走り屋たちの外伝集   作:下戸摺り半

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前回までのあらすじ

 客の車の試運転で秋名道路を下る仁志の前に突然現れたトヨタ・スプリンタートレノ。仁志を抜き去り、消えていくその機影に仁志は茫然とするしかなかったのである。


豆腐屋ハチロク(前編)

 鈴木政志の整備工場に、状態確認を終えたスカイラインが戻ってきた。エンジンを止め、仁志が降りると、政志が声をかける。

 

「どうだった?」

「ショックがヘタってる。動きが落ち着かないのは減衰力が落ちてるンだワ」

「そうか、四方(しかた)先生にはそう報告してみよう」

「ゆっくり安全運転する分には普通気付かないレベルだったけど、あの爺さん気付いたんだな」

「そうだな。それくらい鋭い勘を持ってるとなると、まず交換したがるだろうな」

「俺もそう思う。しかし何で気付いたのかな?勘が鋭いんじゃなくて、やってるんじゃないかと思ったけど」

「まさか。昔はジャパンに乗ってブイブイ言わせていたんだがね」

「ジャパン?」

「昔のスカイラインだ。ケンメリの後の、初めてターボが付いたやつ」

「へぇ。でも高かったんじゃないのか?」

「そこはほら、開業していろんな意味でブイブイ言わせてたから」

「そうなのか…。とりあえず朝飯準備するよ。腹減った」

 

 仁志は手を洗うと、慣れた手つきで人参と大根を切り、味噌汁を作る。同時進行で卵を焼く。ちなみにこの人参と大根と卵は、軽トラックの整備を頼みに来た農家の客から整備料の一部として受け取ったものである。政志に引き取られた頃は皮と骨ばかりに痩せ、背丈も同級生より頭一つ低かった仁志は、その頃からこれらの貰い物を食べ、一気に180センチメートルまで背丈を伸ばした。お陰で、まともな家庭に生まれ育ったら二メートル超えていたな、等といじられることが多い。

 

「朝飯できたよ。一昨日貰った猪の丸焼きの残りもチンしたら出せるけどどうする?」

「俺は朝からは食えんな。お前の分だけでいいぞ。」

「あいよ」

 

こうしていつもの土曜日の朝食が始まる。仁志はふと、今朝見た車のことを話す。

 

「そういえば、今朝秋名の下りで妙なクルマ見かけたんだ」

「どんなクルマだ?」

「見た目は普通の三枚のハチロクだったんだけど、四方先生のスカイラインで下る俺にあっという間に追いついてきて、五連ヘアピンの三つ目で内側からブチ抜かれたんだよ」

「ほう…」

「普通、走行ラインってやつはさ、近道のインコースが一番キツくて、遠回りのアウトコースが一番緩いわけだろ?」

 

と、仁志はテーブルに置いてあったノートのページをめくる。このノートは仁志が思いついたことや日々のメモ書きをするための雑記帳である。仁志は白いページに一般的なUターンのカーブをボールペンで描き、内側の輪郭と外側の輪郭をなぞってみせる。

 

「クルマのスピードとタイヤの摩擦では必ずしもインコースに張り付いたまま走っても速いとは限らないけど、かといってカーブが緩くてスピードが乗るアウトコースいっぱいに張り付くと今度は遠回りになって時間が掛かるだろ?」

「そうだな」

「だから結果としてアウトコースと同じ曲率でカーブの真ん中辺りで内側を掠めるアウト・イン・アウトが一番速くなるんだよね?」

 

仁志は外側の輪郭と大体同じくらいの半円を、内側の輪郭に接するように描き加える。

 

「理論上はそうなるな」

「ところが昨日見たハチロク、インコースに張り付いたまま爆速でヘアピンを曲がってそのまま先に行っちゃったんだよ。何が起きたのかさっぱりでさ」

 

仁志は今まで描いていたポンチ絵の横にハテナマークを書いた。

 

「もしかしてそれは白と黒のツートンカラーのトレノじゃなかったか?」

「よくわかったな、オヤジ」

「それは昨日、リフトに上がっていたハチロクだよ」

「え、それってあのオヤジのマブダチの豆腐屋さん?」

「そうだ。あのクルマで毎朝、秋名湖畔のホテルに豆腐を配達していてな、配達帰りの下りはそれはそれは速いんだ」

「あの無愛想なオッサンが?何者なんだ、あの人?」

「元は俺と組んでラリーにダートラ、草レースなんぞをやっていてな。俺はメカニック、文太がドライバーで、ラリーの時はコドラを探してきたり、その時引っかからなけりゃ俺が渋々乗ったりしてたっけ」

「渋々って…。嫌だったのかよ」

「そりゃアイツの走りはとびっきりクレイジーなんだぞ。下手にモータースポーツの心得があったら死ぬほど怖くてな。今までコドラで横に乗ったヤツはみんな目を回してたくらいだ」

「そうなのか…。じゃあ、あのインベタの四次元殺法みたいな走りもその豆腐屋さんの裏技のひとつだったりするのか?」

「文太曰く、排水用の斜めになったとこに内側のタイヤを落とすらしい」

「マジかよ、あれって普通に出来るもんなのか…」

「やったことあるのか?」

「まだ死にたがってた頃にやってみたら抜ける時に反対側に吹っ飛ばされてマジで死にかけてさ。それ以来何回もやってたら、生存本能か何かで常にギリギリ助かるようになっちゃって」

「マジかよ…。きっかけが物凄く不健全だが、まさか使いこなすとは…」

「使いこなせてはないよ。今は自殺願望ないから絶対やりたくないよ、あんなイカれた技は。生き急いでもないのにそんな技を繰り出せる豆腐屋さんが凄過ぎるんだよ。しかしそこまでいくとオヤジ以外にまともにナビできる人いないんじゃないの?」

「どっこい、それが、唯一目を回さなかったやつがいてな。文太のラリー仲間のコドラだった栗原って奴だよ。今は毎週テレビで見る」

「マジ?あの自動車評論家の?豆腐屋さんもオヤジも何者なんだ?」

「今はただの豆腐屋とポンコツ工場のオヤジだよ」

 

 時は変わって正午。午前中、四方内科に電話してゴーサインを貰い、スカイラインセダンのショックアブソーバーを交換する手筈を整え、政志と仁志は昼餉を済ませた。

 

「今日は他に仕事もないし、自由に過ごせ」

「わかったよ、オヤジ。シャーと遊ぶよ」

「出掛けるのか。丁度いい。パーツの注文書を郵便で出してきてくれ。追跡付きでな」

「あいよ」

 

仁志はヘルメットを被り、ガレージの片隅に置いてあるホンダ・ドリーム50に跨る。このドリーム50は仁志が中学二年の頃に無免で乗り始めたもので、仁志の破滅願望に何度も付き合わされてきたため、今でもその傷跡が残り、さながら歴戦の勇士のような佇まいを見せていた。ケッチンを食らわないように祈りながらキックスターターを踏むと、咽るような始動音の後、2ストローク機関特有の乾いた排気音が響く。仁志はスロットルを捻り、国道へと向かった。

 

 その頃、政志は一人、セブンスターを銜え、火をつける。煙を吐き出すと、同じように昼休みで暇であろう文太に電話を掛けた。

 




 常連の豆腐屋の親父とスプリンタートレノの意外な正体が明かされる。身の破滅を願う以外の溝落としが存在することに驚く仁志であった。
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