走り屋たちの外伝集   作:下戸摺り半

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イツキのレビン登場!

 藤原拓海のスプリンタートレノと中里毅のGT-Rとの対戦(バトル)から数日後、国道沿いにある立花祐一のガソリンスタンドでは、客足の疎らな時間に池谷浩一郎と武内樹がその余韻に浸っていた。拓海が勝ったと聞いた時はヘラヘラと笑うことしか出来なかったと池谷が言うと、樹が自分もそうだと同意する。これで拓海に秋名道路の下りで挑もうとする者はいなくなるだろうと樹は考えるが、池谷は反対する。やはり赤城レッドサンズの高橋涼介が狙って来るだろうというのが池谷の予想であった。

 

 そして話題は拓海の話から自身の話に移る。地元最速を自称する秋名スピードスターズが不甲斐ない走りをしているわけにはいかないと池谷は意気込む。今はシルビアが修理中であるが、直ったら走り込んで腕を磨くのだと池谷が決意を語ると、自分もそのつもりだと樹が同調する。樹がまだ車を持っていないことを知る池谷は怪訝な顔をする。樹が勿体ぶったように口を開く。

 

「池谷先輩、実は俺…」

 

「何だよ…?」

 

何か嬉しいことでもあったのかと池谷が問う。

 

「くーっ」

 

樹はいつものポーズを取りながら奇声を発する。彼の正の感情が昂ぶった時のいつもの癖である。それ故に池谷はますます訝しむ。やっぱり言うのやめとこうと樹は更に勿体ぶる。

 

「明日になればわかりますよ」

 

それまで内緒にしておこう、と樹は怪しげな含み笑いを見せた。

 

 

 秋名湖畔では、わずかな時間の隙間を見つけた拓海が茂木なつきとデートをしていた。折角の夏休みにアルバイトばかりでつまらなくないかと茂木は問う。家にいてもすることがないし、アルバイトをすれば金を稼げるから苦ではないと拓海は答える。そんなに金策をして何か欲しいものでもあるのかと茂木が更に問いかけると拓海は言い渋る。減るもんじゃあるまいし、とどうしても聞きたがる茂木が拓海の袖を引っ張る。拓海は渋々答える。車が欲しい、と。車種は具体的に決めていないが、とにかく好きな時に乗れる自分だけの車が欲しいと拓海は語る。

 

 拓海君ならきっと買えるよ、と茂木は答えると、それまではトレノがあると続ける。小さくて元気に走るし、前照灯(お目々)が開くところが可愛いから好きだと微笑んだ。具体的な車種は決まっていないと言った拓海であったが、茂木の言う小さく俊敏で可愛い、そんな白い相棒のような車がいいと、漠然と思い始めていた。

 

 

 鈴木仁志はサニーのレストアで少なくなった預金残高と軽くなった財布に頭を抱えていた。養父・鈴木政志の工場を手伝って受け取る小遣い、そして立花祐一のガソリンスタンドのアルバイト代だけでは些か心許ない。慣らし運転だろうが全開走行だろうが、車が走れば燃料もタイヤも等しく消費する。慣らし運転を終えた段階での油脂類(オイル)の全交換も控えている。タイヤは政志の知り合いの解体屋から中古タイヤを仕入れることで出費を抑えているが、ガソリンとオイルに関しては新品を買っていた。オイルは新品以外の選択肢がないとして、ガソリンは解体屋の廃車のタンクから抜いて譲ってもらうことを本気で考え始める仁志である。そんな中で先日、下駄代わりにしていたカローラレビンを直して売りに行ったことを思い出す。

 

(安い中古車綺麗に直して、業オクに流すかな…)

 

先日持って行ったのはカローラレビンやスプリンタートレノの中でも最下位に位置するグレードであり、故に大した金にはならなかったが、もっと上位の車種を選び、何かしらの付加価値を付ければ何とか成立するような気がしていた。仁志の貧乏暇無しの日々が始まろうとしていた。

 

 

 夜、仁志は紙コップに水を張り、秋名道路を往復していた。一つ一つの操作を自暴自棄だった無免許時代とは真逆の繊細な操作に変えるだけで急速な上達が見られたものの、特に気の緩みからか登りにしても下りにしても最終盤での凡ミスで五往復に一、二回、水を溢していた。

 

(クソっ…!こんなことでは豆腐屋に勝てねぇ…!終盤で()(つまず)いた瞬間に抜かれて終わりだ…!)

