イロハがイブキの為に復讐する小説   作:ハーメルンのTakamagi

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これで最終回です。はい。


第四話

 地下深くを突き抜く暗闇に、敵意の閃光が迸る。一度きりではない。断続的に響く乾いた銃声が、この戦いの終わりがまだ遠いことを告げていた。

 

 イロハはただ一つの目的のためだけに、この薄暗い回廊を駆けていた。

 

 作戦開始から数時間が経過した。イロハが率いた部隊は事実上の壊滅状態にある。支給された物資の八割は尽き、仲間たちはイロハ一人を残して再起不能となった。


 脳裏に、『作戦失敗』の四文字がちらついては、消える。

 

 それでも、棗イロハは足を止めなかった。必ずイブキを救うと、そう誓ったのだから。

 

「……これが、最後のマガジン」

 

 MP7の最後の弾倉。それをどこか物惜しそうに、しかし確かな手つきで装填する。


 銃声が響いては止み、また響く。一つの角を曲がるために、何十発もの弾丸と数分もの時間を浪費する。まさに泥沼だった。

 

 やがて薄暗い通路を抜けた先、視界が拓ける。


 だだっ広い、がらんとした空間。その壁という壁に、強化ガラスが嵌め込まれた小部屋が、まるで蜂の巣のように規則正しく並んでいた。

 

『牢獄』。

 

 その言葉が脳裏をよぎる。ひんやりとした金属の匂いと澱んだ空気が、イロハの肌を粟立たせた。

 

(こんな、場所に……イブキが……?)

 

 太陽のように明るい子が、光の届かないこんな冷たい場所に、一人で……?


 想像だけで、胃の腑から、黒い激情がせり上がってくる。

 

「……ッ!」

 

 込み上げる吐き気を振り払うように、ぶんぶんと首を振る。


 落ち着け。感傷に浸っている場合じゃない。イブキを、早く……!

 

 無数にある牢獄の一つ一つに、焦燥に駆られた視線を走らせる。


 どこだ。どこにいる、イブキ……!

 

 心が、焦りで完全に支配されかけた、その時だった。

 

「…………せん……イロ……ぱい……!」

 

 か細い。今にも消えてしまいそうな声だ。


 それでも、イロハが聞き間違えるはずのない愛しい声が、確かに鼓膜を震わせた。

 

「イブキ!!」

 

 声のした方へ、イロハはただ無我夢中で走った。


 一つ、また一つと角を曲がった、その先────

 

 ガラスを、小さな両手で必死に叩く少女の姿。光の灯る独房に閉じ込められた、彼女自身の宝物。

 

 どれだけ苦しかっただろうか。どれだけ心細かっただろうか。ガラスの向こうの彼女は、とめどなく涙を流しながら、その瞳で確かにイロハを捉えていた。

 

「イブキっ……!待ってください……今、私が────」

 

 感激と安堵に、一瞬、全てを忘れた。無防備にそのガラスへと駆け寄ろうとした、その時。

 

「………あぶっ……!」
「──ッ!?」

 

 イブキの悲鳴と右肩に走る灼熱の衝撃は、ほぼ同時だった。

 

(……撃たれた!? どこから……いや、違う、まずは!)

 

 撃ち抜かれた衝撃が、かえって浮ついたイロハの思考を、強制的に現実へと引きずり下ろす。


 イロハは即座に近くの瓦礫の陰へと身を滑り込ませ、傷口を押さえた。

 

 ──骨には、届いていない。致命傷ではない。

 

「……折角、感動の再会だったというのに……空気が読めませんね」

 

 憎まれ口を叩ける程度には、冷静だった。

 

「…………まさか、あの時の『戦車長』がここまでやるとはな」

 

 その声。忘れるはずがない。私の、私たちの日常を奪った、忌むべき襲撃者の声。

 

「ええ、お久しぶりです。どうですか? あの時見逃してやった『雑魚』に、ここまで懐に入り込まれた感想は」


 イロハの挑発に敵は、言葉の代わりに鉛の弾丸で応えた。

 

