進化したら人外系お姉さんになる雑魚モンスの俺、飼い主♀の性癖を破壊する 作:霧夢龍人
三十四回。
リリアと戦っている最中に、「あ、これ死ぬ」と思った回数だ。何を冷静に死にそうになった回数を数えてるんだ、と思うかもしれないが、逆である。むしろそうでもして冷静にならないと、理不尽な攻撃を捌ききれないのだ。
見えない衝撃波に、物量攻撃の癖してダメージを与えてくる打撃。その上、焔と桜の能力は封じられるし、【五感超倍増】さんでも察知しきれない攻撃の数々が飛んでくる。
もうね、謝りたい。
あんだけ糞だ糞だ言ってきた【五感超倍増】さんに何度命を助けられてきた事か。尊敬しすぎてもはや“さん”付けにするくらい、俺は追い詰められていた。
極相の【焔炎天】の効果で、“残火天生”というものがある。これがあれば何度も蘇ることが出来るのだが、極相が封じられている以上は使えるかどうか怪しい。
つまり結論から言うと──。
「んきゅきゅあー!?」
(一発も貰えねぇー!?)
受け止めてやるよ、なんて言った癖に避けることしか出来ない自分が情けないが、死んだら元も子もない。
実際問題、受け止められる訳がなかった。
俺が右へ飛べば右側の空間が爆ぜる。左へ転がれば石畳ごと抉り飛ばされる。上へ跳躍すれば衝撃波が追い掛けてきて、下へ潜れば地面そのものが砕け散る。
もはや意味が分からん、何をどうすればそうなるんだ。ゲームなら絶対に修正されるレベルのクソボスである。
「メルちゃん……」
リリアが悲しそうに俺を見る。
その顔を見ていると本当に胸が痛くなる。痛くなるんだが、その直後に俺の頭上数十メートルの空間がバキリと音を立てて砕けた。幼気な顔で即死コンボしてくるのやめて欲しい、切実に。
咄嗟に頭を伏せて回避には成功したものの、逃げ惑う俺を追うように攻撃が更に激しくなる。
「きゅあぁぁぁ!?!?」
(どうやって勝ちゃあいいんだよ!?)
分かるかそんなもん。
いや本当に。
相手のステータスが高いとか、攻撃力が高いとかならまだ理解できる。避けられない速度とか、防御不能の必殺技とかもギリギリ分かる。でもリリアの場合、何をされたのか分からないまま死ぬ未来だけが見えている。
理不尽にも程があった。
「メルちゃん……どうして逃げるの?」
「ふぁっきゅ!!!」
叫んだ瞬間、俺の背後数十メートルがまとめて吹き飛んだ。振り返る余裕すらない。というか振り返ったら死ぬ。今や【五感超倍増】さんが鳴らす警報だけが命綱である。
愛してるよ【五感超倍増】、俺たち結婚しよう。
──《感情:愛の増幅を確認。欲求位相に位置付けられる【五感超倍増】の進化を確認──失敗──訂正。時律の王種の干渉を確認──成功しました。
【五感超倍増】が、“
あ、なんか進化した。
時律の王種の干渉とかいう気になる単語も聞こえたが、今はそんなことを考えている余裕はない。何故なら目の前には相変わらず理不尽の権化みたいな聖女が立っているからだ。
「メルちゃん……」
リリアがこちらを見据える。
その瞬間──何故だか身体が勝手に動いた。
理由は分からない。だが、見えないはずの攻撃の軌道が、まるで未来予知のように脳裏へ流れ込んでくる。反射的に地面を蹴り、転がるように飛び退いた。
刹那。
さっきまで俺がいた場所が轟音と共に吹き飛んだ。石畳が砕け、大地が抉れ、数十メートル先まで一直線に破壊が走る。
「きゅっ!?」
思わず悲鳴をあげてしまうが、リリアは情け容赦なく、続け様に見えない衝撃波や攻撃の数々を放ってくる。
普通なら避けるのに苦労していただろう速度の即死コンボは、放たれた瞬間には既に俺の脳裏へ“結果”として流れ込んできていた。
右へ飛べば生存。
半歩遅れれば死亡。
その場で伏せれば回避。
跳躍すれば首から上が消し飛ぶ。
そんな滅茶苦茶な情報が、まるで誰かに直接叩き込まれるように頭の中へ流れ込んでくる。
(……まさか、【第六感】か?)
