ゴースト・ダンジョン・オーバーライド ~イカレマンサーと呼ばれた僕は、最愛の幽霊(ひと)のためにすべてを壊す~   作:九泉

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イカレマンサーと呼ばれた少年

 翌朝の教室は、いつも通りの平和な空気に満ちていた。

 チョークが黒板を叩く乾いた音。窓から差し込む暖かな陽光。遠くから聞こえる運動部の掛け声。

 

 昨夜の、血と臓物にまみれた地下空間とは別世界だ。

 

 僕は一番後ろの席で、静かに参考書を広げていた。

 痛み止めが効いているおかげで、肋骨のヒビも大人しくしている。

 脇腹の切り傷は止血パッドと包帯で固めてあるし、制服の上からカーディガンを羽織っているので、外見上はバレていないはずだ。

 

「……ん」

 

 数式の羅列を目で追うが、頭に入ってこない。

 眠い。

 昨夜は結局、午前三時まで潜っていた。

 帰ってから装備の手入れと、皐月さんへのおやすみの挨拶をしていたら、睡眠時間は二時間を切ってしまった。

 探索者としての活動と、高校生としての生活の両立は、効率の面で課題が多い。

 

「よう、律。お前また死にそうな顔してるな」

 

 昼休みのアナウンスが流れると同時に、前の席の友人が振り返った。

 ユウキだ。彼は僕が探索者であることを知っている数少ない友人の一人だが、僕がどこのクランにも属さず、ソロで何をしているかまでは詳しく知らない。

 

「……少し、寝不足で」

 

「また勉強か? それともダンジョンの方か? まぁいいけどさ、あんま無理すんなよ。お前、ただでさえ色が白くて幽霊みたいなんだから」

 

「善処するよ」

 

 僕は曖昧に頷いて、購買で買ったサンドイッチの袋を開けた。

 味気ないレタスとハムの味が口に広がる。

 

(これも栄養補給だ。タンパク質と炭水化物を摂らないと、筋肉の修復が遅れる)

 

 機械的に咀嚼しながら、ユウキの話に耳を傾けるふりをする。

 

「そういやさ。昨日の夜、また出たらしいぜ。知ってるか? 『イカレマンサー』の話」

 

 咀嚼する顎が一瞬、止まりかけた。

 

「……イカレマンサー?」

 

「ああ。ネットの掲示板で話題になってるんだよ。中層エリアに出没するっていう、頭のおかしいテイマーの話」

 

 ユウキは興奮した様子でスマホの画面を見せてきた。

 そこには『D級ダンジョン攻略スレ』というタイトルが表示されている。

 

『【悲報】またバール男が出現。ゴブリンの群れが全滅』

『あいつテイマーのくせに魔物使わないで自分で殴り込みかけるとかマジ?』

『連れてるのFランのウィスプ一匹だけだろ? なんで死なないんだよ』

『つーか、テイムモンスターに話しかけてるのがガチでホラー』

『見た目普通の高校生っぽいのが余計に怖い』

『ネクロマンサーならぬイカレマンサーだな』

『イカレマンサーは草』

 

 画面に並ぶ文字の羅列に、僕は無表情を貫くことに必死だった。

 心拍数が少しだけ上がる。

 

(……目撃されていたのか。昨日は誰もいないルートを選んだつもりだったのに)

 

「怖いよなぁ。テイマーって言ったら普通、後ろで偉そうにしてるもんだろ? なのに自分でバール持って最前線で暴れるとか、完全に狂ってるよ。しかも『か弱いあなたを守るために僕が戦います』とかブツブツ言いながら戦ってるらしいぜ。絶対関わりたくないタイプだわ」

 

 ユウキは身震いするジェスチャーをして見せた。

 

「……そうだね。変な人もいるもんだ」

 

 僕は乾いた声で同意した。

 まさか、その「イカレマンサー」が目の前に座ってサンドイッチを食べているとは夢にも思うまい。

 

「か弱いあなた」というのは、もちろん皐月さんのことだ。

 僕にとっては事実を述べたまでだが、他人から見れば異常な独り言に聞こえるらしい。

 

 まったく、認識の齟齬というのは厄介だ。

 でも、修正するつもりはない。

 誰に何と思われようと、僕が皐月さんを守るという事実は揺らがないからだ。

 

「律は大丈夫か? お前もソロでやってるんだろ。そんなヤバイ奴に遭遇したら、すぐ逃げろよ」

 

「ああ、ありがとう。気をつけるよ」

 

 ユウキの純粋な忠告に、僕は心の中で少しだけ謝った。

 ごめん、ユウキ。僕がそのヤバイ奴なんだ。

 