 これを無抵抗で喰らうイロハではない。銃声と同時に身を屈め、頭上を掠める弾道を、肌で感じながら回避する。すかさず、MP7で牽制の射撃を返した。

 

 敵は、イブキが閉じ込められている独房の、まさにその前に立っている。


 ────彼女を盾にしている。悪辣。非道。生かしてはおけない。

 

「……随分と、物騒な得物をお持ちで」

 

 敵が手にしているのは、あの時のスタンガンではない。あらゆるものを薙ぎ払う、重機関銃。


 再びマズルフラッシュが闇を照らす。先程の遮蔽物は、木っ端微塵に砕け散った。イロハは、後方へ飛び退き距離を取る。

 

 圧倒的な弾幕が、イロハの細い身体に襲いかかる。だがその雨の中を、彼女はただ駆け抜けた。


 イオリの神速には及ばない。だがその動きの『先』を読むことはもうできる。

 

 相手がイブキの前から動かない以上、イロハ自身もここから退くわけにはいかない。


 状況を整理する。手榴弾はゼロ。MP7の弾倉はこれが最後。頼れるのはまだ三つの弾倉を残す、サイドアームのグロック17のみ。

 

(……地の利を、活かすしかない)

 

 あんな大物を抱えていては、俊敏な動きはできないはずだ。


 イロハは物陰で息を殺しながら、この盤面をひっくり返すための一手を思考の海から探し出す。

 

 ────思考は、纏まった。


 弾丸の嵐が一瞬だけ止むその刹那、イロハは物陰から飛び出した。狙うは頭上を走る、二階のキャットウォークへと続く鉄の階段。


 階段を駆け上がった瞬間、敵の射線が再び私を捉える。猛烈な弾幕から逃れるように、キャットウォークを駆ける。敵との距離を詰めるために。


 その時、足元に凄まじい衝撃が走った。敵の弾丸が、私の身体ではなく、私が立つ『足場』そのものを撃ち抜いているのだ。

 

(……狙いは、これか!)

 

 きしむ金属音。留め具が弾け飛ぶ甲高い音。


 イロハは崩れ落ちる足場から、隣の足場へと全力で跳躍した。直後、彼女が立っていたキャットウォークは、轟音と共に一階へと崩落していく。


 もちろん、その真下にいる敵本人を巻き込みながら。

 

「さて。これで、少しは大人しくなってくれると、楽なのですが……」

 

 舞い上がる粉塵を見下ろしながら、イロハはそう呟いた。


 有利なのは、こちらのはずだ。

 

「────手榴だ──!?」

 

 その思考は濃密な煙の中から一直線に飛来した黒い塊によって、無慈悲に否定された。

 

 反応、できない。轟音と、衝撃。

 

 イロハが立っていた足場は、まるで子供の玩具のようにあっけなく吹き飛んだ。

 

 瓦礫の上に叩きつけられ激しく咳き込む。脳裏に戦慄が走った。

 

(……違う。これは油断を突かれたんじゃない。私が足場を崩した、その『後』のことまで、完全に読み切られていたんだ……!)

 

 背筋が凍る。目の前の敵はただの兵士ではない。私と同等、いや、それ以上の『戦術家』だ。

 

 額から流れ落ちた生温かい液体が、片方の視界を赤く染めた。

 

「全く………最悪、ですね」

 

 身体の節々が悲鳴を上げている。だがそれ以上に、心が、折れそうだった。

 

 じわじわと、膝から力が抜けていく。もう、立ち上がれる気がしなかった。

 

「イロ…んぱい!……がんば……って……!」

 

 その、声。


 いや。ダメだ。
 

 ここで、諦めるわけには、いかない。


 イブキのか細い声援が、切れかけた私の心のエンジンに再び火を灯す。

 

(まだだ。まだ、終わっていない。ここからだって、逆転できる……!)

