走り屋たちの外伝集   作:下戸摺り半

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バカ親父、ハチロク返せ!/GT-Rの弱点

 秋名スピードスターズの副将・健二の日産・180SXが、夜の闇に包まれた秋名道路を登る。運転席に健二、助手席に主将・池谷浩一郎、後部座席には今回の戦犯こと武内樹が収まり、早く謝りに行こうと話し合っていた。しかし、車窓の外に集まった多くの観衆の期待に満ちた顔が、今夜の対決に群馬県内全域から集められた注目は今日のこの時間になって今更あれは間違いだったで済む段階を過ぎていることを三人に実感させる。山頂側料金所跡、つまり下りのスタート地点まで数える程のカーブを残し、池谷は健二に停車を促す。池谷は、藤原拓海への再度の説得を提案する。

 

 観衆が割れんばかりの歓声を上げた。妙義ナイトキッズの車列が、今夜の挑戦者で主将の中里毅を先頭に現れる。不気味な迫力をばら撒きながら、その黒い車体は太々しく秋名道路を登って行く。後ろに従えた車列も含めると、さながら野武士の集団が狼藉を働きに来たようにも見えた。

 

 健二は気が進まない様子である。拓海の勝ち目が薄いように思えてならなかったからである。対照的に池谷は拓海が起こす奇跡を信じていた。拓海の凄さを知っている者はもう一人いるはずだと池谷が言うと、その『もう一人』こと赤城レッドサンズの高橋啓介が乗るRX-7の黄色い機影がドリフトしながら秋名道路を登って行った。その兄、高橋涼介のサバンナRX-7がドリフトしたまま並んで付いて行く。それを見て健二も、もはや引き返せないことを実感するしかなかった。

 

 樹は拓海に合わせる顔がないし、逆効果になるかもしれないと、現地に残ることを選んだ。約束の十時までに拓海が来なかったら、今回の元凶としてナイトキッズに詫びを入れに行くつもりである。池谷と健二は、必ず拓海を連れて戻ると言って樹を勇気付け、180SXで秋名道路を下った。

 

 

 少し時を巻き戻し、午後五時頃、鈴木仁志によるセッティングを受けたスプリンタートレノが鈴木政志の整備工場を出る。まず仁志が秋名道路を麓から一往復、続いて藤原文太が一往復する予定である。

 

 秋名道路、仁志は調整が思った通りの方向には進んだが、思ったほどの効果は得られていないことに気付いた。わざとセッティング前の現状把握で走った時と同じようにスピンさせてみると、アクセルを床まで踏んでみる。文太の注文は、その状態でもスピンの前兆に早く気付いてアクセルを踏めばスピンを阻止できるレベルのトラクションであった。ステアリングが逆に回るに任せ、アクセルを踏むと、車は何とか踏み留まった。数回繰り返してから麓の広場に車を入れる。文太が言う。

 

「まぁギリギリ合格…だな」

 

「俺としてはもう少し突き詰めたいんですが…次は藤原さんが乗ってみてください」

 

 文太は仁志の仕事を見定めるように秋名道路を登る。仁志は既に自身が思うよりも文太の運転が速いことに気付く。

 

(マジかよ…シェイクダウンのペースがこれかよ…!)

 

五連ヘアピンでは容赦なく溝落としを使いながら、あっという間に山頂側で方向を変える。仁志は、意外にも加速度と方向の変化が緩やかだったことに気付く。

 

(そうか、豆腐の配達を想定して登ってきたんだな…。豆腐って衝撃さえ与えなければこんなに速く運べるのか…)

 

「豆腐の配達にはこれで充分だ。…下りはどうかな?」

 

文太が言い、そのまま下り始める。これが、仁志にとっては本当の恐怖の始まりだったのである。文太はレッドライン寸前までアクセルを踏み込み、自殺志願者だった頃の仁志よりも体感にして数倍高い車速のまま最初の左カーブに突入すると、ロック寸前まで一気にブレーキを踏み込む。後輪から荷重が一気に抜け、ステアリングを拳ひとつ分左に押すと同時にヌルリと右側へ逃げ始める。文太はここでアクセルを床まで踏み込む。サスペンションをギシリと軋ませながら車体は後側に沈み込み、後輪は激しく空転しながらも車体を前へと押し出す。左から右へ、文太がステアリングを反対に押し込むと、白い車体はアクセル全開のまま反動で次の右カーブに向けて鋭く斬り込んだ。

 

(マジかよ、アンダーにしたはずなのに何でこんなにクイックに動くんだ…!?)