 

ダッシュボードに滴る水をウエスで拭き取りながら、次の一本に向けて気を引き締め直す仁志はふと考える。

 

(そういえば藤原拓海も最初は水を溢してたって言ってたな…。溢した時って何か嫌なことでもあるんかな?)

 

そもそも何のために水を置くようになったのか考えると、ラゲッジに積んだ豆腐を四角いまま運ぶためだとすぐに思い出す。とばっちりをほんの数滴溢すだけなら、豆腐の種類によっては直ちに影響はないのだろうが。

 

(ホテルに卸す豆腐って木綿と絹、どっちだろう?絹だったらすぐ壊れるだろうな)

 

それも含めて明日訊いてみよう、と仁志は決めた。翌日は朝から祐一のガソリンスタンドのシフトが入っていた。

 

 

 翌日、朝から国道沿いのガソリンスタンドに出勤した仁志は、サニーを敷地の隅に置く。走行距離を稼ぐため、出来る限り乗り回すようにしていた。池谷と店長に挨拶し、同じタイミングで路線バスに乗って出勤してきた拓海とロッカールームでガソリンスタンドの制服に着替える。

 

「おはよう、拓海」

 

「おはよう、トシ…」

 

短い挨拶を交わし、それぞれ着替える。仁志は切り出す時機を窺う。結局、ロッカーの扉の裏に付いた鏡を見ながら蝶ネクタイを締め始める一番無難なタイミングで仁志は訊いた。

 

「そういえば、豆腐運ぶ時は例の紙コップ使うんだったよな?」

 

「うん。…もしかしてトシ、あれからずっとやってんのか?」

 

「あぁ。拓海でも溢したことがあるって言ってたよな?」

 

「始めて三年くらいはバシバシ溢してたよ」

 

「そうか、そんなこと言ってたな…。もしも、だ。まぁ多分今はそんなことないんだろうけど、だ。もしもあの水を溢したらどうなる?」

 

「ホテルには絹ごし豆腐を卸してて、木綿より壊れやすいから、すぐ傷になるんだ。その日のメニューにもよるけど、溢すような運転したらホテルからクレームが入って、オヤジからグーで殴られるよ」

 

「そうなのか…」

 

絶対に溢したくない理由があるってことか、と仁志は納得した。

 

(大変だな。俺なんか精々センターコンソールが濡れるだけだもんな。真水だから拭きゃいいだけだし…)

 

そもそも溢すことが持つ重みが違いすぎることに仁志は気付くのであった。

 

「ところで話変わるけどイツキは?」

 

「今日は昼から来るって」

 

「あ、そう」

 

 

 昼休み明け、樹が出勤すると、あっと声が上がる。へへっ、買っちゃった、と樹が抑えきれない喜びの声を漏らす。

 

「今日が納車だったんですよ〜」

 

樹が言うと池谷、拓海、そしていつものように暇を潰しに来た健二が一斉におおっとどよめく。

 

「凄え!綺麗なレビンじゃん!いくらしたんだ、これ!?結構高かったんじゃねぇか、イツキ!?」

 

昼食を食べて余った昼休みにキャブレターの調整をしていた仁志は、サニーのボンネットを閉めると、どよめきが聞こえるほうを振り返る。樹が、今日納車された愛車を皆に自慢していた。

 

 仁志は天を仰いだ。

 

(マジかよ…。『レビンを探している金ない若い男』ってお前だったのかよ…)

 

樹の新しい愛車に仁志は見覚えがあった。最近まで下駄代わりにしていたのと全く同じ個体の白いトヨタ・カローラレビンSR、通称・AE85(ハチゴー)レビンそのものだった。アイツ多分AE86(ハチロク)だと思って買ったんだろうな、と居た堪れない気分になる。

 

「それが結構良心的な店で、程度の割には結構安く買えたんですよぉ!」

 

(やっぱりだよ。そりゃAE86(ハチロク)にしちゃ安いだろうよ、AE85(ハチゴー)なんだから)