 話題を変えるために、僕は気になっていたことを口にした。

 

「そういえば、最近『天の(きざはし)』の動きはどうなんだい? トップクランの」

 

「え? ああ、相変わらず絶好調みたいだぜ。今度、未踏破の深層エリアに遠征するってニュースになってたな」

 

「へえ、すごいな。あ、そろそろ予鈴が鳴るね」

 

 僕は残りのサンドイッチを強引に喉に流し込んだ。

 午後の授業は体育がある。見学する理由を考えなければ。

 傷が開くと面倒だ。クリーニング代も馬鹿にならない。

 

(急がないと。もっと魔石が必要だ。もっと高純度の、魂を繋ぎ止めるためのエネルギーが)

 

 窓の外を見上げると、青空に巨大な塔のような影が浮かんでいた。

 街の中心にそびえ立つ、異界への入り口――ダンジョンゲート。

 あそこに、僕の全てがある。

 愛と、憎悪と、希望と、絶望が。

 

 放課後になったら、またあそこへ帰ろう。

 僕たちの「家」へ。

 

 

 *

 

 

 放課後のチャイムと同時に、僕は教室を飛び出した。

 図書室に行くと言ってユウキと別れ、駅のコインロッカーに預けていた装備一式を回収する。

 学生服から、動きやすい黒のコンバットシャツとカーゴパンツに着替える。

 関節部にはプロテクター。腰にはポーチ。そして背中のホルスターには、愛用のバール。

 元はホームセンターで買った安物だが、度重なる強化(エンチャント)によって、今では鋼鉄すら砕く凶器と化している。

 

 ダンジョンの入り口は、巨大な地下鉄の改札のような場所にある。

 探索者証をかざし、ゲートをくぐる。

 空気が変わる。

 湿度が高く、淀んだ魔素の濃度が肌にまとわりつく感覚。

 

「……出番ですよ、皐月さん」

 

 僕は首から下げたロケットペンダントに触れながら、召喚の詠唱を行った。

 

「サモン・ウィスプ」

 

 足元の影が揺らぎ、そこからふわりと白い燐光が湧き上がった。

 光は瞬く間に人の形をとり――僕の記憶の中にある、あの日の彼女の姿になる。

 

『……!』

 

「おはようございます、皐月さん。今日も綺麗ですね」

 

 彼女は恥ずかしそうに俯き、それから嬉しそうに僕の周りをくるくると回り始めた。

 今日の彼女は、昨日よりも少しだけ輪郭がはっきりしている気がする。

 昨日の魔石が効いている証拠だ。

 

「今日は少し深くまで行きます。Dランクエリアの『水没回廊』です。あそこなら、水棲系の魔物が多い」

 

 探索者としての活動で肉体強度はかなり上がったが、依然として防御力には難がある。物理攻撃主体の魔物は脅威だ。

 しかし水棲系の魔物は、魔法や状態異常攻撃を使ってくることが多い。テイマーは後衛職だからか、魔法や状態異常への耐性が比較的高い。

 

 皐月さんへの攻撃は僕が【カバー】で全て引き受ければ問題ない。

 むしろ、高価な「水の魔石」が手に入れば、資金繰りが楽になる。

 

 僕は地下へと続く階段を降り始めた。

 すれ違う他の探索者たちが、ギョッとした顔で僕と背後の空間を見比べる。

 

「おい、あれ……」

「何もいないのに話しかけてるぞ……」

「関わるな、目がイッてる」

 

 ひそひそ話が聞こえてくるが、僕は無視した。

 哀れなことだ。

 こんなに美しい人が隣にいるのに、それを認識できないなんて。

 僕が彼女を観測し続ける限り、彼女はそこに在る。それが真理だ。

 

 

 Dランクエリア『水没回廊』。

 足首まで水に浸かる湿地帯のようなフロアだ。

 壁や天井からは水滴がしたたり、あちこちに光る苔が生えている。

 

「冷たくないですか? 足元、気をつけて」

 

 僕は宙に浮いている彼女に向かって手を差し伸べた。

 彼女はその手に自分の手を重ねる仕草をする。

 

 その時だった。

 

「――ッ! そこの君、避けて!!」

 

 鋭い警告の声が響いた。

 同時に、頭上の暗がりから巨大な影が落下してくる。

 大口を開けたワニのような魔物――【アイアン・ゲイター】だ。

 

 僕の反応は早かった。

 警告されるまでもな、殺気を感じ取っていたからだ。

 

 だが、避けない。

 避ければ、背後の皐月さんが危険に晒されるかもしれない。

 位置関係的に、落下地点は僕と皐月さんのちょうど中間だ。

 

「【タウント(挑発)】!」

 