今の戦いで急速に株を上げ始めた【感覚超倍増】さんが、今度は更に強力になって返って来るとは……この俺の目を以てしても見抜けなかった。
てか、強い。あまりにも強すぎる。
代償として頭痛は酷いし、脳味噌を直接かき回されているみたいな疲労感もある。だがそれでも、命があるだけ儲けものだ。
けれど、そこでふと疑問が浮かぶ。
──本当にこのままでいいのだろうか、と。
避け続けるだけでは戦況は何も変わらない。それにリリアの姿を見る限り、長く保つようには見えなかった。白銀の光を纏う身体と、不安定に揺れる気配。そして今にも壊れてしまいそうな瞳。
どう見てもただでさえ短い寿命を、更に削っている。
なら──やはり、受け止めてやるのが大人なんじゃないか?
そんな考えが脳裏を過ぎる。
攻撃を躱しながら、ふと数日前の出来事を思い出してしまった。生臭シスターことカプノスと交わした会話だ。
『もしアイツを泣かせるような真似したら──ぶっ飛ばす、忘れンなよ』
だが、今の俺はどうだ。
リリアを人質に取られ、あまつさえ操られた上で彼女を受け止めていない。涙を流してリリアが泣いていても、結局は我が身が可愛さに逃げ続けているだけだ。
一言で言えば、覚悟が足りていない。
こんな姿をカプノスに見られたら、きっと怒られるだろうな。「大人なら腹ァ括れよ」なんて言ってきそうだ。
……なぁ、カプノス。それでもやっぱり死ぬのは怖いんだよ。死んでもいいとは思ってるけど、死にたいとは思ってないんだ。
だから──力を貸してくれ。
「……ふぃ」
リリアの攻撃を避け続けながら、ポケットに忍ばせていた煙草を取り出した。カプノスが吸っていたモノと同じバニラフレーバー。少しの甘さと、鼻の奥に残る独特な香り。火を点ける余裕なんて本来あるはずもないのに、不思議と焔の力を行使出来た。
火が灯ったのを確認し、口に咥える。
モクモクと灰煙をあげる煙草は、こんな地獄みたいな戦場には似合わないほど穏やかだった。肺の奥へ煙を流し込んだ瞬間、不思議と頭の熱が引いていくのを感じた。
良い気分だ。
後は、受け止めるだけ。
「メルちゃん……それ……」
煙草を吸っている俺にビックリしたのか、リリアの手が止まる。甘ったるいバニラフレーバーの香りに、僅かに顔が歪んでいる。
戦闘中に煙草を吸う俺に対して怒っているのか、あるいは嗅ぎなれた匂いに懐かしんでいるのか、判断が出来ない。だが攻撃の手を緩めた今こそ、絶好のである。
ゆっくり近づいて行く。
「………っ、来ないで!」
瞬間、【第六感】から押し寄せる大量の『死』の情報。当たれば何回でも死ねる夥しい量の攻撃を避け──ることはせず、真正面から受け止める。
空気が震えるような感覚が、背筋を襲う。
いや、違う。
震えていたのは俺だった。身体中の細胞が逃げろと叫んでいる。転がれ、伏せろ、避けろ、今ならまだ間に合う……なんて、【第六感】が必死に生存ルートを叩き込んでくる。
その間にも押し寄せる怒涛の攻撃に、意識が飛びそうになる。
(ははっ、マジでいてぇ……)
だが、俺は止まらない。
見えない衝撃が胸へ直撃し、ぐしゃり、と嫌な音が身体の奥で響く。肺の空気が一気に吐き出され、肋骨が何本かまとめて折れたのが分かった。
内臓を保護する骨がメキメキと悲鳴をあげ、今にも崩れ落ちかけるのを、何とか根性と【
もはや意地だった。
あんまりおっさん、もとい大人を舐めちゃいけない。
子供が見てる前じゃカッコつけたくなるのが大人だ。めちゃくちゃ痛いが、情けない姿は見せたくない。
それに……何となくだが、リリアの攻撃の手が緩んでいる気がする。
「……死んじゃうよっ!?」
ボロボロになった俺を見たリリアが、悲鳴をあげた。
その声を聞いた瞬間に再び思い出すのは、あの生臭シスターのリリアを思う言葉。
『ぶっ飛ばす、忘れんなよ』
……あぁ、そうだな。
リリアからの攻撃よりも、アンタからぶっ飛ばされた方がよっぽど痛そうだ。だからこんな痛みなんか、屁でもないんだよ。
「んきゅあ……」
(心配、すんな……)