 

仁志が天を仰いだまま目を覆う。仁志の気も知らずに池谷達が興奮しているのが聞こえた。

 

「マジで結構いいんじゃねぇか?掘り出し物かもしれねぇぞ」

 

(そりゃ車体(ハコ)はしっかりしてるからツインカムなりロータリーなり載せりゃ大化けするだろうけど、その所有者(オーナー)は素寒貧だからなぁ)

 

「事故車じゃねぇだろうな?」

 

(そこは安心してくれ。事故なし、修復なし、錆なし、俺の手で整備もバッチリの上モノの車体(ハコ)だ。それしか取り柄がないけど…)

 

仁志が皆から少し離れて頭を抱えていると、拓海が驚きを隠せない様子で口を開く。

 

「びっくりした〜!本当に買っちゃったのか、イツキ」

 

「当然だろ拓海〜。これ以上、お前に差をつけさせるわけにはいかねえからなぁ!!下り最速のハチロクコンビを俺は目指すぜ!」

 

樹が高らかに宣言すると、拓海はその威勢のよさにただただ圧倒される。

 

「俺、嬉しくて嬉しくて、昨日の夜は寝れなかったんだヨ、実は。興奮して今夜も寝れないかもしれないヨ」

 

「わかるわかる、その気持ち。俺もS13納車される前の夜は寝れなかったよ」

 

「そうですよネ。なんたってマイカーだもんな、マイカー。こうしていても夢みたいだよ俺…」

 

感極まった様子の樹が目を潤ませ、震える声で言いながら愛おしげにルーフを撫でる。

 

(イツキ、お前の初めての車、俺のせいでとんだバッタモン掴ませちまった…)

 

仁志は樹とは全く違う理由で泣きたくなった。

 

「ノーマルのホイールに70のタイヤが泣かせる。ちょっとエンジンかけてみろよ、イツキ」

 

「いいですよ」

 

エヘヘと笑いながら樹はドアを開け、キーを捻る。セルモーターがメコメコと回り、一発でエンジンが目覚める。車の脇に立ったまま左足でアクセルを踏み込むと、詰まりかけの排水口から嫌々返事をするような排気音がゲロゲロと吐き出される。

 

(あぁ、この感じ久しぶりだなぁ。出来ればこんな形では二度と会いたくなかったけど…)

 

仁志は死んだような目を遠くへ泳がせる。ふと視線を感じてそちらを見やると、祐一と目が合う。祐一の目を見て言わんとしていることを察した仁志は首を小さく横に振る。

 

「何か冴えねえ音だな」

 

「マフラーノーマルだとこんなもんなのかな…?」

 

池谷と健二は想像していたのと違う至って実用的な、面白みのない音に首を傾げる。

 

「手始めにマフラーだけは変えねえとな〜!拓海んちのトレノみたいにいい音出して走りたいよ、早くぅ~ッ!」

 

アクセルを吹かせば音が出る。ただそれだけで舞い上がる樹に、仁志は胸を抉られる思いがした。そんな仁志をよそに、祐一が動く。

 

「嫌な予感がするな。ちょっとボンネット開けてみろ、イツキ」

 

「へっ?どうやるんですか?」

 

「イグニッションの下にレバーがあるだろ?」

 

樹は指先でイグニッションの下を探ると、指先に触れたバックルを引く。ポコンと音がして、ボンネットが一センチほど浮き上がる。

 

(やめてくれ店長。言わぬが花という言葉もあるだろ)

 

仁志の思いも虚しく、ボンネットが持ち上げられ、エンジンが白日の下に晒される。どう見てもツインカムではないタペットカバーと辛うじてEFI化されたインテーク。ヘッドブロック側面には『3A』と刷られた青いシールがデカデカと貼られている。祐一はすぐにボンネットを閉めると、樹に言う。

 

「やっぱりな。お前、間違えてるぞ、イツキ。このレビン、AE86(ハチロク)じゃない。AE85(ハチゴー)だ」

 

 