 僕は即座にスキルを発動し、ヘイトを自分に固定する。

 同時にバールを振りかぶり、落下してくる巨大な顎に向かって、真正面から踏み込んだ。

 

「ガァアアッ!?」

 

 金属音と、肉が潰れる音。

 バールの先端がワニの硬い鱗を貫通し、眼球に深々と突き刺さる。

 凄まじい衝撃が腕に走る。体重差がありすぎる。

 僕はそのままワニの下敷きになりそうになったが、とっさに横へ転がって衝撃を殺した。

 

 ドサァッ! と巨大な水飛沫が上がる。

 アイアン・ゲイターはのたうち回り、尻尾を振り回して暴れる。

 

「うるさいですね。皐月さんが驚くじゃないですか」

 

 僕は泥水にまみれたまま立ち上がり、追撃に移る。

 暴れる尻尾の一撃を、左腕を盾にして受け止めた。

 バキッ、と嫌な音がする。

 

(ヒビが入った……いや、打撲程度か。許容範囲、許容範囲)

 

 痛みで思考がクリアになる。

 僕は無防備になったワニの頭部に飛び乗り、眼球に突き刺さったままのバールを、さらに奥へと蹴り込んだ。

 脳幹を破壊する感触。

 巨体がビクンと跳ね、絶命する。

 

「……ふぅ」

 

 戦闘時間、わずか十数秒。

 僕は荒い息を吐きながら、大ワニの死体からバールを引き抜いた。

 あーあ、さっそく血で汚れてしまった。

 

「ねえ君、大丈夫……? っていうか無茶苦茶だよ!?」

 

 先ほど警告の声を上げた主が、水飛沫を上げて駆け寄ってきた。

 軽装鎧に身を包み、背中に弓を背負った女性だ。

 年齢は僕より少し上だろうか。栗色のショートヘアに、意志の強そうな瞳。

 彼女もまた、ソロの探索者のようだ。

 

「いきなり真正面から受け止める!? 避けてから遠距離で弱らせるのがセオリーよ!」

 

 彼女は呆れと怒りが入り混じった顔で言ってきた。

 常識的な意見だ。アーチャーらしい、距離を取って戦う思考だ。

 

「避けると、後ろに被害が出る可能性があったので」

 

 僕は淡々と答え、後ろを振り返った。

 皐月さんは無事だ。少し怯えた様子で、僕の左腕を心配そうに見つめている。

 

「大丈夫ですよ、これくらい。すぐに治ります」

 

「え? 何言ってるの。後ろって、誰も……」

 

 弓の人は言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 彼女の視線が、僕の背後にいる皐月さんに釘付けになる。

 彼女の顔色が、サァッと青ざめていくのが分かった。

 

「……嘘でしょ。君、それを連れてるの?」

 

「ええ。僕の大切なパートナーです」

 

 僕は誇らしげに胸を張った。

 しかし、彼女の反応は芳しくない。

 彼女は後ずさり、弓に手をかけながら、震える声で言った。

 

「なに、それ……。真っ黒な靄が、人の形をして……」

 

「……黒い?」

 

 僕は首を傾げた。

 何を言っているんだ。皐月さんはこんなに白くて、輝いているのに。

 ああ、そうか。

 今日の皐月さんは調子がいいから、魔力が濃くなって、見る人によっては影のように見えるのかもしれない。

 

「綺麗でしょう? 彼女の名前は皐月さんって言うんです」

 

「……ッ、ねえ君、テイマーでしょ? なんでモンスターを守って君が怪我してんのよ!?」

 

 彼女の叫び声が、洞窟内に反響する。

 

「モンスターではありません。彼女は……僕の大事な人です」

 

 僕は真顔で訂正し、ワニの腹を裂いて魔石を取り出した。

 青く輝くそれを、当然のように皐月さんへ捧げる。

 皐月さんが、魔石を飲み込む。

 

「ヒッ……」

 

 瑛奈さんが小さな悲鳴を上げた。

 僕には、皐月さんが微笑んだように見えたけれど、彼女にはどう見えたのだろう。

 

「さて。行きましょうか、皐月さん。ここはどうも騒がしい」

 

 僕は呆然とする弓の人を放置して、奥の通路へと歩き出した。

 左腕の痛みは増しているが、不思議と足取りは軽かった。

 

 新しい魔石を手に入れた。皐月さんが喜んでくれた。

 それだけで、僕はどこまでも強くなれる気がした。

 

 背後で、弓の人が何かつぶやいたのが聞こえた気がした。

「……おかしいよ」と。

 

 それは僕にとって、最大の褒め言葉だった。

 狂わ(おかしく)なければ、死んだ人を愛し続けることなんてできないのだから。

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