なんて口では言うものの、意識が朦朧としてきた。内臓はもはや外に露出してしまっているし、片目は何も見えない。回復が追い付かず、ダメージが蓄積していってるのが分かる。
あぁっ、くそ。
痛い。
痛い痛い。
痛い痛い痛い。
痛い痛い痛い痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い。
痛い。
けど、痛いだけなら意地でなんとかなる。前世の会社でう〇こ漏らした時よりかは、精神的な余裕はまだ残ってるんだ。もしこの経験がなければ、今頃痛みでぶっ倒れてただろうな。
まさかう〇こ漏らした自分に感謝するなんて、人生分からないもんだ。
「っえほ……」
【第六感】の代償か、更に五感が鋭くなったせいで前よりも痛みが鮮明に感じる。お陰で朦朧となる意識も、痛みで無理矢理覚醒させられるんだから【第六感】さまさまだ。
肺から逆流した血を吐き出し、足を引きずりながらリリアの元へと歩いていく。怯えたような顔から察するとおり、今の俺は死にかけのゾンビにしか見えないだろうな。
ゆったりとした足取りだが、距離は確実に近付いていく。もはや、俺の手が何とか届く距離にリリアはいた。
何となく思っていた攻撃の手は、目に見えて分かるほど緩んでいる。精神的な揺さぶりのせいか、あるいはリリアの寿命が尽きかけているのか……今はどっちだっていい。
時間がないのには変わりないんだ。
「ッメルちゃん!もうッ……もうやめて!私より先に死ぬよ!?」
悲鳴みたいな声だった。
今までの無機質な声音じゃなく、誰かに操られた人形の言葉でもない。ただ、大切な誰かが傷付くのを見たくない少女の声だった。
だから俺は、血塗れの顔で笑ってやったんだ。
「んきゅ……」
(恋、教えて欲しいって言ってたよな……?)
「──っ、なにいって……」
逃げ続けている間に、一つだけ考えていたことがある。
俺があの支配から逃れられた時のことだ。
正直な話、特別な方法があった訳じゃない。精神力で打ち破った訳でも、都合良く耐性を得た訳でもない。ただ単純に──痛みが酷すぎた。自分自身の焔で全身を焼いたことで、【五感超倍増】によって引き伸ばされた痛みにより支配どころではなかったのだ。
言うなれば、支配を振り払ったというより、痛みによるショックで強制的に我へ返っただけだった。
となると、だ。
重要なのは、我に返ってしまうレベルの痛み、もしくは何らかの刺激を与えれば支配は解かれるのではないのだろうか?
そんな都合の良い話があるのかは知らない。そもそも根拠なんて殆ど無い。命を賭けた戦いでやるにはあまりにも馬鹿げた賭けだ。
だが、他に方法が思い付かなかった。
目の前にいるのは恋も愛も知らない少女だ。
誰かを好きになる事も、胸が苦しくなる理由も、手を繋ぎたいと思う意味すらも知らない。
だから、恋や愛を知らない少女に“これ”を教えるのは少々酷だが──今だけは許して欲しい。
俺とリリアの距離は、もうほとんど無い。手を伸ばせば届く位置で、リリアのエメラルドブルーの瞳が薄く揺らいでいる。
「……来ないで……っ」
声は震えているのに、攻撃は来ない。正確には、出しかけた力が途中で止まっている。白銀の光が指先で不安定に揺れて、放出される寸前で霧散していく。
【第六感】は今も警告を鳴らし続けていた。
右に行けば死ぬ。
左に行けば死ぬ。
止まれば死ぬ。
逃げても死ぬ。
あーくそ、死ぬ死ぬうるさいんだよ。
目の前に居るのは普通の女の子だぞ?ただちょっとクソボスの雰囲気があるだけの、青春と恋を知りたがる明るい子だ。化け物でもモンスターでもなく、聖女として人を助けてきた女の子だ。
そして、俺の友達でもある。
痛みに呻きながら足を進めると、気付けばリリアの距離はすぐそこまで迫っていた。
「……なんで?寂しいって言ったのは私だけど、どうして近づくの?こんなにメルちゃんをボロボロにして、殺そうとして……。
だから、助ける価値なんてないよ」
「んきゅ」
(友達だから)
「だからって、命懸けすぎ。これ以上近づいてきたら、ほんとに死んじゃう!」
「きゅきゅあ」
(それくらい、大事ってことだ)