 

「まだ粗削りだが、時間がなかったにしては上出来だ…」

 

「それはどうも…!まだ時間あるし、ガレージ戻ってもっと詰めましょうか…!?」

 

「戻った後でお前さんが使い物になってればな…!」

 

「へっ!まだ余裕ですよ…!」

 

口では強がっているが、仁志は目を回す寸前である。文太には敵わないと言って政志がレーサーを引退した理由がわかったような気がしていた。仁志の意識を繋ぎ止めていたのは、文太からのフィードバックと車の状態を全て拾い上げ、この車を完璧に仕上げるという強い決意だけであった。

 

 

 すっかり日が暮れた頃、トレノの最終調整が終わる。文太と仁志の職人気質な性格上、60点程度の仕上がりで満足できるはずもなく、調整作業を挟んで秋名道路を二往復することになり、律儀にも横乗りでそれについて行った仁志はあと二回も恐怖体験をすることになった。仁志は、そこから得られたフィードバックを元にセッティングを仕上げる。

 

「これでGT-Rには対抗できるでしょう」

 

「ご苦労だったな。気を失わなかっただけでも上出来だ…。政志、いつも通り請求書を送ってくれ」

 

「以前のセッティングと比べるとアクセル全開で超が付く程のアンダーステアになります。くれぐれもお気を付けて。まぁ文太さんなら大丈夫でしょうけど、問題は拓海です」

 

「アイツは多分、自然に気付いて乗りこなすだろうよ。それに、運転ってやつは、ここがああだとかそこがどうでこうだとか言われて考えて操作するようじゃ遅いんだよな。ま、何はともあれ、今日はありがとうよ」

 

文太はそう言うと、政志と仁志の見送りを受け、整備工場を後にする。

 

(中々根性のある奴だったな…。整備バカと言うか何と言うか…。嫌いじゃないぜ、ああいう仕事熱心な奴は…)

 

政志の整備工場から国道に出て、国道をしばらく飛ばす。藤原とうふ店のある通りの交差点、文太は国道から曲がるために、アクセルを二回煽って回転数を合わせながらギアを落とした。

 

 

 文太が去った後、仁志の両膝がガクガクと震える。ひと仕事終えて張っていた気が緩み、合わせて三回の文太のダウンヒルが効いてきたところである。ガレージに戻り、上がり框にどうにか座り込むと、それを見ていた政志が声を掛ける。

 

「お前のその仕事に対する責任感には驚くばかりだ。俺なんか降りた直後にそうなってたのに」

 

「我慢してるっていう意識は特になかったんだけどな…気が抜けたら一気に来たワ(笑)」

 

「な?文太の横乗りはみんなそうなっちゃうんだよ(笑)」

 

「しばらく立てねぇワ、俺…」

 

仁志はどうやら、チューナーのような仕事をしている間は文太の横乗りのような衝撃にも耐えられるらしいと、政志は仮説を立てる。もし今、サニーに乗れと言ったら乗れるようになるのではないか、という閃きがあった。

 

「仁志。初めてあのハチロクをチューンしたわけだ。お前の初仕事、見届けに行ったらどうだ?」

 

言いながら試しにサニーのキーを渡してみる。仁志はそれを受け取ると、さっきまでの産まれたての子鹿のような足取りが嘘のように立ち上がる。

 

「いいのか?」

 

「あぁ。今夜だけは十二時(てっぺん)回っても構わん」

 

「サンキュー。行ってくる」

 

政志は仁志とサニーを見送りながら内心舌を巻く。本当に自分の車や仕事が絡むとしっかりするのだと、自分の仮説が当たったことに驚くのであった。

 

 

 文太が国道から側道に入るため、アクセルを二回吹かした頃、店先で池谷と健二の二人組と途方に暮れていた拓海がその音を聞きつけ、文太が帰ってくることを察知する。文太が国道から藤原とうふ店のある側道に入る時は、決まって四速から三速、二速にギアを落とすため、回転数合わせ(ブリッピング)が二回連続する。文太のスプリンタートレノは排気系統に手が入り、純正よりも音量が大きく通りがいいため、藤原家の店舗兼住居まで聞こえるのである。

 

「オヤジが帰ってきた…!」

 

 

 その頃、仁志は秋名道路を登っていた。藤原とうふ店を経由しようかとも思ったが、現在サニーは慣らし運転中で3,000rpmまでしか回せず、ペースが上がらないため、寄り道していたらレース中の二台とかち合う恐れがあったので、秋名に直行して先回りすることにしたのである。