 

 イロハは自分自身を鼓舞し、MP7を構え直した。


 粉塵が晴れていく。瓦礫の山の向こうに敵の姿が見えた。


 互いが、相手を視認する。そして両者の引き金が同時に引かれた。

 

 銃弾の応酬。私は飛来する弾道を丁寧に見切り、瓦礫から瓦礫へと身を潜ませながら、ゆっくりと、しかし着実に間合いを詰めていく。

 

 その最中、ある『違和感』に気づく。

 

(……発射間隔が……長い。あの重機関銃が奏でるはずの、圧倒的な制圧射撃の『リズム』が、明らかに途切れている)

 

 その違和感の正体は、一つの可能性に直結する。

 

(……もしや。あの崩落、少なからず、ダメージを与えられていた……?)

 

 ────これだ。これが、チャンスだ。私の捨て身の一撃は、無駄ではなかった。


 その事実が傾きかけていた戦況の天秤を、ぐっとこちら側へと引き戻す。

 

 額の血を手の甲で乱暴に拭う。


 イロハは勇敢に、飛び交う弾丸の雨の中を駆け抜けた。


 遮蔽物となる瓦礫が少なくなる。敵の銃撃がより精度を増して彼女を襲う。


 だが、もう、恐怖は感じなかった。

 

「──なんだ。ちゃんと、効いているじゃないですか」

 

 瓦礫の向こうで、敵は確かに片足を引きずっていた。その手にあるのもあの重機関銃ではない。取り回しの良いサブマシンガンに持ち替えている。

 

 勝機は見えた。


 ここからの移動で合間合間に挟むイロハの反撃が、さらに勢いを増していく。

 

 彼女が放つ反撃の弾丸が、敵の身体を掠めるたび確かな手応えが腕に伝わる。


 それを実感する度、心の奥底で燻っていた闘志が勢いを増していく。

 

 かちり、と。


 イロハが握るMP7から、無機質な音が響いた。

 

 弾切れ。それはこの頼れる相棒の役割の終わりを告げる、非情な宣告。

 
 躊躇なく、イロハはMP7を投げ捨て懐から最後の武器──グロック17を引き抜いた。

 

(……決着を、つけなければ)

 

 もう後はない。

 

 イロハは最後の力を振り絞って、一気に敵の懐へと躍り込んだ。

 

 相手が反応するよりも速く。イロハは引き金を引いた。

 

 放たれた最後の一発。その弾丸は寸分の狂いもなく、敵が構えていたサブマシンガンの機関部を撃ち抜き、沈黙させた。

 

 カラン、と。


 乾いた金属音が、静まり返った空間に虚しく響く。

 

 武器を失い、無防備に立ち尽くす敵。


 荒い息をつきながら、なおも銃口を向け続ける、私。

 

(……終わった)

 

 勝った。長い、長い戦いが、ようやく。

 

 張り詰めていた緊張の糸が、ぷつり、と音を立てて切れた。
全身を駆け巡る安堵に、膝から力が抜けそうになる。

 

 ──その、ほんの一瞬の、油断だった。

 

 次の瞬間、視界の端を銀色の一閃が薙ぐ。

 

「…………ぇ?」

 

 遅れて生温かい液体が、赤い飛沫となって宙を舞った。


 腹部に、熱い違和感。


 見下ろせば黒いタクティカルウェアが、真一文字に切り裂かれそこから、どくどくと命が溢れ出していた。

 

(──切られた?)

 

 本能が、死の危機を告げる。まだ、攻撃は終わっていない。

 

「ぐっ……!?」

 

 眼前に迫る、第二の殺意。


 イロハは朦朧とする意識の中で、せめて急所だけはと咄嗟に左腕を突き出した。

 

 手首に灼熱の線が走る。だがその痛みと引き換えに、ナイフの一閃を僅かに逸らすことに成功した。


 そしてがら空きになった胴体へ、渾身の蹴りを叩き込む。

 

「……イカれたんですか、貴方」
「生存本能だ」

 

 どこまでも、見下した視線。


 命懸けのこの状況で、腹の底から純粋な苛立ちが湧き上がってくる。

 

(……まずい。このままでは、出血で……)

 

 残された時間は僅か。その猶予時間内に敵を制圧し、応急処置を施さなければ、死ぬ。

  
 だが、どうやって?