涙目で俺を見据えるリリア。もはや距離なんてものはほとんど無い。半ばもたれ掛かるように、薄く汚れがついた頬にゆっくりと手を添える。
ほんのり冷たい頬は、ずっと張り詰めていた何かが少しだけ緩むような、そんな温度だった。リリアは動かない。いや、動けなかったと言った方が正しいのかもしれない。
白銀の光が指先で揺れているのに、俺に触れられた瞬間だけピタッと動きが止まる。
時間がない。
俺の命も、リリアの寿命も、恐らくすぐそこまで迫っている。
だから。
「……やめ、て。私みたいな酷い奴に、メルちゃんは関わっちゃダメだよ?友達なんて言われる資格──んむっ!?」
続きを言わせるつもりはなかった。
互いの口が触れ、一瞬硬直したリリアの唇の隙間から舌先を侵入させる。逃げ惑う彼女の舌を捉え、口腔内を舐るのに数秒も掛からなかった。
きっと、俺の口の中は高速再生中とはいえ、血とヤニの香りで凄いことになっているだろう。それでも離すわけにはいかない。初めてがこんな場所で、しかもボロボロの相手なんて最悪なはずだ。
最悪だからこそ、絶対に忘れられない記憶になる。
───☆
リリアは混乱していた。
噎せ返るような血の匂いと、仄かなバニラのフレーバーによって鼻腔を刺激され、口内を舐る柔らかな舌の感触が電流のようにゾクゾクッと背中を走る。
(私、何をしてたんだっけ?)
キスの感触という経験したことのない刺激が、曇り空から差す光のように支配された精神に影響を与えていく。
記憶に残っているのは、メルに力を向ける自分の姿。
到底聖女とは思えない我儘を振りかざし、自分が守ってきた土地をめちゃくちゃにしようとする破壊の権化だ。
叶えたい未来もなくて、寿命で死ぬはずだった自分。
その隙をつかれ、大切な友達を傷つけようとした自分。
湧き出す感情は想像に難くない。なのに、その悪感情全てを──快楽が押し流した。
「っ、メルちゃ……」
脳漿を駆け巡る経験したことの無い感覚と、間近に迫る可愛らしい友達の顔に、リリアは名前を呼ぶことしかできない。腰に巻き付かれた尻尾は解けないようにキツく縛られているし、互いの唾液を纏う舌は依然として快感を訴えてきている。
まさか、メルにこんなことをされると思っていなかった。
死ぬ前に思い出を作りたかった。誰かと青春っぽいことをしてみたかった。未来から来たというヴェスティにメルの話を聞いていたため、前々から興味があったのは事実だ。
それでも諦めは何となくついていた。
自分を救いたいと思っていないし、寿命だって自然の摂理。正直、死ぬのは怖いが、抗いようのない運命なら受け入れるしかない。
そう思っていたのに……。
「……ぁぅ、きゅ」
「ふ、んっ……あま、い」
脳が蕩けてしまいそうな“甘さ”が、死にたくないという感情を増幅させてくる。
いつの間にかメルと恋人繋ぎになっていることすら気付かず、互いの甘さを享受する時間は数瞬。しかし二人にとって、その時間は永い時を感じさせる蜜月にすら思えた。
聖女になるチビスラとして産まれたため、親のいない自分。
万が一があってはいけないと、ヴェスティ以外と遊ぶことを否定された幼少期。
それが災いしてか、高校生になってもヴェスティ以外のまともな友人や恋人が作れなかった。
“普通の女の子になりたかった”。
そんなことを願った日々も、今では遠い昔のように感じる。
望みや願いが叶わないと理解しているからこそ、諦めがつく。
リリアの思考が楽観的なのも、聖女としての自分を生き続けなればならない諦めがそうさせている。
さらには未来から来たヴェスティが、今後の顛末を余すことなく話すのだ──未来は『絶望』しかないと。
だから嬉しかった。
メルやイスフィという新たな友人ができ、青春らしいことが出来るんじゃないかと。
それが出来ないと分かったのは、自分の寿命の終わりを何となく感じた時だった。
最初は勘違いだと思った。
聖女は特別だ。
誰よりも強くて、誰よりも愛されて、誰よりも長く人々を守る存在だと教えられてきた。だから自分も、どこかで当然のように未来が続くと思っていた。
けれど現実は違う。
