆にやってみたい。樹の顔を立てることにも興味はない。やりたいからやるんだ。拓海はそれだけを言うと立ち上がり、帰っていく。立ち上がり際に祐一は、どうしてもやめない気かと、落胆したかのような顔で訊くが、内心はかつて文太を散々唆し、色々と無茶な勝負にけしかけた話術が息子の拓海にも効いたので大喜びである。

 

 こうして、池谷達が頭を抱える課題は祐一の悪知恵によりあっさりと解決した。もちろん、池谷達は知る由もない。

 

 

 何も知らずに(と拓海は思っている)説教する祐一に対する怒りのまま帰宅した拓海であったが、自宅一階の豆腐店のシャッターが閉まっていることに気付く。本日臨時休業と書いた張り紙が風に揺れていた。貧乏なんだから店くらい開けとけと独りごちる拓海だったが、母屋の隣、カーポートに車がないことに気付き、今日の対戦どうしよう、と途方に暮れるしかないのであった。

 

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