 

 山頂までカーブをあとふたつ残したところに差し掛かった頃、ヘッドライトに照らされて見覚えのあるテクノカットの後頭部が見えた。仁志は車を止めると窓を巻き下げ、声を掛ける。

 

「武内さん、何やってんだ?危ねえぞ、そんな車道のド真ん中で」

 

「トシ…。お前も見に来たのか?たぶん拓海来ねぇけど…」

 

「おかしいな、今夜GT-Rとやるって言うから大急ぎでセッティング出したんだが…」

 

「そうなのか?」

 

「まぁとにかく乗れよ。上まで行くなら歩くよりは早いはずだ」

 

仁志は樹を拾うとそのままカーブをふたつ抜け、料金所跡の広場の一番山麓側に車を入れる。秋名湖寄りの端には見覚えのある黒いスカイラインGT-Rと、その取り巻きが見える。樹が口を開いた。

 

「池谷先輩と健二先輩と一緒に来たんだけど、やっぱりスピードスターズとは関係ないことだし、俺一人で謝りに行こうって降りたんだ…」

 

「へぇ…。で、パイセン二人は?何でいないんだ?」

 

「拓海をもう一回説得しに行ってる…」

 

「なるほど、十時に拓海が現れなかったらいよいよ武内さんが袋叩きに遭うわけか…」

 

「やめてくれよぉ…」

 

事情を説明する樹と、それを洒落にならない冗談で返す仁志。とりあえず車を降りることにし、辺りを見渡すと、近くに黄色いRX-7と白いサバンナRX-7が止まっている。傍らにいた黄色いRX-7の主が仁志を見つけてハッとした顔をする。仁志は見つかってしまったと言わんばかりの面倒くさそうな顔をすると仕方なく挨拶しに行く。

 

「よう、アカギレ軍団。殺されに来たぜ」

 

「出たな鬼瓦」

 

「武内さん、鬼瓦って呼ばれてるぜ、あんた…(笑)」

 

「そっちじゃねぇよ!お前だよ!」

 

「で?次会ったら殺すって言われて、早くも次が来ちまったんだがな」

 

「あの幽霊パンダが現れたら奴に免じて許してやるよ」

 

「あっそ。クソどうでもいいがな」

 

樹がここで仁志におろおろと声を掛ける。

 

「トシ…喧嘩腰なのはちょっとやめたほうが…」

 

「拓海が来れば俺はこのシド・ビシャスもどきを返り討ちにしなくて済むわけだ」

 

「返り討ちだと?んなことさせるかよ」

 

「てめえごときにされるがままになると思うな、三文安のボンクラが!…それより武内さん、あんたこそ拓海が来るように祈ったほうがいいんじゃないのか?ナイトキッズに詫び入れに行くのはあんたなんだろ?」

 

「…なるほど。大体読めたぜ」

 

「そういうことだ。コイツが今回の戦犯ってわけだ」

 

啓介に睨まれた樹が縮んでいく。仁志は傍らに立つ涼介の左手首を見やると、腕時計がついているのを見て尋ねる。

 

「今何時だ?」

 

「…丁度十時、だな」

 

「オーケー、武内さん。小指とお別れだな」

 

「極道みてぇなことを言うな!お前が言うと本物に見えるから!」

 

啓介がたまらず突っ込む。それを横目に樹はガードレールを跨ぎ越すと、トボトボとナイトキッズのいる方へと、斜めに道路を横切る。しかし途中で泣きながら座り込んでしまう。

 

「まだ女の子とエッチもしたことないのに死にたくないよぉ〜」

 

仁志と啓介が同時にずっこける。ずっこけてから睨み合う。

 

「かぶせるんじゃねぇよボンクラ!」

 

「うるせぇ鬼瓦!」

 

「ったく…。俺付いてこうかな…?」

 

「やめておけ。裏社会の人間を連れてきたと思われて遺恨が残る」

 

仁志がついポロっと呟いた一言に涼介が反応する。仁志は恨めしげに涼介を睨んだ。

 

「兄弟揃ってムカつく野郎共だ…」

 

仁志が絞り出すように呟くのと、来たぞという歓声が上がるのとは同時だった。樹を見ると、殺されると叫びながら震えている。その背中がハロゲン灯に照らされていた。

 

「嘘だろ!?俺がここ来てから五分も経ってねぇぞ!?」

 

いくら仁志のサニーが慣らし運転中で3,000rpmまでしか回せなかったとはいえ、先回りをした仁志に対してあまりにも早すぎる拓海の登場に、仁志は愕然とするしかなかった。