日に日に重くなる身体と、眠りから覚めても消えない倦怠感。誰にも気付かれないように隠していた小さな異変と、それらを一つ一つ数えていくうちに、リリアは理解してしまったのだ。
(あぁ、私。思ったより長くないんだなぁ〜)
と。
人類の『希望』と評された聖女が、『絶望』に染まってしまったのは、このせいだ。諦めが少しずつ積み重なり、気付けば何も願わなくなっていた。救われたいとも思わない。助けて欲しいとも思わない。期待して裏切られるくらいなら、最初から何も望まない方が楽だったから。
だから『絶望』は心地良かった。
何も願わなくていい。
何も信じなくていい。
何も失わなくていい。
全てを諦めた自分には、とても優しい闇だった。
だが今は違う。
自分を助けようとしてくれる友達がいる。イスフィがいて、ヴェスティがいて、そしてメルがいる。寿命が尽きるだけの少女だと分かっていても、
救う価値なんてないと自分で言ったのに、それでも手を伸ばしてくれた。
文字通り、命を賭してここまでのことをやってのけた。子供のように我儘を言って殺そうとしてくる自分を許すどころか、キスまでして助けようとしてくれた。
馬鹿だ。
本当に馬鹿だ。
なのにどうしようもなく胸が苦しい。胸がドキドキして、早鐘を打つのが変に心地いい。もっと皆と話をしたいし、笑い合いたい。もっと馬鹿なことをして、もっと普通の女の子みたいに生きてみたい。
そんな『希望』を抱いてしまった──だから、『絶望』なんてもうなかった。もういらないし、縋ることもない。
今は心の底から大切な友達がいるから。
やがて、二人の口先が離れる。
舌先から溢れた粘り気を含む白い橋は、リリアの“離れたくない”という思いを受け取ったようにいつまでも繋がり続けている。
そして、ようやく白い橋が途切れた頃。
「……ヘンタイ。メルちゃんがこんなオオカミさんだと思わなかったよ〜?」
明るい口調でリリアはメルに語りかけた。
その頬は赤く染まり、いつものような朗らかさに若干の気恥しさを含んでいる。メルは「ごめん」と一鳴きすると、リリアの無事を確かめるように深く抱き締めた。
(私の為に、そこまでしてくれたんだ〜)
周りにいた人達とは違う。
自分を敬うでも尊ぶでもなく、純然たる友情で助けに来てくれたメル。きっとヴェスティもイスフィも自分を助けるために尽力してくれたんだろう。
自分は思った以上に愛されている。
その事実がどうしようもなく嬉しくて、こんな人達とお別れをしないといけない事実にも悲しくなって……いつしかリリアの瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「えへっ、許してあげる〜♩それと──助けてくれて、ありがとう」
そう言って抱き締め返すリリアの頬はまだ赤くなったまま。
前まではそこまで怖くなかった寿命の存在に、今ではかなりの恐怖と寂しさを感じる。なのに抱きしめ合っているだけで薄れていく恐怖心に、リリアは思わず笑ってしまった。
(なんか……メルちゃんと居ると、ドキドキするなぁ〜。これが恋っていうやつ?いやいやまさか、そんなわけないか!初めてとはいえ、キスだけで好きになっちゃうってちょろすぎるしね〜?
でも、この気持ちが“恋”なら──まだ生きてたいなぁ、私)
そして、力尽きたように二人とも地面に倒れた。
『絶望』の影はもうない。メルというチビスラと、数多の協力によって。
普通の恋と普通の生活を憧れた聖女は、恋の脈動を感じる普通の少女として抱擁の幸せを感じながら、しばらくの間瞼を閉じた。
───☆
ノア=ハルベルトは、『絶望』が消えていく様を静かに眺めていた。
呆気に取られて眺めるしかなかった、の方が正しいだろうか。彼女は人の血と世界の終わりを願っている。自分のような異常を淘汰し、聖女を崇め奉るような不平等な世界を壊したいからだ。
それなのに。
「カカッ、まさかキス如きで消えちまうなんてねぇ〜?いやぁ、これは予想外──腹が立って仕方がないねぇ」
額に浮かぶ青筋はピクピクと痙攣し、握しめる拳はワナワナと震えていた。
何故聖女だけが救われる?
何故自分を助ける者はいない?