 E80系列のカローラとスプリンター。特にスポーツカーとして売られたカローラレビンとスプリンタートレノにおいては有名な話であるが、ツインカム・一気筒あたり四バルブの4A-GEU型を搭載した花形グレードの下に、低回転型のシングルカム、実用エンジンである3A-U型を搭載したSRと呼ばれる廉価グレードが存在していた。どうしても実績が欲しいセールスマンがどうしようもなく金のない客に対して勧める最終兵器、カーアクション撮影時の破壊用車両など、必ずしも高価なツインカム搭載車である必要がない場合にのみ売られるグレードであったのであろう。あくまで実用エンジンのため、滅多に壊れないかわりに吹け上がりが重苦しく、パワーも絞り出されないという特性が、スポーティな走りにおいては明らかに邪魔をしている、そういう車であった。

 

 

 祐一から軽量スポーツカー(ポニー)の見た目をした実用車(ロバ)の話を聞いた樹は膝から崩れ落ちる。

 

「知らなかったァ…。そういえば俺…レビンということだけにこだわって、ハチロクって言うの忘れてた…」

 

樹の納車を祝う雰囲気が一瞬でお通夜のそれに変わったように思えた。すると静寂を破るように池谷と健二が堪らず笑い始める。

 

「すまん、イツキ…クククッ」

 

「笑っちゃ悪いと思ってんだけど堪えきれなくて…」

 

「よりによってハチゴーなんか見つけて来んなよ〜!アハハハ」

 

「そうだよな、今どきハチゴーなんか探そうと思ったって中々ないぞ〜!…腹痛え...!希少価値だ!」

 

仁志は池谷と健二の態度が何故か気に入らなかった。そのままつかつかと早足で皆のいる方へ歩み寄る。するといつの間にか仁志の背後にいた拓海が仁志を羽交い締めにした。

 

「…ッ!離せ!」

 

「トシ、落ち着け。目が据わってる」

 

「離せって言ってんだろ!…力強えなオイ…」

 

仁志が意外と強い拓海の羽交い締めから逃れようとしていると、池谷と健二に散々笑われ、目に涙を浮かべて黙っていた樹が、ガソリンスタンド前の歩道をそのまま駆け出して行った。

 

「イツキ、待てよ!」

 

「…拓海。あんたじゃなきゃ無理だ」

 

拓海はいつでも仁志を抑えられる位置に身を置きながら、仁志を羽交い締めから解く。仁志は拓海を横目で見る。樹を追いかける寸前、拓海が池谷と健二を睨みつけるのが見えた。

 

(怖っ…。半ギレだよ…)

 

仁志は拓海の目つきを横から見て一気に冷静さを取り戻す。拓海はそのまま樹を追いかけて行った。

 

「なぁ池谷さん、健二さん。車に詳しかったり、走り屋が好きそうなそこそこ性能のいいクルマを乗り回してたりしたらそんなに偉いんですか?あんたらがシルビアや180SX(ワンエイティ)のターボモデルを乗り回せてるのだって偶然、運よく、手が届く値段で売ってたからってだけでしょう?特に池谷さんは何かっちゃ平成三年式の2L(リッター)モデルと比べられる前期型の1.8L(テンパチ)仕様だから気持ちは半分くらいわかるはずだ」

 

すっかり冷静さを取り戻した仁志が池谷と健二を問い質す。

 

「お前達、笑い過ぎだ。イツキの身にもなってみろ」

 

祐一が池谷と健二を叱る。仁志がそこで先程見た拓海の様子を伝える。

 

「危うく暴力事件起こしかけましたよ、俺。多分拓海の方が怒ってたから逆に落ち着いちまいましたけどね。…凄え睨まれたでしょ?」

 

「確かに…」

 

「まぁ後引くタイプじゃないと思うんで大丈夫だとは思いますけどね。怒らせたら相当怖いと思いましたよ、拓海は」

 

拓海をキレさせたら二本足で帰れないかもな、と仁志は恐怖する。同時に、今の樹を立ち直らせられるのも拓海しかいないと確信していた。

 

(拓海、イツキ、すまない。俺の不始末でイツキにとんでもないもんをつかませちまった。本当は俺がフォローできればよかったんだが…。それは拓海にしか出来ない。丸投げみたいですまない。許せ、拓海…)

 

仁志は胸の内で密かに、拓海と樹に詫びるしかできなかった。

 

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