 武器はない。握っていた拳銃は、切られた衝撃でとうに手から滑り落ちていた。

 

 どうする?どうする?どうする?

 

(殺られる、殺られる、殺られる、殺られる、殺られる──)

 

「…………いや」

 

 あった。一つだけ。この、絶望的な窮地を、覆す方法が。

 

 敵が再びナイフを構え、とどめを刺さんと突撃してくる。


 もう避けられない。

 

(──なら、こちらも)
(殺る気で、いくだけだ)

 

 最後の一手に、全てを賭ける。


 互いが地面を蹴り、その間合いがゼロになる。

 

 二つの銀色の光が、交錯した。

 

「…………ぁがっ!?」

 

 悲鳴を上げたのは、敵だった。


 その腹部にはあのアーミーナイフが、深く突き刺さっている。

 

 走馬灯のように記憶が巡る。


 あの時、葛藤の末に懐に忍ばせた、一本のナイフ。それが、今、イロハの命を繋いだ。

 

 敵のナイフは、イロハの眼球のほんの数ミリ手前で、止まっていた。


 ほんの刹那の差が、二人の勝敗を分かっていた。

 

(……ああ。本当に、終わったのか)

 

 イロハの手から、ナイフが滑り落ちる。


 敵もまた、傷口を押さえながらゆっくりと横様に崩れ落ちた。

 

 意識を失ったのを確認し、その懐からカードキーを取り出す。


 これで、イブキを……。

 

「…………あ、でも」

 

 ふと、血塗れの掌が、目に入った。

 

(……手を、汚してしまった私が。イブキに、顔を合わせる資格なんて……あるのだろうか)

 

 こんな結末は、望んでいなかったはずだ。

 

「………ケホッ、ケホッ……」


 包帯はもうない。ここへ来るまでに全て使い果たしてしまった。

 

 視線を背後に向ける。そこには倒れ伏した敵の腹部に、私が突き立てたナイフが刺さったままになっていた。


『刺さった刃物は、決して抜かず包帯で巻く』

 

「……いや。……やっぱり、この包帯は」

 

 何かを悟ったように。何かから逃れるように。


 イロハは最後の一巻きの包帯を取り出すと、ゆっくりと敵の元へと歩み寄った。

 

 ────狂っている。偽善者め。

 

 頭の中でもう一人の自分が、冷たくそう罵る。

 

 だが彼女の心にはもう、たった一つの想いしか残っていなかった。


 イブキへのあまりにも深すぎる愛情。

 

(……あの子に、人殺しの私を、会わせるわけには、いかないから)

 

 それはあまりにも身勝手な贖罪だった。丁寧にナイフごと敵の傷口を包帯で覆った。全てを終え、立ち上がる。


 おぼつかない足取りで、愛しい少女が待つ、独房へと向かった。

 

 カードキーでロックを解除する。


「い、いろは、せんぱい……?」


 大粒の涙を流しながら、彼女は目の前にいる満身創痍のイロハの名前を呼んだ。

 

「はい……。イロハ、先輩……ですよ」
「ち、ちがう……! その、傷……っ!な、なんで……? 止血、してないの……?」
「さぁ………? なんで、でしょうね…………きっと、イブキが、手を汚してしまった私に……会いたくないと、思ったから、ですかね……」

 

 薄れゆく意識の中、イロハの胸に顔を埋め、嗚咽するイブキの温もりだけが、やけに、鮮明だった。

 

「……よかった。最期に、貴方を、抱きしめられて」
「だめっ! だめぇええっ!! 死んじゃいや! イロハ先輩、死なないでぇええっ!!」

 

 ──ああ。最期に、彼女の温もりに触れられるなんて。私は、なんて、幸せ者なのでしょう。

 

