高橋涼介が遂に『秋名のハチロク』藤原拓海に挑む…。拓海に負け、その走りに魅了された二人の走り屋、割り切れぬ想いを抱えた赤城レッドサンズの高橋啓介と拓海との再会を願う妙義ナイトキッズの中里毅は秋名道路で突発的な野良試合を繰り広げる。
その後、偶然居合わせたチューナー志望の鈴木仁志とも言葉を交わすが、期せずして啓介が仁志のションベン爆弾に自ら被弾するのであった。
こんな酷いあらすじがあってたまるかってんだ…。
中里毅、鈴木仁志との遭遇の後、高橋啓介は秋名道路を下って走り去っていった。見送りながら鈴木仁志は門限を思い出す。今から練習を兼ねていい感じに飛ばせば間に合う時間である。エンジンを掛けた仁志に、中里毅が声を掛ける。
「今から下ると高橋弟に鉢合わせるぞ。気まずくなければいいがな」
「わざわざどうも。だけど
毅はそれを聞いてほくそ笑む。
「違いねぇや」
仁志はサニーに鞭を入れ、秋名道路を下る。下り一つ目のカーブを抜けてルームミラーを見ると案の定、黒いスカイラインGT-Rが背後に張り付いていた。中里毅はGT-Rの運転席でニヤリと笑う。
(お前こそ、
仁志は予想通り毅が追いかけてきたのを確認し、臨戦態勢に入る。
(やっぱりな、丁度いい。今度は事故らねぇでくれよ)
早い時間帯には遅い車が集まる。仁志は普段、最後の下り一本で途中遭遇する車には手当たり次第に勝負を仕掛けているが、対戦相手としては物足りなさを感じる今日この頃である。今日は県内トップ級の走り屋が二人も現れ、ラッキーだとすら思っていた。右へ左へ、軽い車体を剃刀のように躍らせながら、背後の毅を振り切りにかかる。途中遭遇する走り屋を、やる気のない者はそのままやり過ごし、やる気を見せる者はそのまま蹴散らしながら、二台の大小黒い機影が秋名道路を斬り裂いていく。
二人乗りの走り屋が、秋名道路を流していた。すると背後から甲高い乾いた排気音と、野太いが粒の揃った直列六気筒の排気音が迫る。
「煽ってきてねぇか?」
「どうやら対戦中らしいな。適当に先行ってもらおう…」
左に寄り、左ウィンカーを出してアクセルを抜くと、後から来た二台がそのまま通過していく。
「どっちも黒だな…」
「後ろはスカイラインだ。さっき来たナイトキッズの中里だろう…?前にいたのは…?」
「だいぶ古い車だったな…」
「おいまさか…最近話題の…!?」
二人は一瞬、顔を見合わせる。
「『山賊』…!?」
仁志は前方にハイビームに照らされて浮かび上がる黄色い機影を見つける。特徴的な大型ウィングスポイラーが付いているので、間違いなく先に出て行った高橋啓介だと気付く。ややペースを落として巡航している様子だったので、ハザードを焚いて背後の毅に合図し、啓介の背後についてからライトを点滅させる。一回だけハザードランプが点滅したことを確認し、ハザードを切ると、前方の黄色い機影がダッシュするのに合わせ、アクセルを踏み込む。
(乗って来やがったな。そう来なくちゃつまらねぇや)
ルームミラーを見ると、毅も出遅れることなくついて来ている様子だ。前方の啓介が、最大出力の差で仁志を引き離しにかかろうとしているのを察した仁志は、アクセル全開のままサニーを左に寄せる。毅は仁志の意図を察し、そのままサニーを抜くと啓介を猛追する。
(さて、勾配の緩い区間は好きなようにやってくれ…だが気を抜いたら二台とも食っちまうぜ!)