黒い感情がとめどなく溢れ出てくる。
視線の先には、倒れ伏した聖女と美女。抵抗するような力は残っておらず、雑魚モンスターを何匹か差し向ければ死ぬのは目に見えて分かる。戦況は最悪で、ミツルも懐柔されたらしく応答がない。
それでもこの二人さえ殺せれば、ノアの溜飲は落ちる。
──『殺せ。跡形もなく』
命令が下された瞬間、街中に散っていたモンスター達が一斉に反応した。
倒壊した建物の影から、砕けた石畳の隙間から、燃え盛る炎の向こうから。無数の咆哮が重なり合い、まるで街そのものが唸り声を上げたような錯覚を生む。 総勢一万五千。決戦前と比べれば数は減っている。それでも、たった二人を殺すにはあまりにも過剰な戦力だった。
獣が駆け、飛竜が空を覆い、巨大種が地面を揺らす。それら全てが、倒れ伏したメルとリリアだけを目指していた。
「カカッ……そうだ。それでいい」
ノアは嗤う。これで終わりだ。聖女だろうが、王種に認められた異常個体だろうが関係ない。もう二人に戦う力は残っていない。立ち上がることも、逃げることも、抵抗することも出来ない。
残された死の猶予は、限りなく目の前まで迫っていた。
土煙を舞散らかせながら、軍勢は刻一刻と距離を詰めていく。
五百メートル、三百メートル、二百メートルと、その度に地面が震え、瓦礫が跳ねる。軍勢との距離は後百メートルを切る。先頭を走る狼型モンスターの牙まで見える距離だった。
あと数秒。
それだけで全てが終わる。
ノアは勝利を確信していた。モンスター達も獲物を前に興奮していた。誰もが結末を疑わなかった。
だからこそ、次の瞬間に起きた出来事を理解できなかった。
───ゴオォォォォッッッ!!!
凄まじい爆音が、メルの周囲から発せられたのだ。
攻撃されたわけではないのは、戦闘の集団の無事から察することができる。なら一体何をされたのか、ノアには理解が及ばなかった。
しかし、次の瞬間には目の色を変えて、攻撃の開始を告げた。
倒れ伏しているはずのチビスラの周囲から──リリアを護るようにして、虹色の繭が形成されていたからだ。
つまり、進化だ。
「チッ、まさか進化すんのかねぇ〜?ただでさえ厄介なのに、これ以上進化されたら困るよぉ〜?」
苛立ちをぶつけるように繭目掛けて銃弾を撃ち込むが、軽い金属音と共に弾かれてしまう。狼型モンスターの牙も、虫型モンスターの毒針も、全く通用する気配がない。
おかしい、進化直前の繭の強度はそこまで強靭じゃない。繭の状態でコレなら、もし進化したらどんな化け物になるか──ノアには想像もつかなかった。
だが牙も針も届かないなら、巨体で踏み潰せばいい。
群れの後方。
遅れてやってきた軍勢の中に、一際巨大なモンスターが繭の前まで歩み寄る。全長は二十五メートル前後。マンモス型の“ツブスゾウ”という種類に分類されるモンスターは足跡だけで直径三メートル、体重は八百トンを優に超えていた。
こんな踏み付けが繭に直撃すれば、いくら強靭だろうとひとたまりもない。
「 O O O O o o o ッ ! ! ! 」
轟く咆哮に合わせ、ツブスゾウの巨体から踏み付けが迫り来る──筈だった。
なんと、足裏を繭に向けていたはずのツブスゾウがいきなり方向転換し、後方の軍勢へと攻撃を開始したのだ。いや、それだけじゃない。よくよく観察すれば他のモンスター達も、急に自我を取り戻したように暴れ始めていた。
「……どうなってる?」
ノアの声には、隠しきれない困惑が滲んでいる。
反乱。
現在の状況を冷静に分析するなら、そう表現するのが最も正しいだろう。命令を再度送り込んでも、反乱し始めたモンスター達に効いている様子はあまり見られない。
むしろ、どんどんと反乱していくモンスターの数が増える一方だ。
何故?何故?何故?
反乱の原因を探ろうとするが、答えは見つからない。困惑ではち切れそうな頭を何とか働かせ、自体の沈静化を測ろうとするが──そんなノアの後方に、一人の少女と二匹のモンスターがいた。
「あ、あのぉ〜……その、貴女がノアさん、であってますか?」
その少女の外見は言ってしまえば地味。
肩に乗っている猫のようなモンスターと、背後の獅子の如く大柄なモンスターがいなければ、戦場で見てもすぐ死ぬような人間にしか思えない。しかし、その声につられて振り返ったノアは、顔を大きく歪めることとなった。
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