 イロハは心からの感謝を呟きながら、遂にその意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 (ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ)

 

 耳を穿つ電子音。規則的で無機質な音は、暗闇の何処から鳴り響いていた。

 

 無視しようにも、意識外からの騒音に耐えらなかった。

 

「……なん……ですか………」

 

 イロハは耳障りの電子音に向かって静かにぼやく。そして発声がトリガーになって、意識が暗闇の底から汲み上げられていった。

 

 イロハが瞼を開いたと同時に、隙間から白い光が差し込んでくる。

 

「……ここは?」

 

 頭上にはあの場所とは違う、白い天井が一面に貼られていた。どこかデジャブを感じる、見覚えのある天井。

 

「…………ゲヘナの保健し────いででっ」

 

 現在地を特定したイロハは、立ちあがろうと体に力を入れる。だが力を入れた瞬間、鈍い痛みが全身を駆け巡った。

 

 目覚め早々にこんな目に遭うなんて…………そう不満を覚えたイロハはゆっくりと己の身体を視認した。

 

 そこには、これでもかとばかりに包帯を巻かれまくった薄い身体が、ベットの上で横になっていた。

 

「………はぁ」

 

 上体を起こせるわけない状態に、イロハはため息を吐いて力を抜き、視線を天井に戻す。

 

 身動きが取れず、むずむずする。イロハは苦虫を噛み潰したような顔で、新しい展開を待ち侘びていると、彼女は頬に何か当てられていることに気がついた。

 

 サラサラとした太陽のような色の物体。髪だろうか……イロハは気になって首を傾ける。

 

「すぅ…………」

 

 目覚めから感じていた温かい感触の正体はこれだったのか。

彼女の隣にあったのは、小さな少女…………もといイブキがいた。彼女は現在安らかに寝息を立てている。

 

 身を案じられる方なのに、イロハは安堵を覚えた。

 

 ガチャッ。

 

 不意に保健室の扉が開かれる音がした。イロハはその音に気づいて、どうにかしてその方向へ首を回す。

 

 入り口に立っていた先生とセナだった。こちらの視線に気づいた二人は、一瞬鳩が豆鉄砲を喰らったような驚愕の顔をして、慌てて駆け寄ってきた。

 

「イロハ!目を覚ましたんだね!よかった………本当に良かったよ……」

「随分お早い目覚めですね、イロハさん」

「…………だめでしたか?」

「いえ、駄目と言っているわけではありません。ただ、想像していたより早く目覚めていましたから」

 

  セナからの言葉をやや不思議そうに聞いていたイロハ。ふと、とある疑問が浮かび上がったのでイロハはセナにあることを問う。

 

「あれから、どれくらい経ちましたか?」

 

 イロハの問いに、セナは手元のカルテに目を落としたまま、淡々と答えた。

 

「………一週間、正確には6日と14時間が経過しています」

「……は?」

 

 こちらの想像を優に超える経過時間を告げられ、イロハは混乱する。そんな彼女に意にも返さず、セナは続けた。

 

「あなたの腹部の刺創は主要な血管を寸でのところで外れていました。幸運だったとしか言いようがありません。ですがそれでも出血量は致死量に達しており、本来であれば今頃あなたが目を覚ましている確率は3%以下です……仮に運良く目覚められたとしても二週間は必要でした」

 

「……に、二週間どころの話じゃないですか……」

 

 自分がどれだけ死の淵を彷徨っていたかを、イロハは今更ながらに理解した。

 

「それで、体の調子は?」

「まぁ、体の節々が時折痛むぐらいですかね」

 

 イロハの容体が明らかになり、先生はまた安堵する。

 

「えっと、マコト先輩はいないんですか?」

「今はこの前の任務の後処理をしてるけど、マコトは………『野暮用がある』って言葉を残してそれっきりだね……」

 

 マコトがそんな真面目に書類仕事に勤しむわけが無い、だったら今回の黒幕にあれこれを…………。

 