前方では実力も車両性能も伯仲した二台が激しく競り合う。仁志はそれを睨みつけながら猛追する。その中で、仁志はとある気付きを得ていた。
(譲ってから離されるかと思ったが…離されない…?そうか、前が後ろをブロックしたりして競り合うと二台とも遅くなるんだ…)
単独で走行する場合、理想的な走行ライン(レコードライン)はアウト・イン・アウトであると言われる。カーブを抜けた先の次のカーブまでの距離や方向によってはアウト・イン・インやスローイン・ファストアウトなどと変化するが、基本的に外側いっぱいから出来る限り曲率を緩くして走る形になる。しかし、追手がいる場合、レコードライン通りに走らせるとガラ空きになった内側に飛び込まれ、そのままインコースに付けずに前に出られる恐れがある。そこで、追手がいる場合はレコードラインから車幅の半分ないしは一台分内側から旋回体勢に入ることで、飛び込まれる隙間を塞ぐことになるが、当然、曲率がきつくなることで旋回速度は落ちる。
更に、内側を極端に塞ぎ過ぎると今度は外側から仕掛けられるため、常に三枚のミラーや窓の外を直接見てその時の位置取りを判断する必要があり、これも前だけ気にしていればいい単独走行と比べてペースを落とす原因となる。中里毅が藤原拓海と対戦した時、五連ヘアピンで『溝落とし』を警戒して極端に内側を塞いだ結果、曲率が厳しくなったことで旋回速度を落とし、タイヤに掛かる負担を増やしたばかりでなく、拓海に外側からプレッシャーを掛けられることになったことからもわかる。
逆に、追手側からすると、まずブレーキを自分の単独走行と同じタイミングで掛け始めると、同じく単独走行と同じタイミングで掛け始めた先行車に追突して両者共倒れとなるため、一台分早くブレーキを掛けることになる。更に、内側に隙間を見つけて飛び込んでも、外側に相手がいるため、相手が外側で粘ると内側のきつい曲率のままカーブを通過する必要があり、その間はアクセルを踏み込めなくなるばかりか、やはりきつい曲率のままの旋回を強いられ、タイヤに負担が掛かる。
逆に外側に隙があって飛び込んだ場合、内側には常に相手がいるため、曲率こそ最も緩いものの、外側キープの最も遠回りな軌道での旋回を強いられる。さらに、モータースポーツにおいてはカーブへの進入までに相手よりも前に出ない限りはあくまで先行車側にコースの優先権があるため、そのまま外側に押し出されても文句は言えないばかりか、ブレーキングで並びきって優先権を消失させた場合であっても、追手には車一台分のスペースを残せばいいので、加速する時にはここぞとばかりにプレッシャーを掛けられる。ましてや、モータースポーツのルールが通用しない公道での非合法レースである。先行車側のドライバーの性格によっては、相手がどこにいようと、たとえアウトコースの外側が奈落の底であろうとも、構わず押し出しに掛かる場合も考えられる。
つまり、接近して互いに先を争う複数台の車がいる場合、互いに足を引っ張り合い、蹴落とし合うため、単独走行と比較して速度が落ちるのはある意味では当然と言えた。このことに仁志は図らずも気付いたのである。仁志は前を走る二台のタイヤとブレーキの消耗を更に早めるため、背後からプレッシャーを掛ける。
(普通に考えたら…車体の重い中里のほうが分が悪いな…)
奥で曲率が変わる左の複合カーブを通過し、ここから勾配がきつくなる。ここで地元の走り屋の車を一台、三人で固まって追い抜く。対決中の雰囲気を察したか、食い下がる気はないようで、そのまま左に寄せて減速している。それは仁志にとっては見覚えのある、白いカローラレビンであった。
(あれ、イツキじゃねぇか…)
抜き去り際、仁志は一回だけハザードランプを点滅させる。これでついて来るかな、と仁志は考えるが、どうやらついてくる気はないらしい。まあいいや、と仁志はそのまま次のカーブに突入する。リジッドアクスルと板バネの後輪サスペンションの特性により、跳ねるような動きを見せながら、最小限のドリフトで前を走るRX-7とGT-Rを猛追する。
カローラレビンのステアリングを握る武内樹は、突然背後から迫るプレッシャーに慌てて車体を左に寄せる。右側を抜いていく黄色いRX-7と黒いスカイラインGT-Rの機影が、ヘッドライトに浮かび上がる。先程、登っていくのを目撃した高橋啓介と中里毅の登場に驚きの声を上げていると、その更に後ろに見慣れた黒いサニークーペが張り付いていたので、感嘆の声を上げる。
「ウェエ!?トシ!?アイツ高橋弟とナイトキッズ中里についてってるよ〜!」
仁志のサニーがハザードランプを一回だけ点滅させると、助手席の藤原拓海が言う。
「ハザード…?ついて来いって言ってるのかな…?」
「トシが?…いや、無理だよ…」
RX-7とGT-Rがカーブの向こうに消える。続いてサニーが縦に激しく跳ねながら、鬼気迫る勢いでカーブに消える。
「怖っ…!!見たかよ拓海ぃ!トシのやつ、いつ吹っ飛ぶかわからねぇぜ!」
「…多分、あの車ってああいう動きになるんだと思う。ウチのトレノもそういうとこあるから…」
拓海は左手でドアトリムに頬杖を突いたまま、仁志の走り去っていったカーブをじっと見つめる。