 

拓海は道路に座り込んでいた樹と何事か話した後、ナイトキッズの待つスタートラインにトレノを走らせて行った。

 

 

 「本当に来たな、ハチロク…。お前の言った通りだったじゃないか、啓介」

 

涼介が啓介に話しかける。啓介はどこか感動した様子でスタートラインを見ていた。涼介が問いかける。

 

「GT-Rの弱点をあのハチロクのドライバーに教えてやるんじゃなかったのか?」

 

「そのつもりだったけど、やめた。顔見たら急に憎たらしくなってきた。アイツは敵だ。…どうせ負けねぇよ、アイツは」

 

 

 その頃、秋名山の麓の渋川市内では、国道沿いのガソリンスタンドの店長・立花祐一と文太が電話で話していた。血相を変えてトレノを奪い取るように秋名山へ向かった拓海の様子に何事かと問う文太に、夕方拓海をけしかけた祐一は蛙の子は蛙だとすっとぼける。GT-Rにも弱点はあると、豆腐屋の文太と、秋名山の涼介はそれぞれが語っていた。文太と涼介と仁志で、GT-Rの弱点に対する理解は概ね同じであった。

 

 

 GT-Rの弱点は、車体重量の重さである。更に、BNR32型においてはそれに対するブレーキ容量の不足が追い打ちをかける。レース向けに戦車のように強化された鋼製モノコック、そのフロントセクションに設けられたエンジンベイには排気量2,568cc、直列六気筒・ツインカム・ツインターボの日産製RB26DETT型エンジンが収まる。耐久性を高めるため、シリンダーブロックは鋳鉄製で、この鋳鉄の塊が持つ大質量とそこから生み出される慣性力が、特に制動から旋回開始時の前輪に掛かる負担を大きくしていた。グループA規定のレースにおいては、トランスミッション及びディファレンシャルのケーシングをマグネシウム合金製に替え、車両規定(レギュレーション)の下限までの大幅な軽量化を施し、更に世界のレースで実績のあるアルコン製ブレーキを装備していたが、サーキットという、峠と比べても平坦な環境においてさえ、制動時の発熱によりブレーキ配管のシールが溶け、ブレーキ(フルード)に混入して故障させることがあった。加えて、GT-Rを速く走らせるコツは、真っ直ぐ強くブレーキを効かせ、前輪を押し潰す勢いでしっかり荷重を載せてから鋭くコーナー脱出方向に車体を向けて後はアクセルを踏み込むという、コーナリング前半でブレーキと前輪を激しく発熱・消耗させるものであった。

 

 中里毅のGT-Rにはマグ合金製の軽量部品やアルコン製ブレーキなど付いているはずもなく、車体重量もグループA仕様と比べて100kg近く重い。ゆえに、中里毅がレースにおけるGT-Rの乗り方を高いレベルで習得していることが逆に仇になる可能性があった。

 

 高橋涼介と藤原文太、ともに終盤戦でGT-Rのドライバーはタイヤとブレーキの熱害によりアンダーステアに悩まされるだろうという見解を語る。藤原拓海の勝機は、前輪周りの消耗により中里毅が失速するであろう秋名道路下りの終盤まで引き離されずについて行けるかどうかにかかっていた。

 

 祐一と電話で話す文太と、どうにか命拾いした樹に話しかけた仁志が、トレノのセッティングについて言及したのは同時だった。以前と比べてアクセルオンで強いアンダーステアが出る、と。祐一も樹も、違う場所で同じ反応を示す。拓海はドリフトを多用するスタイルなのにそんなセッティングしていいのか、と。文太は言う。上手いドライバーは姿勢が安定しやすいアンダーステアの方がアクセルを踏む時間が伸びてトータルで速い、と。仁志は、あの車には強烈なトラクションが掛かるからガンガン前に進むぞ、誰がセッティングしたと思ってるんだ、と太鼓判を押す。すると今度は祐一も樹も、拓海の心配をする。マシン特性が激変していて戸惑わないか、と。文太は言う。仁志にも言ったがこのマシンは今こうだから等と考えてから操作するのでは遅い、拓海ならすぐ気付いて乗りこなす、と。仁志は樹に文太が言っていたことを伝えた上で、あの親父さんがそう言うなら俺も拓海には何も言わないことにした、と言う。

 

 健二と池谷の乗る180SXも広場に到着した。取り仕切るナイトキッズの末端構成員からオールクリアが伝えられる。決戦の火蓋が切られようとしていた。

 




2026/05/03
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