 イロハの脳裏にあらゆる憶測が駆け回る。ただ、口に出しても特にこれといった意味を見出せないため、彼女は出かかった言葉を飲み込んだ。

 

 その時、イロハの頬にかかる髪が僅かに揺れた。如何なることか、彼女は首を傾けた先には、イブキが上体を起こしたばかりの光景と遭遇した。

 

「あっ、イブキ…………」

 

 声をかけたものの、イブキはまだ寝ぼけているのか頷きすらしなかった。うつらうつらと上体を起こした彼女は、一度目を擦ってこちらを向く。すると彼女は目を覚ましたイロハの存在に気づき目を見開いた。

 

「い、イロハ先輩!?やっと、やっと……起きたんだね!」

 

 彼女は今にも泣き出しそうな顔をして、包帯で巻かれたイロハの身体に身を寄せた。

 

「わっ、ちょっと乱暴ですよ」

「だって……イロハ先輩がずっと、起きなかったからっ……イブキね、怖くて怖くて……」

 

 イブキが必死に叫びながら、手に抱えたイロハの腕の中で泣き喚く。

 

「あっ、そういえば……どうやって私はここへ?」

 

 ついつい浮かび上がる疑問を口にすると、先生は苦笑しながら答えた。

 

 先生曰く、本部に突如、部隊からの信号が送られたらしく、急いで回収部隊を送ったらしい。倒れ伏せる部隊の仲間や敵を回収し終え、最後の三人を捜索していたところで、血だらけのイロハを抱えるイブキが目の前に現れて…………イロハは助かった。

 

「それと、イロハの腹部の傷。イブキと会った時には既にイブキのコートで止血されてたよ」

「イブキが…………?」

 

 イロハは横目でイブキを見る。イブキは既に泣き止んでおり、チラリと見る視線に彼女は不思議そうな顔で首を傾げていた。

 

「…………えらいですね」

 

 イロハは慈愛に満ちた声でイブキを褒め、かろうじて動かせる左手でイブキの頭部を優しく撫でた。

 

「えへへっ、もっと撫でて〜」

 

 イブキの柔らかい声が、イロハの心に優しく染み渡った。

 

 

 

 

 

 

「美味しいですか?」

「うん!とっても美味しいよ!」

 

 乾いた風が頬を撫でる昼下がり。燻んだ赤色の髪をたなびかせる棗イロハは現在万魔殿の職務から逃れ『サボり』を満喫している────わけではない。そもそも現在イロハが置かれている状況は『正式なサボり』、所謂『休暇』なのだ。

 

 あの事件から一ヶ月経とうとしているゲヘナの秋。相変わらず喧騒で満ちているが、イロハとイブキが共通のベンチで腰掛けているこの空間だけは、何物の介入を許さなかった。

 

 リハビリ期間を終えたばかりだが、今のイロハはあの時のイロハとはまったく違う。イブキの為に命を燃やしながらもまだまだ燃焼中の彼女は、そこに鎮座するだけでも十分な抑止力になる。

 

 ところで、先程イロハを『抑止力』と称していたが、イロハの活躍の場は作戦遂行時まで世には認知されていない。ではなぜ巷で『抑止力』と謳われるのか。

 

 その答えはイロハが握っている新聞の見出しにあった。

 

『丹花イブキ救出成功!あの戦車長が生身で敵組織を殲滅!?』

 

 いかにもという見出しで、思わず苦笑いしてしまう。

 

「はぁ…………全く。チアキは…………」

 

 口から不満の流れが漏れ出そうだったが、かろうじて全て飲み込んだ。

 

 この新聞は万魔殿の元宮チアキが製作した記事だ。身内が大いに活躍したからか、過大評価な気がするが今は気にするべき事柄ではない。

 

 載せられた自身の記事を読み終えたイロハは、用済みの新聞を丸めゴミ箱に放り捨てた。

 

 さて、イブキはというと限定プリンを満足そうに頬張っているところだ。やはり愛おしく、屈託のない笑顔。見るだけでもイロハの心を十分に癒した。

 