「アイツ、今だいぶ上手いぜ…それこそ今夜、前の二台に勝つかもしれない」
「そんなわけ…だってアイツ、運転歴は俺と変わんないはずだぜ?」
「いや、何ていうんだろ…練習の密度とやる気が半端ないんだよ、アイツ…」
ところで、何故この二人が秋名山に登っていたかというと、高橋涼介との対決を前にして拓海の様子がおかしいと感じていた樹が、原因を突き止めるために連れ出したからである。ドライブをしながら運転席と助手席で話すことは、意外にも深い話をするのに役立つことがあるのである。健二からの前情報で、拓海が女連れで秋名湖に来ていたらしく、そこで接吻まで交わしていたと聞いていた樹は、女ボケでおかしくなっているのだろうと目星をつけていた。道中、拓海から接吻の顛末を聞いた樹が危うく脇見運転の上にステアリングを切り損ねかけ、危ないからそこの空き地に停めろと拓海が路肩に誘導したのであった。
樹のレビンを駐めた空き地で、ゆっくりと登っていく仁志のサニーと、二台で競りながら登っていくRX-7とGT-Rを見送った拓海は、車は外から見るとあんなに速いのかと驚いていた。樹が、拓海はあの二人に勝ってるんだぞと言えば、拓海はそれは秋名道路でやったからだ、あの二人はどこに行っても速いんだと返す。それは女ボケした思春期男子のする反応ではなかった。
時を戻して、秋名道路を下る仁志は仕掛けるポイントを五連ヘアピンカーブのうちの四つ目と五つ目のカーブに絞る。的を絞ったことでプレッシャーの掛け方が少し落ち着いたものに変化する。すぐ前を走る毅はすぐに察知した。
(あのガキ、何する気だ?…攻め方が変わって手の内に何かがあるってのがバレちまう辺り、まだそこまで勝負慣れはしてないらしいな…)
ピーキーなRX-7をブレーキングドリフトで手懐けながら先頭を行く啓介、対照的にどっしりと安定したGT-Rを信じ、オンザレールで追う毅、そしてオンザレール寄りのドリフトで
仁志の脳裏にもそれは甦ったが、自分も使えるという点で仁志は前を走る二人とは違っていた。仁志はわざと、アウト・イン・アウトの教科書通りの走行軌跡で、前の二台にプレッシャーだけをかけながら、ここでは仕掛けずに我慢するような素振りを見せる。
(お二人さんはどうせ溝落としのことは嫌ってほど知ってるはずだ…ほら、俺がそれを使うかどうか分からなければ無意識に警戒するだろ?)
二つ目、すぐ目の前のGT-Rの動きが変わる。
(そうだよ、中里。俺は溝落としは使わねぇよ…今はな)
あと一人、釣れてくれねぇかな。仁志はGT-Rの向こうでヘッドライトに照らされたRX-7の様子を窺う。四つ目ではもう仕掛けるしかない。仁志は腹を括って三つ目のヘアピンを抜ける。四つ目のヘアピン、アウトコースに構えた前の二台を見て好機到来を悟る。
(どうやら間抜けは見つかったようだな!)
仁志は前を走る二台に続き、四つ目のヘアピンに突入すると、内側の側溝を使ってカーブの脱出速度を上げる。そのまま走行軌跡を前二台と交差し、五つ目のヘアピン入り口でGT-Rを抜き、RX-7に並ぶと、再び溝落としを繰り出し、RX-7すらも抜いてみせる。
(まさか溝落としが豆腐屋の専売特許だと思っていたのか?)
五連ヘアピンを抜け、しばらく仁志の独壇場は続いた。細かい縦揺れを繰り返しながら、いつ破綻するかわからない緊張感でドリフトする黒いサニーの機影を、啓介と毅にこれでもかと見せつけながら、700kg台の軽量車体を活かして、急勾配区間では現代の高性能車二台を一歩も寄せつけない。啓介と毅は仁志の狂気じみた走りと、意外な勝負勘に舌を巻く。
(あの時の
(アイツ…五連ヘアピンの最初の三つは側溝を使わないフリしてやがったとは…何かしてくるとは思ったが、すっかり騙されちまった…!!)
ここから順番の入れ替えはなく、かといって仁志が啓介と毅を振り切るでもなく、そのまま山麓側の駐車場まで三台で固まったまま走り切る。麓で三台の車が止まり、車を降りた啓介が仁志に先に言葉を掛ける。
「この前、原チャリでここを走ってるのを見たときから、お前は速いと思ってたぜ。…だがこれで俺に勝ったとは思わねえことだ!」
「…負けたとは思わねぇが、勝ったとも思わねぇよ。結果はそれぞれでわかっときゃいいだろ?なぁ、中里さん?」
元々、仁志が誰彼構わず仕掛けていた野良試合スタイルでの対戦は、良くも悪くも明確な勝敗が付きにくい。仁志はそれでもいいと考えていた。仁志にとっては勝敗など互いの中でわかっていればわざわざ公表する必要などないのである。
「…そうだな。決着は次に預けとくぜ!」
毅も同意する。毅はその辺りの機微は心得ており、この先何度も仁志とやり合うことになるであろうことも理解し、受け入れていた。
「俺は夏休み終わるまでは門限があるから、大体この時間にはここに来てる。こっちがやる気ある時に絡んで来てくれりゃ、いつでも受けて立つぜ」
仁志は啓介と毅に告げた。暫くの沈黙の後、ただし、と付け加える。
「秋名には気を付けて登って来た方がいいぜ。最近、車に乗った山賊が出るらしい」
それは多分、お前のことじゃねぇかなぁ…。啓介と毅はそう思ったとか、思わなかったとか。