「ん?イロハ先輩、今日はいつもより幸せそうな顔してる!」

「そうでしたか?食べちゃいたいくらい可愛い顔しているイブキのせいですよ〜?」

「イブキの顔で満足するのもいいけど、プリンもしっかり食べてね!」

「ふふっ、そうですね。勿体無いですし、食べましょうか」

 

 彼女はほのかに微笑みながら、限定プリンの蓋を開ける。丁度一ヶ月前、同じシチュエーションでプリンを口にしたことを思い出したが、今のプリンは記憶の中のプリンよりもとても美味しそうに見えた。

 

 イロハの手に握られたスプーンは躊躇いもなく、黄色い海を掬い口の中へと運ぶ。

 

 うん、やっぱり美味しい。

 

「美味しい?」

「もちろんですよ」

 

 二人は顔を合わせながら、他愛もない会話を交わした。

 

 仕事から逃げ、一緒に外を散策。そしてそこで見つけた美味しそうなスイーツを買っては、一緒に頬張る日々。当然の如く時間の中を流れる日常は、やはり二人にとってずっとかけがえのないものになっているだろう。そして、何度も強く感じるだろう。『こんな日常がずっと続くといいな』、と。

 

 ────しかしここはゲヘナ。そのような安直な願いはそう簡単には叶えさせてはくれなかった。

 

「ん?あれって………」

「新聞に載ってた………戦車長ってやつじゃない?」

 

 遠くでとある不良集団がそんな会話をしていた。

 

 その現場を目撃したイロハは嫌な予感を察知した。新聞に載せられた戦車長の活躍、いうまでもなくそれは強さを証明するものだが…………。

 

 最強の名を馳せるヒナとは違い、突然現れたイロハの強さというのはすぐには浸透しない。ヒナに脳を焼かれたからか、数多くの生徒らはイロハの実力に不信感を抱くのが性だ。

 

 それを誰よりも知っていたイロハはある一つの憶測に着陸する。

 

(これは…………戦いが始まりそうですね)

 

 最悪の事態に備えて、イロハは銃を構え出し立ち上がる。

 

「イブキ?少し野暮用ができたので、あなたはここで待っててくださいね?」

「ん?わかった!」

 

 イブキはなんの疑いもなく、イロハの頼み事に快く承諾した。そうしてイロハは振り返り、笑顔を送る。

 

「巷では強いって言われてるけど…………本当なのか?」

「いやわかんねぇ。あれじゃないか?万魔殿の策略ってやつじゃないか?」

「じゃああの情報は全部嘘だってこと?」

「そうじゃないか?あっ、だったら隣にいるイブキってやつさ────」

 

「人質にして金たんまり貰おうっていう魂胆…………ですか?」

「は?」

 

 不良たちの悪巧みにイロハはごく自然に割って入ってきた。

 

「こんにちは皆さん。既に私の事は存じているとは思いますが…………」

「おいやべぇよ!めっちゃ聞かれたじゃんか!」

「いや、ここは勇敢に行こう。あいつが言ってることは全部見掛け倒しってこと証明してやるからな!」

 

 すると不良の一人が銃を構え出し、今にも発砲せんとばかりとイロハの前へ飛び出した。

 

「おいお前!痛い目に遭いたくなければ、あの黄色いガキを────」

「はぁ……手荒な真似はしたくなかったのですが」

 

 不良のセリフが言い終わる前に、イロハは呆れたようにため息を吐いたその瞬間────

 

(ダダダダン!)

 

「ぐおっ!?」

「なっ!?今の一瞬で四発も!?」

 

 不良はイロハの拳銃から放たれた弾丸を全て喰らい、あっけなく倒れてしまった。

 

「一ヶ月という短い間でしたが…………これでもあの時よりは随分と強くなりましたよ?」

 

 彼女は自慢げに口を開き、今度は放心する不良たちに拳銃を向ける。

 

 

 

 

 

「さあ、次はあなたたちですよ」

 




以上、赤モップ無双小説でした。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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